#2570/5495 長編
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幻都放浪(17) 青木無常
★内容
笑いはしなかった。
が、すぐに眉をひそめて抗議の言葉を口にするあたり、この隆二という男もやは
りまったくただ者ではなさそうだ。
「それでは、われわれに結界を破らせたのは、すべてこのためだったのですか?」
質問には、わずかに不満の響きが含まれていたのかもしれない。
それに対する叱責は、ケイオスではなくその右隣の人物からあがった。
つまり、点滅する顔だけの化物からだ。
『不満を抱くのか? ん? リュウ』
その奇怪至極の見かけにふさわしく、その声もまた老若男女幾人もがいっせいに
口をそろえて発したように、奇怪なエコーをともなって反響した。
『<混沌>の、唯一にして絶対の真理に、異をとなえるつもりか』
瞬時うろたえ、ついで隆二は怒りをこめて<顔>を見つめた。
「そうではない。だが、それならばそうと、事前に説明されていればわれわれも
そのつもりでいられた、というだけのことだ。となればそもそもの手落ちは、その
説明を怠った泡幻童子、おまえの責任ではないのか?」
セリフの末尾に含まれた勝ち誇ったような響きに、点滅する無数の顔が怒りに歪
みつつ何かを言いかけた。
それを制するように、
「おい、仲間われもいいけどよ」
と、俺が声をかけたのは、ケイオスを含む一団の会話から疎外されていることへ
の、欲求不満からだったのかもしれない。
案の定、奇怪な出現と短いやりとりに集中していた視線が、いっせいに俺の上に
移動した。こいつぁ気持ちがいいや。
「新宿くんだりから、わざわざ徒党をくんでおしかけてきたのは、内輪もめ、見
物させるためじゃねえんだろうが?」
放言して、後悔のほぞをかんだ。形式的に、俺の揶揄した連中の中にケイオスも
含まれてしまうことに気づいたからだ。実際、立場や思惑をいっさい越えて、その
場に集うた全員の目が、非難をこめていっせいに俺にふりそそがれた。
まずった、と思い、そして同時に我に返った。
そもそも、そのケイオスこそが、俺の敵なのだ。
へん、と俺は唇を歪め、弓の先端をケイオスにぐいと向けた。
「何しに来やがったのか知らねえけどよ、俺はてめえに用事があって殴りこみに
いくところだったんだ。ノコノコとツラ出してくれて、ありがとうよ」
言い放ち、ぐいと睨みつけた。
非難に満ちた無数の視線が、ここにいたって呆然と見ひらかれている。あの神々
しい存在に正面きって喧嘩を売るなど、考えも及ばなかったからだろう。俺だって
自分で自分に驚いている。
すると、俺につづいて正気に返ったのは意外にも、あの拳銃小僧だった。
「そうだよなあ、なんだか知らねえが、俺たちの縄張り、ズタズタに切り裂いて
踏みこんできた奴らだ。どこの何様だか知らねえけど、タダじゃあ帰せねえぜ」
おお、なかなか肝のすわった奴だ、と言いたいところだが、単なる無知のこわい
ものしらずにしか見えない。てこた、つまり俺もああいう風に見られてるってこと
か。どうしようもねえな。ふん。
呆然としていた一同が、このふたつの反乱を契機に、とまどいながらも二つに分
裂した。すなわち、困惑して態度を決めかねた顔と、そして、神罰か何かをでも恐
れる気分で、首をすくめつつ俺たちに無言の非難をあびせる連中とに。
反抗心をかきたてる奴なんざ、ほとんど現れもしなかった。カスどもめが。
「なんとか言えコラ」
そのへんのチンピラそのままの口調で、なかば自棄くそ気味に俺が叫んだ。
そして拳銃小僧は――ニューナンブの銃口を、混沌の主ケイオスにぐいと、つき
つけた。
それだけで、騒然とした恐怖の表情が、いならぶ人びとの顔面に、夏の雲のよう
にむくむくとわきあがった。
む、とうめいて隆二と、そして数人の<混沌の騎士>たちがセラミック剣をひき
ぬいた。
それを制するように、声があがった。
「かまわない」
と。
騎士たちがぎょっとしたように目をむき、発言者たるケイオスを見やった。
左右両側にひかえる<顔>と<虎>は、なにほどのこともない、とでも言いたげ
にニヤニヤと笑っている。それを見て隆二たちもまた、思いだしたように拍子ぬけ
した表情を浮かべ、剣をおさめた。
混乱と困惑に、あからさまな焦慮の表情を浮かべて拳銃小僧は「おい! おい、
撃つぞ」と悲鳴のように叫んだ。
それに向けてケイオスが、まるで訓練風景を視察する指揮官のように鷹揚に、う
なずいてみせた。
「撃ってみるがいい」
静かな宣告に、先ほどの怖いものしらずの物腰など忘れ果てたかのように小僧は
うろたえたが、やがてその表情が徐々に変化する。
吠え面かくな、と、唇の端をなめあげた舌が語っていた。
腰を落とし、両手保持で銃をかまえ、ケイオスに向けてねらいをさだめる。どう
でもいいことだが、ニューナンブであの構えはどうも間抜けだ。
「や!」
これだけは勇ましいかけ声とともに、タン、と空気が鳴いた。
うっすらと白い煙があがり、硝煙のにおいが鼻先をただよった。
――それで終わりだった。
ケイオスも、その一党も平然とした顔で冷徹に小僧を見やり、その他の連中は呆
然となりゆきを見守る。
もちろん、当の拳銃小僧こそもっともわけがわからず呆然としていたにちがいな
い。
たぶん、滅び去った文明の、もっとも不吉で力強い部分を代表する拳銃という凶
器を保持している――ただそれだけで奴は、今日までデカい面をしていい気になっ
ていたはずだ。おそらくそれを実際に使う必要に迫られることさえほとんど、ある
いはまったく、なかったのだろう。
奴にとって、手のひらの中の鉄の塊と鉛の弾丸とは、絶対の力の象徴だったのか
もしれない。それさえあれば、世の中はすべて思いどおりになる――そう思ってい
たのだろう。
だが、物理的な攻撃をいっさい受けつけない連中など、今の世界には珍しくもな
い。奴はそのことを、頭では理解していただろうが、実感したことはなかったのだ。
だからいま、世界が根底から崩れ去ったような驚きを味わっているのだろう。
俺には、奴のそんな気持ちが痛いほどわかるような気がしていた。同じ無力感を、
妹を失ったときに俺も感じたからだった。
この、山下公園のお札の結界と同じように、俺はまったく自覚のないうちに、妹
の持つ結界保持の特殊能力に助けられていたのだ。おそらく、いや、まちがいなく、
俺が物理的な暴力や何かから妹を守っていた以上に。
当惑と恐怖に歪んだ奴の顔が、自棄くそのようにぐいとケイオスをにらんだ。
パン、パン、パン、と、いくつかの銃声が夜に反響し、そしてとぎれた。
カチカチと撃鉄だけがしらじらしく拳銃小僧の手のひらの中で鳴りわたり、やが
てそれも沈黙した。
歯をむき出し、眉根をよせながら、それでも小僧は銃をかまえたままだった。
ケイオスの横でふ、と<虎>が、失笑をもらした。
やりきれなさと怒りとが、俺の腹の底にじわりとわいた。
「いばってんじゃねえよ」
口の中で小さくつぶやき、そして俺は弓に矢をつがえた。
「ジン……!」
横手で沙羅が、悲鳴のように小さく叫んだ。今度のそれは、隆二のためではある
まい。
そしてそれにかぶさるように、
「やめろ。かなうはずがない」切迫した口調で、アブーカジェリフが言った。
「懐をさぐってみろ。ヒンジャルは見つからぬはずだ! 戦うべき時ではないのだ」
「るせえ」
口をついて出た罵声は、二人への揶揄というよりは自らを叱咤するためのセリフ
だった。
タツ、おめえならわかるか?
心中で問いかけた。
ケイオスは――そして<顔>と<虎>もまた――すでに拳銃小僧からはいっさい
の興味を失ったか、さしてあわてた風もなく新たなる襲撃者たる俺に、その視線を
向けている。
恐れている様子など、微塵もない。そりゃそうだろう。銃弾さえまるで効き目の
ない連中だ。手製の、不格好な弓矢などなんの脅威にもなり得ないにちがいない。
ひきしぼる弦をにぎる指が、怯懦にひくひくと震えた。
俺はいま、神に向けて矢を放とうとしているのか?
胸をかきむしるような不安が問いかけた。
ニューナンブをかまえたまま、がくりと力なく膝をついた拳銃小僧の姿が、視野
の端に映っていた。
泣きそうな顔を、しているような気がした。
そしてもうひとつ、この場にはいない顔が。
「麗子」
腰からさげたラジオに意識を飛ばし、ささやいた。
そして、かきたてた憎悪と怒気を乗せて、矢を射た。
ぴう、と風を裂き、放たれた矢は海へ向けて飛んだ。
ケイオスが無造作に、手をあげる。
狙いあやまたず、矢はケイオスの頭部めがけて吸いこまれていった。
その軌道上に、優雅な動きで手がさしのべられた。
赤い閃光でも爆発して、飛来する矢が粉々に粉砕されでもすれば、まだ納得がい
ったかもしれない。
そんな超常現象のかわりに、俺の一撃は単純かつ物理的な手段で阻止された。
すなわち、かかげられたケイオスの、人さし指と中指とのあいだに、いとも簡単
にからめとられたのだ。
<混沌>の王は、実質本位の不細工きわまりない俺の矢にちらりと視線をくれる
と、なんの興もかきたてられなかったように、紙くずでも捨てるようにして、かた
わらに投げ捨てた。
怒りと、そして無力感が、俺の胸の内部をどす黒く染める。
土台、役者がちがっている。
「おまえがジン、か?」
氷のような美貌が、そのとき無表情に問いかけた。
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俺に話しかけたのだ、とはハナから思わず、俺はただ呆然としていただけだった。
むしろ、最初の敵である隆二などのほうが、よっぽどハラハラしながら俺とケイ
オスを交互に見やっていたかもしれない。
そんな、隆二を含めたギャラリーの緊張など、いっさい念頭にないように、ケイ
オスは淡々とした口調でもう一度、呼びかけた。
「おまえが、仁か? 麗子の兄か?」
そこでようやく、<混沌>の親玉が俺にむかって話しかけているのだと納得でき
た。
納得できたからって、その意図が理解できたわけじゃない。
「そのとおりだ」
しばしの間をおいて、俺はそう答えた。
底なし穴のような深い黒瞳が、かすかにうなずいてみせた。
「妹を帰せ」
ともすれば、今しもふるえてきそうな歯の根をぐいとかみしめて、俺は言った。
「それはできない」
意志の表示というよりは、まるで何かあたりまえの事実を口にでもするような調
子で、ケイオスは言った。
「なぜだ?」
炎とともに吐き出した俺の問いに、
「彼女が必要だ」
簡潔すぎて意味のとれない答えが返る。
なんに? と問いかけるより早く――
「ケイオスさま」
地獄の底から響いてくるような、ひび割れた不快な声音が俺の背後からそう呼ん
だ。
俺は、うわ、とぶざまに叫びつつ身をひねりながら飛びあがった。
口がきけないのか、とも思わないでもなかったが、どうやらそうでもないらしい。
能面の男――<邯鄲>は、よろりと歩を踏みだし、そしてつづけた。
「この男は、なりませぬ」
なんだ? と俺は眉をよせる。話が見えねえ。
「だが、必要だ」ケイオスが言った。「すくなくとも、この男の生存を確認しな
いかぎり、麗子はわれわれには協力してはくれないだろう」
「排除すべきです」
寒々とした声音で、なおも<邯鄲>はそう告げる。排除てな、俺のことか。
「なぜだね、邯鄲?」
と聞いたのは、虎面の老人だ。
「喰らう」
地の底からの呪咀のごとく、<邯鄲>はそう答える。
「おい、いったい何のこった?」こらえ切れず、俺は声を荒らげた。「なんだか
知らねえが、ひとを肴に言いたい放題。喰らうだと? おお喰らうともさ。生きて
くためにゃあ喰らわにゃしゃあねえのは、人間の性だろうがよ、え?」
わけのわからないからみ方をしながら、俺は<邯鄲>に向けてつかつかと歩みよ
り、その胸ぐらをつかみあげ――ようとして、素通りした。
ちくしょう、忘れてた。こいつはタツの真剣さえ素通りさせる化物だ。実体じゃ
ないのかもしれねえ。くそ。それにしても、つかもうとする実体がない、というの
は思った以上に気持ち悪ィ感じだ。
が、その時、俺のそんな愚行に対して<邯鄲>は――輪をかけて理解不能な反応
を示した。
後ずさったのだ。