AWC 幻都放浪(13)       青木無常


        
#2566/5495 長編
★タイトル (GVJ     )  94/ 4/ 3  10:58  (199)
幻都放浪(13)       青木無常
★内容
 「糞」
 と一人毒づき、つがえた矢の狙いをつけて、射ち放った。
 重力に逆らうことですばやさを相殺されていたことが幸いしたか、俺の放った矢
は初めて、文字どおり一矢むくいていた。黒い巨大な背中の一角に石の鏃が深々と
突き立つや、獣はぎゃん、と盛大な苦鳴をあげてその巨体を瞬時、はげしく痙攣さ
せた。
 それでも、見あげたことにとりついた樹幹からころげ落ちもせずにそのまま移動
をくりかえし、枝から枝へと、筋肉をうねらせながら器用に移っていく。
 むろん、その間俺の方も指をくわえて見物していたわけじゃない。指にはさみこ
んでおいた二矢、ついで三矢目を放ち、さらに背の矢筒へと手をのばす。
 二矢目は犬の胴をかすめて雑草の中に落下し、三撃目は奴の右前脚に突きたった
後、抜け落ちていった。
 四撃目は、樹幹に突きたてられた。
 狙いをはずしたわけじゃない。たしかに、見あげる角度の射的はやりにくいが、
そのまま犬が頭上へと移動をつづけていれば、当然その進路上に矢は突き刺さった
はずだ。
 が、犬はどうやら高度はすでに充分と判断したらしい。
 事実、奴の巨体は力強い後ろ脚のバネにはじかれて宙に躍動し、五メートル近い
距離をものともせずに俺に向けて踊りかかってきたのだ。
 ぐるるる、とうなり声が俺の眼前にあった。
 「野郎」
 俺もうなり声を返す。
 そして、俺たちはもつれあったまま樹上から落ちた。
 崖の端だった。二体分の体重がぬかるみを突き崩し、そのまま滑り落ちた。
 背を石が打ち、頬を雑草が刃のように切り裂いた。もつれ、転がり、ゴムまりの
ように宙を跳んだ。
 ずいぶん滑り落ちたような気がする。だん、と硬い、それでいてしなる弾力のあ
る何かに、したたかに背中を打ちすえられ、落下が停止した。ぐふ、と肺から息を
押し出しつつ俺は身をひねる。同じ感触の障害が脾腹を打ち、すねを打った。
 毒づきつつ身を丸め、首だけですばやく四囲を見まわす。
 竹林だ。
 けっこう深い。谷状に山上から眼下の街へとスロープを成している。少し下の方
には、半壊した建物が一軒。ずいぶんと風流なところにある家屋敷だ。
 俺が激突した竹はまだ左右にしなりながら笹をまき散らしていた。いつはぐれた
かは知らないが、黒犬の姿はとりあえず見あたらない。
 うう、とうめきながら俺は半身を起こす。崖下に頭を向けて倒れていたことと、
全身をかけ巡る鈍い痛みのせいで、それだけの動作を完了させるだけでもかなりの
苦労を強いられた。
 やっとのことで身体の向きをかえて頭を竹の一本にもたせかけ、痛むあちこちを
さすりながら再び四方に注意を飛ばす。
 息づかい、葉ずれの音、うなり声、足音、それらのものにも注意を払ったが、竹
林は静まりかえっていた。どうやら、野郎め、どこかで俺とはまったくちがう方向
に投げ出されたらしい。
 ほっとひと息つきながら、弓と矢筒の中身を点検した。
 かなり太めに作ったせいか、弓は幸いなことに無傷だったが、矢筒の中身は射放
った分をのぞいても半分近く減っていた。落ちる途中に紛失したのだろう。しかも
残った矢のうちの数本は途中で折れ曲がっていた。使えそうな矢はざっと見たとこ
ろ、せいぜいが四、五本。不幸中の幸いは<十月>が無傷で残っていたことだろう。
 ののしりつつ立ちあがる。思わず喉の奥から、うぐうと苦鳴がもれた。体中打ち
身だらけだ。明日の朝は目覚めてのびをするだけで、全身痛覚のかたまりと化すに
ちがいない。
 明日の朝を、迎えられるとすれば、だが。
 ダメージの点検もそこそこに、俺は目をむいていた。
 俺の立つ位置よりやや右斜め下方、立ちならぶ竹林の薄闇の向こうに、蒼白の燐
光を発見したからだった。
 黒獣とは明らかにちがう。もっと妖異な雰囲気だった。
 くそ、と俺は歯を食いしばりつつ向きなおる。新手か。
 が、そこに現れたものは、俺の予想からは大きくはずれていた。
 青白くほのかに輝きながらゆらり、と宙に浮かび出てきた白い影は、あろうこと
か女の姿をしていた。
 顔にたしかに見覚えがある。笑えば、太陽の輝きが一座を明るくしたことだろう。
二重の流し目はキャンプ村の男どもを残らず魅了したにちがいない。均整のとれた
ふくよかなその肉体を抱きしめることを夢見つつ、その男どもは飢えた獣のような
目でその全身をなめまわすようにして盗み見ていたことだろう。今の俺が、そうい
う目つきをしているだろうことも容易に想像がつく。
 ただし、欲情よりは悲哀の方が、抑えがたく大きかった。
 写真の中で微笑んでいた、血色のいいふっくらとした頬は今や、蒼白くこけ落ち
ていた。太陽のように輝いていた二重の瞳はいまや、妄執とも悲哀ともとれぬおぼ
ろな、そしてうつろな空洞と化し、なめらかそうだった白い肌も今は透きとおるご
とく血の気が失せている。
 ふわふわと頼りなげに宙をさまよう様子をさしひいても、どう贔屓目に見ても生
きているとは思えない。どこから眺めてもまちがいようのない、立派な亡霊だ。
 「爺さん……見ねえ方がよかったかな……」
 ひとりそうつぶやき、俺は唇をかみしめる。
 まちがっていた。
 発光する白い影は竹林の間を、ふわり、ふわりとただよいながら俺の方に近づい
てきた。
 そして目の前に浮かんで青白い微笑を浮かべ――くわ、と顎をむいた。


    8


 ぞろりとならんだ鋭利な牙が俺の喉くびをかすめる。
 うわあ、とぶざまな悲鳴をあげつつ俺はふたたびぬかるみに足をとられて倒れこ
み、そして見た。
 さっきまで白い着物に身をつつんでいた肢体が、青い獣毛に全身をおおわれた犬
のそれに変身しているのを。
 突き出た顎やそこにならぶ牙、そしてピンと立った耳とぎらぎらと輝く双眸まで
もが、どこか他の黒いクチイヌとちがって優雅に見えたのも、その化身が美女のも
のだと知っていたせいかもしれない。
 だからといって、その青犬に敵意がないとはさらさら思えなかった。
 「冗談じゃねえなあ」
 息を切らせつつ一人つぶやき、俺は再度の襲撃をかけてくる青い獣と対峙すべく、
体勢を整える。
 矢をつがえ、狙いをつけた。
 黒犬どもより、数段狙いをさだめにくいのは、青犬が変化前の亡霊体と同様、風
に舞う羽毛のようにふわり、ふわりととらえどころなく竹間を移動するからだ。
 矢で射ぬくことをあきらめ、俺は懐をさぐった。くそ、役たたずの宝剣めが、ま
たどこかに散歩に出かけたままらしい。
 ごくり、と喉を鳴らし、俺は弓の弦の片側をほどいてしなりを解いた。
 強度に難はあるが、短槍として使える。弦を張ったままで棍棒がわりにしてふり
まわしているよりは、いくぶんか使いやすさも、敵に与えるダメージもよくなるだ
ろう。
 ゆらゆらと揺らめきつつ、ぐるりとまわりこむようにして俺を眺めながら浮遊し
ていた青い獣の裂けた口もとが、笑いの形に歪んだような気がした。
 つい、と渦をまき、気がついたときは眼前に朱い舌が踊っていた。
 見とれていたわけじゃないが、奴の動きには催眠術的な何かがたしかにあった。
わっと叫びつつ、なかば倒れこみながら俺はあとずさり、同時にかろうじて、短槍
を打ちあげていた。
 獣毛をする以上の手ごたえを得られぬまま、開いた顎はさらに眼前へと迫る。
 はげしく息を乱しながら俺は、手で払い退ける動作をしていた。
 密集する獣毛の下に、冷たいながらもたしかに生物の弾力と脈動とを、感じた。
 この化物は、美紀の亡霊なんかじゃない。
 生きているのだ。美紀は。クチイヌの一匹にと、化生して。
 汚物をでも払いのけるようにして俺は、宙を舞うクチイヌを払いのけた。
 そのスリムな青い身体が無抵抗にすうと流れ、すぐに水流のごとく軌道を復して
俺に向かってくる。
 闇雲に槍をふりまわしながら俺は崖上を目指して退却に移った。
 黒犬どもよりひとまわりは小さく、どことなく華奢に見えることをのぞいても、
どうしても本気で闘う気になれなかったのは、写真の美紀とさっき目にした蒼白の
美紀、そして爺さんの悲哀に充ちたしょぼくれた目つきが目の前にちらつくからだ。
 もっとも、本気で闘う気になったとしても、かなうかどうかははなはだ心もとな
い。身体こそ小さくても、かわりにスピードは黒犬どもより勝っているだろうし、
なによりその幻惑的な動きはどうにもつかみどころがなかった。
 俺は必死になって崖をはいずりのぼりながら、荒れる息の合間に「美紀、美紀」
と呼びかけた。
 「爺さんが心配してるぞ、美紀。こんなんなっちまったと知ったら、どう嘆くだ
ろうな。え?」
 ほとんど一人ごとを言っているような気分だったが、ちらりとふりかえると、獣
体が薄闇に溶けて燐光に変わり、ふたたび哀しげな顔をした美貌が浮かびあがって
いた。
 思った以上に、効果があったらしい。
 「もうやめろ。キャンプのひとを襲うのはもうやめろって。爺さん、悲しむばか
りだぜ」
 嵩にかかってなおも言いつのる。
 期待どおり、ゆらり、ゆらりとただよっていた白い影が竹林の中ほどでぴたりと
停まり、そのまま立ちすくむようにして動かなくなった。どうやら、かなりのお爺
ちゃん子だったようだ。
 「帰れよ。爺さんのところへ。犬にさえ化けなきゃ、いっしょに暮らすことだっ
てできるだろうよ」
 言いつつ、俺自身がそのセリフを信じられずに苦りきっていた。
 おふくろのことを、思い出したのだ。
 くそ。
 そのせいかどうかはわからないがその時、瞬時、惚けたように虚空を眺めやって
いた美貌が、眉間にすさまじい皺をよせつつ俺をにらみあげた。
 やぶへびだ。
 憎悪に充ちた般若の形相で、両手を広げてふたたびふわりと浮かびあがった。
 げ、とうめきつつ俺は漫画みたいに四つ足で、身も背もなく斜面をかけ上がった。
 すべろうが足をとらようがおかまいなしに四肢を動かし、一気に崖上にたどりつ
いた。
 へっぴり腰のままほとんど前のめりになってそのまま走り、つんのめるようにし
て停止しつつ背後を見やる。青白い影は見えない。
 ふう、と息をつきつつ起きあがり――斜め頭上から重いものに飛びかかられ、も
つれあいながら草むらの中に倒れこんだ。
 飛びかかってきたのは、いうまでもなかろう、片眼の黒犬だ。上からのしかから
れると、その重量だけで身動きさえ満足にとれない。その上、荒い呼吸とともに生
臭い息を吹きかける大顎が眼前で幾度となくガチガチと噛みあわされる。どうやら
顔ごと俺を食いつくそうというつもりらしい。
 弓は飛びかかられた拍子にとり落としていた。他に武器もなく、素手で巨体を押
し戻すが、いたるところに痛みの走る腕には力が入らず、噛みあわされる牙は徐々
に近づいてくる。
 しかも、間の悪いことに視界の片隅にちらりと、青白い光がゆらゆらと近づいて
くるのに気がついた。
 「糞が!」
 叫び、なかば自棄くそでクチイヌの口の中に手を突っ込んで、思いきりかきまわ
した。
 予想もしなかっただろう反撃に、黒犬は不明瞭な悲鳴をあげつつ身をよじる。か
まわず耳をひっつかんでさらに喉の奥へと拳をつっこんだ。牙を立てられる痛みな
どこの際、知ったこっちゃねえ。というより、腕の部分に思いきり噛みつかれたせ
いで、抜こうと思っても腕が抜けないのだ。
 あまりの痛みに俺自身が腹の底から苦鳴をしぼり出す。
 わめきつつ、痛みを無理やり怒りにおきかえ、その怒りは俺をさらに狂気じみた
行動に走らせた。
 犬の喉笛に、喰いついてやったのだ。
 肉に深く歯を喰いこませ、痛みの勢いにまかせて顎を噛みあわせる。
 がき、と上下の歯が唐突に噛みあわされ、俺は生肉を食いちぎって顔をあげた。
こうなるともう人間じゃない。奴の牙が俺の腕を噛み裂く前に俺が奴の喉笛を食い
ちぎれたのは、顎の力の差ではなく骨のあるなしと、口中に異物をつっこまれた苦
痛の有無のちがいだろう。
 げぶ、と声にもならない悲鳴をあげつつ奴の巨体が痙攣する。力が抜けたところ
を、奴の顎から腕を抜き去る。
 上腕あたりがズタボロになっていたが、苦痛にひたり切ってるわけにもいかなか
った。黒犬にかわって今度は青白い美紀の顔が、呪咀に歪んだ醜貌をさらしつつ俺
の首に手をかけてきたからだ。
 声も立てられぬ怪力がぎりりと喉くびをしぼりこむ。必死になって美紀の腹あた
りを蹴りつけるが、いっこうに手ごたえがないのは、見かけどおり亡霊の属性たる
実体のなさが原因か。こうなると、もうこの女の正体など見当のつけようもないが、
すくなくともこれならクチイヌの姿をしていた時の方がまだ対処のしようもあった
というものだ。
 じたばたともがきまわっていたが、ほどもなく気が遠くなってきた。
 こりゃダメかな、と朦朧とした意識の片隅でちらりと思い浮かべたとき、だしぬ
けに肺の底までどっと空気が押し寄せた。げぼ、とゆりかえしのように咳こむ。そ
うして、肺の中身をまるごと入れ換える勢いで咳こみと呼吸とを狂おしくくりかえ
し、涙でにじむ目で何が起こったのかを確認した。
 苦痛に暴れまわる俺の背に手をまわして、沙羅がのぞきこんでいる。その向こう
に、油断なくあたりに気をくばるタツと、あいもかわらず絨毯の上にふんぞりかえ
るアブーカジェリフ。
 無事だったか、と問いかける前に俺は、




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