#2556/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/ 4/ 3 10:15 (200)
幻都放浪(3) 青木無常
★内容
ひかえているらしく、いつ来てもここは空間がねじ曲がっているとしか思えない。
とにかく俺はその堂奥の客間らしき一室に通された。六畳ほどの部屋にごくふつ
うの小卓がひとつ、床の間に、部屋の二隅には障子の窓がついている。
その障子戸を開くと、降りつづけていた蛍火はいつの間にかやんでいるようだっ
た。
濃い夜の闇に原生林が黒々と池の上にまで枝をつらね、時おり黒い影が藍色の空
をよぎる。
まだ満天の星空、とはいかなかった。人類が残した厚い塵の霞は、このさきまだ
何年も東京の空から星を奪いつづけているのだろう。だが俺は、どこかおぼろで、
地平線近くにはいつでも光がわだかまる、かつての都市の夜空がきらいじゃなかっ
た。
いまじゃ都市の光は消え失せ、ひとの営みも夜はひそかに潜行している。
五年前だ。
きっかけがなんだったのかは今もってだれにもわかってはいない。ただある日、
オレンジ色に輝くいくつもの円が、なんの前触れもなく唐突に、世界中の都市の上
空をおおいつくしたのだ。
ビデオドラマのようには、コンタクトのひとつもなされることはなかった。ただ
円盤は、無言のまま幾昼夜もの間、都市を睥睨しているだけだった。
そしてこれもまたある日のこと、しびれを切らしたある軍事国家の空軍の戦闘機
が、ミサイルを一発ぶちこんだ。
そしてすべてが終わり、始まった。
最後の審判がこれだってんなら、ずいぶんいい加減な選別であり、ずいぶん異様
なカタストロフだった。
オレンジ色の光の編隊がミサイルの攻撃を受けた瞬間、すべての都市の上空でそ
れらは一斉に花火みたいに弾け飛び、そして二種類の死と、二種類の生とが、人類
に訪れたのだ。
第一に、急激な死が。UFOが全世界の頭上で次つぎに弾けとんだその瞬間、お
そらくは人類という種に属する大部分が、顔をひきつらせ、聞き苦しいわめき声を
あげながら胸をかきむしり、左胸をブチ破って心臓から大量の血を噴水のように噴
き出させて死んだ。
もちろん、この唐突で奇怪な死の原因が解明されたという話は、五年経った今も
耳にしたことがない。どこかでだれかがそれに成功したとしても、そんな話が広ま
るには多くの時間がかかるだろうし、何よりもあの日以来、そんなことを考えて実
行に移すような余裕のある生活は、たぶんもう、世界中のどこにもなくなってしま
ったのだろうから。
そして第二の死は、ごく緩慢に訪れた。生き残った多くの人びとが日ましに記憶
を失い、同時に生きる能力をも喪失していったのだ。
ものを食う、寝るといった本能的な部分をさえなくした人びとは、ただ怠惰に壁
や地面にからだをあずけたまま痩せ衰え、餓死していった。むりやり食わせようと
しても無駄だった。咀嚼、嚥下、といった反射的な機能さえどこかにおき忘れてき
たように働かず、中には呼吸のしかたさえも忘れて、穏やかに窒息していく者まで
いたらしい。
俺たち兄妹の親父も、そうやって死んでいったひとりだ。いつからか口をきかな
くなり、頑固で叱責のセリフばかりが板についていた謹厳な顔に、奇妙な笑いをへ
らへらとはりつけるようになり、おふくろや俺たちの目の前で平気で失禁するよう
になった。そしてある朝、目が覚めるといなくなっていた。三日間、さがしつづけ、
仙川の浅い流れに半身をひたしたまま息たえているのを、おふくろが見つけた。
幸せそうに、笑い顔で死んでいた、とおふくろは言った。埋める前に俺たち兄妹
が見た親父の硬直した無表情は、あまり幸せそうには見えなかったが。
そして生きのびた連中は、二種類に選別された。
人間と、そうでないものとに。
多くの連中が、あのクビガラスのように、あるいはもっと悲惨で奇怪な化物へと、
変形をとげた。その能力や習性はさまざまだったが、たいがいがもとの仲間である
人間に敵意を抱く存在となり、始末の悪いことにはそのうちの半分ほどもの連中が、
知性をなくさず保ちつづけてもいたのだ。
おふくろが、そうなった。<異変>後、何ヶ月か経ったある晩、夕げに煮こんだ
妖物の肉をおふくろは、いつになく異様な形相でがつがつと貪り喰らいはじめたの
だ。
そしてよく見てみると、その口の内部には鋭利な牙がぞろりとはえそろっていた。
俺たち兄妹がそれに気づいたと気づくや、おふくろは――否、元おふくろは、ニ
タアと牙を剥き出しにして笑い、ひい、と異様な叫びをあげて妹に襲いかかった。
そのとき俺は、武器がわりにと持ち歩いていた棍棒をとっさにつかみ、恐怖のあ
まりおふくろに向けて、思いきり叩きつけた。すると、ぐろ、と苦痛に喉を鳴らし
て化物は飛びすさり、憎悪にみちた視線をおきざりにして、それきりどこかへ消え
てしまった。
その後四年半、彼女が俺たちの前に姿を現さないのはせめてもの親子の情のあら
われだと、そう思うことにしている。
そして変化は、目に見える部分だけではなかった。
怪物化しない奴らも、気づかないうちに人間以外のものに、変化していたのだ。
それはたとえば、超能力のような形で発現したりした。弁天のように、特殊な結
界を持つ者がそれだし、アブーカジェリフもたぶんそのたぐいだろう。
そして俺の妹も、弁天ほど派手ではないにしろ、徐々に、妖魅どもを遠ざける不
可思議な能力を発揮するようになっていったのだ。
そうして俺たち兄妹は、つねに人間の動向をうかがいつつ隙あらば喰らいつこう
と身がまえる化物どもにかこまれながら暮らしてきた。
ライターの石を燧石がわりに、たきつけから火を起こすことを覚えた。身を守る
ために手にし、工夫し、ふるった武器はやがて、飢えをしのぐための狩りの道具へ
と変わり、そしてそれらをふるう腕も徐々に向上していった。盗んだ種で試行錯誤
をくりかえしながら野菜を栽培し、畑をたがやし、罠をしかけ、川でからだを洗い、
崩れかけた廃屋の下で雨風をしのいだ。多くのことを知り、覚え、そして忘れてい
った。幸いなことに、笑い方だけは忘れずにすんでいるようだ。
それも、ここんところは途切れがちかもしれない。
「ほい、濡れタオルだよ」
襖をあけつつ沙羅が言い、放り投げるように荒々しい動作で、いまだ腫れのひか
ない俺の左眼の上に冷たいタオルをぐわんとおしつけ、そのままぐいぐいと乱暴な
手つきでおし当ててきた。刺激と痛みに俺が顔を引くのへ、
「逃げるんじゃない、うりうりうり」
と、おもしろ半分にさらに力を強める。
いてえいてえ、やめろバカ、とタオルを奪って逃走するのへ、沙羅は「ち、逃げ
られたか」とニヤニヤ笑いながら舌をうつ。ちくしょう、信じられねえ女だ。
「だれにやられたの?」
と聞かれるのへ「ふん」と憎々しげに顔を歪めてみせると、沙羅はさもおかしげ
に唇の端を歪めてみせた。なんとも憎たらしい娘だ。始末の悪いことに、その憎た
らしさがこの少女の魅力を引き立ててもいる。
「ずいぶんと痛い目にあったようだねえ」
あけ放しになっていた襖をくぐって、盆を手にした弁天がつい、と現れた。どこ
の家にでもありそうな四角いちゃぶ台にそれを降ろし、コーヒーセットに手をかけ
る。
香ばしい匂いとともに褐色の液体がカップを満たすのを見て、俺は歓声をあげて
いた。
「ほんもののコーヒー? ひさしぶりだなあ。どこで見つけてきたんだよ?」
「さあてね。参拝にくる人が、持ってきてくれたものなのよ。どこで手に入れて
きたのかは、あいにくだけど聞かなかったねえ」
言いつつさしだされたカップを俺がうけとるより早く、沙羅がさっと手をのばし
て強奪し、阿呆みたいに俺があんぐり口を開くのを上目に見ながら笑いをもらしつ
つずずず、と口をつけた。何を考えてるんだ、この娘は。
不届きでお転婆でなんの特殊能力ももたない娘の方とはちがって、母親・弁天の
もとには今でも参拝客がひきもきらない。もしかしたら<異変>前より確実に弁天
信仰はあきらかな隆盛を見せているのかもしれない。
ともあれ、弁天のもとを訪ねる信者たちの多くがなんらかの進物を携えているの
で、弁天も沙羅も<異変>からこっち、食うのに困ったことはないという。うらや
ましい話だ。もっとも、こうしてたまにだがご相伴にあずかれる人間など滅多にい
ないそうなので、俺もどちらかというと人にうらやまれる立場なのかもしれない。
「で、だれにやられたんだい? それともうひとつ。麗子ちゃんは? このふた
つ、関連あるんだろ?」
切れ長の目が、きらりと光を放つ。改めてうけとったコーヒーで喉を湿しながら
俺は目をそらし、ひそかにため息をついた。
「さらわれた」
そして短くそう言った。
からかうような笑みが沙羅の顔から拭うように消え、弁天はただ無言のままで俺
を見つめて、先をうながす。
「馬に乗ってやがった。人数は七人だ。どれも若い男だった。ノーマルばかりだ。
<妖怪化>した奴はいなかったし、特殊能力を使うのも、少なくとも俺たちと接触
した時点ではいなかったな」
「いつの話?」
真顔で沙羅が聞く。
俺はもうひとくち、コーヒーを口もとに運び、そして言った。
「三日前」
沙羅は言葉を呑みこみ、弁天は眉根をよせて首を左右にふった。
「こっぴどくやられて、昨日の晩まで熱出して眠っていた。目がさめて、傷の具
合を見て、畑を見まわってから狩りに出た。収穫はゼロ、だ。保存食の飯を食って
朝になり、そして夜がきた」
「で、麗子を取り返しにいこうと思いたったわけ?」
と聞いたのは沙羅だ。
俺は答えず、口の端で笑ってみせただけだった。
「だけどどこへ? あてなんざないんだろう?」
心配顔で訪ねる弁天に、俺はさらに笑いかけてみせる。
「新宿区西新宿一帯」
「<混沌の宮殿>!」
驚愕に、沙羅が声をあげる。
「まさか、だったら全員ノーマルなんてことは――前にも襲われたことがあった
のかい?」
なかば詰問の口調で弁天がそう訪ねるのへ、俺は無言でうなずいてみせる。
呆然と母娘が口をつぐんだ。
「麗子の<結界>が効いてたせいか、さしてひどい目にあったことはなかったん
だ。もし真剣にヤバい状態になったら、二人の逃げ足だけでどうにかなるとも思っ
てたしな。まあ実際、この前まではそれでどうにかなってたんだ」
「どこで襲われたんだい?」
抑揚を欠いた口調で、弁天が問うた。
「畑だよ。連中、組織だってた。馬で乗り入れてきながら、鳴子も一個も鳴らな
かったし、罠もきれいにクリアしてやがった」
「てことは、計画的、か」
「たぶんね。<天使>どもは去年の暮れごろから時々、俺たちのまわりをうろつ
いてた。ほかにも<混沌>の出らしい妖物どもがちょっかいを出してきたことはあ
ったよ。まあ、でも妹はあんたも知ってるとおり<結界>を持ってるから、化物相
手なら警戒する必要はなかった。それにまさか、ノーマルどもが単独で、畑や家の
罠の位置まで下調べして侵入かけてくるなんて、夢にも思わなかったからね」
「ちょっと待ってよ」と口をはさんだのは沙羅だ。「あんたその襲撃者を<混沌
の騎士>だって決めつけてるけど、証拠はないんじゃない? そりゃ集団で馬かか
えてる連中なんて珍しいけど、どっかの牧場から流れてきた奴らかもしれないでし
ょ?」
もっともな反論だ。俺だって最初から<混沌>のしわざと、完全に決めつけてた
わけじゃない。
返事をうながす母娘に、俺は無言で腰にさげたラジオをとりはずし、二人の眼前
に置いてみせた。
<異変>以来、当然のことだがテレビ・ラジオ局といった類の施設は徐々にその
機能を果たさなくなり、一週間と経たないうちにすべてのメディアは沈黙に沈みこ
んだ。が、その後もテレビやラジオを手放さず、後生大事に抱えている生き残りは
少なくない。
なぜなら時どき、<奇妙な放送局>からの電波が、届けられるからだ。だれが、
どこから、なんの目的で番組を流すのかはしらないが、特にラジオには懐かしい音
楽や昔日の日々を思わす無意味なニュースなどが飛びこんでくることがある。
この現代に、公共メディアに情報を流すことのできる施設が残存しているとは思
えない。なにより、電池などといったものもこの五年間であらかた消費しつくされ、
多くの人はかつての電気時代など記憶の彼方の幻にすぎないような暮らしを送って
いる。だがそういった人びとの下へも<奇妙な放送局>は時おり、思い出したよう
に<番組>を送りとどけてくれるのだ。
が、俺がいま、二人の前にラジオをさしだしたのは<放送局>の送る懐かしい音
楽を聞かせるためじゃない。
「麗子」
と、俺はラジオを前にして目を閉じ、虚空に向かってそう呼びかけた。
気でも狂ったんじゃないか、と二人が不審げに見返しているだろうことは想像が
つくが、俺は長い沈黙を置いてもう一度、妹に呼びかけた。
「麗子」
と――さらに長い空白を置いてふいに、ラジオがガガ、ピーガガとそのスピーカ
からノイズを吐き出しはじめた。
俺は目を開き、視線をラジオに向ける。
驚いて目を見あわせる母娘を尻目にもう一度「麗子」と呼びかけると――
「お兄ちゃん」
ノイズの間に間に、妹の声がはっきりと、俺を呼びかえしてきた。
「麗子」俺は、まるで目の前に妹がいるようにラジオを凝視しながら、呼びかけ
る。「いまどこにいる?」
問いかけに答えは返らず、ラジオはなおしばらくの間、不気味なノイズをくりか
えしたあげく、ふいに沈黙した。
しばらく待った後もう一度呼びかけてみたが、もう麗子からの答えは戻ってはこ
なかった。
俺は静かに首を左右にふり、そして二人に目をやった。
呆然と見開いた目を母娘は俺に向け、ついでもう一度互いの目を見やり、そして
静かにため息をついた。
「驚いたね」弁天が、つぶやくように言う。「まえまえから、不思議な雰囲気を