AWC 月夜話、其之拾壱 「白い花」(1/3) ■ 榊 ■


        
#2546/5495 長編
★タイトル (HHF     )  94/ 3/22  15:35  (151)
月夜話、其之拾壱 「白い花」(1/3) ■ 榊 ■
★内容

 11月も終わり、寒さがだいぶ身にしみいるようになってきた夜道を、塾か
らの帰途にある慎也は早足で駆け抜けていた。
 放課後にクラブに精を出し、そのまま塾に直行している慎也の帰りは、だい
たいいつも8時をまわる頃になる。クラブと塾の間に買い食いしておいたお腹
ももう我慢の限界に達し、先ほどからやかましいほどの音をたてていた。
 角を曲がり、ようやく見えたわが家に慎也は一目散にかけ込み、そのまま一
気に台所まで上がり込んだ。
「ただいまぁ。かあちゃん、めしっ!」
 慎也の叫びに反して、使い古された台所に母の姿はなく、代わりに姉の香緒
が食卓についていた。
「慎也、もう少し静かに入ってきな」
 怒るでもなく、ただ煩わしげに香緒が呟いた。
 OLをしている香緒の帰りは、だいたい遅い。いつもは慎也の方が早く家に
つき夕食に手をつけていたのに、すでに香緒の前に置かれた皿は半分ほど片づ
いていた。
「姉貴、早いじゃん」
「まあ、たまにはね」
 慎也は唐揚げをつまみ食った。口一杯に広がる温かな感触を楽しみながら、
さっさとご飯をよそい、味噌汁を用意して、香緒の前の席に着いた。
 そしてふと、不自然に机に置かれた鉢を見つけた。両手ほど大きさに敷き詰
められた土には、丈の低い白い花がいっぱいに咲いていた。
「どうしたの、その花。男からの貢ぎ物?」
「その通り。ねえ、あんたの部屋に置いてくれない?」
「やだよ、姉貴がもらったもんなんだろう? 姉貴が管理しろよ」
「別に水をやってくれってるわけじゃないのよ。ほら私の部屋、余地がないじ
ゃない」
 洋服と化粧品と本が散乱した部屋の様子を思い出し、慎也は深くうなずいた。
あんな部屋にこんな鉢をおいたら、次の日にでも蹴倒しているに違いない。
「だから、ベランダに置いて欲しいのよ」
「え゛ーー?」
「何か困るの?」
「いやっ、まぁ、それゃあ困るわけじゃないけどさ」
「ならいいじゃない。水はいいから。外の木だって水をやらなくても無事にそ
だってんだから」
 そうはいっても、男からの貢ぎ物をベランダに置くのは何となく気がひける。
「捨てればいいじゃないか」
 慎也などはそう思うのだが、香緒は困ったように箸をくわえたまま眉をよせ
た。
「そこまで、相手の気持ちを足蹴にできないのよ」
「……難しい関係だね」
 首を傾げながら、慎也は温かいご飯を口に放り込んだ。


 ベランダへ続くガラス戸を開け、慎也は片隅に鉢を置いた。コトリ、と静か
な音をたて、鉢はまるで初めからそこにあったかのように落ちついた。
 花は月に照らし出され、その小さな体を寄せ合わせるように揺れていた。
 その花を見て、慎也はふとある女の人を思いだした。
 今日の帰り道のことである。
 灰色のスウェットを着た同い年ぐらいの彼女は、静かな夜道をむこうの方か
ら軽やかに走ってきた。
 手足をきれいに運ぶ姿にしばらく見とれていると、にわかに彼女は立ち止ま
り、道ばたの花をじっと見つめ始めた。黄色な小さな花を咲かした丈の長い草
を、珍しそうに見つめたかと思うとまた走り出し、また止まって槐の樹を見上
げる。
 横顔が、遠目から見ても整っていた。月と外灯の光でまっしろになった顔立
ちを見て、慎也の足が知らず止まったほどだった。
 彼女が目を閉じ、くんくん、とわずかに香る樹の匂いをかいでいる。その度
に、短く切った柔らかな髪がゆれる。
 彼女はふたたび走り出し、目を離せずにいる慎也の横を、何事もなく通り過
ぎていった。
 ただそれだけ。
 それだけだと言うのに、慎也の心の中に深い印象を残した。
 というのも、
「あんな美人、見たことない」
 ためだった。
 学校ではそれなりにもてる慎也でさえ、彼女の姿は忘れがたかった。
 いうなれば、飾りたてたアイドルの髪をばっさり切ってしまい、親しみやす
さをつけ加えると、あんな感じになるのだろうか。
 近所では見かけたことのない顔なのに、慎也は不思議な親近感を憶えていた。
 小さな唇と、小さな鼻。
 優しげな瞳。
「すっげぇ、かわいいよなぁ」
 彼女の姿を思い出し、慎也は思わず鉢を抱きしめた。
 隣部屋の窓はいつのまにか開かれ、首を出していた香緒は静かな声で呟いた。
「……慎也、何やってんの」


 次の日。
 慎也の帰りはいつものように遅かった。
 そして密かに、ふたたび彼女に会えないだろうかと心悩ませていた。なにし
ろ、今までも同じ道を同じ時間に歩いていたのに、会ったのは昨日がはじめて
のことなのだから。
 昨日出会った場所でわざわざゆっくりと歩き、あきらめて角を曲がると、そ
こはもう家へと続く道となる。
 牛の歩みほどの速度でねばってはみたものの、家の前についてもなお彼女の
姿は見えなかった。
「やっぱり、昨日みたのは偶然か」
 慎也は深くため息をついた。
 そうそう上手くいくわけないよなぁ、と心の中で呟いて門の格子を開けるた
とき、視界の隅で誰かが走っている姿を見つけた。
「!」
 彼女だった。
 まだ遠いくて小さく見えるが、軽やかな走り方、そしてときおり立ち止まる
様子は、間違えようのないものだった。
 だんだんと姿がはっきりし、家の前にある空き地で彼女は足を止めた。
 そして、そこに生えていた草木を眺めわたす。
 思っていたほど、背は高くない。
 最初は自分よりも高いと思っていたが、それは顔が小さく、等身が違って見
えることからくる錯覚だった。
 ぼんやりと見つめていると、とつぜん彼女が振り返った。
 目があい、彼女はにっこりと微笑んでくれた。
「こんばんわっ!」
「えっ、あっ、こっ……こんばんわ」
 彼女はかるく会釈して、そのまま走り出した。
 憶えていた。
 一度しかすれ違ったことのない自分のことを、彼女は憶えていた。
 ただそれだけで、慎也の頭は真っ白になった。


「どうしたの、慎也」
 食事の用意をする母親は、さきほどから放心状態にある息子に声をかけたが、
箸を持ったまま返事をかえす様子もなかった。
 自分の夕食にせっせと箸を運ぶ香緒は、心配する母親に的確な表現で説明し
た。
「ほっといてやって。青春してんのよ、きっと」


 次の日、いつもより帰りが遅くなり、足早にいつもの道を過ぎると、家の前
の空き地に彼女が座っていた。
 いつものように花でも見ているのかと思ったが、いっこうに立ち上がる気配
がない。
 どうしたのだろうか。しばらく悩み、慎也は意を決して近寄ってみることに
した。
 空き地の草はらを分け入る。その音に反応して彼女が振り返り、ふたたび目
が合うと、昨日と同様に微笑んでくれた。ほっとした慎也は、どうにか軽い気
持ちで声をかけることができた。
「どうしたの?」
「この子が……」
 彼女の指さす方を見ると、そこには子犬の姿があった。
「持ち帰った方がいいか、悩んじゃって」
 彼女はそういって、黒と白のブチ犬をなでた。まだ生まれて間もないような
子犬は、くぅんと寂しげに泣いた。
「ちょっ、ちょっと待ってろ」
 慎也は家へ飛び込み、台所に入ると冷蔵庫からミルクを取り出し、温めはじ
めた。
 香緒に不審がられながら、急いで底の浅い皿にホットミルクを移しかえると、
もう一度空き地へと飛び出した。
 しっかり待っていてくれた彼女と子犬へ近寄り、ミルクの入った皿をそっと
子犬の前におく。子犬は彼女の手を放れ、静かにミルクをなめはじめた。
「良かった」
 彼女は心からほっとしたようにそう呟き、子犬を見つめた。
「本当はね、僕も犬が欲しいの」
 彼女は自分のことを「僕」というらしい。一瞬、「男の子」なのかとも思っ
たが、すぐに否定した。近くに寄って改めて、女の子らしい体つき、顔つき、
雰囲気があることを確認した。
「でも、『子供を産むのと同じぐらいの決心がついたら、引き取りなさい』っ
て言われてるからなかなか決心がつかなくて」
 子供を産むのと同じぐらい。
「それじゃあ、なかなか飼えないな」





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