AWC 「荒らぶる海」(8)    久 作


        
#3117/3137 空中分解2
★タイトル (ZBF     )  93/ 4/16  19:50  ( 99)
「荒らぶる海」(8)    久 作
★内容

    ●御座船

    主膳は弓を手に御座船の舳先に立ち、ジッと海を見つめていた。大島沖
   は、いつも波が高い。飛沫が全身に降り懸かる。江戸への参勤は、もう十
   数度目だ。潮で産湯をつかったと豪語する主膳にとっては、目をつぶって
   も進んでいける。いつもなら御座船に乗り組むのを晴れがましく感じる心
   が、今回は暗く閉じきっている。無毛島の一件で統制派の周防一味に抑え
   つけられ牙を抜かれた主膳は、このところメッキリとフケ込んだ。海族と
   して生まれ育ち、何よりも束縛を嫌う彼にとって、泰平の世は生きにくい。
   諦めが漂う、しかし強い視線で、荒らぶる海を見回していた。無毛島が、
   すぐ左手に見える。
    右手から一艘の舟がグイグイ漕ぎ進んでくる。主膳は目を見張った。水
   軍たる主膳たちでさえ、この荒い大島沖に木っ葉舟で漕ぎ出す気にはなら
   ない。目を凝らすと、一人の男が櫂に取り付いている。
    「旗印も立てた御座船の前を横切るとはっ 無礼にもほどがあるっ
     主膳っ アヤツを射殺せっ」
    船酔いでゲンナリしていた筈の周防が、背後で喚きだした。
    「かしこまりましてございます」
    主膳は馬鹿丁寧な口調で応えると弓に矢をつがえた。舟は近付いてくる。
   乗っているのは十八ぐらいの若者だ。御座船には、目もくれない。主膳は
   狙いを定めた侭、舟の進むに合わせてユックリと体の向きを変えていく。
   若者は獣のような形相で、無毛島を目指し、一心不乱に漕いでいる。主膳
   は若者に何故か、懐かしさを覚えた。そして、羨ましく思った。
    若者の舟が御座船の直前を通り掛かった。と、その時、急に主膳は体を
   捻り、見当違いの方向へと一の矢、二の矢を続けざまに射放った。矢はチ
   ャポン、チャポンと軽い音を立て、空しく海に沈んでいった。
    「しゅっ 主膳っ なんとするっ」
    周防が主膳に詰め寄り条、何やらマクシ立てようとする。主膳は、まる
   で父が子の初陣姿を眺めるように、定を見送りながら、
    「ワシの腕も落ちたものじゃ 十間ばかり先の的を外すとは
     いやはや面目ない
     はっはっは おぉおぉ ナカナカの漕ぎ手じゃのぉ
     ほれ もぉ あんなに 遠くへ……
     最早 矢も届きますまい はぁっはっはっはっ」
    「しゅっ 主膳っ 覚えておれっ」
    イキリ立った周防が鞭を振るい雑兵たちをけしかけ、銃で射撃させた。
   が、海に不慣れな雑兵の弾が当たる筈もない。定の姿は、波の向こうへと
   消えていった。主膳は満足そうな表情で、いつまでも見送っていた。

    ●荒らぶる海

    まだ四十になったばかりの亀吉は最近、めっきりフケ込んだ。俄か造り
   の仮堂に、誤って殺した九人霊を祀ると足繁く赴いた。この日もサキを伴
   い、磯辺の堂へと向かった。
    亀吉は堂の前にうなだれ立ち、目を固く閉じ苦渋の表情でブツブツ経文
   の一節を繰り返す。サキは背後で、咲き誇る桜を呆けた顔で見上げている。
    「うわあああぁぁぁぁぁ」
    雄叫びとともに一人の男が堂から躍り出してきた。飛び降りざまに、驚
   き見上げる亀吉の胸に、蹴りを食らわせる。亀吉はブザマに倒れ、咳込み、
   ノタウチ回る。男は亀吉を何度も足蹴にし、馬乗りになってメチャクチャ
   に殴りつける。サキはまるで無関係であるかのように穏やかな笑みさえ浮
   かべ、活劇を見守っていた。定が見上げる。視線ェ出会う。青白いサキ゚の
   頬に赤みが差してくる。事件以来、消え失せていた生気が、瞳に戻ってュ゚
   る。
    「あっ あんたはっ」
    驚愕が、そして憎悪が、サキの目に浮かぶ。定は見つめ上げ条、押し殺
   した声で、
    「お前が 忘れられんかった」
    「よくもっ よくも あたいをぉぉっ」
    サキは目に涙を浮かべ叫んだ。今まで抑えつけていた憎悪が、悔しさが、
   一時に迸り出た。定はギラギラと輝く瞳で睨め返し、
    「忘れられんかったんじゃぁぁぁぁっっ」
    絶叫するとサダはサキへと殺到し、突き飛ばし、漣ト}えつけた。
    「ああっ なっ 何をっ や鱇てっ やめぇてぇぇぇっ」
    モガき泣き叫ぶサキを担ぎ上げ、定は磯へと駆けだした。
    「サキィィィ」
    亀吉が胸を押さえて漸く立ち上がった。ヨロヨロと後を追う。定は落ち
   着いた足取りで岩を伝い行き、海べりで振り返った。亀吉がゴツゴツした
   岩に手を掛け、躓き、倒れ込み条、向かってくる。定は隠してあった舟に
   サキを投げ込むと結わえてあった縄を解きだした。亀吉が漸く追い着いて
   くる。定が舟に飛び降りる。櫂でグイと磯を押す。亀吉が海へと身を躍ら
   せる。
    「サキィィィ」
    亀吉は懸命に泳ぎ、舟に辿り着こうとする。
    「父っつぁぁんっ」
    サキが舟べりから手を伸ばす。定は櫂を穴に入れ込もうとしていた手を
   止め、近付いてくる亀吉の頭を見つめている。
    殺気に気付きサキが振り返る。定がユックリと櫂を頭上に振り上げよう
   としている。サキは何やら喚き条、定の踏ん張った脚にシガミ付く。櫂が
   振り下ろされる。
    「サキィィィ」
    叫びの後半は泡と消えた。亀吉の頭が沈んでいく。
    「父っつぁぁんっ」
    サキが舟べりに取り付き、海中を覗き込む。ユックリと何かを掴もうと
   するかのような手が海中から伸びてくる。頭も浮かんできた。再び櫂が振
   り下ろされる。鈍い音がして、亀吉の頭は沈んでいく。続いて沈んでいく
   手は震えているようだった。どこまでも澄んだ淡い緑色の海に、赤い血が
   ユックリと煙のように広がっていく。
    「父っつぁぁんっ」
    赤く濁った海に俯伏せの亀吉が浮かぶ。定は荒く呼吸をしながら暫らく
   亀吉を眺めていた。サキは横倒れになり、身を震わせて泣いている。定は
   無表情の侭、櫂を舟に取り付けた。遠く、伊予の島々が見える。海にギラ
   つく太陽の光がそそぎ、トゲトゲしい輝きを放っている。漕ぎ出す舟は、
   白く泡立つ波に揉まれ条、徐々に小さくなり、やがて見えなくなる。
    荒らぶる海は、元の澄んだ緑に戻る。亀吉の遺骸がユラユラと波に合わ
   せて、揺れている。

   (終劇)




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