AWC 【軍艦島は接吻の彼方に】その1   ワクロー3


        
#2824/3137 空中分解2
★タイトル (AKM     )  93/ 2/10   1:53  ( 70)
【軍艦島は接吻の彼方に】その1   ワクロー3
★内容

《20代おんな心の謎》1 探検気分の4人連れ



 長崎市の南に、野母という細長い半島が伸びています。

 半島に沿って南に車を走らせると、運転席側の窓ごしに、海に浮
かぶ軍艦島が見えてきます。


 その島は、昭和40年代の初めまでは、人口四千人が住むひとつ
の町でした。明治の初期、無人島だったその島に、良質の石炭が出
ることがわかりました。以来「石炭を採掘する島」としてぞくぞく
と人が渡って行ったのです。

 南北でわずか300メートル、東西100メートル足らずの島は、
やがて石炭を採るための、巨大な基地と化して行きました。周囲を
埋め立てコンクリート防壁で囲み、狭い敷地を活かすために、大正
年代から戦中戦後にかけて、コンクリート製の炭鉱施設や高層住宅
が、狭い島にびっしりと建設されました。

 施設の建設にともない、もとは長崎沖に浮かぶちっぽけな島に過
ぎなかった自然島は、コンクリート建造物で徹底的に塗り固められ
ました。採掘した石炭を船に積み上げる巨大なガントリークレーン、
貯炭施設、石炭搬送用のベルトコンベア、それに働く人々のための
小、中学校、病院、神社、銭湯、病院、プール、映画館、マーケッ
トなど、人が生活するためのあらゆる施設を備えた人口島と化した
のです。

 その賑わいぶりは、昭和30年代には、頂点に達します。しかし、
この奇怪なコンクリート要塞のような島は、石炭産業の斜陽と共に
没落の歩みを急ぎました。昭和43年。軍艦島の存在そのものだっ
た三菱端島抗が閉山になったのです。


 ちっぽけな島に、ぎゅぎゅうに四千人もの人間が生きていた島は、
ある日を境として、建造物そのままにして捨てられたのです。

 建設したばかりの小学校体育館、人々の信仰を集めた神社、すべ
てはそのままでした。数年を経たずして一人残らず島を離れて行き
ました。

 野母半島から眺めると、島は、高層建築物の廃墟を、今も島いっ
ぱいに背負っています。その姿はあたかも、古めかしい軍艦が波を
けたてて海上を進んでいるような姿です。今は一人の人間も住んで
いない捨てられた島。その光景を見ていると、山奥の廃村とは、一
味異なった凄ましさが感じられるのです。


 その夏。軍艦島に行こう、と口を開いたのは、友人のSでした。
Sはその島に行って「絵を描きたい」といいました。「あと二人を
連れて来る」とも言いました。

 野母半島の中程に、川原という小さな漁港があります。軍艦島に
四千人の住人が島にいたころは、長崎港から島へ定期船が出ていた
のですが、もちろん今では、船は往来していません。島に渡るには、
瀬渡し船に頼むしか、方法がないのです。船は、その小さな漁港か
ら出るのでした。

 午前4時半、漁港の入り口に車を止めると、Sの車はすでにそこ
で待っていました。

 彼が連れてきた二人の女性。そのうちの一人こそ、僕がこうして、
8年も経ってから、パソコン通信で、思いをたぐってみたくなるよ
うな少女でした。ここでは、とりあえず「画学生」とでも古めかし
く呼んでおきます。

              (以下次回につづく)





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