#2780/3137 空中分解2
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Yの殺人 6 平野年男
★内容
私こと平野年男は、締め切りに追われた驚異の日々をやっと切り抜け、どう
にか安寧の時間を得ることができていた。そこでという訳でもないが、久々に
流の事務所を訪ねてみることにしたところ、吉田刑事も一緒になって、何やら
興味深そうな事件を抱えているようではないか。これまで流の記述役を務めて
きた私は、いてもたってもおられなくなり、すぐに同行を希望した。
「締め切りはいいのかね?」
流は言ってくれたが、それこそ余計な心配というものだ。
「構わん構わん。当分、原稿の依頼なんてないさ。あったとしてもそれぐらい、
今度の事件のネタで乗り切れる」
「他人の不幸を商売にするのは感心しませんな」
吉田刑事が低い声で言った。だが、他人の不幸を商売にという点では、警察
だって探偵だって同じではないか。
「まあ、遅ればせながらのワトソン役の登場となる」
「探偵にワトソンですか。役者が揃った訳ですな」
ドジな刑事もね。思わずそう言いそうになった私だったが、何とか口に出さ
ずにすんだ。いかんいかん。仕事を上げて、気分がハイになっている。
そうこうしている内に、浜本刑事の運転する我々の車は、目的とする畑屋敷
にたどり着いた。時刻は午前八時ジャストである。
畑屋敷はとんがり屋根をいくつか持った典型的な洋館といった趣で、古めか
しい感じがした。窓ガラスは全部がステンドグラスのようだし、屋敷の壁を蔦
が覆っているところ等もいかにも、である。
大きな門を通り抜けた先、重々しい色つやの扉があった。それとは不釣合い
な呼び鈴を、吉田刑事が押して、来訪を告げた。
「まあ、早かったですのね、刑事さん!」
家政婦らしい若い女性が、そんな声を上げた。どうしたというのだろう。
「は? 早かったとはどういう意味ですかね? 今日、ここを訪ねるとは連絡
していませんが」
「あ、え? それじゃ、まだ何もご存知ないのですか?」
取り乱したような声になる女性。態度も、ほっとしたものからおろおろした
ものに逆戻りした観がある。
「冷静に、朝原さん。何かがあったんですか? ゆっくりと説明して下さい」
吉田刑事は、子供に言い聞かせるようにする。
「はい……。あの、奥様がお亡くなりになったんです。それも、どうやら殺さ
れたようなのです」
「何? 奥様って、畑恵美さん?」
「そうです。それでつい先ほど、警察にお電話を入れたところだったんです。
その電話を終えた直後に、刑事さん達が見えられたから……」
「なるほど。現場はどちらで?」
「こちらです。奥様の寝室です」
屋敷内に入りながら、吉田刑事は質問を継続した。
「今、家には誰々がいるんです?」
「譲次ぼっちゃんは小学校に行かれました。孝亮さんと昌枝さんは事務の開館
時間が九時ですから、その準備に……。他の皆さんはまだ」
「そうなると四人だけか。恵美さんのことをどなたかに知らせましたか?」
「動転しちゃってたんですけど、とりあえず菊子お嬢さんに」
「そうですか」
ようやく現場に到着した。入口に髪の長い、背の高い女性が立ちすくんでい
る。彼女が長女の畑菊子なのだろう。
「あ、育美さん。もう刑事さんが……?」
小さい声が聞こえた。
「いえ、あの、吉田さんは偶然、来会わせたそうです」
「吉田さん。そちらのお二人は、新しい刑事さんですか?」
菊子の言葉が、吉田刑事に向けられた。お二人とは、私と流のことだ。
吉田刑事は、我々の正体を明かすべきかどうか迷っていた様子だったが、
「こちらは私立探偵の流次郎さんに、作家の平野年男さんです。事件解決に力
になってくれるとこちらで判断した次第で」
と、きちんと話してくれた。
「ご迷惑でしたら、帰しますが」
ここまで呼んでおいて、それはないだろうと言いたくなる。幸い、畑菊子は
我々の介入を拒否しなかった。
「畑菊子です。どうか、母をあんな目に遭わせた犯人を見つけて下さい」
流と私は、順に名乗って頭を下げた。次に家政婦の朝原育美とも紹介し合っ
た。それが終わると、吉田刑事が口を開いた。
「ところで朝原さん。百合子さんと留依さんはどうしてますか?」
「留依さんにはショックが大きいと思いましたので、お知らせしないまま、お
休みになってもらっています。百合子さんは元々、十一時にお起こしする約束
でしたし、どうしようかと考えているんですが」
「母親が死んで、知らせないままというのも何ですな。菊子さん、あなたの方
から穏やかに伝えてくれますか」
「分かりました」
ぐっと堪えるような仕草をしながら、彼女は強くうなずいた。そのまま場を
離れようとする菊子に、吉田刑事が慌てて聞いた。
「あ、菊子さん! あなたが部屋の入口に立ってから、どなたも近付いてませ
んね? 室内はそのままの状態ですね?」
「はい、そうです」
しっかりとした声が返ってきた。
「よかった。では、朝原さん。最初に発見したのは、あなたですか?」
「は、はい」
「そのときの様子を話して下さい」
「あの、奥様はいつも朝七時になるとご自分から目を覚まされ、起きてらっし
ゃるんです。たまには遅いときもありましたけど、それが普通でした。それで、
今朝も七時三十分を回った頃からちょっと遅いなと思いましたが、それでも食
事の仕度なんかをしていました。その内、菊子お嬢さんが起きて来られ、奥様
の姿が見えないことを珍しがられましたので、さすがに私も心配にな鳧ました。
それで八時五分前くらいでしたか、奥様の寝室のドアをノックしました。お返
事がありませんでしたので、何度かノックを繰り返しましたが、やはりありま
せん。ドアを押すと、開いていましたので、中に入ると、あの様なことに……」
思い出したのか、家政婦は震えが来ていた。
「恵美さんを起こしに行ったとき、菊子さんも一緒だった?」
「いえ、お嬢さんはキッチンで朝食をお召し上がりになっていたはずです」
「そうですか。続けて」
「奥様は額の辺りから血を流しておられて、意識がないようでした。近寄って、
亡くなられているのが分かりましたから、もう息が止まりそうになって。悲鳴
を上げたかもしれませんが、覚えていません。キッチンの方に走ろうとしたら、
菊子お嬢さんが向こうから来ました。それで事の次第をお伝えすると、菊子さ
んは、自分が奥様のお部屋を見ておくから警察へと言われまして、私が電話を
したんです」
家政婦がここまで話し終えたところで、玄関の方が騒がしくなった。
「どうやら、正式に呼ばれた方が来たようですな」
「警部、僕らは消えておいた方がいいかな」
吉田刑事に流が聞いた。
「いや、もう構わんです。どうせ合同捜査になるのは見えているし、流さんに
協力を頼むってのも皆が知るところですからな。勝手に現場をいじらなかった
のも、向こうに悪い印象を与えぬためで」
そうして、吉田刑事と浜本刑事は家政婦をともなって、玄関に向かった。
「仲々、気を遣ってくれるな、吉田刑事も」
「君の名前があってこそだと思うぜ」
そんな話をしていると、鑑識らしき人が大勢上がり込んで来た。邪魔になら
ないよう、廊下の隅に退いておく。
「片倉警部補、こちらが流次郎探偵。こっちが作家の平野年男さんで」
目の小さな中年男の手を引くようにして、吉田刑事が私達の方を手で示した。
軽く頭を下げられたので、私達も男に礼を返す。
「流さん、平野さん。こちらは片倉優右警部補」
「無理を言いまして」
流が言いかけると、
「いえいえ。こちらに向かう前から、吉田警部が畑家の事件に関わっていると
伺ってましたから、ひょっとしたらと思っていました。少しでも早い事件解決
のため、尽力させてもらいますよ」
と、片倉刑事は真面目そうに応対した。
「まあ、流さんも、鑑識の場は遠慮してもらいましょうか。後で知らせるんで、
待っといて下さい。その間、浜本と一緒に屋敷の人達に顔を合わせておくのが
いい」
吉田刑事はこう言うと、片倉刑事と共に現場に入って行った。
我々は言われた通り、紹介を兼ねて事情聴取に立ち会うことになった。
「家政婦に言って、全員に広間に集まってもらってます」
広間には四人だけがいて、かえって寂しい感じがした。揺り椅子が一つある
が、これは女主人の物だったそうで、今は少しも動いていない。
「えー、皆さん。こちらは今度の事件解決に大いなる力となるでしょう、探偵
の流次郎さんと平野年男さんです」
浜本刑事は大げさな紹介をする。私も探偵と思われるような言い方をしたの
は、わざとだったようだ。
「探偵? そんな人がいるの、日本に」
やや不良っぽい女性が、小馬鹿にした口ぶりで言った。妹の畑百合子だろう
と見当をつけたら、果たしてそうだった。
「百合子、口を慎みなさい。すみません、流さん、平野さん」
真にすまなさそうに菊子が言った。
「えっと、菊子さんと朝原さんはもういいですね。あちらに座っているのが、
神尾留依さんです」
紹介されて、私達が頭を下げても、相手の女性はおびえたようにするだけで、
なんら反応がない。
「留依お嬢さん、何でもないんです。こちらの方達は、捜査のことでいらした
だけですから」
家政婦がなだめるように言っても、黙ったままである。
「いつ来ても、あの調子なんです。私らでもほとんど話を聞き出せない。家政
婦か死んだ女主人か医者の先生を通してでないと、喋らない」
浜本刑事が耳打ちしてくれた。
「聞いていた以上ですね。精神の不安定さ」
私は率直に述べた。
「菊子さん。ちょっと」
浜本刑事は畑家の長女を呼びつけると、小声で聞いた。
「恵美さんの死は、伝えました?」
「ええ。百合子は伝えても、あの通りです。留依さんにも伝えましたが、ショ
ックが大きくて、ちょっと混乱しているのです。兄には電話で知らせましたか
ら、すぐにこちらに来るでしょう」
「なるほど。もう結構ですよ」
刑事は菊子に戻ってもらうと、全員を見回すと、大声で言った。
「昨晩、最後に恵美さんを見たのはいつか、順に話してもらいましょうか」
「あたしは昨日、夕方からコンパだったから、出かけるときに見た切りよ。帰
ったのは夜の十一時だったかな。そのときだって、お母さんの顔は見ないまま、
寝ちゃったから」
「ふむ。またコンパですか」
「いいでしょ! これでも早く帰った方なんだから」
百合子はヒステリーを起こしたように高い声を出すと、椅子から立ち上がっ
た。と思ったら、すぐにまた腰掛ける。よく分からないが、この次女にも精神
的不安定なとこがあるんじゃないだろうか。
「私はずっと家におりましたけど、部屋にこもって原稿を書いていましたから、
あまり母を見てはいません。確か、夕食のときと母が眠る前に挨拶をしたとき
ぐらいでした。母が眠ったのは午後十時十分ぐらいだったかしら、育美さん?」
菊子は家政婦に同意を求めた。朝原の方は、黙ったままうなずいた。
「それから私は、午前二時ぐらいまで原稿を書いていました。眠ったのはその
後です」
「参考までに、何の原稿です? 詩だけで何時間も費やすとは、我々素人には
思えませんので」
「詩でも時間を取ることはありますけど。昨晩書いていたのは、評論です。詩
を中心とした文芸評論を、ある雑誌から頼まれていましたので」
「なるほど、分かりました。では、朝原さんも」
浜本刑事は、矛先を家政婦に向けた。
「私も菊子お嬢さんと同じく、お休み前の奥様を見かけました」
必要最小限のことだけ話すと、若い家政婦はまた黙った。
「朝原さん、留依さんは大丈夫ですか?」
「さあ……。あまりいいとは思えませんけど。石橋先生を呼んではどうでしょ
う?」
「石橋? ああ、精神科の先生ですか。いいでしょう。その先生に間に入って
もらって、まとめて話を聞くことにします。電話、頼みますよ」
「はい」
小さく返事すると、朝原は立って部屋を出た。
入れ替わるようにして来たのが、体格のいい男と肌のきれいな女だった。
「母が殺されたって、本当なのか?」
部屋に入るなり、誰に聞くともなく怒鳴った男。
「あ、孝亮さんに昌枝さん。まま、落ち着いて、座って下さい。お子さんには
知らせました?」
「あ、はい。昌枝が学校に電話しましたから、もうすぐしたら帰ると」
「それは結構。ちょっと紹介しておきたい人がいるんです。こちら……」
また紹介が始まった。浜本刑事も大忙しである。繰り返しが過ぎると思うの
で、ここは省こう。
「探偵? そんなのに頼らなくては、あなた方は犯人を逮捕できんのですか?」
当の探偵がいるのもお構いなしに、紹介を受けた孝亮夫婦は露骨に嫌な反応
を示した。
−続く