#2741/3137 空中分解2
★タイトル (RAD ) 93/ 1/22 23: 7 (196)
「野生児ヒューイ」第二部(7) 悠歩
★内容
『ああ……ラ…ガ……』
ミンの意識を複雑な想いが駆け巡る。今、ミンがいるのは過ぎ去った日の思い出の
中だった。父母との悲しい別れ。今日の日まで慕い続けたラガとの出会い。
言葉に尽くせない悲しみと懐かしさがぶつかり合う。
『でも……もう、終わりなのね』
ラガに抱かれた幼い自分の姿を見守りながら、ミンの意識は再び暗い闇に包まれて
いった。
『私……、これから何処に行くのかな』
もう、ラガやティナと会うことが出来ないと思うと、少し寂しかった。
『仕方無いよね。私、ティナにあんな酷い事しちゃったんだし』
『美奈……、みん、ミンちゃん』
『? だれ』
何処からか優しい声がミンを呼ぶ。とても懐かしい声だ。
『ママ……ママなのね』
ミンの前に、つい先程バルバの牙に掛かって生命を落とした筈の両親の姿が浮かび
上がって来た。
『パパ……、ママ……』
二つの影にミンは力一杯抱き着いた。ずうっと昔に忘れてしまった、暖かく優しい
温もりがミンの全てを包み込む。
抱き着く他に、ミンは何も言葉を発することが出来ない。話したいことは山ほどあ
る筈なのに、言葉にならない。
ミンの激しい気性は、ラガ達の村の中にあって、所詮はよそ者であり本当の意味で
の保護者を持たない少女が自分を守るため、いつしか身に着いた術であった。
本来のミンはまだまだ、父母に甘えていたい、幼い少女なのだ。
『可哀相に……辛かったのね』
母の手がそっとミンの頭を撫でる。何年振りのことだろう。
物心が付いてからは、唯一のより所だったラガも近頃ではミンを疎ましがっていた。
『私……ずうーっといる。パパとママと、一緒にいる』
『本当にいいのか』
あくまでも優しく、しかしながら力強い父の声がする。
『いい。ずっといる』
『あなた……』
『美奈、お前はまだ、何かやる事が残っているんじゃないのか?』
父の諭すような言葉に、ミンはティナの顔を思い浮かべた。
『……そうだ、私、ティナに謝らなくちゃいけないの』
『そうか、それじゃまだ、私たちの所にはこれないな』
『……うん……』
ミンの返事は何処となく、歯切れが悪い。せっかく会うことが出来た父母と別れる
ことに、決心が着きかねた。
『美奈、私たちの所に来るのはいつだっていいじゃない。それにね、パパと私はいつ
だって美奈の事を見ているの。ティナちゃんだっている。あなたは決して独りじゃな
いのよ』
母の言葉に、ミンの迷いは消えた。
『うん、ママやパパとはいつだって会えるもんね』
『そうね、いつだって会える。さあ…いってらっしゃい、ミン』
ミンの目に写る父母の顔が次第に薄くなって行く。そしてそれはやがて、別の顔へ
と変わって行った。
「マ……マ?」
それがミンの第一声だった。
「ミンちゃん」
驚いたような、そして嬉しそうな声を上げ、ティナは飛び起きた。
ティナは手術が終わってからも、ずっとミンにつきっきりで傷口の薬を交えたり、
汗を拭いたりしていたのだが、疲れて少し眠ってしまったようだった。
飛び起きたティナがミンの顔を上から覗き込む。そしてその手をミンの手と確りと
重ねた。
「よかった……。本当によかった……。このままミンちゃんが目を覚まさなかったら
私………」
熱い雫が幾つも、ミンの顔に降り注いだ。
「あれ? ティナ………」
ようやくミンは、目の前にいる人物について認識したようだ。
「そうよ、ティナよ。分かるわよね? ミンちゃん」
「私……夢を見ていたの。パパとママの夢よ……」
深い眠りから醒めたばかりのミンは、どこかまだ虚ろな様子だった。
「そう。よかったわね」
「本当はそのまま、パパとママの所に行こうと思ったんだけど……私、まだティナに
謝ってなかったから……」
「私に?」
「うん……………………。ごめんなさい、私、ティナにあんな酷いことしちゃって…
……」
それからしばらく、ミンは何事かを考えるようにティナの顔を見つめていた。
「お願いがあるの」
神妙な面持ちで、ミンが言った。
「何かしら?」
「ラガの事、嫌いにならないで」
「……………」
「ティナには乱暴な人に思えるでしょうけど、本当は優しい人なの。族長様があんな
身体になって、ラガが村を守っていかなくちゃならなくなって、無理をしているの。
本当よ。本当にラガは優しいの。
だって、ラガがいなかったら私、パパとママが死んで今日まで生きてこれなかった」
ティナの手と重なったミンの手に力が入る。
「うん、分かった。ミンがそう言うなら、ラガはいい人なのね。私、嫌いになんかな
らない」
「ありがとう………」
安心したのか、ミンは瞼を閉じ再び眠りに着こうとした。
「そうね、ミンちゃん。まだ眠っていた方がいいわ」
ティナがそっとミンと重なった手を放そうとすると、ミンの手がそれを握り返して
来た。
「お願い……。もう少し、もう少しこうしていて」
目を閉じたまま、ミンが懇願する。
ティナは何も答えずに、その手にもう片方の手を添えた。
やがてミンは安らかに寝息を立て始めた。
ミンの眠る小屋の前に立ち、中でのやり取りの一部始終を聞いていた者があった。
ラガである。
ミンにあてがわれた小屋は本来、ラガの物である。
もともとこの村の一族でないミンは、将来ラガの妻になる事になってはいたが、今
のところその扱いは戦いによる戦利品、つまりは奴隷と同等であった。
そのため、普段は族長の小屋に寝起きし、その身の回りの世話をするのがミンの仕
事となっている。
今夜は特別の事として、ラガとヒューイは族長の小屋に泊まり、こうしてラガの小
屋にはミンとティナが泊まっていた。
一旦は横になったラガだったが、どうにも寝付けず外に出て村の中を何をするので
もなく、ぶらぶらと歩いていた。
ラガの頭の中に、先程のティナの言葉が蘇ってくる。
『許さない……。もし、もしミンちゃんが……もし………』
「フッ、あの女は気が強すぎる。妻にするにはちと、面倒だな」
ラガの呟きは何処か言い訳の様でもあった。
自分の小屋の前を通り掛かった時、中から二人の少女の話し声が聞こえた。
ラガは立ち止まりその声に耳を傾けた。
やがて少女達の会話も、ミンが眠りに着くことによって終止符が打たれる。
「…………ミンか………」
『ミンはいい娘だ。それにお前のことを良く好いている』
族長の言葉が思い出される。
「あいつはまだ子どもだ。」
ラガはふと目を閉じる。
「だが………」
「水」
切ないほどに喉の乾きを感じ、ミンは目を覚ました。
ミンは自分の手に添えられた別の手の温もりを感じる。
「?」
ティナの手を握りしめながら眠りに着いたのは覚えている。だが今、ミンの手に伝
わる温もりは、ティナのそれではない。堅く、ごつごつとした手はティナのものより
も大きく、ミンの小さな手をすっぽりと包み込んでいる。
それはまた、ミンにとり非常に心地好く感じられた。
「目が覚めたのか」
声のするほうへ首を動かす。
「ラガ………」
いつからそこにいたのだろう、ミンの横にはティナに代わってラガの姿があった。
その後ろのほうには毛皮に包まって、眠っているティナが見える。
「水だな。ちょっと待ってろ」
ラガは立ち上がり、小屋の隅に置かれた水瓶の蓋を開けた。
「ぬるいな。外で汲んでこよう」
「わ……私、ぬるくて構わない……」
「ふん、瀕死の怪我人が、つまらん遠慮をするんじゃない」
乱暴であったが口調は極めて優しい言葉を残し、ラガは小屋の外の暗闇に消えて行っ
た。
「……………」
不安と安堵が同じ割合で混じり合う、不思議な気持ちでミンは小屋の入口から見え
る、ラガの消えて行った暗闇を見つめていた。
「夢見てるのかな」
そんな言葉を一人呟く。
それ程待たずに、ミンの瞳は暗闇の中から浮かび上がってくる、神々しいまでに逞
しい男の姿を写し出す。
「待ったか?」
「ううん、ぜんぜん」
ラガはミンの横に跪くと、片手でそっとミンの身体を抱き起こし、水の入った器を
その口許へと運ぶ。
ズッと一口、水をすするミン。
たった今、井戸から汲んで来たばかりの冷たい水が、ミンの乾き切った喉に染み渡
る。
「うまいか?」
「ん」
一口喉に入れると、乾いた身体は急激に水を狂おしいほどに渇望し始める。慌てる
様にして水を飲みだしたので、ミンの返事は、はっきりとした声にならない。
「そんなに慌てて飲むな。身体に悪い。急がなくとも、水は逃げないぞ」
ラガの警告は、一歩遅かったようだ。
器一杯の水を一気に飲み干したミンは、急に咳き込み始めた。
咳をする度に身体中が痛むので、無理に咳を堪えようとする。しかし堪えようとす
ればするほど、咳は続け様にミンを襲う。
しばらく不自然な咳を続けるミンの背中を、ラガは傷に触れないように、そっとさ
すってやる。
ようやく咳の治まったミンはラガの手で再び、床に戻された。
「馬鹿なやつだ」
「ごめんなさい……」
まだ少し息苦しい様子で、神妙になったミンがラガに詫びる。
「詫びることはないが………。
ティナには感謝しなくてはならんな。あいつがお前に『手術』とやらをしなければ、
お前は死んでいたのだからな」
「…………」
二人は同時に、小屋の隅で眠る、金色の不思議な髪を持つ少女を見つめる。
「全くたいした女だ。お前とは比べ物にならん位にな」
「…………………」
ラガの言葉に何も答えられず、ただ悲しげな目でそれを聞いているだけだった
「だか……」
ふいにラガは、悲しげな目をした少女の顔を優しく撫でながら言った。
「肌はお前のほうが、奇麗だな。お前も大きくなればいい女になるだろう。それこそ、
ティナなど比べ物にならないくらいに………」
「? ラガ………」
「迂闊だった。身近にこんないい女の元がいるのを、忘れていたのだからな。あと少
し待っていれば、黙っていても俺を慕ってくれる、密林一番のいい女が妻になってく
れると言っているのに………」
ミンの目には涙が溢れ初めていた。それをラガの指がそっと拭い取る。
「まだ………待っていてもいいのかな?」
それを聞いたミンの涙はもう、ラガの指では拭い切れない物となった。
「やだ……私、泣いてばかり。ごめんね、ラガ。ごめんなさい。でも……でも、今だ
け泣かせて。明日から……明日からは、いつものミンに戻るから……」
ミンはそこまで言うと後はひたすら、泣き続けた。
ラガは少し困ったような顔をしながらも、泣いているミンの顔を何処か楽しげに見
つめていた。
部屋の隅ではティナが静かに眠っている。
やがて外では夜の闇を消し去る、白く輝いた太陽がティナの生まれた時代と同じよ
うに登り始める。