#2709/3137 空中分解2
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六文字の殺人 1 永山
★内容
1.Jの殺人
「暗いの、やだな」
恐さをやわらげるためと意識した訳ではなかったが、彼女は思わず声に出し
て言った。その声にびっくりして、また黙り込む。
十二月になっていたが、暖冬だった。だから今夜は寒さはさほどでないが、
風がかなりあり、冷え冷えとした雰囲気になってくる。懐中電灯を握る手にも、
ときどき鳥肌が立つ。
こんなときに学校に忘れ物をしたことを、彼女は呪った。忘れ物の原因は自
分にあるのだが、それを彼女は、一緒に帰ろうとせかした友人二人のせいにし
ていた。
少し前に天皇陛下の容態に変化があったために放送中止となった番組が、今
日に振替になっている。それに間に合うように帰りたかった。
ようやく校舎が見える場所に出た。道路を渡れば、ネット越しにグランドが
見渡せる。実際、彼女も道路を渡った。
と、そのとき、彼女は違和感を覚えた。グランドがあるべき姿ではない。暗
がりの中、彼女はグランドを一瞬見ただけだったが、通常のグランドの景色に
慣れた彼女の意識は、おかしいと警笛を発したのだ。
彼女は目を凝らした。弱い外灯に照らされた闇の中、やや校舎よりのグラン
ドに人影らしきものが見えた。髪の長さから女性らしかったが、制服ではない
から女生徒ではないようだ。
(し、死んでいるのかしら……?)
彼女は思った。そしてすぐにかぶりを振る。
(まさか。最悪でも、急病か何かで倒れてるだけよ)
どちらにしても放っておく訳にはいかない。彼女はかけ出すと、正門を目指
した。今の時刻、そこからしか校内には入れない。グランドは塀に遮られて見
えなくなる。
正門にたどり着く直前、彼女はグランド上空を何かが飛び立つ音を聞いたよ
うな気がした。何の確信もない。風の音かもしれない。それよりも、倒れてい
る人影が先だ。
彼女は正門から数歩校内に入った瞬間、自分が何を目標として走っていたの
かを疑ってしまった。そう、人影を目指していたはずなのに……。
「あ、れ……いない……。何もない」
彼女が見た影は消えていた。気になった彼女はだから、影があったはずの場
所に走った。そこは、グランドの中心からは校舎よりで、校舎とは花壇を挟ん
で十五メートル足らずの距離がある。
「何かあった跡だわ」
そこにちょうど人が丸く寝ころんだ様な痕跡を見つけた彼女は、ますます気
になった。
絶対、人が倒れていたんだ。それが今、いないと……。急病でも何でもなか
ったのかしら。たまたまある人が転んだところを私が見かけ、私が正門に回っ
ている間にその誰かは起き上がってどこかに行っちゃった……。ううん、おか
しい。出て行くとすれば、この正門しかないはず。じゃあ……。
ある考えを思い付いた彼女は、今度はまっすぐに校舎に向かった。校舎に入
ると、今度は宿直室を探す。
昼間、生徒にとっては何の用事もない部屋だけにすぐには見つからなかった
それは、何のことはない、職員室の隣にあった。もちろん、明りがついている。
「失礼します」
引き戸をノックしてからそう言った彼女は、中から反応がないのをおかしく
思いながらも、戸を開けた。
誰もいない。ストーブの上で、やかんがシュウシュウと音を立てているだけ
だ。白い蒸気がすぐに見えなくなる。
仕方なく、部屋を出ようとした彼女に、
「誰だ?」
と、大声が降り掛かった。
驚いてこちらが答えられないでいると、声の主が暗がりの中から、だんだん
と姿を現した。
「何だ、根本か」
「あ、先生……」
声の主は、二年生の学年主任である田西頼五郎だった。相当年のいった歴史
の教師で、白い物が目立つ。と言うよりも、白の中に黒が目立つと言った方が
正確だろう。そろそろ受験を本気で考えなければならないこの時期、彼は生徒
の顔と名前と成績を覚えるよう、心がけているらしかった。
「どうしたんだ。もう、とうに帰ったはずだと思っていたが」
「あの、教室に忘れ物を取りに来て」
「それなら鍵がいるな。あん、二年は二階だから」
そう言って鍵掛けの場所に行こうとする田西に、彼女は声をかけた。
「あの、宿直は田西先生一人だけですか」
「あん? そうだが」
「じゃ、誰だったのかなあ。私、ここに来る前に、グランドに女の人が倒れて
いるのを見たんです。それが、正門に回っている間にいなくなって」
「何だって?」
田西は怒ったような顔で、彼女を振り返った。
「その、何だ。つまり、誰かが校内に侵入したんじゃないかってことかね」
「ええ、ひょっとしたら。制服着ているんじゃなかったし」
「ふむ。では、気合い入れて見回らんといかんな」
落ち着いた様子になって、彼は言った。
「あの、先生はさっきまで、どこか見回っていたんですか」
「いやいや。用を足しに行っとっただけだ。そんなとき、こちらで物音がした
から、慌てて来てみたら、おまえがいたって訳だ」
ここで少し笑うと、田西は続けた。
「その人影、おまえの見間違いってことはないだろうな」
「そんなはず、ないと思いますけど」
「じゃあ、やっぱり何者かが入って、おまえに見つかったと思って、塀を乗り
越えでもして逃げたのかな。まあ、一応、見回っておく。おまえは早く用を済
ませて帰りなさい」
田西は鍵を彼女−−根本に渡すと、命令口調で告げた。
根本は、鍵を使って教室に入り、忘れ物を自分の机から手にすると、また鍵
を閉め、階段をかけ降りた。この時間の学校は、何とはなしに恐いものだ。
鍵を元の場所に返すと、ついでに宿直室も覗いてみた。田西は早速見回りに
出たらしく、いなかった。
根本は黙って校舎を出たが、胸騒ぎを覚え、もう一度だけ、人影のあった場
所に行ってみた。すると、さっきは気付かなかったが、砂に埋もれる格好で、
紙片が一枚、見つかったのだ。
(何、これ)
彼女はそれを拾い上げ、しわを伸ばして眺めた。フリーハンドらしいが、そ
の割にはきれいな五線符の上に、おたまじゃくしが踊っている。鉛筆書きだ。
(楽譜みたいだけど……何だか変な感じ)
いやに四分音符の目立つその楽譜は、確かに変な感じだった。どうも、音楽
の規則に沿っていない(図参照)。
f f f
|ト−−−●−−−●−−−−−−−●−−−−−−−−−−−●−−−−−−
| ● ● ● ● ○
||−−−−−−−−−−−●−−−−−−−−−●−−−−−−−−−−−−
| ●
|ン−−−−−−−−−−−−−−−−−●−−−−−−−−−−−−−−−●
|
|記−●−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
| ●
|号−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−●−−−−−−−−
f
−−−−−−−−|
|
−−−−−●−−|
|
−−−●−−−−|
|
−−−−−−−−|
| ●・・・四分音符
−●−−−−−−| ○・・・二分音符(全音符ではない)
「関係なし、かな」
声に出して自分の判断を言うと、それで踏ん切りがついた。もう、このこと
は考えまい。いつまでもここに居残って、もし、変なことに巻き込まれたって
つまらない。
根本はさっときびすを返すと、やって来た道を引き返すことに専心した。そ
れでも拾った紙片は、スカートのポケットに仕舞い込んだ。
腕時計を見ると、十時を過ぎていた。
2.Fの殺人
「知っている者もいるかもしれないが……」
普段は音楽教室なんかには縁のない白井が、運動着のままやって来て、説明
を始めた。一時間目の受け持ちを抜け出して来たのだろう。
「横倉先生がお亡くなりになった」
ざわめきは少なかった。朝まであんな騒ぎじゃ、知れ渡るのも当然だ。
「最初に見つけたのは、宿直をなさっていた田西先生で、昨晩十時半頃のこと
だと聞いている。本館三階の窓から飛び降りたものらしいが、一応、警察が来
て、今も事後処理をしている。だからと言って、動揺しないようにしてもらい
たい。それから、この時間は自習になるから、教室に戻りなさい。ま、試験も
近いことだし、勉強してるんだな」
そこまで言うと、白井は若き体育教師らしく、駆け足でグランドを目指した。
音楽室は緊張が解けたことで騒がしくなり、椅子の音ががたがたと響いた。
「早く行こうぜ」
ゆっくりしていた僕に、国吉が声を投げてきた。
ああと短く応じるると、ぽっとつっ立っている国吉を置き去りに、さっさと
歩き出す。そうして、後から追っかけて来る国吉をからかってやるのだ。
「相変わらず、足、早いな」
「その方が教室に早く戻れる。で、何して時間潰す?」
そのとき、別の声で名前を呼ばれた。振り返ると、同じ組の女子だ。あんま
り話したことないが、根本は目鼻立ちのはっきりした、仲々の容姿をしている。
「何?」
照れ隠しのつもりはないんだが、そっけなく返す。
「教えてもらいたいことがあって」
「試験のこと? じゃあ、僕に聞くよりも、他に」
「そうじゃなくて、推理小説が好きなんでしょう、桜井君?」
女子からいきなりこんな言葉を聞くとは思わなかった。
「だったら、こんなのも得意なんじゃないかと思って」
根本は紙切れを取り出すと、広げて僕の方に向けた。
「楽譜じゃないか。推理小説とどう関係が」
「立ち話じゃ、目立つぜ。とにかく教室に戻らないか、お二人さん」
待たされていた国吉が、いらついた声で言った。僕と根本は素直に従った。
教室はすでに騒がしかった。ただし、両隣のクラスから文句が来ない程度に。
「それで、続きだけど」
うまい具合いに僕の前の席が空いていたので、そこに座った根本が健康的な
赤の唇を開く。肩まである髪が、さらさらと流れていた。
「私、これ、昨日の夜、学校で拾ったの」
唐突で、断片的で、もう一つ分かりにくい。
「えーと、何で、夜、学校に行ったの?」
「忘れ物。それが十時前。で、私、見たのよ。グランドに誰かが倒れてるのを」
「グランド? 横倉先生は中庭の方で死んでたって聞いたけど」
「そうじゃなくて。とにかく、グランドで見たの。それで急いで正門から回っ
て、近付こうとしたら、そこには何にもなくて……」
それからだいぶかかって、僕は根本の言うことを理解した。
「つまり、誰か女の人、ひょっとしたら横倉先生かもしれない人が、グランド
に倒れていた。それが僅かな間に消えてしまい、それからさらに後、人影のあ
った場所にはこの紙が落ちていたってことか」
「そうそう。それで、この楽譜、何となく横倉先生の字に似てないかしら」
字と言われても、紙に書かれているのは記号だけだ。唯一、フォルテの意味
を表すらしいfがあるが。
「あの、状況は分かったけど、根本さんの言いたいことが分からない」
「だから、これ、何かの暗号じゃないかと思って。学校に来て、音楽の横倉先
生が亡くなったって聞いて、私、ピンときたの。これは先生が殺される前に残
したメッセージじゃないかって。これを書き終えたところで、犯人に殺されち
ゃって、それで自殺に見せかけられて」
安手のライトミステリーの読みすぎじゃないかな。殺されそうになった人間
が、こんな複雑なメッセージを書く余裕があるもんか。
だが、それは口に出さずにおく。
「なるほど。考え方は面白いや。確かに、音楽文法は無茶苦茶のようだし。人
影−−根本さんによると横倉先生が消えたのは、どう考えるの」
「よく分かんないけど、一端、グランドで先生を殴り倒した犯人は、私に見ら
れたのに気付いて、一時的に遺体を隠したの。それで私をやり過ごした後、自
殺に見せかける細工を……」
よっぽど根本も推理小説好きだ。しかも、ライトミステリーが。まあ、読む
方に関しては、だいたいの女子がこんなものかもしれない。
「それってひょっとして、田西先生を疑っているのか」
横で黙って聞いていた国吉が、やや大きめの声を出した。いっとき、クラス
の注目が集まる。が、すぐにそれもなくなる。
−−続く