#2698/3137 空中分解2
★タイトル (ETB ) 93/ 1/16 9: 2 (108)
「江戸日記:河童わらべ(その二)」 太竹 数馬
★内容
魚吉の採ってくれるしじみは、大きくて味も良かったから良い値で売れる。
充分な金額を母親に渡しても、まだ余るくらいだった。
文太は残した金で「せんべい」や「まんじゅう」や「だいふく」を買って魚吉
と分けて食べるようにしている。
礼のつもりだった。
「おらあ、こんなうめえもん食ったの初めてだ」
うれしそうに、目を輝かせて「だいふく」をほおばる魚吉を見るのも楽しかっ
た。
文太にしたって、「だいふく」なんて贅沢な菓子を食べるのは始めてだったが、
魚吉にはそんな素振りは見せないように、せいいっぱい兄貴風を吹かせながら言っ
た。
「昨日はいそがしくって、近くの店で買っただいふくだから、あんまり旨くはね
えが、こん次は日本橋の藤野屋で名物の『雪大福』を買ってくらぁな。あいつは
旨えぞ。おれの大好物だい」
せいぜい見えを張る文太だ。
篭いっぱいのしじみを採ると、二人は川岸の流木に腰をかけ、前の日に買った
菓子をたべながら話しする。
文太は一人っ子だったし、貧しかったので、小さな頃から母親の手内職を手伝っ
てあまり近所の子供達とも遊んだりしなかった。
毎朝会う魚吉は、文太にとっては始めてできた親友だったし、弟なように感じ
ていた。
そんな毎日が四ヶ月ほども過ぎたころ、いつもの通り二人川の方に向かって並
んで座り、せんべえを食べながら話しをしていると、後ろの土手の方から大声で
怒鳴る声が聞こえた。
振り返ると同じ長屋に住む、野菜の振り売りをしている男の姿が土手の上に見
える。
「文太。何んてことしてる。おめえの隣にいるのは河童だぞ」
遠くからの怒鳴り声だったので、始めはなにを言っているのか分からなかった
文太だったが、二度目の声ははっきりと聞こえた。
びっくりして、魚吉のいた方に向き直ったのだが、何故か魚吉の姿が見えなかっ
た。
何度も回りを見たのだが、魚吉はどこにもいない。
「文太ァ。早くこっちへこい。まごまごしてると、海ん中引きずりこまれるぞ」
野菜売りの和助の話しによると、文太の隣に座っていたのは間違いなく河童だっ
たという。
もっとも、まだ小さな河童で、頭の皿は醤油の小皿くらいしかなかったと太助
の父親に話している。
文太は両親から、
「子供の河童はな、まだ力がないもんだから、人間の姿にばけて騙し、安心させ
ておいてから引きずり込むんだ。文太おまえはもう少しで二度とこの家に帰れな
くなるところだったんだぞ」
何度も何度も強く言われているうちに、だんだんと恐ろしくなってきた。
「もう二度と河童浜にはゆかないよ」
心から、約束をした文太だった。
それから数ヶ月、文太は「河童浜」には近づいていない。
文太の、必死の看病もむなしく、母親が死んだのは、もう秋を知らせる北風の
吹き出す頃だった。
歩くことのできない父親に代わって、通夜から、葬儀・野辺送りと、文太は喪
主代わりを勤めた。
大好きだった母親をなくし、打ちのめされた文太にとって、大人に交じっての
勤めた喪主の代役は、その小さな心と身体には、負担が大き過ぎたようだ。
総てが終わったあと、疲れはて、一人になりたくて近くの河原に行った。
土手に腰をかけて川面をみつめる。
川といっても、もうすぐ海にそそぐ河口である。
川幅も広く、遠くには海も見える。
海には帆を張った廻船が小さく見えるし、近くには野菜を積んだ川船も、時折
通った。
およそ一刻(二時間)ほどもぼんやりと川を見つめていたのだろうか、ふっと
「魚吉」のことを思い出した。
それが「河童」だったらしいことは、文太も納得している。納得はしていても、
魚吉と二人過ごした楽しい毎日が、無性に懐かしく思いだされ悲しかった。
「河童浜に行ってみよう。浜に降りなければ恐ろしくなんかねえやァ。土手の上
から浜を見るだけなら大丈夫だい」
そう自分に言い聞かせると歩きだした。
久しぶりに来てみた浜だったが、風景はまるで変わっていない。
土手の上から浜を見下ろすと、かつて二人が腰をかけた流木が、その頃のまま
に横たわっていた。
文太は、土手にしゃがみ込むと、ぼんやりと浜の流木を見つめながら、魚吉と
過ごした楽しかった時のことを一つ一つ思い出した。
「いいやつだったなァ。だいふくをやったら、夢中になった頬張って、むせって、
目ェ白黒させてやがったっけ」
「独楽の回し方も知らねえで、いくらおせえても巧くならねえもんだから、もを
やめよおって言ったら、むきんなって、涙ぐみやがって、かわいかったなァ」
「そおいやァ、あいつも一人っ子だって、言ってたなァ。さびしかったんだろう
なァ。おれのこと、『文にい』なんて呼びやがって、おれも『吉ちゃん』って呼
んでたっけ」
涙が二筋の川になって、頬をつたって流れている。
まぶたいっぱいに涙がたまり、目は開いているのだが、景色はゆらゆらと動め
き、前はまったく見えなくなってしまった。
ズゥー、鼻水をすすると、目をつぶった。
まぶたが合わさり、たまった涙が流れだしてしまうと、ぼぅっと周りが見えて
きた。
(おや?)
しだいに、鮮明になってくる視界がとらえた、黒く風化して横たわる流木の上
に、小さな「人影」が見える。
「き、吉ちゃん」
流木に腰をかけた子供の河童が、ちょうと文太と同じように、うなだれて物思
いにふけっている。
だんだんとはっきり見えてくる文太の目には、河童の子供が泣いているのがわ
かった。
「や・やっぱり河童だったんだ。でも、でもあれは、吉ちゃんだ」
文太はたまらなくなった。
「河童だっていいや。あいつは・・・・、あいつはおれの弟だ」
文太は立上がると、必死になって土手をかけ降りた。
「吉ちゃーん」
ころげながら、叫びながら文太は走った。走った。
その声を聞いて、河童の子が振り向き、文太の姿を見とめると、立上がり文太
めがけて走り出した。
「にいちゃーん」
二つの影が、一つになって、長い影が、砂浜に尾を引いた。
その日から、文太の姿を見た者はいない。
完