AWC フォールアウト・シティ 9   リーベルG


        
#2615/3137 空中分解2
★タイトル (FJM     )  92/12/28   0: 3  (158)
フォールアウト・シティ 9   リーベルG
★内容

                   9

 このとき、ぼくは柳瀬が少しずつ身体を起こしていたのに気付いた。砂浜にうつ伏
せになっていたのが、片膝をついて、所長の話しを聞いていた。もっとも、そんなこ
とにそれほど注意を払っていたわけではない。
 「そういうことだったのか」ぼくは口を開いた。「あんた達は、そうならないよう
に予防手段を講じていたんだな。そのために時間が必要だったのか」
 「その通りだ」所長は認めた。ぼくは続けた。
 「ここ数日の急激な円安。あれは秘かに、円を売って外貨を、主にドルを獲得する
ためだったんだな。違うか?」
 「頭がいいな。その通りだ。私たちの報告を受けると、政府内部で緊急秘密会議が
開かれた。あんたも想像しているだろうが、政府の要人の国外脱出、国外での生活を
保証するための外貨獲得、土地の買収などが決まったらしい。もちろん、有名な学者
や教授、技術者なども脱出させる。様々な研究成果のデータと一緒にな。
 脱出はすでに始まっている。明日までにはほとんど完了するはずだ。わたしもその
後、日本を離れるよ。市長と一緒にな。だから、それまではこの秘密が漏れてはいか
んのだ。まあ、今更漏れたところで、どうしようもあるまいが」
 人間にこんなに邪悪なことができるとは思わなかった。当然感じていいはずの怒り
は、しかし不思議と沸いてこなかった。ぼくはただ、美咲を何とか脱出させられない
か、そればかりを考えていた。
 「言っておくが、私は自分の身可愛さでこんなことをしているのではないぞ」所長
は演説を続けた。「全ては日本のためだ。日本が完全に歴史から消滅してしまうのを、
防ぐためなのだよ。私ほどの愛国者がいるだろうか?とっくに脱出していてもいい筈
なのだが、こうして秘密を守るために最後まで献身しているのだ」
 本気で言っているとしたら、やはりこいつは狂人だ。いや、怪物かもしれない。自
分が口にしているのが、単なる自己正当化であることに気付いていない。ぼくは怒り
は感じなかったが、そのよく動く口をおもいっきり殴ってやりたくなった。
 次の瞬間、柳瀬が動いた。静から動へ。スイッチを入れるみたいに跳ね上がると、
一瞬後には、所長の後ろに回っていた。右手にはいつのまに抜いたのか、長いナイフ
がしっかりと握られており、刃が所長の太い首に押し当てられていた。
 「動くな!」柳瀬のかすれ声が砂浜に響いた。周りを囲んでいる男たちは、素早く
銃口を上げたが、発砲することはできなかった。柳瀬は素早く、海を背にして立って
おり、所長の身体を楯にしていた。
 「ばかな真似はやめるんだ」所長は、少なくとも表面上は驚いたり、慌てたりして
いなかった。「何が望みだ」
 「このまま、人質になってもらおう」柳瀬はギラギラする瞳を、ぼくに向けた。「
大江さん。その拳銃を拾って下さい」
 ぼくは、夏目刑事が取り落としたまま転がっていた拳銃を探した。が、美咲が手を
伸ばして、それを拾い上げていた。美咲はよろよろと立ち上がると、それを握ってゆ
っくりと、身体を接している二人の方を向いて、静かな声で言った。
 「狙ってるわ」
 柳瀬は少し驚いたように、美咲を見たが、ニヤリと笑って所長に言った。
 「おい、携帯電話を持っているだろう。出すんだ。ゆっくりとな。おっと、その前
に他の奴らに銃を捨てさせろ」
 「みんな、銃を置いてくれ」平静な声で所長は周りを包囲している男達に告げた。
先ほど、ぼくたちに声をかけた男がゆっくりと銃を砂浜に置くと、残りの男達もそれ
にならった。
 「よし、電話だ」柳瀬は命じた。所長は背広の内ポケットから、ゆっくりと携帯電
話を出した。
 「110番を呼び出せ」柳瀬は嬉しそうに言った。「警察を呼ぶんだ」
 「そんなことをしても、何にもならないぞ」所長は言われたとおりにしながら、冷
静に告げた。
 「うるさいな。よし、出たか。すぐ来てくれるよう言え」
 「もしもし、私は定倉原発の所長、丸井です。海岸公園そばの砂浜にすぐ来て下さ
い。殺されそうなんです。お願いします」所長は柳瀬の顔を見た。「これでいいのか
ね」
 「いいだろう」柳瀬は満足そうに言った。
 「何を考えているのか聞かせてくれないか」ぼくは訊いた。柳瀬はぼくを見た。
 「こいつも道連れにしてやろうと思ってね」柳瀬は白い歯をむき出して、獰猛な肉
食獣のような笑いを浮かべた。「警察に2、3日泊めておけば、もう脱出もできんだ
ろう。自分のやったことの責任はとってもらおうじゃないか」
 「事故が起こったのは、私の責任じゃないよ」相変わらず冷静に所長は言った。「
副所長がすぐに2号炉を停止しておけば、こんなことにはならなかったんだ」
 「うるさい。黙ってろ」
 数分間だが、息詰まるような沈黙が支配した。夏目刑事の呼吸はもはや、聞こえな
かった。ただ、打ち寄せる波の音だけが心地よいBGMのように耳に届いていた。や
がて、遠くから微かに別の音が聞こえてきた。すぐにそれはパトカーのサイレンの音
に変わった。
 柳瀬はそれを聞くと大きく笑った。
 「来たぜ、所長さん。いいか、動くなよ。銃で狙っているんだからな」柳瀬は所長
の首に押し当てていたナイフを外して、一歩所長から後退した。そして、ぼくの横で
拳銃を握って、狙いをつけている美咲に笑いかけた。
 美咲が引き金を絞った。その轟音は近付いてくるパトカーのサイレンをかき消して、
ぼくの耳の中に響きわたった。
 硝煙が薄れないうちに、柳瀬は膝をついた。胸の中央から血が噴出している。あっ
けにとられた顔を美咲に向けた。
 「どうして…」最後まで言い終わらないうちに、瞳から光が消えた。柳瀬は音もな
く倒れて、二度と起きあがらなかった。
 ぼくは声が出せなかった。自分の目で見た光景が信じられなかった。遠い外国の内
戦のニュースでも見ているみたいだった。
 男達が再び、銃を取り上げて、遅滞なくぼくに狙いをつけた。ようやく、ぼくは言
葉を発することができた。
 「美咲、なぜだ」
 美咲はぼくの顔を見なかった。そのまま、ぼくから離れて所長のそばに立った。ぼ
くの心の中に形容しがたい感情が一気に沸き起こった。それは、そのまま声となって
ほとばしった。
 「美咲!」
 「あんたにはほんとに気の毒に思うよ」所長が笑いながら言った。「この女を完全
に信じきっていたんだね」
 「美咲…」言葉が続かなかった。
 「この女は、市長の愛人なんだ。もう、何年も前からね。当然、脱出組に入ってる。
市役所に勤めていたのは、秘かに市民の反原発意識を探るためだったんだ。今度の事
故でも貴重な情報を与えてくれたよ」
 美咲。美咲だったのだ。ぼくをヤクザ達に脅迫させたのも、例のヨットの場所を教
えたのも。
 冷静に考えれば、思い当たった筈だった。しかし、ぼくは最初から疑いもしなかっ
たのだ。信頼と呼ぶには、堅牢すぎる想いを抱いていた。それは今でも消えていない。
悔しい事に、ぼくは心のどこかで、これが何かの間違いであってくれればと、微かな
希望にすがりついていたのだ。
 「美咲」ぼくはかつて愛した、そして今でも愛している女性に呼びかけた。「マッ
シュたちを殺したのも、お前なのか。いやお前が手を貸していたのか?」
 きっぱり否定して欲しかった。嘘でもいいから、違うと言って欲しかった。ぼくが
美咲を信じる最後の糸を、断ち切らないで欲しかった。
 美咲は答えなかった。否定も肯定もしなかった。それは、ほとんど肯定しているよ
うなものだった。ぼくは必死になって、美咲の視線を捉えようとしたが、美咲はぼく
から顔をそむけていた。
 「最後まで信じたままで死ねればよかったのになあ」所長は別に嘲笑するでもなく、
むしろ同情するような口調で、ぼくの死をさりげなく宣告した。「気の毒だが」
 所長は、周りを取り囲んでいる男たちに合図した。そのとき、美咲が不意に顔を上
げて、叫んだ。
 「待って!」
 美咲はぼくの前に立った。そして、所長に懇願した。
 「お願い、この人を助けてあげて」
 所長は心から驚いた顔をした。
 「市長を裏切るのかね」
 「違います。でも、もう一人くらい脱出させてもいいでしょう?」
 「駄目だね」所長は情け容赦なく、美咲の哀願を退けた。「さあ、どくんだ」
 美咲は拳銃を所長に向けた。
 「何をするんだ」所長は少し慌てて叫んだ。「バカな真似はよせ」
 「お願い」美咲の瞳には涙が浮かんでいた。場違いなことだが、ぼくはそれをとて
も綺麗だと思った。
 「銃を下ろしなさい」所長は説得した。「君も連れて行けなくなるぞ」
 「美咲」ぼくは呼びかけた。「ぼくのためになら、やめてくれ」
 「何度も、やめてと言ったのに!」泣き声で美咲は叫んだ。「これ以上、巻き込ま
れるのをやめてって言ったのに。どうして、聞いてくれなかったの?」
 「美咲…」
 「靖弘を殺したくなかった。何とか一緒に脱出させようと思っていたのに…」美咲
は所長に叫んだ。「私たちを脱出させて。でないと撃つわよ」
 「わかった」所長は慌てて言った。美咲が本気である事を悟ったのだろう。「わか
ったから銃を下ろしてくれ」
 「駄目よ。このまま一緒に空港に行くのよ」美咲は断固として、言い放った。その
時の美咲は、過去のどんな記憶にあるよりも鮮明で美しく見えた。
 公園の方に、10人以上の人間が姿を表した。警官だ。ぼくも、美咲も一瞬そちら
に気を取られた。
 それが致命的だった。
 銃声が激しく鼓膜を叩いたとき、美咲の身体は数カ所から血を噴き出していた。そ
れを認めたとき、ぼくは自分の胸に2発の銃弾が撃ち込まれたのを知った。ほとんど
痛みは感じなかった。ぼくの頭の中を占めていたのは、美咲のことだけだった。ぼく
は、美咲の名を呼んだ。が、それは声にならなかった。
 美咲はくるりと、踊るように身をよじると倒れた。だが、その直前、引き金を絞っ
ていた。文字どおり決死の思いで撃った銃弾は、正確に所長の両目の間を撃ち抜いた。
美咲は、それを見届けるようなことをせず、うつ伏せに倒れるとぼくの方に手を伸ば
した。
 「靖弘…」
 ぼくも立っていられなかった。呼吸ができなかった。全身が燃えているように熱い。
肺には空気ではなく、炎が満たされているようだ。それでもなんとか、ぼくは言葉を
発することができた。
 「美咲…」
 ぼくは美咲のそばに倒れた。最後の力を振り絞って、美咲の伸ばした手を握り、美
咲の瞳を見つめた。美咲は消えていこうとする命の灯を、瞳に集めて、ぼくに何かを
伝えようとしている。だが、ぼくにはそれが何なのか確かめる気力は、もはや残され
ていなかった。
 ゆっくりとぼくは目を閉じた。果てしない暗黒に落ちていく最後の瞬間まで感じて
いたのは、美咲の暖かい手のぬくもりだった。

                                                                   The End
                                                                1992.12.27




前のメッセージ 次のメッセージ 
「空中分解2」一覧 リーベルGの作品 リーベルGのホームページ
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE