#2614/3137 空中分解2
★タイトル (FJM ) 92/12/27 23:55 (173)
フォールアウト・シティ 8 リーベルG
★内容
8
ぼくは一瞬、所長が何を言ったのかよく理解できなかった。柳瀬も同様であるらし
く、きょとんとした表情を作って所長を見つめていた。ぼくの腕の中の美咲に目をや
ったが、ぼく自身の身体の影が美咲の顔を覆っており、よく見えなかった。さっきか
ら、美咲は凍りついたように身動きひとつしていなかった。
「メルトダウン?明後日?」柳瀬がようやく言葉を発した。心から理解に苦しむ、
といった様子で柳瀬は周りを見回した。聞こえるのは、優しいさざ波の歌と、微かな
夏目刑事のうめき声だけだった。
「順番に話してやろう」所長は柳瀬の困惑を嬉しそうに眺めながら言った。「先週
の月曜日の事故が始まりだ。あの事故が公式発表のように、軽微なものでなかったの
は、お前達が探り出した通りだ。そうそう、お前達に協力した高見沢部長は、さっき
死んだよ。車にはねられてな」
「お前が殺したんだろう!」柳瀬の視線は、当たったものが燃え出すのではないか
と錯覚するほどすさまじかったが、強靭なのか鈍感なのか、所長は動じる色もなく話
を続けた。
「発表では事故は午前4時10分に収まり、正常運転に戻ったことになっている。
だが、そのときまだ事故は続いていた。しかも、より悪化していたのだ」
柳瀬は口を開いたものの、声を出せなかった。唖然とした表情で所長を見ている。
「実際の状況はこうだった」所長は恐ろしい事実を、契約書でも読み上げるように
話し始めた。
月曜日、23時30分過ぎ。2号炉の1次冷却水ポンプに異常が検知された。当直
のオペレータはすぐに、制御システムに状況説明を命じ、同時にスクラム(緊急停止
)準備措置に入った。これは標準の操作手順で、オペレータはマニュアル通りに処置
したわけである。
原子炉は熱い。そもそも、ウランなどの燃料棒に核分裂を起こさせ、その熱で水を
沸騰させ、蒸気を発生させて、タービンを回すのだから。ただ、その熱は放っておけ
ば、数万度になってしまうので、臨界に達している間は絶えず冷却が必要である。故
障が発見された1次冷却水ポンプは、炉心を冷却するための冷却材を送り込む重要な
装置だった。
コンピュータはコンマ5秒で、状況を診断し、それをオペレータに提示するととも
に、最適と思われる対処方法を告げた。2号炉のスクラムである。
当直にあたっていたオペレータたちは、相談した。コンピュータの提案に不満があ
ったわけではない。彼らが状況を検討したとしても、同じ結論に達した事だろう。た
だ、ひとつ問題があった。スクラムの際には、必ず所長または副所長に連絡する事、
という規則があったのだ。
ばかばかしい規則ではあるが、一面の真理もあった。オフィスの備品でも、工場の
機械でもそうだが、会社の金で何かを買うときには、誰かの決裁が必要である。プリ
ンターのインクリボンならば、課長決裁でいい。ワークステーション1台ならば、部
長決裁が必要となる。新しい給与計算システム開発は、社長決裁である。おおよそ、
金額で決まるといってもよい。
稼動中の原子炉1基を1時間停止させるのにどれだけの損失が出るか。オペレータ
達の誰一人として、その答を知らなかった。分かっている事は、所長の許可を得ずに
制御棒を下ろしたりしたら、その責任を取らなければならないのが、自分達であると
いうことだった。
23時50分。一人が、所長の自宅に電話をかけた。留守だった。所長はその夜、
市長達とともに東京へ出張していたのである。原子力に関する何かの会議だが、講演
だかに出席するためだった。宿泊先のホテルに電話してみたが、やはり所長を捕まえ
ることができなかった。
副所長の方は、もう少し有望だった。奥さんのが電話に出て、車でコンビニに行っ
たと告げた。遅くとも、1時間以内に帰るだろうと。
日付が変わった火曜日、午前0時10分。コンピュータが再び警告を発した。炉心
の温度が上昇しているのだ。1次冷却システムは、ほぼ完全にストップし、炉心に送
られる冷却水は、通常の10分の1以下になっていた。オペレータ達は、素早く相談
し、独断で2号炉をスクラムさせることに決定した。これ以上、炉心の温度を上げる
わけにはいかない。
オペレータたちは必要な操作に取りかかった。緊急停止といっても、原子炉の反応
を臨界からいきなり、ゼロにするわけにはいかない。急激な反応の引き下げは、炉内
温度の急激な低下につながる。そのような温度変化は、格納容器に対して致命的な、
脆性破壊を引き起こすことになる。
ゆっくりと、しかし可能な限り急いで、制御棒が挿入されていった。本当に緊急な
停止を必要とする場合、例えばLOCA(冷却材喪失事故)寸前の場合ならば、温度
差によるPTS(加圧熱衝撃)の危険を冒してでも、制御棒を挿入して、炉心の反応
を停止させるのだが、このときはそれほど急ぐ必要はなかった。ECCS(緊急炉心
冷却装置)も作動しなかった。
ほとんど、炉心の反応が停止しかけたとき、ようやく副所長との連絡が取れた。1
時10分過ぎだった。オペレータが2号炉スクラムの話しをすると、副所長は激怒し
た。稼動率を少しでも下げる訳にはいかないのに、勝手に炉を止めるとは何事だ。し
かも、たいした事故ではないではないか!
頭から湯気を出しながら、副所長がコントロールルームに駆けつけたのは、1時4
0分だった。副所長の頭にあったのは、この損害の責任を取らされるのが自分である
ということだけだった。この愚かな男は、所長と連絡が取れるまで、2号炉の運転を
再開するように命じた。別にスクラムに反対だったのではない。ただ、その決定は自
分ではなく、所長に下して欲しかったのである。
オペレータたちは形ばかり抗議した後、命令に従った。制御棒が再び、引き抜かれ、
2号炉は臨界状態に戻った。
数分後、コンピュータが温度上昇を告げた。オペレータは当直の技術員に連絡し、
1次冷却水システムの修理を依頼した。技術員2名は、眠い目をこすって炉に向かっ
た。ところが、技術員たちは2号炉が稼動中であることを知ると、たちまち眠気を吹
き飛ばして怒りだした。いくら高給をもらっているからといっても、稼動中の原子炉
の格納容器内部の装置の故障など直せるわけがない。放射能を浴びに行くようなもの
だからだ。技術員たちは、そのことをコントロールルームのオペレータに告げ、さっ
さと詰め所に戻ってしまった。
オペレータたちは困惑した。彼らは、副所長に再び2号炉を停止する事を、提案し
たが、副所長はにべもなく拒絶した。所長と連絡をつけるのに必死で、それどころで
はなかったのである。
コンピュータはそれから、数度にわたって警報を発した。次第に、オペレータたち
も、耳をつんざく警報がうっとおしくなり、ついにスイッチを切ってしまった。ディ
スプレイには、警報の内容が表示されるので充分だと考えたのである。
最初の破局が訪れたのは、2時55分だった。
全てのディスプレイが一斉にブラックアウトした。制御コンピュータの主電源がカ
ットされてしまったのである。原因は未だにわからない。当然、無停電電源装置は用
意されていた。しかし、よくあることだが、切り替えは仕様書通りに瞬時にとはいか
なかった。制御コンピュータに電気が送られたのは、1秒後だった。コンピュータの
演算速度から考えると、1秒はほとんど永劫に等しい。システムは完全にダウンして、
最初から起動を始めたのである。
制御コンピュータは今まで、電源を切られたことがなかった。検査の時は、補助が
その作業を代替していたが、完全に停止することはなかった。何故なら、電源投入か
らシステム起動まで、5分という時間がかかるからだった。その間、原子炉の制御は
完全に放置されている事になる。
5分間あればいろいろなことが起こり得る。このとき、2号炉に発生した事は、そ
の中でも最悪だった。冷却水の流れが完全にストップしてしまったのである。炉心は
相変わらず高温で、炉内の冷却水を熱していた。しかし、新たな冷却水が送り込まれ
てこないため、炉心の温度は急激に上昇していた。沸騰した水は、故障した冷却ポン
プに送られ、2度と戻ってこなかった。つまり、炉心からは、次第に水がなくなって
いたのである。しかし、コントロールルームのオペレータたちは、誰一人として、そ
れに気付かなかった。
5分が経過し、コンピュータはすぐに全システムの状況を検査した。そして、炉心
の高温と、水位の低下を発見して、警報を鳴らした。
ここで、第2の破局が訪れた。オペレータの一人が、反射的に警報のスイッチを切
ってしまい、しかもディスプレイを覗いてみることさえしなかったのである。
3時20分。炉心は完全に剥き出しになっていた。これは後から、コンピュータの
ジョブログを見て判明した事で、オペレータたちは気付いていなかった。コンピュー
タは何度も、警報をディスプレイに表示したのだが、オペレータたちは見向きもしな
かった。
それには理由がある。全ての冷却水系統には予備系統が存在している。もし、1次
冷却システムがストップしても、直ちに予備が作動するようになっているのを、オペ
レータたちは知っていた。だから、所長と連絡がとれるのを、心待ちにしながらも、
それほど心配してはいなかった。しかし、予備系統はこのとき作動していない。1次
冷却システムはほとんどの機能を停止していたものの、完全に停止してはいなかった
のである。
4時5分前。ついに、燃料棒が溶解をはじめた。同時にコンピュータは、定められ
た通り、自動回復手順に入った。スイッチが切られていようが関係なく警報を鳴らし、
ECCSを作動、制御棒を緊急挿入した。
オペレータたちは文字どおり飛び上がった。コンピュータに状況説明を命じて、彼
らは蒼白になった。もはや、いかなる手段を講じても無駄である事は一目で判明した。
炉心溶融が始まっている。いまさら反応を停止したところで、膨大な崩壊熱はどうし
ようもない。ECCSはまさに、この熱がここまで上昇するのを防ぐためにあるので
あって、その段階はとっくに通り越していた。
ぼくは全身に汗をかいていた。柳瀬は恐怖の色を浮かべていた。所長は言葉を止め
ると、ぼくたちを見回した。
「それからどうなったんだ」ぼくは訊いた。喉がからからだった。所長は苦々しげ
に答えた。
「私が連絡を受けたときには、もはや手遅れだった。どんな手を尽くしても、メル
トダウンは必至だった。それを回避できるのなら、悪魔にだって魂を売っただろうが。
どろどろに熔けた燃料棒は、強烈な放射能と膨大な熱でもって、周りのあらゆる金
属やセラミックやプラスティックを溶かし始めていた。打てる手は何もない。
ただひとつ可能だったのは、進行を遅らせることだった。オペレータの一人は、ぎ
りぎりの所で、それを成し遂げた。炉心にECCSから水を送り続けるように、コン
ピュータに命じたのだ。まさにぎりぎりだった。もう少し遅ければ、水を送ったとこ
ろで、水蒸気爆発を起こしていただろう。
末期のガン患者を集中治療室に送り込んで、寿命を数日延ばすのとよく似ている」
「つまり…」柳瀬は陰にこもった声で言いかけた。所長は質問を先取りして、答え
た。
「そう、今この瞬間にも、2号炉の中は地獄の業火で煮えくり返っているんだ。他
の炉は全て停止してあり、そちらに送られていた冷却水は、一滴残らず2号炉に注ぎ
込まれている。
だが、これは所詮一時しのぎにすぎない。温度はなおも少しづつ上昇している。計
算の結果、遅くとも明後日の真夜中には限界を越えて、ついにメルトダウンに突入す
るだろう。灼熱の炉心があらゆるものを溶かして、落ちていく。
するとどうなるか。格納容器は1時間と持たない。その下のコンクリートの土台は
もう少し持つかも知れない。が、せいぜい2、3時間だ。その後は遮るものがない地
面だ。せいぜい、数時間で地下水か何かにぶつかって、致命的な蒸気爆発だ。定倉市
はもちろん、周辺の市町村は一瞬にして壊滅する。同時に放射能を含んだ塵や埃、土
砂が高空まで舞い上がり、冷えるに従ってゆっくりと降下してくる。フォールアウト
(放射性降下物)というやつだ。日本全国津々浦々どこにも逃れる場所はない」
この男は狂っている。ぼくは確信した。このような狂気の事態を平気で口にするよ
うな人間が、まともな神経を持っているはずがない。
「だったら、何故!」柳瀬が絶叫した。「何故、全市民に警告しないんだ!全市民
を、いや日本の市民全員を即刻非難させるべきだろう!」
「そんなことをしてどうなるんだ」所長は聞き分けのない子供に、言い聞かせるよ
うに言った。「日本全国にパニックが広がる。あらゆる人間が、逃げだそうと車を動
かす。だが、当然道路は空前の渋滞だ。あらゆる空港に人間が殺到するだろうが、脱
出できる人間の数はわずかだ。しかも、後に残される人間が手を振って見送ると思う
かね?自分が死ぬならあいつらも一緒だ、となるに決まっている。飛行機は破壊され、
数百人が脱出できるチャンスが消えてしまうだろう。
しかもだ、そのことが海外に知れ渡った瞬間に、経済大国日本は息の根を止められ
てしまう。円は暴落し、同じ重さのトイレットペーパーほどの値打ちもなくなる。同
じ理由で海外に進出した企業は、残らず倒産するだろう。円が暴落し、日本の経済基
盤が消滅すればな」