#2612/3137 空中分解2
★タイトル (FJM ) 92/12/27 23:48 (195)
フォールアウト・シティ 6 リーベルG
★内容
6
定倉市は昔は漁港として、繁栄した町だった。もっとも、近海で漁獲量が激減し、
定倉原子力発電所が建設される5、6年前には、ほとんどの漁業が生活の糧を他に求
めなければならなくなっていた。原発の建設に大東電力よりも、市当局の方が熱心だ
ったのは、そういうわけがある。
原発が建設され、漁師達の生活が保証されると、漁港は完全にさびれてしまった。
市は、漁港から放棄された漁船を撤去し、公園を作り上げた。定倉市の歴史記念館や
原発の資料館などもあり、定倉市港公園と名付けられたが、市民の間では海岸公園で
通っている。当時、海岸公園が完成したとき、ぼくはすでに定倉市にいなかったが。
広い公園だった。大きな池を中心に、散歩道がのび、東屋がところどころに配置さ
れ、売店もある。4ヶ所に噴水が設置され、それを照らす色とりどりのライトが、夕
暮れの空に、水と光の幻想的なアラベスクを描いていた。若い恋人達は、肩を寄せ、
ベンチに座ったり、散歩したりしながら、他の何者も目に入らない様子で、恋を語り
合っている。
ぼくと美咲は手をつないで、ゆっくりと公園を歩いていた。柳瀬が来ているなら、
向こうから見つけてもらうつもりだった。幸い、それほど待つこともなかった。
「大江さん」かすれ声にぼくは振り返った。美咲をかばうように、背中に回すと、
昨日、ぼくにマッシュの手紙を渡したひょろ長い男が立っていた。
ぼくは何と言っていいのかわからず、相手を観察していた。憔悴した顔に、眼光だ
けが鋭い。
「一緒に来て下さい」柳瀬はそう言って、歩きだした。ぼくは美咲の手を握って、
後を追いかけながら、問いかけた。
「一体、どうなっているんだ?」
「話は後です。尾行されてないでしょうね?」
知るもんか、と言いかけたが、不意に柳瀬の冷静さに気恥ずかしくなり、
「大丈夫だと思う」と、だけ答えた。
柳瀬は頷いた。
「では、私が先に立って歩きますから、少し離れたついてきて下さい」そう言うと、
そのまま足を早めて、ぼくたちから離れた。
美咲は手を強く握りしめて、ぼくを見た。信用するの?と言っているようだった。
ぼくは、肩をすくめて答えてみせた。
柳瀬は、平凡な会社員が家路を急ぐために、公園を横切っているんだ、というよう
に、まっすぐ公園の出口から出て、海岸に降りる道を歩き始めた。それから、すぐに
右に曲がると、あるのかないのかわからないような道を慣れた様子で進み始めた。舗
装もされていないひどい道で、ぼくと美咲は後をついて行くのに苦労した。
しばらく進むと、海岸に打ち上げられて壊れたヨットが見えた。何かの事故で、そ
こに打ち上げられたまま、片づけられていないのだろう。定倉市の海岸は、波が荒く
て、海水浴には向かないから、放っておいても差し支えない。
柳瀬はそのヨットに着くと、錆の浮いた舷側をコンコンと叩いた。すると、甲板か
ら縄はしごが落ちてきた。
「登って下さい」柳瀬はそういうと、自分から登り始めた。ぼくは柳瀬が登りきっ
たのを確認して、縄はしごを掴んで身体を持ち上げた。
狭い甲板につくと、柳瀬が手を貸してくれた。そこには、もう一人、別の人間がい
た。すでに太陽が沈みかけているため、顔はよく見えなかったが、若い男だった。男
は美咲が甲板に上がるのを助けていた。
「こちらへどうぞ」柳瀬は、ぼくたちをキャビンに案内した。
予想通り、中は狭かった。床にルームランプが置かれていて、先客を浮かび上がら
せていた。厳しい顔をした男と、眼鏡をかけた年輩の女。ぼくたちが入っていくと、
女の方が口を開いた。
「大江さんですね。よく来て下さいました」
見覚えのある顔だった。記憶を探りながら、女の顔を見つめていると、美咲が声を
あげた。
「額田先生ですね。小児科の」
ぼくもようやく思い出した。額田医院の先生である。子供の頃、何かの病気でお世
話になったことがある。優しくて有能な医師である。
「いろいろ質問がおありかと思いますが」額田医師は、座るように合図しながら言
った。「まず、あなた方を巻き込んでしまったことをお許し下さい。でも、とても大
変な事態が迫っていて、あなたの助けが必要なんです」
ぼくは、美咲を座らせ、自分も腰を下ろした。ぼくたちを案内してきた柳瀬は、甲
板に戻り、さっきの若い男と小声で何か話している。
「一体、何がどうなっているんです?」ぼくは、柳瀬から答が得られなかった質問
を、額田医師にぶつけた。「マッシュが、ぼくの友達の高原と荒川が殺されたという
のは、本当なんですか?」
「本当です」額田医師は悲しそうに肯定した。「あの子は子供の頃、身体が弱くて
よく、私の病院に通ってきたものです。頭のいい子だったわ」
「誰が?」訊くのが恐ろしく、しかし訊かなくてはならない質問だった。
「そうですね。順を追って話しましょう。あなたの友達を殺したのが誰かが自然に
わかるでしょうから」
ぼくは、美咲と手をつないだまま、額田医師の言葉を待った。美咲の手は汗ばんで
いた。
「一番最初は子供達の健康状態でした」額田医師は静かに話し始めた。「乳児から
小学生までの子供達が、一斉に体調を崩して、来院してきたのです。どの子供も、発
熱、吐き気、下痢などの症状を呈していました。はじめは、インフルエンザだと思い
ましたが、それにしては数が多すぎました。そもそも、インフルエンザならば、少し
ずつ発病するもので、ある日突然に大量の患者が発生するようなことはありません。
そこで、私たちは当然、定倉原発を疑いました。先週の月曜日に事故が発生したば
かりです。その二日後に、子供達が体調を崩したのは偶然とは思われません。しかし、
大東電力はそれを否定しました。外部への放射能もれはなかったということです。事
実、市の各所に設置されているモニタリング・ポストは、異常な放射能値を計測して
いませんでした。
次の日、木曜日になると患者の数はさらに増えました。私は、総合病院に問い合わ
せて見ました。すると、同じ様な症状の患者が多く来院しているということでした。
患者の年齢、性別、健康状態などを、パソコンで分類してみると、おおよそ体力のな
い乳児、幼児が最も多く、次が老人でした。体力的に最も抵抗力が強いと思われる、
ティーンエイジと20代前半にはほとんど患者がいません。
再び、私は放射能症を疑いました。そこで、大学の研究室の知り合いに、精密な測
定器を借りてきて、患者の吐瀉物を計測してみると、放射能が検出されたのです。驚
いたことに、それは450ベクレル以上という高い値でした」
ぼくは、眠っていた記憶を掘り返した。日本が定めている、輸入食品の放射能値の
制限は370ベクレルである。心の底に恐怖がじわりと滲み出た。
額田医師は話を続けた。彼女と同僚は、放射能障害を前提に何人かの患者の検査を
行った。そして、それは正しかった。明らかに、子供達は放射能被爆による障害を受
けていたのである。
当然、この近辺で放射能の発生しそうなところといえば、ひとつしかない。額田医
師は保健所や市当局にこのことを連絡した。マスコミの発表によれば、月曜日の事故
による外部への放射能漏れはなかったとのことだが、それが事実に即していないので
はないか。
額田医師の報告は完全に黙殺された。市長は面会すらしようとはしなかった。保健
所は彼女を馬鹿にするような目で見るだけだった。驚き、かつ呆れかえって、微かな
恐怖を感じながら、病院に帰った額田医師は、さらに驚愕する事実に遭遇した。
「患者が全て退院させられていたのです」額田医師は白いものの混じった髪を振っ
て、怒りの声をあげた。「ナースによれば、市の衛生課の人間がやってきて、新型の
インフルエンザが流行しているので、総合病院でワクチン接種を行う、と告げて、全
員を退院させたのでした。
しかも、診察した患者のカルテが完全に持ち去られていました。コンピュータのデ
ータも破壊されていました。まるで初めから存在しなかったかのように」
「証拠を消したというわけですか?」ぼくはつぶやいた。「つまり、月曜日の事故
は、実際には外部への放射能漏れをともなう重大なものだったと?それを隠すために
マッシュを殺したと言うんですか?」
沈黙が支配した。美咲は、ほとんど息をするのを忘れたように、凝固していた。少
し前に戻ってきていた柳瀬は、凝縮された怒りの炎を瞳に宿していた。額田医師は沈
痛な表情を見せていた。まだ紹介されていない、もう一人の男は鋭い視線を宙の一点
に照射し続けていた。
「事故は月曜日の23時30分に発生し、火曜日の午前4時10分に終息しました。
少なくとも外部への発表はそうなっています」柳瀬がかすれ声で話し始めた。「私と
高原は火曜日の朝に、メインコントロールルームの当直にあたっていました。ところ
が、コントロールルームは立入禁止になっていました。
私たちは当然疑問を質しました。事故が終息したのなら、なぜコントロールルーム
に入れないのか、と。しかし、誰もその答を知っている人間はいませんでした。ただ、
社長命令でそうなっている、ということだけがわかりました」
「何故なんです?」ぼくは誰にともなく、問いかけた。答えてくれたのは額田医師
だった。
「明らかに事故の隠蔽です」力強く断じると、小さな拳を握りしめた。「原発の事
故は一度でも住民に被害をもたらしたら、おしまいです。大東電力は一夜にして破産
し、社長以下重役は裁判を受ける身となるでしょう。それを恐れて、実際の被害を隠
しているのです」
「私と高原は、秘かに調査を開始しました。当夜の管制員は全て、行方が知れませ
んでした。推測ですが、彼らは今なお、コントロールルームから出る事を許されてい
ないのです。食事を運び込み、ほとんど監禁に近い形で運転を強要されているのでし
ょう。彼らを外部と接触させれば、実際の事故が、発表のように2号炉のスクラム(
緊急停止)だけではなく、おそらく放射能を含んだ蒸気の噴出、1次冷却水の漏出と
いった重大なものであったことがわかってしまうからです。
当夜のコンピュータのジョブログは厳重に管理されていました。これは通常なら、
誰でも参照可能なデータです。また、発電所の所長以下の幹部は、外部との接触を最
小限に抑えて、所内にとどまっています。
それでも、何とかある程度の事実を掴み始めた矢先に、高原は死んでしまったので
す」無念そうな口調で柳瀬は吐き捨てた。
「市内のモニタリング・ポストは?」ぼくは唖然としながら訊いた。
「どうやら、こんな事態を予測して、以前から細工されていたようですね」額田医
師は静かに答えた。「注意して見てみると、市中のモニタリング・ポストはどれも同
じ値を指しています。場所によって、当然計測値は異なるはずなのに」
「でも、でも」ぼくは言葉を探した。「いくら何でも、永久に隠し通せる筈がない
でしょう?隠しておいて、後で発覚した方が罪は大きいのじゃありませんか?」
「それほど、先のことが見えるのならば、そもそも電力会社は原発なんか建設しな
かったでしょうよ」柳瀬は今にも唾を吐きそうだった。「私だって、初めは原子力も、
日本の技術力も信じてましたよ。大学で理論だけやってたときはですけどね。
だけど、実際の設計や建設ときたらいいかげんなものですよ。電力会社も企業だか
ら、何よりも利益が優先するんです。通産省と原子力安全委員会の審査基準をギリギ
リ満たす、粗悪な材料を使ってコストを浮かす。設計と、実際の構造との比較もろく
に行わない。地盤や地質の調査もいいかげん。おまけに、稼動率をあげることばかり
考えていて、無謀な出力調整実験を繰り返し、連続運転を続ける。200本以上の細
管の半分は亀裂が入っているのに、交換もせずに亀裂を塞いでそのまま運転する。事
故がおきない方が不思議だってことを、一番トップの人間がわかってないんです」
「でも」小さな声で、はじめて美咲が発言した。全員がただ一人の若い女性を注視
した。「それは日本のエネルギー政策が、原子力推進になっているから仕方がないん
じゃないかしら?」
「それがそもそも間違っているんですよ」柳瀬は侮蔑の視線を美咲に向けた。ぼく
は条件反射的にムッとしたが、柳瀬は意に介さず続けた。
「大体、人類は核廃棄物の問題さえ解決していないのですよ。プルトニウム239
の半減期がどれくらいか知ってますか?2万5000年ですよ!実際に、安全になる
のはその10倍の年月が必要なんです。今、世界中でそんなに危険な廃棄物がどれほ
ど大量に存在するかを知ったら、決して安らかには眠れないでしょうよ。幾つかある
再処理工場のたったひとつに、重大事故が発生すれば、あらゆる生命が数週間で死滅
すると言われているんですよ!あなたはそれを知っていましたか?」
「柳瀬さん」額田医師が穏やかに柳瀬を制した。「今はそんな議論をしているとき
ではありませんよ」
柳瀬は口を開きかけたが、ぼくの剣呑な視線を捉えた途端、閉じた。しかし、怒り
がおさまった様子ではなく、沸騰寸前のヤカンのような顔で黙り込んだ。美咲は、頬
を紅潮させていたが、反論しようとはしなかった。
「あなたと柳瀬さんとはどうして?」ぼくは、その場を取り繕おうと質問した。
「夜中にこっそり、モニタリング・ポストを調べに行って、出会ったのです」額田
医師は短く笑った。
「なるほど」ぼくは少し考えたが、別の疑問が浮かんだのでそれを口にした。「市
当局もこれに一枚噛んでいるんでしょうね」
「当然、そう考えざるを得ないでしょうね」額田医師は難しい顔をした。「もちろ
ん、全市民がこれに関わっていて、秘密を守っているなどということはありませんが、
市長と幹部、議員の何人かは明らかに、本来なら告発されるリストに載っているでし
ょう。定倉市は原発が唯一の経済基盤であるといってもいいでしょうし、市長は熱心
な原発推進派ですからね。しかも、偶然にも事故の夜、市長たちは東京へ出張してい
て、放射能の被害を受けていないのです」
「それにしたって、いつまでも隠し通せるわけがないじゃありませんか」ぼくは先
ほどの疑問を再び投げかけた。額田医師はうなずいた。
「そう、私たちもその点が不思議なのです。いずれ、外部にもれることだけは間違
いありません。放射能は定倉市以外でも、確実に検出されているはずです。大学の研
究室、反原発団体などで。それらから、問い合わせが続けば、それほど保ちはしない
でしょう。
これは私の印象にすぎないのですが、電力会社の社長、市長その他、とにかく黒幕
たちは何かを待っているのではないでしょうか。敵地で孤立した部隊が、援軍を待つ
ように、ある時点まで持ちこたえることができれば、後は何とかなると」
「それは何です?」
額田医師は首を振った。
「わかりません」