#2611/3137 空中分解2
★タイトル (FJM ) 92/12/27 22:55 (192)
フォールアウト・シティ 5 リーベルG
★内容
5
「どうしたのよ、その顔は!?」美咲はぼくを見るなり、悲鳴をあげた。ぼくは、
洗面所に行って鏡を見た。なるほど左の頬が、真っ赤に腫れ上がっている。
「一体、何があったの?」美咲はタオルでアイスノンを包んで、ぼくの頬にあてな
がら訊いた。ぼくはためらったが、結局、あったことを話した。ただし、あの爬虫類
のような男が、美咲にするといったことは省略したが。
「ヤクザが?」美咲は心底、驚いたようだった。
「まあ、ヤクザかどうかしらんが、まともな人間じゃないことは確かだな」
「それで、どうするの?」美咲は心配そうに、ぼくの目を見つめた。
「どうしようもないさ」ぼくは肩をすくめた。「マッシュの忠告に従うしかないだ
ろうな」
「うん」美咲はほっとしたようにうなずいた。「それがいいわ。警察に訴える?」
「訴えたって、どうしようもない」ぼくは、ほとんど投げやりになって言った。「
いくら暴力団新法があったって、こわいしな」
「そうね、ヤクザなんかに関わり合いにならない方がいいわね」美咲は立ち上がっ
た。「スパゲッティ作ったんだけど、食べれる?」
「努力してみるよ」あまり食欲はなかったが、そう答えた。美咲は嬉しそうにキッ
チンに消えた。
ぼくが、柳瀬に関心を示しているのを知っていたのは、美咲を除けば、あの高見沢
という男と、受付嬢だけだ。どう考えても、高見沢がぼくを脅させたに決まっている。
柳瀬に会われては困る事があるのだろう。それは一体、何なのだろう?
もっとも、興味はあるが、それを追求する意欲はというと、あまり残っていないと
いうのが本音である。あのヤクザに2度と会いたくない。
柔らかな電話のベルに、ぼくの考えは中断させられた。
美咲は戻ってきて、コードレスホンを取り上げた。
「はい、須賀沼です…えっ…はい、いますが…」美咲は奇妙な顔でぼくを見た。「
お待ち下さい。代わります」
コードレスホンが差し出された。
「あなたによ」美咲は驚きと怒りを顔に浮かべていた。「柳瀬という男の人から」
美咲に負けないくらい驚きながら、受話器を受け取った。
「もしもし」
『やあ、どうも』かすれ声が聞こえた。『柳瀬です。昨日は失礼』
「あんた、今どこにいるんだ?」ぼくは怒りを隠しきれなかった。「あんたのおか
げで…」
『知ってます』柳瀬はぼくを遮った。『申し訳ないことをしましたね』
「何の用です?」ぼくは訊いた。美咲はぼくをじっと見守っている。
『話がしたいんです』
「悪いけど…」
『大事な話なんです』またもや柳瀬はぼくを遮った。『高原と荒川さんのことです。
知りたいでしょ?』
「あのね」ぼくは柳瀬を怒鳴りつけたくなった。美咲が心配そうに見ていなかった
ら、本当にそうしたかもしれない。
『わかってます。わかってます』柳瀬はぼくをなだめた。『あなたが暴力を恐れる
気持ちは。誰だってそうですもんね。でもあなたのお友達のことで知りたい事がある
んじゃないですか?』
「そりゃあ、あるが…」
『だったら、会って話しませんか?』
「しかし…」ぼくのためらいは、むろん美咲のことだ。
『須賀沼さんのことが心配でしたら、今日だけでも定倉市を離れていただいたらど
うです?』柳瀬はぼくの心を読んだように言った。
「これが何かの罠でないという証拠は?」ぼくは、決断を遅らせる目的でそう訊い
た。
『罠!?』柳瀬はかすれ声で笑った。『あなたを罠にかけて、何の得があるという
のです?』
「じゃあ、何が望みなんだ?」
『別に何も。あなたに真実を知ってもらいたいんですよ』
「真実?」真実?何の真実だろう?「何の?」
『電話で話せるようなことではありません』柳瀬は少し咳きこみながら言った。『
さあ、どうします?』
「わかったよ。会おうじゃないか」そう言った途端、美咲が息を呑んだ。「場所と
時間は?」
電話回線の向こう側で、柳瀬がニヤリと笑ったのが手に取るようにわかった。悪質
なキャッチセールスにでも引っかかったような気分だ。
『4時に図書館で。人の多いところの方が安心でしょう。百科事典の棚の前で』
「わかった」
『ではまた後で』柳瀬は電話を切った。
「何だって?」待ちかねたように美咲が訊いた。ぼくは今の会話を美咲に話して、
付け加えた。
「さっきのヤクザが美咲にも危害を加えるかも知れない。だから、すまないけど、
電車で市外に出て、安全なホテルにでも泊まってくれないか」
美咲はそれには答えず、別のことを訊いた。
「ねえ、本当に行くの?」か細い声が震えていた。「もう、関わり合いにならない
っていったじゃないの」
「会って、話しを聞くだけだよ」ぼくは美咲の肩に手をかけた。「大丈夫だ。心配
するなよ」
「じゃあ、わたしも行くわ」美咲は、ぼくの顔をまっすぐ見つめた。吸い込まれる
ような黒い瞳に、決意が浮かんでいる。
「だ、だめだ」ぼくは少し慌てて美咲を制止した。だが、美咲は頑固に主張した。
「マッシュと香苗は、わたしたちの親友だったのよ。靖弘だけにまかせてはおけな
いじゃない」
「ぼくはそんなに頼りにならないか?」無意識のうちに嫌みが混じったかもしれな
い。美咲は少し顔を赤らめた。
「そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、市外に出てくれ」
「駄目よ。何と言われようと一緒に行くからね」
しばらく、ぼくらは不毛な言い争いを続けた。結局、ぼくは美咲を連れて行くこと
を承知しなければならなかった。昔から美咲という女は、妙に頑固なところがある。
柳瀬も、特に一人で来いとは言わなかった。
「よし、決まりね。じゃあ、遅くなったけどお昼ごはんにしましょう」美咲は楽し
そうに、歌を口ずさみながらキッチンに消えた。
定倉市立図書館は、公会堂の隣にある。10年前と同じなのは場所だけで、中身は
大きく変わっていた。コンピュータ検索システムや、文献複写サービスなど最新の設
備が整っている。
「定倉市って金持ちなんだな」ぼくは美咲に囁いた。
「まあね。原発が町にお金を落としてくれるから」
百科事典の棚は奥にあった。ここの書棚はちょっとしたもので、公辞苑からはじま
って、古語、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、朝鮮語、中国語などの辞書、
同じく各国語の百科事典がずらりと並んでいた。
ぼくは時計を見た。いつのまにか、4時を回っている。美咲も同時に、自分の腕に
目を走らせ、ぼくの顔を見た。
「4時になったわね」
ぼくが、返事をしようと思ったとき、学生アルバイトらしい女の子の図書館員が、
足音をたてないように静かに歩いてきて、ぼくに囁きかけた。
「大江さんですか?」
「そうです」ぼくがうなずくと、女の子は右手に持っていたコードレスホンの受話
器を、ぼくに差し出した。
「お電話です。終わったらカウンターに返して下さい。それから、大きな声を出さ
ないでくださいね」
そう言いおいて、女の子は猫のように貸出カウンターに戻って行った。ぼくは、首
をかしげながら、隅の方に行くと、受話器に話しかけた。
「もしもし?」
『大江さん!』予想通り、柳瀬の声だった。とても慌てているようである。『緊急
事態です!』
「何が?」ぼくは、わけがわからず訊き返した。
『すぐにそこから出て下さい!』受話器のスピーカーが破壊されそうな音声で、柳
瀬は怒鳴った。ぼくは、思わず受話器を耳から遠ざけた。
「どうして?」
『あなたを脅した連中がそこに行った』
ぼくは心臓が跳ね上がるのを感じた。数時間前の恐怖が甦ってきた。
「なんだと!どうして…」無意識のうちに声が高くなっていた。読書をしている市
民の非難の視線が集まった。ぼくは、美咲にそでを引かれて、声を落とした。
「どうして、あんたと会う事を知ってるんだ?」ぼくは、柳瀬に質問を投げつけた。
「どうして、ここがわかったんだ?あんたはどうして、それが分かったんだ!?」
『そんな話しをしている暇はないんです。さっさとそこを出てください。海岸公園
で会いましょう。いいですね』
電話は唐突に切れた。美咲は大きな瞳に、恐怖を浮かべていた。
「何だかわからん。どうしよう」ぼくは、美咲に相談した。当然のことだが、ぼく
にはよく事態が理解できていなかった。相手がヤクザなら、人目の多い方がいいので
はないだろうか。大勢の市民の前で、ぼくや美咲に乱暴を働くわけには行かないだろ
う。だが、美咲は強い力でぼくの腕を掴んだ。
「すぐに出ましょうよ」
美咲は過大な恐怖を抱いているようだ。ぼくは自分の考えを説明して、美咲を安心
させようとした。だが、次の瞬間、自分がいかに甘かったかを思い知らされる羽目に
なった。
突然、入り口で大きな音が響いた。図書館では決して鳴らないような音だった。続
いて、女性の高い悲鳴が上がった。振り向くと、靴音も高く何人かの男達が入ってく
るところだった。先頭にいるのは、サングラスをかけた、あの男だった。
美咲がぼくの手を掴んで、反対側の非常口に走りだした。同時に、男達もぼくたち
に気付いた。
「いたぞ!」そいつは叫んで、机や椅子をはねとばして向かってきた。子供の悲鳴
と泣き声が響き、ガラスの割れる音が聞こえた。
美咲は機敏な動作で、非常ドアを開けると、階段を降り始めた。
「早く!」
読書室が2階だったのが幸いした。ぼくたちはすぐに、駐車場に向かって走り始め
た。振り向くと、サングラスを先頭に、4、5人のごつい男達が、何かわめき散らし
ながら、階段を転がるように降りていた。
ぼくと美咲は懸命に走った。ようやく駐車場にたどりつくと、美咲はポケットを探
って、キーを取り出した。映画などでは、こんなとき、なかなかキーを見つからずに
あせるものだ。
美咲がキーを差し込んだ時、車の陰から男が一人、ぼくに向かって飛びかかってき
た。隠れていたらしい。ぼくは、自分自身を賞賛してやりたいほどの、反射神経で男
を殴りつけた。右手に受話器を握ったままだったと気付いたのは、それが男の顔面で
バラバラになってからだった。
男はアスファルトの上に転がった。美咲はその隙に、ドアを開け、エンジンをかけ
ていた。
「靖弘!早く乗って!」
ぼくは、立ち上がりかけた男を無視して、助手席に転がりこんた。ドアを閉め切ら
ないうちに、美咲はタイヤを鳴かせながら、シビックを急発進させた。後ろを振り返
ると、手が届きそうなところに、ヤクザ達が追ってきていた。先頭の男が手を伸ばし
たが、きわどいところでシビックには届かなかった。
「どうなってるんだ、一体!」ぼくはわめいた。「ぼくが何をしたっていうんだ」
美咲は鋭くハンドルを切って、駐車場を飛び出した。反対車線にはみ出しながら、
スピードを上げて、ヤクザを置き去りにした。ようやく、口を開いたのは、赤信号を
無視して、クラクションの怒声を浴びながら、幾つかの交差点を適当に曲がった後だ
った。
「どうする?警察に行く?」美咲も少なからず途方に暮れているようだった。
ぼくは少し考えて言った。
「先に、海岸公園に行こう」美咲は驚いたようにぼくの顔を見た。「柳瀬に会って
何がどうなっているのか訊きたいんだ」
「ねえ」美咲は、常になく弱々しい響きを声ににじませた。「もう、やめにして定
倉市をでましょうよ。後は警察にまかせて」
「警察に何を話すって言うんだ?」ぼくは声を荒げた。「ごめん。でも、あの手紙
くらいじゃ証拠にもなりゃしない。誰がマッシュを殺したのか、手がかりくらいはつ
かまないと」
「その前に殺されるわよ」美咲はあてもなく、車を走らせながら嘆いた。
「ぼくを公園で降ろしたら、市を出てくれ」ぼくは考えながら言った。「東京のぼ
くのアパートに…いや、まずいな。どこかのホテルに泊まって連絡を待ってくれ」
「靖弘はマッシュと香苗が殺されたと信じているのね」美咲はあきらめたように、
海岸公園に続く道へ曲がった。
「美咲は信じてないのか?」ぼくは逆に訊いた。
「そうね、半信半疑ね」
「柳瀬に会えば、少しは事情がはっきりするんじゃないかな」
美咲は何かを決意した光を瞳にきらめかせた。
「わかったわ、わたしも行くわ」
「危険だぞ。逃げた方がいい」そういいながら、ぼくは心が躍るのを感じていた。
美咲にそばにいてほしかったのだ。
「大丈夫よ。いざというとき、二人ならば逃げるにしても、選択肢が増えるわ」
「よし、じゃあ、ぼくに何かあったら、逃げ出して警察に駆け込んでくれ」
美咲は暗い笑みを浮かべた。