AWC 海に咲く花 (下)    瑞城翔冴


        
#2445/3137 空中分解2
★タイトル (GKG     )  92/12/ 8   1:19  (138)
海に咲く花 (下)    瑞城翔冴
★内容

 小一時間もそうしていたような気がする。
「この海の彼方に、月がいるのだな……」
強くなる風の中、少女は一言だけつぶやいた。そして、天より顔を背ける。首を傾げ、
肩に僅かな力が加わる。
 群青から青紫に染め変えられていく空気。髪に触れる度に、息を交える度に、色を
失っていく大気。
 遥か水面を見つめる背。星を見て、海に望んで。そして、その先を見ている。その
姿は咲き乱れる水仙の一本。風に揺られ震えても、静かに香気を放つ。
 彼の視界の中で、細い肩が震えていた。肩を髪を風が触れては去っていく。吐息を
波が受け止める。打ち寄せる波頭のリズムが鼓動と重なる。
 声はない。海に抱き止められる彼女の言葉。
 海に降り積もる思惟の破片。
「そのさ、御前の探し人って、どんな奴だ?」
 根掘り葉掘り聞いてみたくなったのは、背を覆った髪の震えの為なのか。それとも
握り締めた拳のせいだったのか。それは良く判らない。

 『ラーフ』と彼女は呼んだ。あのとき、そう言って彼に飛びついた。無理やり頭を
抱え込むように飛びついてきた。彼の長い絶叫が終った後、不思議そうに堅い胸板を
叩き、指が顔に触れた。そして言った。『御前は誰か』と。――泣きそうな声で。

「そうだな。似てもいない御前とラーフを見まごうなど、我は情けなさすぎる……」
 少女は笑ったようだった。微苦笑とも愁いともとれる笑みは、風に吹き流された髪
で隠され、よく見えないままだったが。
 長い髪をかきあげて天を仰ぐ。身を凍らせる冷気は、その身を縁どる青銀の微粒子。
僅かでも動く度に、硬化した大気が砕けて散っていく。
「ラーフは我の半身、我等が王。天地を駆け、裏切った日輪と月環に呪いを掛ける。
恨みと憎しみだけで永遠を、昼と夜を渡る我の頭。憎悪は我にも響いて胸が痛い……」
聞いているのが辛くなるような声。嘆きが風で撒き散らされて海に届く。
「我はずっとラーフを探した。日輪を、月環を追い、輝きを食らうあれを追った。い
や、天に輝く月や日が、我を導く道標。ラーフを我を、更なる闇へ誘う道標」
……天を馳せる軌跡。
  突如、数を増す流れ星。
「眼も耳も無い我でも、この憎しみだけは胸に届く。我はラーフとめぐり合いたい。
半身と逢って、この恐怖を払いたい……」
「……はあ?」
 全然意味が判らない。
 喋り続けるうちに彼女の躯は小刻みに震え、拳は更に強く握り締められて青白い皮
膚が一層血の気を失う。只、彼女を囲む空気の色だけが少しづつ透明度を増す……話
せば話すだけ、言葉は深い処へと落ちていくように。
「聞こえるか。我が、半身たるものよ……」
そして突然、細い身体はは前方にぐらりと傾いた。
「おい、危ない?!」
 海に流れる光の滝。慌てて差し延べた手は髪に打たれ、彼は反射的に身を引いた。
 突き刺さるような冷たさ。冷気に哀しみを織り交ぜた空気が、彼の身を打つ。
 水面を覗き込む花の化身。髪に、衣に泡立った海のしぶきが飛ぶ。
 闇を抱き、岩にぶつかる波頭。海は泡立ち、水煙が立ち昇る。彼女が望む水面の影
は波に乱され見る事叶わず。少女は尚も、つかれた様に喋り続ける。
 その言葉は、流せない雫の代わりなのかもしれない。
「我はこんなにも探したのだ。幾千の夜と同じだけの昼を、探したのだ。なのに何時
も、我の手はあれを掴めない。月は欠け、日はかげり、我とあれは会う事叶わず……
我は、我等は何時会える? 何時巡り合える? 我の時間はそなたとは違う。我には
限りが有るのだぞ……」
 言葉に置き換えた分だけ、思いは形を変えていくのだろうか。
「我一人では眠れぬ。眠らせてくれ、ラーフ……」
 漣が広がる。
  深く暗く、光の届かぬ海の極み。生者の存在し得ない水の底。
  ここより生まれい出たもの、総てはここへ帰る。
  魂も、思惟も感情も。総てはこの母の鼓動に抱かれて。
   ここは……源母の、胎内。
 黄昏色の感情。水底からの漣が広がり、彼を絡め取る。
  心の中に湧き出たもの。これは、彼女の哀しみだろうか?
 目頭が僅かに暖かくなった。訳もなく眦ににじむそれの存在に彼は慌てた。少女の
姿を正視出来ず、視線が海を天を彷徨う。
「あの、その……流れた!!」
……幾つもの星が、天上より流れ落つる。
  流星雨。
  天の極みより、四方へ飛び散る光の破片。
  天蓋を横切る白い軌跡。
「あのさ、星が流れている内に三回願い事を唱えられたら、その願いは叶うって言う
ぜ。……試してみるか?」
  暁を控えて、闇は端からその領域を白く霞ませる。
  大地が走る。暁に向って、空は幾つもの破星を捕まえる。
    燃え尽きる為に、輝ける為に。
 細い背がびくりと硬直する。とても恐ろしい事を聞いた時のような、青ざめた静寂。
 只、沈黙を埋める為だけに、喋り続ける彼。
「流れる時間も短いからさ、願い事もこう短く……『かねかねかね』とか『めしめし
めし』とか……これじゃ、締め殺すのを願ってるみたいだな……御前だったら『あの
人に逢いたい』の三回リピートってとこだが、ちょっと長すぎるな。『逢いたい逢い
たい逢いたい』ではまだ長い。『あうあうあう』……オットセイの泣き声みたいになっ
ちまった」
 意味のない言葉を口にして。彼はそっと海に目を向ける。
 遼遠の時空まで続く水面。消えない波動を伝える粒子。言葉を嘆きを受け止めて、
彼方へ運ぶ白い波頭。
 言葉に出した感情は海が重みを分け合ってくれる筈、と信じたい。
 背を向けて、彼女は小さく笑った。肩を、全身を震わせる笑い。
「……流星が、願いを聞いてくれる、というのか?」
「そういう言い伝えも有る、ってこと。夜明け前が、最も多く星が降る時間だからな。
幾らでも試せるチャンスだぞ」
 星に声が届かなくとも、海は感情を拾ってくれよう。
 全ての源である、全ての帰着点である、海というもの。
「一つ、やってみろよ。その、逢いたい人に巡り会うように」
 笑うだけの力。笑う為の力。笑い果てぬならば、きっと進んでいける。
 少女はゆっくり笑うのを止める。彼を見ることはなく、ぽつりとつぶやいた言葉は
風音に紛れて海に積もる。
 繰り返される子守歌。かの歌は嘆きに眠れぬ魔性の為に。
「我の涙に願を掛ける……総ては巡り回る螺旋の糸か」
彼女は立ち上がる。握り締めた拳を開き、胸を張って立ち上がる。
 空が白む。背後の山が海に影をのばす。
 闇が水平線の向こうに落ちていく。
「夜が、明ける……」
……最後の流星が、天を横切って闇に消えた……
「デーヴァが我等を偽ったのが、ラーフが憎悪するのが、我が彷徨うのが、時に織り
成す糸であるならば……」
 紅い唇の端が僅かに持ち上がったのを見た、そう思った。
「我はラーフを求めねば。我が、半身を」
風が彼女の髪を乱した。純白の糸が舞い、空へ伸びる……
少女は振り向いた。細い肩が確かにこちらを向いた。
 閃光が、彼の瞳を灼いた。
「御前……?!」
 彼が瞬きする。
――な・ぜ?
 緩慢な疑問。
――何故、気付かなかった?
最初の絶叫、抱き続けた疑問符、その理由。それがここにある
 髪と思うたのは、その身に絡ます光の尾(テイル)
 首から、切口から滴る、紅の雫。
 そう、 その人形(ヒトガタ)には、首がなかった。
彼は、叫んだ。そうしているのも判らぬ程、叫び続けた。



 冬の曙、季節外れの幽霊談。
 あれは夢か、幻か。それとも哀れな流浪の民か。



        ラーフ  アスラ   デーヴァ     ア ム リ タ
  ラーフ……羅喉星。魔物の王。神と呼応して海を撹拌し、不死の妙薬を得る。神
 と魔はその所有を争い、魔は退けらるる。ラーフは一人神の列に紛れ、妙薬を口に
 する。日輪と月環がそれを捉えて神に告げる。神は羅喉星の首を切り落とす。喉に
 達した妙薬が羅喉星を死なせない。ラーフの首は日月を憎む。日月を追い回し、喰
 らいつく……
  首無き身体は首を探す。盲滅法に天地を駆ける。嘆きの尾を引く。流す涙は天を
 走る。その名を計都星、天に尾を引く彗星(ハハキボシ)……


〔END〕19921207




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