AWC 「月面」(1)  久作


        
#2369/3137 空中分解2
★タイトル (ZBF     )  92/11/20   0:54  (156)
「月面」(1)  久作
★内容

床は青いリノリュウム
ワックスをかけたばかりなのか
大理石を模した表面は夕陽を
ギラギラと投げ返している
目が痛い
視線を移すと そこには まだ空は明るいというのに
薄っぺらい月が間抜けな顔を見せている
月齢は16くらい 少し欠けている
ギュッ ギュッ ギュッ
ゴム底の靴の音がする
ゆっくりとしているが 耳につく
心臓の鼓動と音が重なった

ニゲナケレバナラナイ   頭の中で誰かが呟く

音は徐々に近付いてくる
持ち上げかけた左脚が躊躇する

ナゼ

次の瞬間 右脚は一歩先を進んでいた

シツモンハ アトダ コタエハ スデニ アル

走った 鼓動が早くなる
耳障りなゴム底の音も間隔が短くなり
後ろを付いてくる
確かに 追われていた
階段を五段飛ばしに駆け上がる
カツーン カツーン カツーン
間延びした革底の音が響き 踊り場にこだまする
一階分ほど遅れて
間隔の短いゴム底の音がする
さっきより 音は遠くなったようだ
ギュギュギュギュギュ
律儀に一段ずつ昇っているらしい
思わず頬が緩む

息があがってきた 喉が乾く 行く手に長方形の闇が口を開けている
屋上だ あそこまで行けば 行けば なんとかなる
理由もなく そう感じた

出口を転がり出た
スレイト・ブルーの空
夕陽は 遠くに見える水平線の一部を
濁ったオレンジ色に染めているだけだ

コンクリートの窪みに足を取られ 躓いた
とっさに出した肘が ザラザラの床に抉られる
痛みを感じた その時
再びゴム底の音が耳に付いた
すぐそこまで来ている
最後の踊り場を回ったようだ
ゴム底の音は すでに走っていない
落ち着き払って ゆっくりと昇ってくる
屋上に逃げ場がないのを知っているようだ
もう どうでも よくなった
転倒したまま 手足を伸べて ゴム底の音を待った
ゴム底の音と共に喘ぐ声が聞こえる

胸に柔らかい重みを感じる
ハッとして目を開け 見上げる
髪の長い色白の少女が馬乗りになっている
青白く照らされた肌は
うっすら汗ばんでいる
頭を持ち上げ足元を見ると
リーボックのスニーカーを履いている

少女は顎をしゃくり
荒い息遣いのまま見下ろしている
長いまつ毛が目についた
濡れている
長く白い両手の指が半円弧を象って
胸元を這い上がってくる
喉を柔らかく絞めつける

ナゼ オッテ キタ

   アナタガ ニゲタカラ

こめかみがガンガンしてきた
息はできない

ナゼ オレヲ コロス

絞り出した声はかすれ 自分でもよく聞き取れない
少女は無言のまま 猫のように背を反らし 喉を絞めつけ続けている
もう胸は波打ってはいない
陶然と遠くの空を見上げている

上目遣いに視線を追った
いつの間にか月は昇り
銀色に輝いている
少女は呟いた

   ア ウサギ

月の輪郭が溶けだし 滲んできた
アア オレハ アソコニ イクノダ
そう思った途端
力が抜け 体が軽くなったような気がした
月は広がり 視界全体が白くなった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

眠りから覚めると 月に着いていた
「妙な夢でも見とったんか ウナサレとったで」
隣の席で友人のMが文庫本を鞄に仕舞いながら声をかけてきた
「え ほおやったか・・・ もお着いたんか あっという間やな」
「ほおよ たったの4時間 ガキの頃やったら
 宇和島から高松までしか行けん時間やったのに すごいもんよ」
Mと私は月の日本人学校の教師として赴任してきた
地元の教員採用試験で「D採用」だった二人には
それでも オンの字だった
月は5年前から地球の植民地になっている

手続きを済ませ宿舎で荷物を整理していると
Mが遊びに来た
どこからクスネて来たか1升瓶をブラ下げている
「よお ツマミあるか」
「一ノ蔵か どしたんで それ」
「ん 1本だけ隠して持ってきたんよ」
「ええんか 禁止されとるのに まがりなりにも 教師なんやぞ」
「まがりくねっとらい 初手から月勤務なんかいうんは・・・」
「ツマミ これでエエか」
「ん じゃこ天けぇ 上等よ」

「学校 どうなんじゃろのお」
「ん 何が」Mが答えた 顔が赤くなっている
「いや 新興住宅地の学校って荒れるやろ」
「ん?」Mは あぶったじゃこ天をハフハフかじっている
「いや ここの学校 どうなんやろ 不良とか・・・」
「何 言よんで 不良が怖あて教師が出来るかぁ
 任せや セイガクより不良歴は こっちの方が長いんや」Mはコップをあおる
そういえば そうだ
俺はともかく 中学から札付きだったMが
教師になったこと自体不思議だった
俺に付き合う とか言って大学にも来たし 採用試験も受けた
イイ加減なのか どうなのか 15年の付き合いなのに よく解らない男だ
「ほやけど 心配いらんのちゃう」Mの目は すでに据わっている
「なんで」
「やって ここに来とる連中いうんは ワシらみたいな例外はおるけど
 だいたいエリートやん 技師じゃの科学者じゃの官僚じゃの
 ほおゆう奴らの子供は やっぱり お嬢さま お坊ちゃま に決まっとろげ」
「ほれも ほおやな」
「心配ない 心配ない ほんなガイな奴 おりゃあせん」
Mの言葉に不安が少し晴れた
いつの間にか酒にあまり強くないMは横になって動かなくなっていた
眠ってしまったらしい
月の居住区では人間の一番快適な環境が整えられている
月の植民地が常春と言われる所以だ
しかし なんとなく 眠りこけているMには毛布をかけてやった
ベッドに寝転がると 酒のセイか すぐに意識を失った

(続く)




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