#2364/3137 空中分解2
★タイトル (UCB ) 92/11/17 21:37 ( 52)
随筆>ひよこ おうざき
★内容
小学校中学年あたりでの事だが、ひよこが生まれる瞬間を目にした。
農家の子でもなかった私がこの幸運にめぐまれた事のそもそもの理由は、父の
鳥好きにあったのだが、発端はというと私にあった。物心つくかつかぬかの頃に、
縁日で売っていたひよこを、父にねだったのだった。四百円のひよこを、私に一
羽、弟に一羽。当時の私には、この金額にどれほどの価値があったのか、理解で
きなかった。国鉄の最低区間の運賃が、大人三十円の時代だった。
ところが、私と弟は、買って帰って数時間で、ひよこと遊ぶのににあきてしま
った。子供の頃の事であるから、勘弁してほしい。
はっきり言って、私とひよこの物語は、ここで一旦終わりである。
ところが、父にとってはそうではなかったらしい。若い頃に小鳥を飼っていた
時の記憶が、ひよこで呼び覚まされてしまった。
後年、押し入れを探検した時、建築関係の難しい本(父は大工だ)に混じって、
「小鳥の飼い方」などの類の本を見つけたものだった。青赤黄色と、信号機のよ
うにカラフルな体を持つ小鳥の写真は、カラーテレビなど知らない当時の私の目
をおおいに楽しませてくれた。
父は仕事の腕を生かして、いつの間にか鳥小屋を作り、ひよこを飼い始めた。
しばらくして、家に白色レグホンが二羽いるのに気付いたが、それが実は、縁日
で買ったひよこの成長した姿だった。
それがかわきりだった。トリ好きはどこにでもいるらしく、「日本鶏の会」と
か何とかいうものがあって、そこに入会した父は、知り合った人とニワトリを交
換したり、もらって帰ったりして、鶏の数と種類は日を追うごとに増えていき、
チャボから闘鶏用の元気のいい奴まで、最大時で二十羽にまで膨れ上がった。我
が家の土地の一角を占めていたニワトリ小屋は、いつしか「ニワトリの要塞」と
化していた。
その頃には、我が家は卵に不自由する事がなくなっていたのは言うまでもない。
ある冬の事、父が「この卵は、もうすぐ生まれる」と言って、一個の卵を、ニ
ワトリ小屋から持って帰ってきた。
私たちは、タオルの上にその卵をそっと置いて、こたつの中に入れた。待つこ
と数十分、殻の一角がパキリと音をたてて割れ、くちばしが顔をのぞかせた。相
当な時間をかけて、ひよこは卵を割り、その姿をあらわした。赤い血に湿ってさ
さくれだった羽毛、まだ目は開かず、ぶるぶると派手に震えていた。私たちは、
生命の誕生の瞬間に圧倒されて、声もなくそれに見入っていた。
せっかく生まれた命だったが、このひよこは、翌日には死んでしまった。
げんなりとしたそのひよこで、私たちは「ぴよぴよ」などとやって遊んでいた
が、しばらくしてそれにも飽きて、お墓を作って埋めてやった。
その後も、ニワトリに自分の手から菜っ葉を食べさせたり、ニワトリの「砂浴
び」を観察する事ができたりで、楽しくも貴重な日々を送っていた。よい卵をと
る為にと、父がサザエの殻を焼いて砕き、餌に混ぜ込んでいるのを興味深く見物
したりもした。
しかし、田舎とはいえ住宅地である。そのうち、近所から、鳴き声がうるさい
とか、臭いがひどいとかの苦情が上がってきたため、「要塞」は山の上のブドウ
畑に移動した。今では父が昔ほど元気でなくなってきたせいもあって、「要塞」
も縮小されて本来のニワトリ小屋に姿を戻し、数羽にまで減ったニワトリは、ブ
ドウ畑の中で、半ば放し飼いにされている。不思議と逃げない。
帰省した時など、よくニワトリを見に行く。人を見ると、餌をくれると思うの
か、寄ってくる(雑草を食べさせる目的で、あまり餌をやっていないのだ)。そ
の中には、かつて私がねだって父に買わせたひよこの何十代目だかが、いるはず
である。
<おわり>