#2346/3137 空中分解2
★タイトル (NZH ) 92/11/ 8 10:41 (128)
<彼女> RUI
★内容
紅葉が美しく巡る秋。
木の葉が舞い落ちている朝の並木道をゆっくりと、俺は歩いていた。
秋になって、朝も大分、寒くなってきている。
吐く息が白い渦を巻いて、ダンスを踊り、朝の霧の中に紛れた。
空は青く輝き、まぶしい日差しが木の影から差し込んでくる。
その中で、通りを忙しそうに、早足で行き交う人たち。
……俺は、朝の早い並木道を見回していた。
行き交う人は、サラリーマンやOLたちだったが、そんな一陣の中に一人だけ、
全く異質な雰囲気を持っている女性がいた。
他の通行人は、誰一人として関心を持たないが。
髪は長く、若草色のスーツを着て、まだまだ若い。
少しうつむき加減にして、手をちゃんと前に揃え、控え目に立っている。
何か広告を配ろうという感じには見えない。
それもその筈、彼女が立っている所は、道に面したある家の門に立っているか
らだった。
見間違えようもない。----<彼女>だ。
俺は、一息ついて、その<彼女>の方に目を向けて声を出さずに心で話かけた。
『……まだ、いるつもりかい?』
あれ以来、名前が思いだせなくて、<彼女>と呼んだままでいるのだ。
<彼女>は、話かけられたのに気付いて、すぐに顔を上げ、俺を見て微笑
んだ。
そして、チラリと自分が立っている家の二階の窓を見上げた。
……言い忘れたが、俺は普通の人間ではない。
俺には、幽霊が見えるのだ。
一般的に、俺達のような人間は霊能力者と呼ばれている。
そして、今や、俺はこの能力を救われない霊のために、役立てている訳だ。
悪霊に対抗するまでの力はないが、成仏ぐらいはさせる事ができる。
成仏したいと霊が望めば、供養して導くし、供養しても、現世にいたいと霊が
望めば、事と次第によっては、そのままの場合もある。
……この<彼女>の事はよく覚えている。
何しろ、俺自身が、<彼女>の死ぬ所を見ていたのだから。
----悲しい事故。交通事故だった。
<彼女>が急に飛び出した……。一つ向こうの交差点に夫がいたからだ。
それを追おうとして……車にはねられた。
単純な事故だったが、即死だった。苦しみはほんの一瞬だっただろう。
<彼女>の主人が、遺体にとりすがって泣いていた光景が、今だに目に焼き付
いている。
……そう。まだ新婚だった。
さて、<彼女>が死んで一ヶ月後。
久しぶりにその通りを歩いて、驚いた。
<彼女>が、もとの自分の家の前に立っているのだ。
ちゃんと供養もしたのに……何故、成仏してないんだろう?
不思議に思い、問いただしてみると、彼----主人のことが心配でならない、と
答えが帰ってきた。
いくら俺が、大丈夫だから、と説きふせても駄目だった。
返事はいつも、
『私は、ここに残ります』だった。
結局、根負けしたのは俺の方だった。そして、今に至っている。
しかし、主人には<彼女>の姿など見えないのだから、お気の毒である。
でも。これで三ヶ月目になる。
俺は続けて話かけた。
『人の心は変わるよ。彼も若いんだし、少しすれば再婚するだろう。そうすれば
君も……』
教え諭すように俺はもう一度、強く言った。
死んでから既に三ヶ月。
霊界にすんなり入れるには、もう時間がなかった。考え直すなら、今しかない。
『彼が再婚すれば、君はもう用なしだ』
酷い言い方だが、それは現実の話だ。
<彼女>は少し黙っていたが、やがて俺の頭の中に澄んだ声が響いてきた。
『……私はそれでも良いのです』
<彼女>は優しく微笑み、首を傾げた。
『だがね、しかしね……』
道行く人が、妙な顔をしているのを無視して、俺は返事を渋り困りきって、空
を見上げた。
あ。----あそこにもいる。
銀杏の木の上の女の子。白いフリルのついたワンピース。歳は7、8歳ぐらい
だろう。
これも霊だが、悪霊でない事は確かである。
いつも寂しそうな表情をして、高い木の枝に腰を下ろしている。
時々、涙を流しながら、空を悲しげに飛び回っている。
お節介な俺としては、助けてやりたいのだが、自分からは何も話しかけてこ
ない。
話しかけても、激しく首を横に振るか、じっとこっちを見つめるだけで、答え
がない。
可哀相だが、これでは助けようがないのだ。
かれこれ、この子も2年近く、ここにいるだろうか。
一体、何が原因なのだろう……。何の理由があるのだろう……。
俺は、もう一度、<彼女>の方に目を落とした。
……<彼女>は穏やかに俺に接しながらも、自分の心を変えることはなさそう
だった。
と、その時、彼女が立っていた家の玄関先で騒がしい音が聞こえてきた。
----<彼女>の顔が微かに輝いた。
「遅刻だーっ!」
大声を上げ、パンを口にくわえ、ネクタイを結びながら玄関を突き切って、
<彼女>の夫が飛び出して来た。
あらら。なんて見苦しい格好……だこと。
<彼女>はクスクス笑っている。
……これなら、心配でならない、と言った<彼女>の言い分も分かるような気
がしてくる。
その通り、慌て者のせいか、彼は定期券を落とした。
俺はそれチラリと見て、ハッと息を飲んだ。
その定期券のパスケースの中には----その<彼女>の写真が入っていた。
「おっと!」
すぐに彼は気づき、定期券を拾い上げ、ほこりを払った。
そして、<彼女>の写真を見て、愛しそうに微笑みかけた。
そう。それは、まるで妻が生きているかのように----。
それから、彼は時計を見て、大事そうに定期券を内ポケットに入れると、あた
ふたと、また道を駆けて行った。
俺と、<彼女>は、駆けて行く彼の姿を最後まで目で見送っていた。
彼女は微笑んでいた。いつも通りに。
忘れ去られることも、恐れない? 人の心の中で生き続けることができる?
そんな思いは可能なのか?
俺は自分自身に問うた。しかし、答えはいつまでも、でなかった。
……脱帽だ。
<彼女>には……勝てない。
俺は、目を閉じて、ため息をつき、照れたように微笑みを返した。
『もう行くよ』
俺がそう、声をかけると<彼女>は深々と礼をして微笑みを浮かべた。
俺は、また、並木道を歩きはじめた。
遥か遠くまで続くのではないか、と思える並木道を。
北風が、身体に暖かく感じられた。
頭の中で色々な考えや、思いが巡り巡った。
”私はそれでも良いのです”
と、微笑んで譲らなかった<彼女>の言葉が、ふと聞こえてきたような気がした。
<END>