AWC −日常の些末−(2)          今日も暇..


        
#2334/3137 空中分解2
★タイトル (WJM     )  92/11/ 1  11:51  (195)
−日常の些末−(2)          今日も暇..
★内容

 滴り落ちる汗の雫が頬から首筋を伝って、背中からパンツの中へと下り、尻の割れ目
へと流れていった。こんな、のけぞるような気分でさえ、ここでは些末な事なのだ。

 超然と新聞を小器用に畳んだのを広げては、丹念に読む御仁もいらっしゃる。分厚い
漫画週刊誌だって、何やら難しそうな本だって。この車両の中には健気にも僅かな時間
をも無駄にしない人々が一杯なのだ。

 それにしたって、毎日、こんなに大勢の、見知らぬ他人と肌身を合わせる国民は日本
人以外に他になかろう。見知らぬ大勢と、こんなにも肌身を合わせる時は通勤電車以外
に他になかろう。異性の肌身の暖かさに思わず興奮する事もある。意のままに沈静して
くれぬ

 「我が身の一部」

に赤面する事だってある。

 だが、心配する事は無い。決してエイズに感染したりする事はない。感染の恐れある
のは、身に覚えあるような所業をなさった時に限られるのだ。

 「詳しくは、厚生省から配布をされているパンフレットなどの資料を参照されたい」

などともったいをつけずに言ってしまおう。例えば、具体的にどんな事だと問うたなら
ほら、そこにいらっしゃるカップルの昨晩なさった事のような事だ。まぁ、何とも人目
を憚らずに、互いに強く抱擁しあっておられるではないか。

 「不幸は半分に。幸せは二倍に」

と恋する二人を祝福する言葉こそ多いが、もし仮に、どちらか一方でもが、

 「誰とでもわかちあう」

のであったならば、二人ともが地獄を味わう事となろう。

 雨の勢いは衰える事はない。曇ったガラスに吹きつける雨のしぶきを、人垣の間から
垣間見る事が出来る。そんな雨の中ではあるが、太陽の方角にかかっている雲だけが切
れたのであろうか、まぶしいほどに明るくなってきた。古来、「キツネの嫁入り」など
といわれた奇妙な天候。陽射しはますますに列車内部を熱く照らす。

 真夏の蜜蜂の巣の中を思い出す。六角形の蜂の巣の中に詰め込まれた蛹。だが、よく
考えてもみよう。働き蜂は、その羽根を絶え間なく動かして換気し、その中を冷却して
いるのではなかったか。

 思わず見上げると、首を振り振り、あちらこちらに風を送るのが大事なお役目である
筈の扇風機はピクリとも動かない。また、涼しく、そして除湿されたエアコンの風も全
くに吹いてくる気配もない。

 目を開けている者はまずいない。インドの修行者の瞑想は、苦諦から逃れる為のもの
であるのかもしれない。照りつける太陽は陰る事はない。誰もが、何かしらすがりつく
縁を持っている。立っている者も、座っている者も、ひたすらに寝るか、本を読むか、
ヘッドフォン・ステレオに聞き入っているか。ゴータマ・シッタルダはヘッドフォンを
しながらに解脱したのかもしれぬ、などと考えていると、後ろの男の耳元から、

 「シャカ・シャカ....」

と漏れてくる音。過大な音量に、聴力低下をきたすのではないかと心配にもなる。その
うちに、悟ったような声が流れる。

 「ただいま、冷房装置の故障の為、大変にご迷惑をおかけしております。
  窓付近のお客様は『窓開け』に御協力を御願い申し上げます....」

 冗談じゃない。いや、まさに冗談だ。この吹き降りの雨の中、窓を開けろ、とは噴飯
の至りである。車内放送はほとんどがコンピュータによる音声合成によるもので、エラ
−チェックが作動したため、自動的にアナウンスが流れたと思われる。こんな「些末」
なプログラム・ミスに文句をつけても、決して是正される事はあるまい。こんなケース
は頻繁にあるものではないし、なおかつ致命的な欠陥ではない。何でも見透かしたよう
に、神のごとくやってのける機械なんぞがあったら気持ちの悪い事この上ないである。

 一人おいて前に立っているオジサンは、貫一が毎朝食べたいといつも思っているけれ
ど、時間にギリギリな為に未だ食べた事のない売店で売っている海苔を巻いたオニギリ
を食べたのに違いない。何故なら、前歯に海苔がはさがっているのが、口をポッカリ開
けたままなので丸見えなのだ。こういうのを、

 「歯垢のメニュー」

とでもいうのだろうか。「究極のメニュー」とか「美食」には、誠に縁遠い事を今更な
がらに思う。ただただに意地汚く食欲を満たすだけの明け暮れである事か。時間があっ
たら、東京駅でカレーを食べたいと思う。

 「脂ものは控えなさい」

と言われていても、「体が欲しがる」のだから仕方がない。もっとも、司令を出すのは
身体の専制君主であるところの「脳」であるのだけれど。体に悪いと知っていても

 「酒飲みたい」「タバコ吸いたい」

と思い命じるのは「脳」の中枢。「腹が鳴る」などと責任転嫁甚だしい、持って回った
言い方はするべきではない。

 理科の教科書を見ればわかるように、脂肪は消化されると、脂肪酸とグリセリンに分
解される。脂肪酸には様々なものがあり、例えば「酪酸」は、いわゆる

 「乳臭い」

といわれる独特の臭気を持つ。濃度が高くなれば、「酢」の瓶を開けてかいだ時のよう
な、「ツン」とする臭いがする。汗腺から分泌される「皮脂」。表皮が剥がれ落ちてた
まる「垢」。皮膚に常在する細菌に分解されて臭いを発する。特に、細胞の一部がちぎ
れて一緒に分泌される「アポクリン汗腺」は、時に深刻な悩みを招来する「わきが」の
原因ともなるという。

 蛋白質が分解を受けると、色々な臭いの元になる。インドールとかスカトールとかの
蛋白分解産物は、いわゆる「便臭」、臭い「屁の臭い」の元である。肉そのものは、特
に加熱調理を受けると、大変に良い風味を生むが、いったん消化や分解をうけると如何
なるものなのだろう。鼻を曲げる事なぞ思いのままの感がある。「腐臭」と呼ばれるも
のも、その類の臭いである。

 すぐ前にいらっしゃるのは、朝からタップリと食事をとられる余裕あるライフスタイ
ルの方らしい。そして、ニンニクやニラ、タマネギなどの入った料理を食されたようで
ある。いったん消化吸収を受けた臭いの元は、血液を循環し、肺から呼気へと排出され
る。だから、「歯を磨く」とか「ガムを噛む」というのは一時しのぎに過ぎない。

 そして、歯を磨いてもいらっしゃらないようである。この方の場合

 「歯垢のメニュー:レバニラ・ギョウザ編」

を備えていらっしゃる。昨晩の残りを朝に食されたのか、昨晩からそうなのかは定かで
はないが、歯槽膿漏が進行して歯の間も隙放題で歯石も付着し放題。食べ滓に酸素を欲
しがる好気性細菌が繁殖すると局所は酸欠状態になる。そうなると、酸素を嫌う嫌気性
細菌の天下となる。嫌気性細菌の産生する分解産物は、とても臭い。歯槽膿漏や入れ歯
の方の口が臭うのは、それらの仕業である。

 暑さゆえに、誰もがポッカリとあけた口から漏らすため息に乗って、特別あつらえの
臭気がそこかしこに拡散している。飽食の胃袋には、過剰の空気をいつも飲み込まれて
おり、それが後になって排出される事となる。腹もなっている。

 「ゲップゥ〜・・・・ゴロゴロ・・・・」

 鼻は異臭の警報器たる役割を放棄した。馬鹿を決め込んでしまう。かと思えば、しば
らくすると真新しい臭いには再び感じ始めてみたり、本当に気まぐれで慌ただしい限り。 朝飲んだ牛乳が効き始めた。貫一の腹がなっている。ずっと解消できない不自然な姿
勢も腹を圧迫している。

 「ブゥ〜・・スゥ〜・・・」

腸内の気体が体外へ出て周囲に広がる。突然に送風器の音がする。

 「ブワァ〜〜〜」

涼しくなるどころか湿気を帯びたカビ臭くもある熱風が頭から吹き付けてくる。体温が
摂氏四〇度ないし四十一度を超えた時点で生命に危険が出てくる。澱んだ空気が、かき
回されて渦をまいている。酒臭さと風呂に何日も入ってない臭いが漂ってきた。

 見れば、大声で叫ぶ男がいる。人と人の隙間から垣間見ると、片手に蓋の無いウイス
キー瓶を持ってる。赤い顔をしている長髪の大男。瓶の中身は既に残り少ないみたいで
ある。くだんの大胆に抱擁しあっているアベックの方を向いて大声を出している。

 「よぉ、ねぇちゃん!昨日はエェ事したんか?・・こいつと・・えぇ?〜・・」

 肝心な男は、こういう時に限ってうつむくばかり。赤ら顔の大男はうつむく男の肩を
叩いて言う。

  「おぉ!黙っとらんと何とか言や〜せ・・よぉ色男〜・・何回やったぁ?」

 相手の反応は二の次で、内なる言葉との会話に似た処さえある。関心の対象は次から
次へと動いて行く。

 「わはは・・わはは・・エイズはうつらせんでエェがぁ〜・・
  何回って聞いてるんだぎゃ〜・・数えとらんかったのかきゃ〜・・」

 天を仰いでウィスキーを飲み干す。もう残りは無い。僅かに残った雫を舌で受け止め
「ペロリ」となめとると目を剥いた。アベックの女の方へ手を伸ばそうとするが、目は
虚空を追っている。ちょうど前に座っているOL風の女はひたすら目を伏せている。

 「おぉ〜!暑ぇ!政治家が『お食事券』ばらまいてレストランに御招待だぎゃ〜」

 とにかく暑い。とやかく言う者は誰もいない。何もかも訳がわからない。その脇に立
っていた真面目そうなサラリーマン風の男が突然にガラス窓を開けにかかった。吹き降
りの雨が吹き込んでくる。大粒の雨のしぶきが天井から回り込んで吹き込む。

 列車はスピードを緩めた。ブレーキの音がする。「葉朴」の次の停車駅の「松虫」。
ここで降りてしばらく行くとアルコール症治療で有名な精神病院がある。

 赤ら顔の男は雨でビショ濡れになった顔を掌でぬぐうと、左手にウィスキー瓶を持っ
たまま、大きく両手を広げて笑った。やたら上機嫌になった。

 「雨だぎゃ〜・・雨だぎゃ〜・・」

 ドアが開いた。降りる者は誰もいない。かと思うと、人を押し退け、その酔いどれ男
はホームへと降り立った。ドアが閉まった。皆が安堵の笑みを浮かべた。酔いどれ男は
急に険しい顔になり、手に持った瓶をホームに叩きつけた。が、列車は何事も支障無く
走り出す。やがて、激しく雨の打ちつけるホームに立ち尽くしたまま、男は小さくなっ
て見えなくなった。

 列車が走るのに向かって、雨も降りつけてくる。暑さにたまらず開けた窓から大粒の
雨が容赦無く降り込んでくる。グショグショのトレーナーを着て青ざめている若い男が
いる。視線は虚ろに吊革に掴まり、ただじっと耐えている。

 「大丈夫ですか....」

 「えぇ....ちょっと二日酔いで....」

前に座っている女子高生は余りにも無防備だった。

 「うっ....うっ、ゲボゲボゲボゲボ......」





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