AWC −日常の些末−(1)          今日も暇..


        
#2333/3137 空中分解2
★タイトル (WJM     )  92/11/ 1  11:47  (196)
−日常の些末−(1)          今日も暇..
★内容

 昨日は葬式だった。焼香の列はズルズルと列び、ゆっくりと進んでいた。休みは日曜
だけの日帰りのトンボ帰り。急な遠出にはよくある事とはいえ、新幹線には席はなく、
さらに、故人が毎日通っていたという路線を行きつ戻りつという、慌ただしい弔問であ
った。

 東京にたどり着いたのは終電も間際の頃。それからまた、毎日の通勤と同じ長い長い
道のり。荷物は結構にかさばって、手さげの紙袋は破れんばかりに膨らんで、髪はボサ
ボサ、髭は伸び、むくれた腹のせいでズリ下がったズボン。貫一は酒好きだ。次から次
へ空けた缶ビールにすっかり酔った挙げ句、新聞紙を広げ座り込んで寝てしまうという
体たらく。あれから何処をどうして帰って来たのか、からっきし覚えていないのだが、
こうしてチャンと家にいる。

 逆算すると、ほとんど寝ていない計算になるのだが、未だ暗いうちから目が覚めてい
る。とはいえ定時に出社するには、さほどに余裕ある時刻とはいえないのだ。夜は容赦
無く明ける。妻や子は未だ寝ている。

 「また帰ってきてね」

 三つになる娘がそういってくれたのは、もう三日も前の事になる。こんな事ならば、
カプセルホテルにでも泊まれば良かったと貫一は思うものの書類一式を置き忘れたから
には、自宅にいったん戻らねばならなかった。置き忘れたというよりは、遠路はるばる
の旅程の最中に紛失する事を恐れたといった方が正確である。職場に置いておくわけに
もゆかなかった。人目をはばかるものである。その内容を知るのに、血眼になっている
人々もいるのは事実。そして、本日この日、その資料に大きくものを言ってもらわない
と困る役員会がある。

 TVのニュースによれば夜半から続いているという雨は未だ止まない。帰り際には雨
は降ってはいなかったと思うのだが、首都圏と言っても大層に広いのだし、天気予報か
らも見放されている辺鄙な処だから、とかいう理由づけをしては納得してみる。

 冷蔵庫の中には、ラップのかかった茶碗に飯が軽く一膳。納豆がワンパック。そして
、牛乳。電子レンジで暖めるのさえ面倒になっている。納豆のパックをあけ、冷や飯を
少しずつ入れて、かき回しては食べる。こうすれば、茶碗にネバリがつかないで済む。
醤油を滴らしてかき込む。牛乳と一緒に流し込む。

 喉が渇いていた。1リットル入のパックが半分は残っていた牛乳が空になった。牛乳
を飲みすぎると腹が鳴って、ともすれば下る癖があるのを忘れていたというわけでもな
い。物事は全てがハズミで起きてしまうものなのだ。毎日毎日、同じように、時刻とも
なれば、独りでに目が覚め、飯を流し込み、手筈を整えて会社に出かけてゆく。それで
も、毎日、何事か新しく、何かハズミで起きているに違いないのだ。

 昨日の朝は髭を剃り忘れていた。濃くはない方だが念を入れて剃り直す。歯を磨く。
吐き気がする。入念に書類一式に洩れが無いかを確認する。一枚の光磁気ディスクには
、今日の会議のためのプレゼンテーション。ひらたく言えば、アニメーションでもって
企画案の内容を説明する為のプログラムが収めてある。力が入っている。大袈裟に言っ
てしまえば

 「天下分け目」

とにかく、足を引っ張る奴等が多すぎる。

 五月貫一、三十六歳。同期の中で、課長になったのは相当早い。「風あたり」という
ものを切実に感じる。「家を出たら七人の」と昔から言うけれども、七人で済むならば
、それはそれで結構な事だ。

 「行って来るよ」

と、誰もいない玄関で言う。小振りな手提げ鞄は、脇にしっかと抱えて網棚には決して
乗せぬ心積りから見繕った。

 「五月」という表札を見上げ、戸締まり。

 「再び帰って来るのだ」

という思いに、何処か粟然としている。

 襟元に飛び込んでくる雨粒に、目覚めてからまだ、一本もタバコを吸っていない事を
思い出した。小脇に鞄。片手に傘を持ちながら、我ながら器用にタバコに火をつけた。

 「ふぅ〜」と一服。ジメつく梅雨。全身に、汗が吹き出している。少し動くと、すぐ
にこうだ。はっきり言って、太りすぎである。身長が一七〇センチそこそこだというの
に体重は一〇〇キロを超えている。

 健康診断に去年から加わった、心電図検査とやらに、心肥大だの虚血性変化だの素人
には訳のサッパリわからぬ異常が出たという事で、会社診療所の医者は「禁煙」の指示
をした。でも一体、貫一からタバコを取り上げてどうするつもりなのだ。抗議すると

 「スワン(吸わん)の涙ですね」

とか、フザケた返答をくれた。その上、肝機能検査にも異常が出たので

 「節酒しなさい・禁酒しなさい・痩せなさい」

ともいう。仕事上のつきあいだって接待だってあるという事を果して理解してくれてる
のだろうか。その医者の後をつけて歩いて、医者がタバコを吸い、酒を飲むたびに現れ

 「そういうお前さんだって同じだろが!」

と言ってやりたい事は山々だが、それほどに暇を持て余している訳ではない。一心不乱
に駅までを歩かなければならない。

 ところどころにしか舗装なく、ぬかるんだ道を一〇分も歩けば靴はドロドロになる。
湿った生暖かい風に混じり吹き降る雨は、ますますに強くなる。コートも湿り、ズボン
も股上までグッショリ濡れる。口を開けてため息をついた拍子に、くわえていたタバコ
コがポトリと落ちた。濡れて火も消えてしまっているので「ジュワ」という音もせぬ。
 もうじき駅に着く。思い出した様に通勤ラジオのイヤホンを耳に入れスイッチを入れ
た。ロータリーの周囲に店が数軒一重に取り巻いているだけの、ここ「葉朴」の駅前。
到着したばかりのバスからはゾロゾロと乗り換えの人々が降りてくる。

 「輪関内」から「矢田」までの8つの駅を結ぶ第三セクター方式の「輪矢線」が開通
したのは、ちょうど一年前の事だった。その利用者の大半は「熊乃木坂」の駅で幹線に
乗り換える。それまでは、やたらにワザワザの遠回りをしてくれるバスに揺られるしか
他はなかった。そういう処にしか、まっとうなサラリーマンは戸建ての家が買えないと
いうのが通説のようだが、それに間違いはないと思われる。

 田園風景の中にポツン高くそびえる高架の駅舎。「葉朴」の駅の階段は一際に高く、
そして急な勾配である。

 ゾロゾロと続く行列の人々の頭が右へ左へゆらゆらと揺れる。例によって、吸殻入れ
がくすぶっている。いがらっぽい煙がホームから階下へと立ちこめてくる。抜けぬ疲れ
に息切れする。汗が吹き出す。ポケットから出したハンカチが思わずズルっと顔面を滑
った。手に持つ傘からの雫がポタポタと落ちて、足元は靴から落ちた泥と混じり合って
ヌルヌルとぬかるむ。それでも、やっとの思いで上り終えた。思わず一服。タバコに火
をつける。湿った一服はホームにモクモクとたなびいている煙のように苦い味がした。

 梅雨は明けない。傘に頬杖ついて座り込んでしまう。生暖かい風に混じり吹き降る雨
に眼鏡も頬も何もかもが濡れてくる。コンクリートで塗り固められた上に表面張力で盛
りあがった水面をはたくような雨のしぶきは、いよいよに激しくなる。今日は顔見知り
の人の誰にも合えない。何故なんだろう。こんな事は滅多にない筈なのに。

 向こうから列車がやってくる。それが点のように見える。「輪関内」発の「矢田」行
き。大抵の人は二駅先の「熊乃木坂」で乗り換える。何時の間にか貫一の後ろにもビッ
シリと人が立ち並び、ホームの上に溢れるばかり。その上、揃いも揃ってやって来る列
車に身構えているではないか。

 「トン」と肩を押された途端にホームへ身を躍らせそうな、おのれ自身の体勢に目眩
がした。

 先週の金曜日に命を絶った男は、佐藤といった。高校、大学、そして広告研究会、と
ずっと貫一と一緒だった。就職こそ違ったけれども、結婚したのも、家を建てたのも、
課長になったのも同じ年だった。

 彼の家も、やはり高架の駅のある新興の分譲地にあった。通勤には、長い長い道のり
を要した。それでもなお、休日出勤さえ辞さず、休みさえ取った事のないという彼が、
何の風の吹き回しか、平日に休みを取って、家族揃って遊びに行く事を言いだしたとい
う。駅まで子供を肩車したくらい、いつになく上機嫌で、こんなふうにしゃがみこんで
列車の来るのを見ていたという。そして突然にパッと立ち上がると線路へと高く身を踊
らせた。

 「ドスン」

と鈍い音がして、

 「ギィーィ」

と列車が軋んで止まった。そこまで言うと、未亡人はつっ伏して泣き止まなくなった。
脇に居た子供が何気なく言った

 「パパ、どうして帰ってこないの?」

という一言に、一同は、目を閉じてしばし言葉も無かった。長居は元より出来なかった
のだ。

 あっと言う間に列車はホームへとなだれ込んでくる。脇に鞄をひしと抱きしめ、傘を
杖にして立ち上がった。行列を飛び出、一人天へ踊るという光景を恐れ、ゆっくりと。

 「プッシュゥ〜」

と圧搾空気の音がしてドアが開く。列車は既に満員である。二駅先が大概の人の目的地
であるから、降りる人なぞいない。とうに寿司詰めになっているところへ分け入るよう
に乗り込んでゆく。押し寿司の型に飯を詰め込んでいる処を思い浮かべてみれば良い。
かといって、目的地に到着すると型が外れて、

 「コロン」

と転がり出る訳でもあるまい。

 行列の先頭の程近くに並んでいたとはいえ、後ろからの最初の一押しでは体全部が車
両の中へとは入ってはゆかない。行列の真ん中に位置を占めるようにするのがコツでは
ある。半身でも体が入れば、ドアの真上の列車の壁を手で押し、空気圧の強い力で閉ま
ろうとするドアの力押されるのを利用してはいりこむ。ドアに荷物や髪の毛、衣服の一
部が挟まれ、はみ出したままに発車・走行する事が希ならずある。コードを引っ張られ
て、ラジオのイヤホンが抜け落ちた。手を伸ばして掴もうにも掴めない。しまりきらな
いドアの隙間から、暖かい風と雨粒が息づくように吹き込んでくる。顔面をドアのガラ
ス面に押し付けられて、歪んだ口でうめく声が聞こえる。

 本日は吹き降りの強い雨。レインコートで着ぶくれた人々が、雫が跡絶える事の無い
傘を誰一人怠る事なく各々が携えて乗り込んで来たのだ。あちらこちらから押されて引
きずる足もとはビチャビチャと鳴り、爪先から踵まで靴の中に溜まった水は暖まって、
グチョグチョと音をたてている。眼鏡は否応無しに曇る。

 一〇〇キロを超える脂肪の塊である貫一が「おしくらまんじゅう」に押されて半分宙
に浮いている。左足が宙に浮いている。右脇には鞄を抱きしめ、左手には傘を

 「しっか」

と握っている。体は右の方へ傾きっぱなしである。「豚の斜塔」といっても悪い洒落に
しかならない。物見高い人も居ない。誰もが目を閉じている。

 ただでさえ「汗かき」である。サウナだって、こんなに蒸し暑くはない。水が蒸発す
る余地がない水蒸気が飽和した中にいるのである。つまりは、不快指数百パーセント。
犬のように口を開けてみたって、気化熱を奪ってくれる筈もない。じっとしていても、
生きて行くにはエネルギーが必要で、体内では熱が産生され続ける。体温はジリジリと
上昇する。ボンヤリと陶然と、ただただ、この時が過ぎてくれるのを待つのみ。





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