AWC 雨の向こうに 第8章    リーベルG


        
#2306/3137 空中分解2
★タイトル (FJM     )  92/10/25   2:33  (157)
雨の向こうに 第8章    リーベルG
★内容

                   8

 夜が来た。といっても、外が暗いのは雨が降り始めてから変わらないが。
 とうとう、誰も来なかった。警察も自衛隊も。私たちはこのドライブインに孤立した
まま、夜を迎える事になったのである。
 何よりも不安なのは、外の状況がいっさいわからない事だった。原子炉事故などで、
政府や電力会社が正しい情報を秘匿して、被害を軽少に見せかけるが、あれは完全に間
違っている。どんなに悪い情報でも、人間は正しい情報が与えられた方が安心するもの
だということがよくわかった。今、私たちは情報に飢えていた。たとえ、世界が滅びた
という情報でも、ないよりはましだ。
 のりちゃんは眠り続けたままだ。あけみさんは30分おきに様子を見にいったが、そ
の度に暗い顔でもどってきた。
 「あの子の心が外の世界との接触を拒否して眠り続けてるなら、当分目をさまさない
わ」
 雨は降り続けている。台風などでない証拠に風は全くない。バケツをひっくり返した
ような大雨がすでに12時間以上降り続いている。もちろん、12時間というのはそれ
ほど長い時間ではない。梅雨どきには数日間も連続してしとしと降り続ける。もっとも
北海道では梅雨というのはないというが。
 私が不安になるのは、この雨が続いている限り何もできないという焦燥感である。驚
異的な自制力で表には出さないが、あけみさんも同じ思いに違いない。
 何が起こっているのか知っている−または知っていると思われる−人間がひとり、こ
のドライブインの中にいるが、彼女を強引に起こすわけにはいかない。もっとも、この
状態が何日も続くようなら、その手段をとらざるを得ないかも知れない。
 2人の学生はぼそぼそと低い声で話していたが、今は黙りこくって、離れたところに
座っている。大宮はひっきりなしにタバコの吸いがらを製造していた。いらいらした気
分を紛らわしているのだろう。
 あけみさんはろうそくを探し出してきて、火を点けた。
 「30本くらいあるわ。1本づつ点ければ、朝までもつでしょう」
 あまり気が長い方ではない私が、何とか平静でいられるのは、あけみさんの沈着冷静
な態度のおかげだった。ひょっとしたら、大宮のおかげでもあるかもしれない。彼の落
ち着きのなさが反面教師となって、他の人間が冷静でいられるのかもしれない。
 今は均衡が保たれている。私にはあけみさんが、大宮には阿部がブレーキの役目をは
たしている。しかし、あけみさんか、阿部のどちらかがいなくなったらどうなるのだろ
う。あまり深く考えたくない状況であることは確かだ。

 最初にこの均衡を破ったのは、意外にも阿部だった。
 「蜂がいるな」
 不意に阿部が口を開いた。私とあけみさんと大宮は、周りを見回しながら立ち上がっ
た阿部に視線を集めた。
 「蜂だ」阿部は繰り返した。私は耳を澄ませてみた。だが蜂の羽音は聞こえない。店
内は静まり返っていたから、蜂が飛んでいればすぐわかるはずなのに。
 あけみさんも不思議そうな顔をしている。大宮も同じだったらしく、阿部にいった。
 「おいおい、蜂なんかいないぜ」
 「いるんだ」阿部はひどく冷静に答えた。「絶対いるんだ。音が聞こえるだろう」
 「何をいってるんだよ」
 「いるんだ!」突然、阿部は大声を出した。私たちは飛び上がった。「聞こえないの
か!何匹も飛び回ってる。ブンブンブンブン。あれはきっとスズメバチだ」
 阿部はテーブルの間をふらふらと歩き始めた。
 「刺されたら痛いぞ。死ぬかもしれん。よく蜂にさされて死んだって新聞にのるじゃ
ないか」
 「おい、阿部」
 「阿部さん、落ち着いて」
 大宮とあけみさんが同時に声を出した。阿部が振り返って、私たちを見た。その顔に
浮かんだ表情を見て、私は何故かぞくっとした。
 「わかってるんだぞ」阿部は冷たい微笑みを浮かべた。
 「何が?」大宮が苛立たしげに訊いた。
 「あの蜂はお前たちのせいなんだろう。お前たちが呼んだんだろう」阿部は淡々と話
した。「おれを刺させるつもりだろう。だけど残念だったな。その前におれがこいつら
を殺してやる」
 いきなり阿部はテーブルの上のソースの容器を掴んで、力一杯投げつけた。私たちの
いる方にではなく、空中の架空の蜂に向かってだ。容器はレジの横の壁にぶつかり、ソ
ースと破片が飛び散った。
 どうやら蜂には命中しなかったらしい。阿部は口から泡を飛ばして、何か意味不明の
言葉をわめきちらすと、椅子をひっつかむと、振り回した。
 「危ない!」私は叫んだ。振り回す椅子が呆然と見守っている大宮の頭を直撃しそう
になったのだ。大宮は危うくよけた。
 阿部は友人に怪我をさせそうになったことも気付かず、テーブルのひとつに狙いを定
めて椅子を叩きつけた。テーブルの上に置いてあった、醤油や塩、ソースの瓶と割り箸
入れが、爆発したように飛び散った。
 「はーははは、つぶしてやったぜ。ざまあみろ!」
 阿部は狂人のような高い笑い声をあげると、急にぐったりと椅子に座り込んだ。しか
し、なおもぶつぶつと呟いている。
 「阿部、お前一体…」大宮が阿部に近寄ろうとした。しかし、その前にあけみさんが
低い声で彼を呼んだ。
 「大宮さん、ちょっと」
 私たち3人は阿部から離れたところに固まって座った。
 「どうなってんだ、あいつ」
 「多分、一時的に錯乱状態になったんだと思うわ。彼は普段はあまりしゃべらない人
でしょ?」
 「まあね」大宮はタバコに火を点けた。「まじめな奴ですよ」
 「彼は彼なりに、考えてたのよ。外で何が起こってるのかをね。だけど、納得できる
答が見つからなかったのね」
 「だから、暴れだしたんですか」私は訊いた。
 「彼は本当に蜂がいると思いこんだのよ。なぜかはわからないけど」
 「そういえば、子供の頃、手のひらを蜂に刺されたとかいってましたね。スズメバチ
じゃなかったはずだけど」
 「トラウマ−精神的外傷−というやつね。そのことが心のどこかに潜んでたんだわ。
それが何かの拍子で一気に噴き出したんだと思う。はっきりはわからないけど」
 「どうなんでしょう。大丈夫でしょうか?あのままで」
 「わからないわ。ただ、思ったよりこの状態が負担になっていたようね。雨が止めば
元通りになるんだと思うけど」
 その時、事務室から物音が聞こえた。阿部を除いて、反射的に全員がそちらを見た。
 のりちゃんの白い身体が暗がりに浮かび上がっていた。手にはくるまっていた毛布を
握りしめている。ぼんやりした視線をあちこちに送っているが、明確な意思は感じられ
ない。
 「のりちゃん、大丈夫?」あけみさんが駆け寄った。「目が醒めちゃったのね」
 私もそばに近付いた。大宮が食い入るようにのりちゃんの裸体を見つめていたので、
毛布をかぶせてやるためだ。大宮ははっとして横を向いた。
 「さあ、寝ましょう」あけみさんが優しくのりちゃんの肩を抱いて、事務室の方へ戻
り始めた。
 「待てよ」大宮が呼び止めた。あけみさんは足を止め、振り向いた。
 「何なの?」
 「せっかく、起きたんだ。何があったのか訊いたらどうなんですか」
 「まだ無理よ。ぼうっとしてるわ」
 「コーヒーでも飲ませろよ」口調が変わった。「いい加減うんざりだぜ。おれは何が
あったのか知りたいんだ」
 「それはみんな同じよ」あけみさんの顔に怒りが浮かんでいた。
 「じゃあ、きけよ」
 「断るわ」あけみさんはきっぱりそう言うと、大宮に背を向けた。
 大宮の顔に凶悪な表情が浮かんだ。自分の要求が他人に、特に女性に断られる事に慣
れていないのだろう。
 「ちょっと待てよ!」大声で怒鳴ったが、あけみさんが無視しているのを見ると、や
にわに行動に移った。タバコを投げ捨てると、あけみさんとのりちゃんの方に突進した
のである。
 私は警告の叫びをあげて、大宮を止めようとした。大宮は私の胸を凄い力で突き飛ば
した。私はテーブルや椅子をはねとばして、床に転がった。
 あけみさんが振り向いたとき、大宮はその肩を掴んで、のりちゃんから引き離した。
あけみさんは悲鳴をあげて床に倒れかけたが、すぐに大宮に食いついた。大宮は容赦無
く、あけみさんの頬に平手打ちを飛ばした。あけみさんは床に倒れた。
 それには目もくれず、大宮はのりちゃんの顎をつかんで引き寄せた。のりちゃんの顔
におびえた表情が浮かんだ。
 「おい、お前は何を見たんだ?何があったんだ?おい、言えよ、言えったら」
 私はようやく立ち上がり、倒れた椅子を掴んだ。
 「おい、黙ってないで何とか言えよ!」大宮は無抵抗なのりちゃんの頬を叩いた。の
りちゃんはのろのろと頬を押さえ、身体を覆っていた毛布を落としてしまった。大宮は
のりちゃんの身体に好色な視線を送った。
 「身体に訊いてやろうか、え?」
 その瞬間、私は渾身の力をこめて椅子を振り回した。椅子は見事に大宮の右のこめか
みに命中したが、その勢いで、私の手からすっぽ抜けて飛んで行ってしまった。
 大宮はよろめいた。右手で頭をおさえ、左手をテーブルについて身体を支えた。憎悪
に燃える両目を私に向けた。私はぞっとして、次の武器を探した。ノックアウトするの
は私の力じゃ無理だった。
 「このあまっ!」大宮は私に襲いかかって来た。
 しかし、伸ばした手はとうとう私に届かなかった。起きあがったあけみさんが、ビー
ル瓶で大宮の頭を殴りつけたのだ。頭からビールと血をボタボタたらしながら、大宮は
がっくり膝をつき、そのまま倒れた。
 私はおそるおそる大宮に近付いてみた。椅子を掴んで、遠くからつついてみたが、反
応がない。
 「ありがとう、美恵さん。助かったわ」あけみさんが頭を振りながらやってきた。
 「死んだんですか」
 あけみさんは倒れている大宮の首筋に指を当てた。
 「いいえ、残念ながら生きてるわ。気絶してるだけ。ほっときゃ起きるわね。起きた
とき頭痛に悩まされるでしょうけど」
 それくらいは自業自得だ。大宮の頭の怪我を手当してやる気になれなかったのは言う
までもない。
 「情けない男ですね」
 あけみさんは肩をすくめた。のりちゃんに近付き、むき出しの身体を毛布で覆い直し
てやる。のりちゃんはおびえた表情のままだったが、あけみさんに対する信頼は絶対的
だった。
 私はすっかり忘れていた阿部の方を見た。今の騒ぎにも全く関心を示さず、自分の世
界に没入している。
 あけみさんはのりちゃんを事務室に連れていった。私はぬるくなった缶コーヒーを1
本もらうことにした。電気が止まったとき、あけみさんが自動販売機を開けて、中身を
カウンターに並べたのだ。
 再び静けさが戻ってきた。私はゆっくりとコーヒーを飲んだ。





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