AWC 雨の向こうに 第7章    リーベルG


        
#2305/3137 空中分解2
★タイトル (FJM     )  92/10/25   2:31  (144)
雨の向こうに 第7章    リーベルG
★内容


                   7

 コーヒーが温まり始めた頃、あけみさんは口を開いた。
 「美恵さん、どう思う」
 「何がですか?」
 「朝から変なことばかり起こってるわ。何が起こってるのかしら」
 やはりあけみさんも内心では不安だったのだろう。
 「さっきから外を注意して見てたの」あけみさんはハンバーグを焼き始めた。「口に
はしなかったけど、まず車が1台も通らなかったわ。いつもはこの峠は結構昼間は車が
通るのよ。もう昼の2時近いのに、雨くらいでどうして車が全然通らないのかしら。
 この雨も何か変だわ。朝まで低気圧のかけらもなかったのに。通り雨ならともかくこ
んな大雨になるなんて。おまけに風が全然ないでしょ」
 私は黙っていた。あけみさんは続けた。
 「それにあの自衛隊員もおかしいわ。どうしてこんなところにいるのかしら。私、実
は若い頃医大にいってたのよ。だからわかるんだけど、いくら訓練されてたってあんな
怪我をして、長い時間運転できるものじゃないわ。ということはあの隊員が怪我をした
のはこのすぐ近くの筈だわ。でもこの近くには基地も演習場もないのよ。そりゃここに
いちゃいけないわけじゃないけど」
 「何か事故でも起こったんでしょうか?」私は何とか平静な声を出す事ができた。
 「そう、私もそれを考えたのよ。例えば原発事故とかね」
 確か積丹半島には原発がある。ここからだと150キロくらい離れているはずだが、
重大事故が発生すれば、その程度の距離は気休めにもならないことは、チェリノブイリ
の例を見ても明らかだ。背筋を冷たいものが走った。
 「でなければ飛行機でも墜落したのかもしれない。戦争でも始まったか、本当にクー
デターでも起こったのかも」
 あけみさんは焼き上がったハンバーグを皿に移し、サラダを添えた。ご飯と味噌汁を
トレイに載せると、小皿に漬物を盛った。
 「もっとも、この雨じゃ様子を見に行くこともできないから、何が起こっていようと
どうしようもないわね。でも雨が止んだら峠を降りてみないと」
 雨が止んだら。その言葉に私はあけみさんの目を直視した。
 もし、雨が止まなかったら?
 だが、私はその問いを口にすることができなかった。阿部が厨房に飛び込んで来て、
大声で叫んだからだ。
 「早く来て、女の子が帰ってきたんだ。たった一人で」
 あけみさんは漬物を放り出して、走り出て行った。私も後に続いた。
 大宮が外に飛び出して行くのが目に写った。その先には激しい雨に打たれながら、駐
車場を歩いてくるのりちゃんの姿があった。
 「のりちゃん!」あけみさんが息をのんだ。
 のりちゃんは幽鬼のようにふらふらと歩いていた。目はうつろで何も見ていないよう
だ。身体には衣服の残骸がまとわりついている。上半身は下着のかけらが胸を覆ってい
るだけで、ほとんど裸である。Gパンは左足の部分がなく白い足がむき出しになってい
る。スニーカーも右足にしかはいていない。
 大宮がのりちゃんの前に立った。どうしていいかわからないようだ。あけみさんが追
いついてのりちゃんを抱きしめた。のりちゃんはぐったりと身体を預けてしまった。
 3人が店内にもどってきた。
 「美恵さん、手伝って!事務室のソファに寝かせるから」あけみさんが叫んだ。私は
駆け寄って、あけみさんを手伝って、のりちゃんの冷たい身体を事務室に運んだ。
 「タオルを持ってきて。テーブルの上にのってるわ。それからお湯も」あけみさんは
のぞきこんでいた2人の学生に頼んだ。2人の顔がひっこんだ。
 「身体が冷えきってるわ。何時間も雨の中を歩いてきたみたいだわ」あけみさんはの
りちゃんの服の残骸を脱がせながらいった。のりちゃんはぼんやりと宙の一点を見つめ
ていて、自分が何をされているのかまるでわかっていないようだ。
 ポットのお湯とタオルが届くと、あけみさんはタオルをお湯で濡らして、のりちゃん
の身体を拭き始めた。私も手伝った。
 「何が起こったというの」あけみさんは取り乱した口調で呟いた。「一体どうなって
るの」
 何分かのりちゃんの身体を拭いていると、ようやくのりちゃんの肌は暖かさを取り戻
してきた。
 「美恵さん、コーヒーをすぐ飲めるくらいに冷まして持ってきて」
 私は厨房へ駆け込んだ。暖めてあったコーヒーをカップに注いだ。試しに一口すすっ
てみたが、熱すぎる。ミルクを少し入れると、温度が下がった。私はそれを持って、事
務室へ急いだ。
 あけみさんはのりちゃんの生気のない身体を毛布でくるんでいた。私がカップを渡す
と、のりちゃんの口にあてがった。
 「のりちゃん、飲んで。身体が暖まるわよ」
 あけみさんの声にうながされて、というよりは、半ば習慣的にのりちゃんは手を伸ば
してカップを握った。そのままぐっと傾けて、一息でコーヒーを飲み干してしまった。
しかし、瞳はうつろで理性のかけらもない。
 「のりちゃん、しっかりして。一体何があったの」
 あけみさんはのりちゃんに問いかけた。のりちゃんはあけみさんの顔をぼんやり見つ
めたが、反応を示さずにまた宙を見つめた。
 「少し、寝かせましょう」あけみさんはのりちゃんをソファに寝かせた。のりちゃん
は疲れていたのか、すぐに目を閉じて、軽い寝息をたて始めた。
 食堂では2人の学生が何か話していたが、私たちが事務室から出ると訊いた。
 「大丈夫ですか、あの子?」
 「ええ、怪我はしてないわ。少し熱があるけど。何があったかはわからなかったわ。
今は寝ているから起こさないで下さいね。厨房に食事があるから食べておいて下さい」
あけみさんは落ち着いてそう告げた。学生達はうなずいて、何かしゃべりながら厨房の
方へいった。
 「美恵さん、ちょっと」あけみさんが、私を手招きしてカウンターの中に連れていっ
た。
 「何があったんだと思います?」私は訊いてみた。
 「わからないわ。怪我はしてないわ。何かショックを受けているみたい」
 「でも怪我をしてないのにどうして、服がぼろぼろだったんでしょう?」
 あけみさんの顔に怒りが現れた。私は不意に直感した。
 「まさか…」
 あけみさんはうなずいた。
 「下着に血と精液がついてたわ」
 私は絶句した。ショックを受けて当然だ。女として最悪の事態だ。
 「誰がやったにせよ、この手で殺してやりたいわ。あんないい子を…」あけみさんは
ぞっとするような怒りを滲ませて、静かにいった。
 「このことはあの二人には言わないでおいてね」あけみさんは厨房の方を示した。
 私は力なくうなずいた。
 「しげさんと、自衛隊員はどうなったんでしょうね?」
 「のりちゃんが起きたらきいてみるわ。正気を取り戻してくれるといいんだけど」
 「そんなにひどいんですか」
 「インターンだった頃、同じ様な被害者を見たことがあるのよ。20才の女子大生だ
ったんだけど、デートの最中に暴走族に襲われてね。恋人の目の前で、20人くらいに
続けてレイプされたらしいわ。その子はとうとう正気に戻らなかったのよ。その子の目
が忘れられなくて。のりちゃんの表情はそれとそっくりなの」
 私がそんな目にあったら自殺するかもしれない。狂ってしまった方が幸せかもしれな
い。他人の同情も思いやりも何の役にも立たない。
 「とりあえず、待つしかないわ。私たちも食事をしましょう」
 レストランのテーブルでは大宮と阿部が食事を終えていた。私たちはその隣で遅い昼
食を食べ始めた。
 「一体何がどうなってるんだ」不意に大宮が口を開いた。「何が起こってるんだ」
 「落ちつけよ」阿部がいったが、大宮はそれを無視してなおも大声で叫んだ。
 「もういやだ。おれは出てくぞ。何で雨くらいでこんなところに、いつまでもいなき
ゃいかんのだ」
 「黙れよ。あの子が寝てるんだぞ」阿部がきつい口調でたしなめた。
 「うるせえ」大宮は怒鳴り返した。「知ったことか」
 「うるさいのはあなたの方よ」私は大宮にいった。「男のくせに。少し落ち着きなさ
いよ」
 「あんたにそんなこと言われる筋合いはないよ」大宮はみっともなくわめいた。この
男はキャンパスではうまくやっているに違いない。語学と体育だけ出席して、残りの講
義は要領よくすっぽかし、女の子とデートして、コンパで騒いで、バイクで我が物顔に
走り回り、バイトに精を出す。彼のフィールドではまずまず有能で自信家なのだろうが
今のようにマニュアルに想定していない事態には全く適応力がない。
 阿部の方は、それに比べると1万倍も落ち着いて見える。決して女性にもてる容姿で
はないが、最終的に女性が選ぶのはこのような男である。
 「いいかげんにしなさいよ。出て行きたかったらさっさと行けばいいじゃない。止め
はしないわよ」
 私の言葉に大宮は顔を真っ赤にして怒鳴った。
 「うるせえ、おばん!出て行ってやる!」
 その言葉にカチンと来た私は言い返した。
 「男のヒステリーはみっともないわよ」
 大宮はつかつかと、レインウェアがかけてあるテーブルに歩み寄った。乱暴な手付き
で乾いたレインウェアを着始める。
 「おい、大宮。待てよ。おい」阿部があわててそっちに走って行った。
 「ちょっと、言い過ぎたわね。あなたも彼も」あけみさんが微笑んだ。それを見ると
熱くなっていた私の心は急速に冷めた。
 「ごめんなさい。つい、かっとなっちゃって」
 あけみさんは笑いながら首を振った。
 「謝ることはないわ。まだ若いんですものね」
 「大丈夫かしら」私は二人の方を見た。大宮と阿部が小声で話し合っている。阿部が
説得しているようだ。
 「大丈夫よ。何だかんだいっても外へ出ていく気にはなれないでしょうから」
 あけみさんの言うとおりだった。しばらくすると、大宮は戻ってきた。私の顔を見な
いように離れたテーブルに座り外を眺め始めた。阿部がそちらに歩きかけて、私の方に
軽く頭を下げて、しょうがない奴だ、と目で伝えた。
 私とあけみさんは顔を見合わせて、乾いた笑いを交わした。





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