#2270/3137 空中分解2
★タイトル (RAD ) 92/10/14 1:25 ( 92)
場所固定>月面 悠歩
★内容
場所固定>月面 「君に…」
悠歩
月。昔から人はこの星を静かなる女神の星として崇めた。
セレネ・ルナ・アルテミス。それらは皆清らかな乙女であり、その処女性は絶対に
汚すことの出来ないものであった。
かつて、ギリシヤのアクタイオンは心ならずも、水浴をするアルテミスの裸体を見
てしまったがため、その姿を鹿に変えられ友人達のけしかけた犬に八つ裂きにされた
と言う。
しかし、そこまでして守られてきた乙女が今はどうだろう。見る影も無く、汚され
てしまった。
二十一世紀初頭、地球の資源を使い果たした人類は僅かばかりの資源を得るため、
その処女を凌辱し、散々に弄んだ挙句、新たな航法の開発と共により豊かな資源を持
つ惑星を見つけると、何のためらいも無く彼女を捨てた。
その結果、残された彼女の姿の何とみじめなことか!
地球から見た月にもはや、風流などという言葉は無い。
無計画に堀り越されたその表面は無意味な凹凸を付けられ、兎のもちつき、蟹の姿、
乙女の横顔と言われ、親しまれてきた影は見苦しい斑模様となり、夜空を見上げる人
々は意識的に月を視線から避けた。
そんな月の一切の権利を父の遺産の大部分を裂いて買い取った僕を周りの人々は非
難した。
「あなたの父上は、立派な方でした。我々は皆、あの方の下で働けることを誇りに思っ
ていました。しかし、あなたは違う。
あなたの元で働くことは出来ない」
そう言って、父の残した会社の重役達に三下り半を突き付けられた僕は会社を優秀
な副社長に譲ると僅かに残った財産を持ち、僕の計画に賛同してくれた数人の友人と
彼らの集めてくれた人々と共に月に来ていた。
「地球で見てもひどいもんだったが、こうして実際その場に立ってみるとひどいなん
てもんじゃ無いな」
ヘルメットのマイクを通じ、僕のとなりにたった寺山純一が、大袈裟な口調で話掛
けてきた。
「本当にやるのかよ。直樹お前、文無しになっちまうんだぜ」
「ああ、やる。幸い、政府の残した機材で使えるものもあるし。ただ、協力してくれ
るみんなにろくな支払いができないことが心苦しいんだけれど」
仲田直樹、それが僕の名前である。
「なーに、俺等皆、金が欲しくて就いて来たんじゃねえや。今世紀最大、いや、史上
最大の馬鹿野郎の計画に参加してみるのもおもしろいと思って来たんだ。なあ、みん
な」
お調子者の田尻がそう言って皆に同意を求める。
皆は何も答えなかった。
その代わり、黙って一斉に親指を立てた拳を突き上げて見せた。
「だけど、少しは払ってくれよな」
誰かがおどけた調子で言うと、みんなが笑った。
僕には香苗という婚約者がいた。許婚というやつだ。
もっとも、それは成り上がり者の父が金の力にものを言わせて没落華族の娘と家柄
を買い取ったようなものだったが。
しかし、そんな事情とは別に僕は本気で彼女を愛していた。
香苗も僕を愛してくれていた筈だった。少なくとも僕はそう信じていた。
ところがある日、習い事の帰り道、香苗は通りすがりの男達にレイプされたのだ。
更に悪いことにそれが三流週刊誌の知るところとなり、匿名ではあったがおもしろお
かしく報道されてしまった。
『旧華族のお嬢様の御乱遊!?』
それはまるで彼女のほうから男達を誘ったように書かれていた。
もちろんそんなことは絶対にありえない。僕が手を握っただけで耳まで紅くしてい
た早苗が!
だが父は僕の話しなど聞く耳も持たず、いくらかの金を渡して婚約を解消させた。
僕は何度も彼女に会おうとした。電話もした。しかし彼女は決して会ってはくれな
かった。
一度だけ彼女から電話があり、消え入りそうな声で僕に言った。
「…ごめんなさい。私がいればあなたに迷惑が掛かります…」
そして彼女は姿を消し、数日後、父の渡した金と『さよなら 幸せでした』そう書
かれた手紙が送られてきた。
僕はその後も必死で彼女を捜したが見つけることは出来なかった。
作業は予想以上に困難なものだった。無造作に掘り起こされた穴を埋め、平らに均
す。あるいは逆に盛り上げる。
だがみんな頑張ってくたお蔭でついに作業が完了した。
その日、日本では十五夜の月が輝いていた。普段月を無視し続けていた人々もその
日はそれができなかった。
「なんだ!? あれは」
月を指さし、みんな口々にそう言った。
醜い斑模様の消えた月の影がはっきりと読み取れる文字でこう形作っていたのだ。
『I LOVE YOU. SANAE,FOREVER』
「トゥルルルルル」
月面に設けられた事務所の電話が初めて鳴った。
「はい」
「…」
「仲田…直樹です」
「…私…早苗です…」
皆には悪いが明日かまた、月を有るべき姿に戻してもらわなければならないようだ。
(終)