AWC 楽  理 (1)            RUI


        
#2152/3137 空中分解2
★タイトル (NZH     )  92/ 9/16  18:39  (150)
楽  理 (1)            RUI
★内容
「チッ……」
 力もこもらない舌打ちをしながら、飯島和人は、街をどこに行くともなく、
歩いていた。
 そのぶっちょう面は、とても楽しそうだとは言いがたい。
 事実、その通りで……。
「何だい、由美の奴! 時間に少し遅れたぐらいでさ……。『もう駄目ね、あ
なたとは、これっきりね』もないもんだ!」
 そう、飯島和人は、今しがた、振られてきたばかりなのだ。
 彼は、大学の2年生。今が一番、遊び時でもある。
 どちらかと言うと、不器用な方で、体格はいいが、顔はそこそこという程度。
 頭も秀才でも馬鹿でもない、普通の普通。
 話術に長けている方でもない。
 だからこそ、女の方でも、そんなに惜しがる男でもないから簡単に振ってし
まうのだ。
「今まで、散々、金を出したりしてやったのにさ……ほしい物は何でも買って
やったのに……!」
 どうも、彼は相当、金をつぎ込んでいたらしいのだ。それが親の金ならとも
かく、自分が汗水垂らして働いたバイト代だったのだから、和人がここまで愚
痴るのも当然と言えよう。
 とにかく、女々しいのは事実であるし、和人がめっきり落ち込んでいるのも
事実と言えば、事実であった。
「喫茶店かラーメン屋でも入るか……どっちに行ったって、やけ食いだ!」
 和人は怒りと悔しさの余り、さっきから一人でブツブツ呟いてる自分を変だ
とは思わなかった。
 道行く人たちが、また和人の方を振り返った。
  和人はそれさえも気づかなかった。ただ、やけ食いするべき店を並木道の間
から探していた。
「ん?」
 和人の目にある店の名前がとまった。意外にもそれは、ラーメン屋などでは
ないらしかった。
「『楽  理』……? ああ、がくりって読むのか」
 和人は店の名前を読んで、呟いた。
 彼が楽理という名を正しく理解できた訳は、『楽  理』と書かれた後に、
ローマ字で『GAKURI』ともう一度書かれていたからだった。
 そこは、こぎれいな、こじんまりとした店だったが、何故か目立ち、人を引
き付けた。
 店の赤く可愛らしい屋根を除くと、他はすべてガラス張りだったせいもある
かもしれない。構造上、脆いかもしれないが、明るいこと、この上なかった。
 和人は少し興味を持って、中を覗こうとした。
 が、いまいち、よく見えない。
 見えにくい構造になっているのだろうか。
 しかし、一体、何の店なんだろう? 何を売るのだろう?
 ガラスに書かれた店名の赤い『楽  理』という文字を追って行くと、小さ
く、ちょこちょこっと書かれた文字にあたった。
「なになに『音楽をお聞かせ致します。どれでも好きな物を……あなたの心を
明るくします』……成程ねえ。音楽かあ。何でも商売になるんだなあ……」
 和人はしばし、感心してその場に突っ立っていたが、試しに入ってみようか
という気になった。
 普段だったら、そんなこと思いもしないのだろうが、書かれている『あなた
の心を明るくします』が、妙に印象強く残っていた。
 それに、和人も音楽は好きだったし、理解もできた。
 一曲の値段が御丁寧にも書いてある。そう、高い値段でもない。今日は、デ
ートのつもりだったから、それなりに金はある。
 よし。
 和人は思い切って、キィ……とガラスのドアを押した。



 中は明るくて、ドラセナ種の観葉植物が飾ってあり、内装は、白で統一され
ていた。しかし、喫茶店のようにはなかった。
 テーブルは小さいものが、無造作に並べてあるだけだし、カラフルな椅子が
そこかしこに散っているだけだった。
 そして、普通よりも何よりも違っているのは。
 この小さい店には相応しくない、大きなグランドピアノが置いてあったせい
だ。その上には楽譜らしきものもあった。
 それだけではない。
 テーブルの上には金色のフルートが置いてあった。白い光を帯びて、金色の
光を放っていた。
 数え上げれば、きりがないという奴で、他にもパイプオルガンやギター、楽
器なら何でもあるといった風情。
「へえっ! 本格的だなあ」
 和人は、思わず、そう叫んでいた。
「-----光栄ですわ」
 突然、声がした。滑らかな女の声だった。その声に、思わず和人は、狼狽を
隠せなかった。
「失礼、驚かせてしまったかしら? でも、ここは店なんだから、人もいるの
よ」
 彼女はクスクスと、愉快そうに笑った。
 物腰の丁寧な、栗色の髪の長く背中にたらした、上品な女性だった。歳は2
3、4頃、若草色のワンピース・スーツがよく似合い、胸には、何かの花のコ
サージュをつけている。
 このまま、パーティなどに出ても、おかしくない格好だ。和人は、見比べて、
自分のだらしない格好を恥じた。
「どうぞ、好きな所にお座りになって」
 その女は、椅子を勧め、自分も座った。
「あ、あの、どんな音楽でも聴かせてくれるってあったけど……」
 和人は、手近な椅子にすわり、少しどもりながら聞いた。
「ええ、何の楽器、何の曲でも」
「商売になるんですか?」
 和人は失礼かな、とも思ったが、思い切って聞いてみた。
「道楽程度には、ね。-----まあ、結構、昔に聞いた懐かしい曲を、もう一度聞
いてみたいと来る人もいたりね。私は、それなりに楽しいわ」
「楽理って名前の店も変わってますね」
 女はリラックスして、足を組んだ。黒いハイヒールが美しい。
「----私も名前は楽理というの。店の名前は、それを取っただけよ。さて、貴方
はどんな音楽がお望みなの?」
 その女性----楽理は、微笑みながら聞いた。
「ええと……楽器はできれば、ヴァイオリンで。曲目は……バッハの『インベン
ション』」
 和人は、この旋律が大好きだった。
「承知しました」
 楽理は、一礼すると、ヴァイオリンを戸棚から出してきた。
「名器のストラディヴァリとは行きませんが、ガイセンホーフです」
 楽理は、細い指で弦を軽く指ではじき、微笑んだ。
「ガイセン……それ、本物ですか?」
 和人がそう聞いたのも無理はなかった。
 これも一種の名器と呼ばれる作品で、絹のような滑らかな音を奏でるのだ。
「では……リラックスして、何も考えないようにしてください……」
 そう楽理は言って、顎当てを挟むと弓に弦を当てた。
 素晴らしい音色が、この店を包み込んだ。ガイセンホーフのせいもあるのだろ
うが、プロ並の演奏だった。
 もともと、『インベンション』は、哀愁に満ちたメロディがよく映える曲なのだが、
この演奏の前では何もかもが無と化したようだった。
 金を払って聞く程のことはある。
 和人は、目を閉じて聞きほれながらも、真剣にそのメロディを心の中でいっし
ょに口ずさんでいた……。




 最後の音が、洗練されたヴィブラートをかけて消えていった。
「いかがでした-----?」
 楽理が弓を下ろしながら、尋ねてから和人は夢から醒めたように、目を開けた。
 眠っていた訳ではないのだが、何だかとてもいい気持ちになっていた。
 まるで曲が、身体中に染み込んでくるようだった。
 不思議だ。
 それに身体が軽い。
 彼女に振られた事ぐらい、どうってことないって感じがして来る。
 歌いだしたい気分だ。
 先のことなど、何も見えない。だから心配なんかしなくていい……。
「もう一曲、聞かせてください。今度は『シャコンヌ』で」
 和人は、今日あるだけの金で、演奏を聞こうと思った。
「若い人なのに、よく知っているのね、曲を……」
 楽理は感心したように言って、困った顔つきをした。
「でも、今日はもう駄目です。-----今度の時には、何曲でも聞かせてさしあげる
から、次の機会にいらっしゃい」
 和人にとっては、意外だった。
「だって、あなたはこれが商売なんでしょう? お願いします」
 楽理はますます、困ったように言って、口を開いた。
「ならば、言うけど、あなたはここに『崩れそうな寂しい気持ち』でこの店に入っ
たでしょう。気にしないで。私にはわかるの。あなたみたいな若い人がこの店に来
る時は、大抵そうなのよ」
 楽理は続けた。
「その『崩れそうな寂しい気持ち』は、今の曲で十分、癒された筈。いえ、その辛
さを忘れたはずだわ。今はこれ以上、聞いては駄目。何もかも、大切なものでさえ
も忘却の彼方に去ってしまうわよ。今のあなたは『無謀』になってるわ」
 その話を半分、聞きながら、確かに和人は、自分の哀しみが去っていることを悟
り、無謀になっていることも自覚していた。

                             <続く>




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