#2144/3137 空中分解2
★タイトル (BCG ) 92/ 9/14 15:21 (129)
蜂 くじらの木
★内容
浦和辺りではあんなに晴れていたのに桶川インターを過ぎたあたりから怪し
くなり始め、今ではもうすぐにでも降りそうだ。
良子は軽くアクセルを戻して前を走るタンクローリーとの車間を開けた。
助手席の飯岡作次が大きなあくびをした。
「いやいや失礼、奥さんの運転がうまいもんだから」
飯岡が白い歯を見せて笑った。
「うそですよ、主人によく言われましたわ、おまえの隣だけには乗りたくない
って、おまえは前方をしっかり見たまま信号無視するタイプだって」
「もう一年になるんですね、ご主人がなくなってから、とんだ災難でしたよね
、三十三、これからってゆう歳ですよ」
突然良子の運転するボルボの前に右を走っていたベンツが割り込んできた。
良子は急ブレーキを踏んだ。体が前のめりになる。わずかのところでボルボ
は接触を免れた。
「ほらね、危ないでしょ、やつぱりシートベルトしてくださいよ、だいぶ違う
らしいですよ」
良子は自分のしめているシートベルトを軽くたたいた。
「いや、どうもこう、腹が出てくると苦しくて、なに死ぬときは死ぬときです
よ、でもあれですね、ボルボとベンツぶつかったらどっちに乗ってるほうが安
全なんですかね」
「どうなんでしょ、ぶつかってみます」
「ああそれだけはご勘弁願いたい」
良子は軽く笑った。
フロントガラスをいくつかの雨粒が濡らした。
ワイパーをかけるとガラスに付いていたゴミやら油分やらが雨と混ざりあっ
て、一瞬、前を走るタンクローリーの姿を消し去った。
良子はゆっくり息を吸い込んだ。
「飯岡さん、主人が運転中に雀蜂にさされたとき誰かと電話をしていたらいし
の、何だかそのことが気になって、ご存じありませんそれが誰だったか」
飯岡は自分のつまさきに視線を落とした。
「奥さん、酷な様だがもう忘れようとなさったほうがいい、それが誰だったに
しろあの事故とは何の関係もないことですよ、いや、知らないですよ私は、た
だ私はそんな状態の奥さんのことを死んだ澄川君だって決して喜んじゃいない
と思うんですよ」
雨がやや強くなった、良子はじっと前方を見たまま言った。
「飯岡さん、私ね、ある意味じゃ主人は運がいいと思っているんです、だって
結局はショック死とゆうことにはなったけれど、高速道路で運転中に雀蜂に刺
されて、その瞬間事故も起こさず緊急電話の所まで行ったんですもの、普通だ
ったら蜂に刺されたことなんて他の人にはわからないままの交通事故死になっ
てたわ、ねえそうじゃありません」
飯岡は今日初めての煙草に火を付けた。
「ところで飯岡さん、例のサングラス見つかりました、ほら野川さんがいって
らしたんですけど、あのカントリークラブで帰りぎわに飯岡さんが急に用事が
できて帰りは主人の車じゃなくてタクシーで帰るとゆうことになって、主人の
車に御一人で探しにいったあのサングラスですよ」
「ああ、あれですか、結局見つからないままです」
前方にテールランプの赤い帯が見え、まわりを走る車のスピードが落ちた。
良子もゆっくりブレーキを踏んだ。
「私、変だと思うんです、主人をさした雀蜂ですけどゴルフ場の駐車場に止め
ている間に車のなかに入ったらしいということに落ち着きましたけど、主人が
刺されたのは左手首や首筋とか全部で五ヶ所もですよ、とゆうことは蜂は一匹
じゃなくて少なくとも三、四匹はいたということじゃないかしら、そんなに一
度に何匹もの蜂が車のなかに入りこむなんて変ですよ」
飯岡はまだ半分ほど残っている煙草をもみ消した。
良子は続ける。
「妙なものを見付けましたの、主人が乗っていた車のグローブボックスの中に
あったんですけど、そう、このぐらいかな十三、四センチぐらいの深さの透明
のプラスチックのコップなんです、私全然見覚えないんですよね、そんなコッ
プ、なんであんなものが入っていたのかしら」
飯岡はウインドーを五センチほど開けた。
煙草の煙と入れ替えに、八月の湿った風が車内に滑りこむ。
「つまり、奥さんはあの雀蜂は誰かが故意に入れたと思っているわけですね」
良子はじっと前方を見つめたままだ。
良子の口元がほんの少し動いて、微笑んだように飯岡には見えた。
「奥さん、詳しく聞かせてくれませんか、どんなふうに考えておられるのか」
「雀蜂を使った計画的な殺人だと思っています。誰かがゴルフ場の駐車場に止
めてあった主人の車に忍び込んでグローブボックスのなかに雀蜂を入れたんで
すよ、その時使ったのが例のプラスチックのコップです。犯人は雀蜂をコップ
にいれて持ってきたんだと思います、もちろん穴を開けた紙かなにかで蓋をし
て、それでそのまま雀蜂を車内に放してもよかったんだけどそれだと車に乗る
前に車内に蜂がいるのを見付けちゃうことだってあるかもしれない、そこで犯
人は雀蜂をグローブボックスのなかにいれたんだと思うんです。でもこれが結
構むづかしいんです、なんといってもそれは殺人蜂とも言われるぐらいの恐ろ
しい蜂ですからね、触るわけにはいかない、でもグローブボツクスを開けたら
蜂がでてくる様にしたい。どうしたんだと思います、例のコップを使ったんで
すよ。犯人はグローブボックスを開けると雀蜂の入ったコップを伏せて中に置
いんたです、そしてゆっくり紙の蓋を引き抜いてグローブボックスをそっと閉
めたんです。こうしておけば車が少しゆれただけで雀蜂の入ったコップが倒れ
てグローブボックスのなかは雀蜂だらけになるはずです。このコップが軽いプ
ラスチックを使ったというのも犯人はよく考えてのことだったのかも知れませ
ん、ガラスのコップだと倒れたときに結構響きますものね」
「もちろん、指紋なんて付いていないでしょうな」
「でしょうね、それに警察にいったところで信じてくれませんわ」
ゆっくりではあるが流れていた車もほとんど動かなくなった。
雨も強くなりまだ二時だとゆうのにスモールランプを点けている車もある。
良子もスモールランプを点けたが、何かを思いついたようにすぐ消した。
「でも奥さん、人を殺そうとする人間がそんな不確実な方法を使いますかね、
だってグローブボックスを開けなければ蜂はでてこないわけでしょう、私なん
かここ一ヵ月ぐらい開けたことがない」
「電話ですよ、犯人は主人が高速に乗った頃を見計らって電話をかけてこんな
ふうにいったんじゃないかしら、悪いけどグローブボックスのなかをみてくれ
ないかって」
良子はごくりと唾を飲み込んだ。とても大きな音がしたように感じた。
滝のように降る雨の中をほとんど動かなくなった車の列がつづいている。
良子は続けた。
「サングラス、入っているかもしれないって」
長い沈黙。
飯岡は二本目の煙草に火を点け、ゆっくり吸い込んだ。
左の路肩を猛スピードで四台の車が走り去った。
飯岡が気の抜けた声でいった。
「我慢がならないね、ああゆう奴らは」
「飯岡さん、みんなわかっちゃつたんですよ、私」
また一台の車が路肩を走り去った。
「ああ、危ないなあ」
飯岡は外をぼんやり見つめている。
「私、あの日飯岡さんを乗せたタクシーを探しましたの、ゴルフクラブで聞い
たら思ったより簡単に見つかりましたよ、その運転手さん飯岡さんのこと覚え
てらして、主人が雀蜂に刺された三時四十分ごろ飯岡さんが電話をしたいから
っていったので、煙草屋の前で止めたって。電話はすぐ終わって、戻ってきた
ら顔色が真っ青で、もどされでもしたらやだなって思ったって言ってらしたわ
、駅に着いてお金を払う時手がぶるぶる震えてたとも言ってらしたわ」
「スモールランプを点けたほうがいい、すごい降りだ」
「主人、死ぬ一年ほど前からどうも新製品の情報がよそに漏れているらしいと
いって、いろいろ調べているようでした」
「警察には言いましたか」
「いいえ」
「言ってみたらよろしい、しかしあるのはすべて状況証拠とゆうやつばかりで
す、立件するのはかなりむづかしい」
「そうでしょうね、でもそんなことはどうでもいいんです、それにたとえあな
たが捕まったとしても何年かすれば出てこられるんでしょう、それじゃあ困り
ます」
飯岡は良子が何を考えているのかを探ろうと良子の横顔を見つめたが前方を
見たままの良子からは何もうかがい知ることはできない。
「すいません、路肩見てくれません」
とっさに言われるがままに左後方を見た飯岡の目が恐怖に震えた。
良子はフェンダーミラーで路肩をスピードを上げて走ってくる青いスポーツ
カーを確認すると、ぐいっとハンドルを左に切り、アクセルを床まで踏みつけ
た。
おわり
くじらの木でした