AWC    馬の骨             椿 美枝子


        
#2066/3137 空中分解2
★タイトル (RMM     )  92/ 8/18  15:51  (124)
   馬の骨             椿 美枝子
★内容
 どこの馬の骨だかわからん奴なぞと、結婚させる訳にはいかん。

 娘の求婚者に向かってそう怒鳴る事が夢であった。
 かつて私が今の妻に求婚した時、そう言って彼女の父親に怒鳴られた。のしか
かるような伝統が匂う古い建物、あの時の、恐怖。私の隣で震えている共犯者の
気配に、引くに引けず、逆らえず、足が竦み、視界が狭まり、ただ、最後の尊厳
と閾値寸前のあらゆる感情とが葛藤していて、出されたお茶を飲まないと失礼か
な、私の手土産の羊羹にも手を付けた方がいいのかな、ああこういう時はどうす
ればいいのかな、ともかく何も考えずに目前の厳つい顔にがばりと手をついた。

 その後、妻の実家に行くと、あの人はもう悟りきったように静かであった。私
は試されたのか、気持ちが済んだのか、およそそんな所であったろう。いつか、
あの人より高給取りになって見返そう、と思いながら働いたのに、あの人は娘の
結婚に安心したかのようにまもなく死んでしまった。

 娘の求婚者に向かって私もそう怒鳴りたかった。
 二年置きに生まれた子供は、三人とも息子。仕方無い。些か気持ちが納まらな
いが、息子の連れてくる女性に言おう。

 長男は高校を出てから、就職せずにぼんやりとアルバイトをする傍らオートバ
イで日本中を隈無く回った。時折金を家に入れ、せびった事は一度もなかった。
家には殆ど帰らなかったのが、ある時、急に仲間内で会社を作って働き始めた。
長男の気骨だけは私譲りと見込んでいたがそれにしても随分な思い切りの良さに、
大人になったものだな、と少なからず感服した。稼ぎが安定してすぐに、有名な
お嬢様大学を卒業して働いているというどこやら素朴で頭の良さそうな娘を連れ
てきた。彼女は日本中の山を回っていて息子に出会ったと言う。なるほどな。妙
に納得してしまい、怒鳴られるとすれば家の息子か、と一瞬の危惧、けれど相手
方の親とてあまりに似合いの組み合わせ、そして飄々としている家の息子を見れ
ば怒鳴る気も起きまい、結婚には出来得る限り尽力してやろう、と馬の骨どころ
でなかった。

 三男は高校を出てから、進学を嫌ってアルバイトをする傍ら、いつか有名にな
ると言う割には一向に上手くはならないギターでバンド活動とやらをし、野球選
手に始まって、ファミコン名人、カメラマン、F1レーサー、皆やりかけで放り
投げ、今までのパターンから推察するにそろそろギターも終わるに違いない。金
を家に入れないどころか、事ある毎にせびっていた。いつも親には不満げな顔、
その癖甘えてばかりいるのは末っ子だから仕方があるまい、と思っていたが、最
近きちんと就職をしたかと思うとまもなく以前のバンド仲間という女の子を連れ
てきた。長男に刺激されたらしい。お前の年収は幾らだ。計算した事がないから
わからないよ、今の職場は始めたばかりだし。大体でいい。180万ぐらいかな。
やっていけるのか。そんな事やってみないとわからないよ、でも今、ギターのロー
ンと車のローンとカメラのローンがまだ残っているから。残っているから、何だ。
とりあえず、式に50万とあと毎月に5,6万だけでいいから出してくれないか
な、今に彼女も稼ぐしさあ。馬鹿者。
 顔に往復を喰らわせて、十年早いぞ今の倍の稼ぎになるまで考えるな結婚は経
済力だ経済の自立だ、と懇々と諭し、お前間違っても相手の家に求婚しに行くな
それこそどこぞの馬の骨がと言われるだけだぞわかっているか、あまりわかって
いない表情にため息。

 次男が大学を卒業して、就職した。大学時代はコンピューターのローンをまか
なう為のアルバイトで費やした。金を家に入れなかったが、せびりもしなかった。
小さい頃から電気製品を分解しがらくたを半田付けし回路図を書きコンピューター
をいじり男子高を経て理工系の学部を出て一流家電の技術職という、およそ女性
には縁遠き風情で多分三人の中で一番免疫が無かろう。以前から年上の女性にた
ぶらかされねばいいが、と思っていたらば大学四年の頃からだったか、頻繁に一
人の女性から電話が掛かってくるようになった。免疫の無い奴は極端でいけない。
電話の回数は一度説教してから減った。その分こちらから公衆電話で掛けている
のは知っている、以前夜に駅前の塞がった電話ボックスの前に順番待ちで佇む何
とも情けない姿を見た事がある。そうまでして掛けて一体何を話すのだろうか。
とにかくこれは、相手が悪い。長男も三男も付き合う相手が出来て真面目に就職
をしたが、次男の場合は朝帰りが増えた。もし連れてきたら今度こそは馬の骨と
言えるだろう。
 就職して二年、とうとう例の女性を連れてきた。背が低く、目が細く、顔が悪
い程ではないがまあ美人でもなかろう、性格はわからないが、次男は一応顔も頭
も性格もよいから、釣り合わなかろう。四才も年上というから驚く。少し童顔な
のであろう。それにしても二十四に二十八か。これはもう、年上にたぶらかされ
ている図に他ならない。相手はそろそろ、焦り始める年か。音楽大学というから
頭の悪くてピアノがようやく弾ける人間の集まりであろう、と思いながら、専攻
は、と尋ねると、作曲です、と言う。歌謡曲でも作るのであろう、と思いながら、
どんな曲を、と尋ねると、彼女はゲンダイオンガクを作るんだよ、と次男が真面
目くさった顔で知ったような口をきく。でも音楽では食べていけませんから、と
女性の方も知ったような口をきく。よくもまあ五十年も生きてきた人間に対して
世間を知ったような口をきける、若いという事は全く。つまりは実質無職かアル
バイトであろう、と思いながら、ほう、それではご職業は。コンピューターのプ
ログラマーです。少し沈黙が続いた。
 言うなら、今。深呼吸。少しやましさを感じたが、あの頻繁な電話の主には、
積もる思いがあった、言うなら、今。
 どこの馬の骨だかわからん女、言い掛けた私をとがめるように遮りお言葉です
がお父さん彼女は父方の血筋は子爵で爵位を持っていた人は当時の画家だそうで
お墓は青山墓地にあるそうですし母方の血筋は大名でその苗字が今も地名になっ
て残っているそうでちっとも馬の骨じゃないですよ、と次男。

 違うわ、きっと、お父上はわたくしの事、お気に召さなかったのよ、そんな事
がおっしゃりたかった訳じゃないと思うの。わたくしが至らなかったばかりに。
わたくし、もう、おいとま致します。後日改めてお伺い致しますわ。

 普段書き言葉としてしか縁の無いような表現の羅列。演技にしては上出来過ぎ
る。今後ずっとこの浮き世離れした堅苦しい表現で滔々と話し掛けられねばなら
ないのか。少し目眩がして、妻の父親の顔が目前の女性と重なり、そして二人共、
お前こそ馬の骨だと言っているように思え、たまらなくなり、叫ぶ。

 結婚は反対だ。

 私は一人、部屋に引き隠り、馬の骨、という言葉を恨めしく思う。
 どんな人間でも、その遺伝子を育む血筋があろうに。血筋に優劣は無かろうに。
 そうだ、あの女性の言う通り、気に入らなかった、そう言えば良かった。そし
て何故あの人は私にそう言わずに、馬の骨、と言ったのであろう。気に入らない、
を正当化する為にか。気に入らない相手をおとしめる為にか。そして、その言葉
に私は、ずっと呪われていた。ナンセンスだ。

 居間に戻り、彼女を駅に送り届けて来たばかりの次男を呼ぶ。

 あの女は気に入らん。だが、結婚するのはお前の勝手だ。たとえお前が苦労し
ようと、自業自得だからな。

 次男が嬉しそうに私に礼を言う。
 ネクタイをして慌てて出て行ったからきっとこれから彼女の家に向かってあち
らの親御さんに会うのでしょう、と妻。
 そこでせいぜいいじめられればいいさ、と私が吐き捨てるように言うと、あら
あなた知らなかったの、あちらの家には度々お邪魔してもうちゃっかり取り入っ
たみたいよ、あの子しっかりしてるから。それにしても、思い出しますわね、私
達の事。あの頃は本当に、若かった。あなたは父の言葉をただ黙って何も言わず
に耐えてくれて、嬉しかったわ。でもあの子、あちらで気に入られて、良かった
わね。辛い思いをしなくて済むんだから。

 次男はきっと、馬の骨とは言われなかったのであろう。
 きっとそれが、一番良い事なのであろう。


                       1992.7.13.29:15

                                  終

          楽理という仇名 こと 椿 美枝子




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