AWC 顔見知りの他人ー2   くじらの木


        
#2048/3137 空中分解2
★タイトル (BCG     )  92/ 8/13  15:53  (152)
顔見知りの他人ー2   くじらの木
★内容
 泥棒に入られたのだと気が付くのに二、三秒かかった。もしかしたらこの部
屋だけ局地的な大地震が襲ったのじゃないだろうか、そんなことを思った。
 ダイニングテーブルの上には敏子のパンストやら勇一の夏物の背広やら、家
計簿やらが放り投げられていたし、床には奥の部屋の机の上に積んでおいた本
が散らばっていた。
 勇一が百十番をすると、電話に出た警官は何も触らないで、ただそこにじっ
としていて下さいと、同じことを何度も言った。
 五分後にパトカーの警官が二人やってきた。警察官の二人組といえば年配者
と若造のコンビと決まっているのは刑事だけなのかもしれない、その二人はど
ちらも二十六、七に見えた。おまけによく似ていた。
 ちょうどその時敏子が帰ってきたが、あっ、と言ったきりその場で思考が停
止してしまったようだった。
 警官たちの仕事はすべてがシステマティクに進んだ、彼らは慣れた口調で無
駄なく勇一から必要なすべてのことを聞き出し、あとからやってきた鑑識の人
間はいくつかの足跡と信じられない量の指紋と、大量の写真と撮り、最後に勇
一の指紋と、なぜ指紋を採られるのか理解しないまま呆然としている敏子の指
紋を採ってあっという間にいなくなった。
 慣れてるんだ、こんなことには、彼らはそんなことを言いながら仕事をして
いるように見えた。
 口笛だって吹きかねない、もちろん吹かなかったが。
 最後に、警官は書類に書込ながらまた同じことを言った。
「本当に何にも盗られてないんですね」
 勇一は「はい」と答えた。
 本当に不思議なことに何も無くなっていなかった。
 先週引き出したばかりの十万円もそのままあったし、例の手帳も机の抽斗の
なかにちゃんとあった。
 もっともキッチンストッカーの奥にしまいこんだ湿気たピーナッツの袋から
それが一粒盗まれたとしたって、勇一がそれに気が付くはずはなかったがベラ
ンダのガラス戸を破って部屋を散らかし放題にした奴が湿気たピーナッツ一粒
が目当てだったとは思えなかった。
 警官たちが帰ったあと敏子がやっとまともに口をきいた。。
「やっぱり、泥棒はあの手帳が目当てで盗みにはいったんじゃあないかしら、
でも見つからずにあなたが帰ってくる時間になっちゃったのよ」
「でもあれだけひっかき回して、机の抽斗に入ってるあの手帳が見つかんなか
ったとは思えないな」
「慌ててたのよ、きっと、犯人は猪狭山慶太、あいつしかいないわ」
「そうかなあ」
 勇一は昨日の電話の声を思い出しながらつぶやいた。

 猪狭山慶太が泥棒でなかったことは以外に早くわかった。
 翌日の朝、散らかりっぱなしの部屋で眠い目をこすりながら見ていたテレビ
のニュースがこう伝えていたからだ。
 昨日午後5時ごろ埼玉県秩父郡両神村の山中で山菜取りにきていた秩父市の
農業市川尚之輔さんが県道から二十メートル下の凹地で死体を発見し警察に届
けました。死んでいたのは持ち物などから、東京都文京区白山の自営業、猪狭
山慶太さん六十一歳と見られています。死体は死後3週間ほどたっており腹部
に拳銃で撃たれたと思われる傷があることから、警察では殺人事件として捜査
を開始しました。
 猪狭山は3週間前に殺されていた。
「そんな馬鹿なことって」
 勇一はテレビにむかってつぶやいた。それじゃあ一昨日の夜、勇一が電話で
話した相手はいったい誰だったってゆうんだ。
 猪狭山慶太になりすましてあの手帳を受け取ろうとした男がいたということ
か。そしてそいつこそが徳島で若い女性を殺し、猪狭山慶太を殺し、昨夜手帳
を盗みにこの部屋に侵入した奴なのか。
 テレビの画面には殺された猪狭山慶太の写真が映されていたがそれはどう見
ても勇一が徳島で会った男ではなかった。当たり前の話だ。
 そうすると、すべての犯人はやはり徳島で会ったあの男なのか。
 勇一は、すべてを整理して考える必要があると思った。あの徳島であいつと
会ったときから昨夜の泥棒にあったことまで、合理的に考えるんだ、そしてい
くつかの不自然だったことを思い出すんだ、そう何度も自分に言いきかせた。
 不自然なこと、それは確かにいくつかあった、あれと、あれ。それらはある
ところではしっかりと結びつきあるところでははっきりとした形となって勇一
の前に表れた。やがて結論めいたものが勇一の前に表れた。
「警察に行こう、いますぐだ、犯人がわかった」
 勇一は敏子にいった。
 その時ドアチャイムがなった。
 敏子がドアを開けるとそこに犯人が立っていた。
 勇一は自分がうかつだったことに気が付いた。
 すべての鍵だった猪狭山慶太が死体で見つかってしまったのだ。当然それは
こいつも知ることができたのだ、それもいまやっと起きた勇一達よりずっと前
に。
「ああ、よかった、まだ警察に行く前で、三友さん、ちょっとお話があるんで
すが」
 篠崎隆が愛想のよい顔で玄関に立っていた。
「あれ、どうしたんですか、そんなびっくりしたような顔をして、ああそうか
、ニュースやっぱり見ちゃったんですね、まいったなあ、それじゃあ仕方がな
い」
 篠崎は胸ポケットからピストルを取り出すと銃口を勇一に向けた。
「おもちゃじゃないですよ、あの強請り屋が持っていたものです」
「やっぱり徳島であの男とぶつかったとき手帳を落としたのはおまえだったの
か」
「ああ、あの時は慌てたよ、すぐ拾い上げて自分の物だといえばこんな面倒な
ことにはならなかったんだが、あんたが拾って名前を見ちゃったもんだから自
分のだとはいえなくなってしまったとゆうわけだ」
 篠崎は、ゆっくりと近ずいてくる。
「猪狭山ってゆう男はやくざな私立探偵で、俺と美和の関係を妻にバラすぞっ
て強請りやがったんだよ、だから殺してやったんだ。そしたらどうだ、今度は
それを知った美和が結婚してくれなきゃあんたが殺人犯だって警察に訴えるっ
ておどしやがった、それであいつもあの世へ行ってもらったんだ。あんたが何
の疑問も持たないであの手帳をわたしに見せてくれれば、そうほんのちょっと
だけ触らせてくれれば、あんたたちも死なずにすんだんだ。私だって電話であ
んな芝居をし無くもよかったし」
「何が書いてあったんだ、あの手帳に」
「何にも書いてなんか無いよ。ただあの手帳には猪狭山の名前と、美和の指紋
と、一度もそれに触ったはずのない私の指紋がついていたんだ。そんなものを
警察に持っていかれでもしたらたいへんだからね」
「昨夜あなたがこの部屋に忍びこんだのは手帳についたあなたの指紋を拭き取
ることが目的だったのね」
 敏子がいった。
「当たりです。奥さん。それで猪狭山の死体が見つからなければ万事うまく行
くはずだったんですがね、それが昨日見つかっちゃった。私としては、見つか
ったとしても身元のわかるようなものは一切付けておかなかったかんで安心し
てたんですがどうも間抜けなことで、あいつも指紋リストに登録されていたク
チだったらしくて身元もすぐ判っちゃった」
「篠崎、こんなことをしたって結局はばれる、警察はそんなに馬鹿じゃない。
それに、ここでそんな物をぶっぱなしてみろ隣近所に筒抜けだ」
「どうでしょう、やってみますか」
 篠崎はぐいと銃口を前に出した。
「そこまでだ、静かにしろ」
 そんな声がドアの向こうで聞こえたと同時に男二人が玄関のなかに飛び込ん
で来た。篠崎が振り向く暇もなく、ひとりが篠崎の両足にタックルしもうひと
りが拳銃を持っている手をおもいきり蹴りあげた。鈍いやな音がした。
「警察だ、静かにしろ」
 たしかに彼らはそういった。やはり警察は馬鹿じゃない。
 それでも篠崎は少し暴れたが手錠をかけられると観念したようだった。
「どうしてここへ」
 と勇一が聞くと最初に飛び込んで来た方の刑事が言った。
「昨夜猪狭山のマンションを調べてましたらここの住所が書いた紙切れが落ち
ていたんでちょっと来てみたんですよ」

 月曜の朝、勇一と敏子はいつもと同じ様に駅にむかって早足で歩いていた。
 昨日は日曜日だとゆうのに朝から夕方の六時までぶっ続けで警察の事情聴取
とゆうのにあってどうも休んだ気がしない。
「ねえ、あたしまだ解らないことが二つ有るんだけど」
 敏子がねむたそうな目でいった
「まず第一が、あの電話の声だけど、あれ絶対に篠崎の声じゃあ無かったわよ
ね、だってあの人の声だったらあなたが気が付かないわけないもの」
「それがやっぱりあれは篠崎の声だったんだな、種明かしは簡単さ、ほらよく
いたずら電話撃退用に女の子がとくに使うんだろうけど声を変える装置が着い
てるのがあるだろ、あれだったんだ、警察で聞いたんだけど」
「それともうひとつ、あなたが徳島で会った見覚えのある人っていったい誰だ
ったのかしら」
「それがやっぱり解らないんだ、警察の方でも探してみるとは言ってたけど、
やっぱり事件には関係なかったみたいだ」
「あれ、まずい、いつもより五分も遅れてるわ」
 敏子が駅にむかって走りだした。
 勇一も敏子のあとを追いかけるように走った。
 二人はつい最近自動改札になったばかりの改札を走りぬけ、ドアが閉まる直
前にいつもの電車に飛び乗った。
 その一瞬、勇一の記憶の断片がかすかに震えたような気がしたのだがそれは
ほんのまばたきの様な物ですぐに跡形もなく消え去った。
 だからついこの前まで改札に立っていて毎朝愛想よくお早ようございますと
いっていた駅員が、今旅行センターのコンピューターの端末の前に座ってこん
なことをぼんやり考えているなんて想像もしなかった。
「しかし、あの徳島の町で俺に声をかけた奴は誰だったんだろう、やけに馴々
しかったけど、ううんどうも思い出せない、やっぱりここしばらくは不倫旅行
なんて物は行かないことにするか、どこで知ってる奴にばったり会うかわかっ
たもんじゃないからな」
             おわり

                       くじらの木 でした




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