AWC らいと・ひるの恋愛すくらんぶる>「あなたを好きになったから」


        
#1997/3137 空中分解2
★タイトル (NKG     )  92/ 7/30  21:46  (131)
らいと・ひるの恋愛すくらんぶる>「あなたを好きになったから」
★内容

 すべてを洗い流し、寂しげな心を埋めてくれる雑踏。
 東京暮らしに慣れた省吾でも、ふとその流れ身をまかせて、心のもやもやを消し
たくなることもある。
 東京で暮らした4年の年月は、省吾の心を荒く削り取り、すさんだ空気をその奥
へと流し込んでいった。
 そして、いつの間にか、きれいなものを見る瞳をだんだんと曇らせていったのだ。
「省吾」
 彼の手をしっかりと握る小さくて柔らかい手の持ち主が、甘いソプラノヴォイス
で呼びかける。
「なんだ?」
 省吾は、隣にいる人懐っこい笑顔の女を少し見おろすように横を向き、冷めた目
と口でそれに答える。
「もう少しだけ歩こうよ?」
 女はそう呟き、雑踏の中でしっかりと手を握りしめながら省吾に寄り添うように
歩いていく。その握りしめた手はまるで、もう絶対に離れたくないという一途な気
持ちを貫くように、強く強く相手の手を握りしめていた。


 省吾が上野に来たのは、志緒を送るためだった。
 志緒が東京に来てもう4年。省吾とほぼ同時期に上京したのであった。同期であ
る会社に入社した二人は、ひょんなことから付き合いだし、現在では社内公認のカッ
プルとなっている。
 だが、もともと一途で純な心を持つ志緒にとって、東京での暮らしは辛く厳しい
ものがあった。この街では、どんなきれいな心もすさんだものに変えていく。およ
そ『きれい』という言葉がイミテーション程度の意味しか持たぬこの場所は、彼女
のいるべき場所ではなかったのだ。いや、来るべき場所でなかったといったほうが
いい。
 繊細な者は、普通の者の数倍もの刺激を躯で受けとめる。それが、害であるかそ
うでないかを見分ける前に、その毒にむしばまれる。それに対抗するものはなにも
ない。免疫など存在しないのだ。
 都会に住む者がその毒に犯されないのは、免疫の為ではなく麻痺なのだから。
 省吾は自分のすさみきった心を、改めて蔑んだ。
 ここには、きれいなものなど何も存在しない。だが、そう考えることこそ、麻痺
した心の末期症状なのだから、と再び自分自身を省吾は責めていた。
「ねぇ、覚えてる?」
 いつの間にか省吾は、地下鉄駅の改札口に来ていた。
 志緒に連れられるがままに雑踏の中を歩いてたので、省吾は志緒に声をかけられ
るまで気がつかなかった。そこは、彼が志緒と初めて出逢った場所であった。
「ああ、覚えてるよ」
 省吾は昔を思いだして、くすりと笑う。その笑顔は、それまでの麻痺した心を少
しだけ正常に戻したような、そんな笑顔だった。
「省吾、やっと笑ったね」
 志緒の顔に喜びの表情が表れる。それまで、心のほとんどを支配していた『不安』
という気持ちが少しとけてくる。そして、その支配から逃れるべく、楽しい思い出
を心の奥から引き出し、それを語ろうとしていた。
「あたしさぁ、東京なんて初めてだったから乗換におろおろしてたらさ、同じよう
におっきな荷物抱えて人混みの中に戸惑ってる人がいたんだよね。なんか、自分の
姿を鏡で見てるみたいで思わず笑いそうになったんだぁ。それが省吾だったんだよ
ね。省吾の方もさ、あたしの事見てげらげら笑いだしてさ。おまけに指さしながら
『あ、同類がいる。』なんて言うんだもん。でも、あれってさぁ、今考えてみると
立派なナンパなんだよね」
 志緒は自分の語りに夢中になり、話ながら所々で笑い出す。
「そんなこともあったよな。だけどさ、おれだって……いや、やめておこう」
 省吾は、志緒の話にいったん乗ろうとするが、どうしてもこだわりを捨てきれず
話を途中で打ち切る。
「省吾、やめないでよ……もっと話そうよ。もうあたしたち逢えないかもしれない
んだよ。あたし、この街は好きになれなかったけど…だけどね、省吾と過ごしたこ
の3年間は嫌いにはなりたくないの。だから……だから……」
 志緒の瞳から、大粒の涙がこぼれ出す。だが、省吾には止められない。いや、止
める権利はもうないのだと、自分自身に言いきかしていた。
「そんな思い出に浸ってどうするんだ。おまえは故郷での新しい生活が待ってるは
ずだ。思い出なんて捨てちまった方がいい。まして、おまえの場合は、この街での
嫌な思い出ばかりのはずだ。おれの事を覚えていてくれるのはうれしいが、同時に
それはこの街の汚い記憶まで持っていくことになる。おまえが、なんで故郷に帰り
たくなったかを思い出せ…おれだって辛いよ。でも、それがおまえの為だと思った
からこそ、おまえが帰ることを許したんじゃないか」
 省吾は、自分の正直な気持ちをなんとか心の奥底へと閉じこめながら、一気にそ
う応える。
「そう…そうよね。あたしは、負け犬だもんね。この街での闘いから逃げだしたん
だもんね。…あなたとの思い出を捨てるのは辛いけど、この街の生活を背負い込む
方がもっと辛いかもしれない」
 志緒はさびしげに呟く。
「決心ついたな?…ホームまでは送るよ」
 省吾もまた寂しげな笑顔を志緒に向ける。
「最後に一つだけお願いしていい?」
 志緒の顔が少しだけ、明るさを取り戻す。いや、それは作られた明るさかもしれ
ない。その奥にある寂しさが、偽りであることを示しているのだろう。
「志緒」
 省吾はとっさに、その奥に隠れた寂しさを読みとる。だが、彼にはもうその寂し
さを埋めることはできない。今はただ、最後の願いを聞き入れるだけだ。
「キスして」
 志緒は少し甘えた声でそう呟く。だが、その甘えの中にも寂しさがつまっていて、
省吾は自分の気持ちが次第に揺れていくのを感じていた。
「ここでか?」
 省吾は戸惑う。
「そう、ここで」
 志緒は、作られた茶目っ気でそう答えると、静かに瞳を閉じる。
「志緒」
 そうささやきながら、最後の口づけを交わそうとした。
 その時だった。
−バンザーイ!
−ばんざーい!!
−バンザーイ!!!
 近くの集団が一人の女の子を送りながら万歳三唱を唱えているのが聞こえてくる。
 その女の子はお姫さまのように、その集団に盛大に送られていく。少し照れなが
らも、うれしそうな表情をちらりと見せながら。
「なに?」
 志緒はびっくりして、目を開ける。
「なんなんだろね?」
 省吾は、志緒の顔とその”万歳三唱お騒がせ集団”を見比べながら本気で笑い出
す。
 志緒もつられて笑い出す。その笑顔にはもう偽りの色はない。本気で腹の底から
笑いだしていた。
 しばらくのうち、志緒が笑いを堪えながら、昔の子とを懐かしそうに語り出す。
「あの集団見てて思いだしちゃったぁ……あたしもいなかを出る時ね、地元の仲間
にあんな風に盛大に見送られたんだよ。………………………あっ!」
 志緒は何かを思いだしたらしく、はっとなる。
「そうだ。ここ……ここよね」
「どうしたんだよ?」
「あたしすっかり忘れてた」
「何がだよ?」
「そうだわ……あたし誓ったんだった。あなたに、そしてあたし自身に」
 なかなか本題を話そうとしない志緒に、省吾はしびれを切らしていた。
「だ・か・ら、何がだよ?!!」
 ムキになって叫ぶ省吾を見て、志緒はげらげら笑い出す。そして、それを堪えな
がらきちんと説明を始める。
「あたしさ。あなたの姿を初めてここで見て、同類だと安心したと同時にあること
を誓ったのよ。…あたしは、あたし自身の為にこの街で生きるんだって。それが、
どんなに悪い結果になろうといいって。この街は好きになれなくてもいい。だけど
この街に住む人達まで嫌いになりたくないって」
 志緒は今までとはうって変わって、生き生きと自分の想いを語り出す。
「……だからね。あたしは、こだわり過ぎてたんだと思うの。この街の汚さなんて
関係ないんだもん。あたしは、あなたを好きになった。それだけで、この街にいる
立派な理由になるんだもの。あたしは帰らない……帰らないわ」
 志緒はそのまま省吾に抱きつく。そして、きつくきつく抱きしめる。
 「もう離れない」と何度もささやきながら。


                              了





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