#1945/3137 空中分解2
★タイトル (HHF ) 92/ 7/13 7:13 (117)
月夜話、其之壱 「 孫 」(2/3) ■ 榊 ■
★内容
二人はしばらく、取り留めもなく街のことについて話し、笑いあった。
考えてみれば、この二人ほど街のことを知っている者はいないのかも知れ
ない。
老人はこの街を作った本人であるし、更紗はこの街の人達といちばん広く
触れあっている。何かと街の悪口を言いながら、二人はとてもこの街を愛し
ていることを確認した。
「あの市長、無類の女好きなんだが知っておったか?」
「知ってるわよ………秘書やらないかって声かけられたもん」
「大したもんだ、さすが県知事の娘に手を出しただけある」
二人は大笑いした。
夕暮れ時、夜の苦手な鳥が家路に急ぎ、鳴きながら飛び去っていく。
暑かった風が、いくぶん涼しさを帯びてきていた。
本当の公園のように所々に設置された電灯がつき、木々がぱぁっと光りだ
していく。
リーバイスの短く切り上げたジーンズとヘインズのTシャツという、もっ
とも身軽な格好をして萌荵が家から出てきた。手には大きなトレイを持ち、
上にはさまざまな土色の陶器がのっていた。
すぐ後から小柄な舞姫が、紫のドレスにリボンといういでたちで現れた。
「ずいぶん話が弾んでいるみたいね。夕食よ」
舞姫が落ちついた口調で言うと、更紗が舞い上がった。
「この匂いはもしかして肉ジャガ?!」
「…………そうよ」
「飲も!!」
更紗はだいぶ酒好きだった。
舞姫はあきらめたように空を仰ぎ、萌荵はクスクス笑いながらお酒を取り
に行った。
更紗がウキウキして喜んでいる中、舞姫は老人の前にすっと座った。
「佐久間翁ですね。今日はようこそおいで下さいました」
小学生とは思えぬ気品と、緊張に満ちた挨拶だった。
「あなたが舞姫さんか。梅干し、うまかったよ」
舞姫はにこりと笑ってその返答を受けた。
「おっ酒! おっ酒!」
「更紗! 少しは落ちつきなさいよ!」
老人は思わず吹き出してしまった。
「これではどちらが姉かわからんなぁ」
「よく言われます」
「本当に………」
舞姫はため息をついた。
今日の夕食は肉ジャガとほうれん草のおひたし、紫蘇ご飯と茄子の漬物だ
った。それぞれ、土をそのまま焼いたような自然な陶器類に盛られ、妙に食
欲をそそられた。
お酒が来る前に更紗は肉ジャガに箸をつけ、「うーーんっ、うまい!」と
感動していた。
「どうぞ、佐久間翁もお食べ下さい」
舞姫に勧められ、食べてみたがどれも素晴らしく美味しかった。
肉ジャガはコクがあるが甘ったるくなく、ほうれん草のおひたしは非常に
新鮮でひねた味がまったくしなかった。ご飯の上の紫蘇が香ばしい匂いを放
ち、茄子の漬物もそれだけを食べても充分に美味しいものだった。
もちろん毎日、普通の美味しい食事を取ってきたはずなのだが、なぜか久
しぶりに食事をしたような気持ちがした。
やがて萌荵が一本の日本酒と、数個の小さなグラスを持ってきた。
「私、少し冷えたぐらいの日本酒がいちばん好きなの」
グラスにお酒をつがれながら更紗はそういった。
「わしはもっぱら燗だがな……」
舞姫につがれながら老人は呟いた。
三人の娘とひとりの老人が、和気あいあいと大きな木の下で食事をする。
蒼を通りこして闇になった空に、ひとつまたひとつと星がまたたき始めて
いた。
緑に輝く葉がひとひら落ちるなか、更紗がすいっとお酒が満たされたグラ
スを差し出した。
「乾杯」
「そうじゃな……」
萌荵も未成年ながらお酒をいただき、舞姫はオレンジジュースの入ったグ
ラスを差し出した。
「かんぱぁーい!」
りん、とグラスの触れあう音が庭に響いた。
一組の幸せそうなカップルがくすくすと笑いながら通り過ぎたが、老人は
不思議とあまり気にならなかった。笑いと、美味しい食事と、楽しい人と、
自分の席 ――― 笑いなど大した問題ではなかった。
くいっと酒をあおる。
純粋に透明な、冷たい液体が喉を落ちていき、胸で熱くなる。
美味しいお酒だった。
「ぷはぁー………あー、幸せ!」
更紗は本当に嬉しそうだった。
幸せという言葉はときおり陳腐に感じるが、噛みしめているときはたまら
ない言葉だった。三人の「孫娘」と久しぶりに会ったような気分がする。
軽い若者の話も快く、姉妹がじゃれあっている姿を見るとなんとも幸せだ
った。
ほどよく酔いがまわってくる。
何か大声をだすか、踊りたい気分にかられた老人はふと縁側に立てかけて
あった木刀を見つけた。
「……大した踊りじゃないが、剣の舞を久しぶりに舞ってよろしいかな」
中国古代から行われている、剣を用いた兵士に好まれる舞いを、老人は少
しかじったことがあった。
すぐに了解した萌荵が木刀を二本持ってきた。
「ご一緒してよろしいでしょうか?」
「もちろんいいとも………」
老人はついっと剣を水平に高く構え、何かの音楽を口ずさみながら踊りだ
した。
萌荵もそれに唱和し、剣の相手をした。
中国の剣の舞いはもともと、宴会の途中で演舞を装って人を殺してしまお
うという要素がたぶんにあり、その相手を誰かが申し込み、陰謀を阻止する
のがもっぱらであった。
そのためけっこう派手な舞の部分もあるのだが、二人の行った舞はどちら
かというと日本風な静かな舞であった。
舞姫がすっくと立ち、音楽に合わせて不思議な踊りをおどり始めた。
大きな動き、小さな舞い。体全身を使った何か訴えるような舞だった。
見る者をくぎ付けにしてしまうような、不思議な魅力を持ったような舞
――― 「舞姫」の名は伊達ではなかった。
それならばっと、更紗も加わった。
更紗は踊れないが、音楽に合わして元気に体を動かした。
酔ってじんっとする頭で老人は三人を見た。
真っ赤にした幸せそうな更紗の笑顔が、間近にせまる。
あくまで真剣に相手をしてくれる萌荵の顔。
幼いながら、気品と美しさに満ちた舞姫の踊り。
木々の葉が舞い降りてくる。
夢の中にいるような、浮遊感をかんじる。
「おじいさん、気に入った! こんど何か困ったことがあったら、百円でみ
てあげる」
日本最高額を掲げる更紗が、踊りながらそう言った。
「嬉しいのぉ………では、こんどホテルにいらっしゃい。貸し切ってやろう」
「わぁ! こんど絶対にいくよ。おじいちゃんも一緒にプールに入ろうね」
あはは、と老人は笑った。
ふと上を見上げると、天空にぽっかりと浮かぶ月は満月だった。