AWC 吾輩は猫でもある(1)              むらたけ


        
#1935/3137 空中分解2
★タイトル (GYG     )  92/ 7/ 8   6:35  (142)
吾輩は猫でもある(1)              むらたけ
★内容

   プロローグ

 吾輩は猫ではない。
 たとえ、風に揺れるブラインドのひもに思わずじゃれつきたくなったとしても。
吾輩は猫ではない。隣家の換気扇から流れ出る秋刀魚を焼く煙に、つい腰を浮か
し、裏庭に出たかと思うと、ぴょんと塀の上に飛び乗り、隣家の台所の様子をう
かがってしまったとしても、吾輩は猫ではない。
 公園に子供が忘れていったボール。それが風か何か、ちょっとした拍子にコロ
コロと転がりだす。吾輩は驚いたように、宙に跳ねたかと思うと、しばらくじっ
とそのボールの行方を観察に、ついにはボールをこの手でしっかりとおさえつけ
てしまうのだ。そして、その結果ボールが停止してしまうと、かえって物足りな
くなって、もう一度指先でつついたりして、ボールをもてあそんでしまうのだ。
 しかし、断じて、吾輩は猫ではないのである。

 ああ、数えればきりがない。吾輩が猫なのではあるまいかと思われる数々の奇
怪なる習性、身の軽さ、しなやかさ。自分でも惚れぼれしたくなる。
 しかし、もう一度声を大にして言おう。
 吾輩は決して猫などではないのである。

 では、何か。あたりまえだ。人間である。霊長類ヒト科である。少なくとも、
吾輩はそう生まれてきた。
 吾輩をこの世にあらしめた両親は、れっきとした人間であった。
 父は小学校の教師をしていた。厳格で、理想主義的な人物であった。甘えと思
われるような行為は、たとえ我が子であれ、いや、自分の身内であるからこそ、
殊に許さなかった。教え子達からは慕われ、成人した卒業生からも年賀状が山ほ
ど来る、尊敬すべき父であった。そのきちんとした人間の父に吾輩は厳しく育て
られたのである。
 母は優しかった。父が比較的強引にしかりつけるのに対し、母は常に諭す姿勢
を持っていた。優しく、思いやりがあり、人間味のあふれる母であった。吾輩が
思わず人様に迷惑をかけてしまった時がある。たとえば、喧嘩して友人に怪我を
させてしまったことがある。悪いのは相手の方なのだけれど、怪我をさせてしま
った以上、そんなことも言っていられない。母は吾輩を連れだってその家に謝り
に行った。小学校の時の記憶である。
 しかるに、そのような両親のもとに育った吾輩が、いかに妙ちくりんな習性を
示したからといって、そしてそれがまったくこの上なく猫に酷似しているからと
いって、断じて猫であるということにはならないのである。

   第1章 家出のドリッピー殺人事件

 だが、それは徐々にやってきた。
 どこから説明すればいいのだろう。
 当時、吾輩は高校の英語教師をしていた。授業後、ほかの教師達が学校に残り、
部活動とか、補習授業などをしているのを後目に、さっさと帰宅。家ではひそか
にワープロに向かって小説を書いていた。
 吾輩はパソコン通信のBBSは入会したのは、1年ほど前のことである。会員
数150人の小さな草の根ネットであった。いわば同人誌のように会員が小説や
詩などをもちより、批評のまねごとや、激励しあっていくという具合であった。
 そういうものの存在を知った吾輩は、仕事柄ワープロを持っていた関係もあり、
ネットへの参加、同人誌の原稿、つまり小説を書くことになったのである。
 最初の第1作をボードにアップしたときうれしかった。
 タイトルは「家出のドリッピー殺人事件」、毎日3時間で3週間がかりでしあ
げた力作であった。

 舞台は県下でもお嬢さま高校と評される私立梅の花学園。あこがれの女子校で
ある。
 文法力が滅法強く、受験指導力をかわれて任用された中年教師田山だが、彼は
内心英会話の力に自信が持ちきれないでいた。
 その彼が、美しく、スタイルがよく、髪なんかとっても長くて、さらさらで、
すれちがうとラベンダーのかおりがする上に、成績優秀、特に英語の語学力に優
れた17歳、ぴちぴちのはちきれんばかりの若さを発散させている女生徒みどり
に出うのである。

 田山は彼女の語学力が自分よりも上であると気付いたとき、教師の心には美少
女みどりに対する複雑な感情が芽生えた。
 それは、ある意味では、恋情であった。若い肉体、美しい容姿、端正な顔だち、
そして何より敏感でみずみずしい感性。それはまさに天使という感じであった。
 また、彼は別の感情も意識した。それは嫉妬である。自分はすでに20年以上
も英語を学んでいる、そして、それを教える立場にある。ところが生徒であるは
ずのみどりのほうがはるかに発音も、またカンどころもいいのである。
 授業のたびに彼はみどりにあえて難しい質問をぶつけた。みどりはそれに大抵
無難に答えるのである。その度に、みどりの才能を称賛するとともに、嫉妬の炎
が燃えるのを覚えた。

 さらに、彼は倒錯した気持ちを抱いた。言うなればマゾヒズムということなる
だろう。いうのころからか、生徒たちの前でみどりに馬鹿にされ、はずかしめら
れたいと思うようになった。そして、みどりの前にひれ伏す姿を想像し、うっと
りしてしまうのだった。
 みどりに対する複雑な思い入れが強まる一方で、田山はみどりの英語力の秘密
を知りたいと思った。自分がどうしてもこえられない英会話の壁、それをみどり
はいともたやすく突破しているのである。

 ある日の授業後、田山はみどりを個人的にLL教室に呼び出した。そして、つ
いにその質問を口にした。
 「みどり君……。」
 教室では名字で呼び捨てにしているのに、こうして1対1となると、どうして
も呼び捨てにできなかった。かつまた、自分のプライドを捨てきることもできな
いでいた。
 「君はすばらしい。特にその英語の力は高校生離れしている。素晴らしい。先
生は君のような生徒を指導できて誇りに思っている。」
 「……。」
 みどりは困惑した顔をして黙っていた。
 「みどり君。君のその会話力は、どうやって身につけたのかね。他の生徒の参
考にもなる。教えてくれないか。」
 田山は慎重に言葉を選んだ。自分が知りたいのだ、彼女の語学力の秘密を。し
かし、その通りには言えない。ついつい、他の生徒への参考などというごまかし
を言ってしまうのだ。そういう自分が嫌だった。そして、普段から秘めていた複
雑な思い入れは、冷静さをどんどん失わせていった。
 思えば思うほど、自分の内心を見透かされまい必死にポーズをつけてしまう。
生徒とはいえ、いや生徒であるからこそ余計に、恋情、嫉妬、マゾヒズムを抱か
せる当の本人と二人きりの部屋で、しかもその相手に、じっと見つめられて、田
山の言葉はかすれていた。
 「みどり君……。」

 そんな田山の気持ちなどみどりにはまったく関係がなかった。まるで踏みにじ
るかのように、みどりは何気なく言った。
 「家出のドリッピーよっ。」
 その答えを聞いた瞬間、田山の心は凍りついた。

 それは、究極の味を求めるグルメが、たまたま訪問した知り合いの家庭で、今
まで出くわしたことがないようなすばらしい料理をごちそうになる。あまりの旨
さに、その味の秘訣を尋ねたときに、なんと、インスタントそのままなのだとあ
っさりと答えられたようなものである。
 何たる裏切り! なんたる馬鹿馬鹿しさ! なんたる安易さ! 今まで歯牙に
もかけなかった通信教材がかくも威力を発揮するとは! いったい、今までの思
いいれ、あこがれ、苦悩は何だったのか……。

 次の瞬間、真っ赤な顔をした田山は狂乱のあまり、みどりに躍りかかっていた。
 驚き、声も出ないみどり。
 「き、き、き、君は、そこまで僕を愚弄するのかぁっ……!」
 と叫びながらみどりのか細い喉元を、田山は両手で絞めつけてしまったのであ
る。田山が気付いたときには、ぐったりとしたみどりがの身体がそこにあった。

 そんなあらすじだった。
 吾輩はこの作品に自信を持っていた。これを打ち終え、ネットにアップしたと
きの気持ちは今でも覚えている。久しぶりに味わう充実感であった。
 しかし、ネットの評価はまっぷたつであった。「下らない」というのが、大半
であった。おもしろいという前向きの評価のつもりか、感想RESに「がははは
はは」と笑い声をそのまま文字に写した奴がいた。しかも、他に言葉はないので
ある。ここは小説のNETのはずだ……。RESが擬声語だけってことはあるま
い。吾輩はいらいらした。こんな未熟な奴等に……。また、「家出のドリッピー」
とは何か知らないという、頭の古い同人がいたのには閉口した。
 また、好評だったのはミステリー畑の同人であった。動機がおもしろいという
のである。なるほど、この人達が自分の作品の着眼点を、最も正しく評価してく
れたと言えるだろう。しかし、惜しむらくは、吾輩はこの作品をミステリーなど
と思ったことは一度もなかったのである。だいたいが「殺人事件」とタイトルが
つけばミステリーだと考える単細胞が多すぎるのである。

 どちらの評価も吾輩には不本意であった。
 そしてその日から、吾輩は畳の上でゴロゴロとしだしたのである。

                          つづく




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