#1831/3137 空中分解2
★タイトル (RMM ) 92/ 6/19 0:59 ( 55)
Je te veux 椿 美枝子
★内容
「私をえがいていて。絵でも、文でも、音でもいいの。今の私の一瞬を、あなたが何
かであらわして。そうして、私を、つかまえていて。」
彼女はいつもそう言って、はかなげに微笑む。まるでいつか僕の前から、居なくな
るかのように。
彼女はピアノを奏でる。
SatieのJe te veuxを弾く。それは僕への、Je te veux
−−あなたが欲しい、の想いの代わり。
僕は絵を描く。
ピアノを弾いている彼女を描く。それは僕の、彼女への、Je te veux。
黒いピアノ。白い鍵と黒い鍵。素早く繰り出される白い指。音の流れのままに揺れ
る黒い髪。恍惚とした白い顔。時折きしむ黒い丸椅子。音をつなげる白い脚。銀色の
ペダル。僕の目は錯覚し、錯覚のまま描く。彼女一人、monochromeの世界
にいるかのように。
出来上がった僕の絵を見て、彼女はまた、はかなげに微笑む。
「これで、あなたの想いを、信じていられる。いつでも、あなたの想いを、信じてい
られる。この絵を思い浮かべる事が出来る限り。」
いつもここで、二人一緒に、この絵を見ていればいいのに。僕はせつなさに胸が苦
しくなる。
側に居るのに、不安になる。いつの日か僕を置いて、どこかへいってしまいそうな、
そんな気がして。
ある日、彼女は、居なくなった。彼女は僕を、選べなかった。伴侶としての男性に、
僕を選べなかった。僕は彼女を選びたかった。彼女は僕を選べなかった。
彼女は誰も選ばなかった。僕以外の人も選ばなかった。彼女は、一人のままでいる、
と言って僕の世界から姿を消した。
僕はあの曲を聴く度に、彼女のJe te veuxを思い出す。彼女は僕の絵を
心の中で、思い浮かべているのだろうか。どこかでピアノを、あの曲を、僕を想って
弾くのだろうか。
僕は彼女を描き続ける。彼女が僕を見つけられるように。僕の描く彼女で世界中埋
め尽くされる時、僕の絵を手繰り寄せ、僕の所に辿り着けるように。僕のこれほどの
想いを彼女に、伝えられるように。
そして、君が、さびしくないように。
ありがとう。
Je te veuxを弾きながらmonochromeの彼女が振り返り微笑む。
もう僕には錯覚なのかわからないよ。
1992.05.30.07:15
Fin
楽理という仇名 こと 椿 美枝子