AWC 木霊(4)       青木無常


        
#1710/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  92/ 5/18  11:43  (174)
木霊(4)       青木無常
★内容
 霧が、ただよっていた。
 人の形をした霧だった。
 「茂平」
 と、その霧が言った。
 咆哮が応えた。応、と。
 「茂平、結界を解け」
 敵意と憎悪に充ちた眼で、鬼は霧に威嚇の叫声を浴びせた。右腕で霧を薙いだ。
 霧がちぎれ、四散した。
 四散したまま、凝固した。五つの人型になった。
 「茂平、結界を解け」
 五つの人型が同時に声をあげた。
 鬼は怒りに地団駄ふみながら腕をふりまわした。効かない未生の左腕をも肩ごと
ふりまわし、霧はつぎつぎに分断された。分断される端から人型に再生し、いまや
無数の僧形と化した霧怪が一斉に「茂平、結界を解け」と呼びかけた。
 鬼は怒りの結点を見出だせず――その代償に武彦を選んだ。
 凶気に燃える双眸がすえられた時、武彦は己の死を確信した。確信しながら、身
がまえた。敵は鬼よりも、死だ。
 巨大な体躯が、全身で突進してきた。残り少ない手裏剣をかまえて待ちかまえる
武彦の眼前にその時――風が立った。
 小柄な体躯に、淡い色のポニーテールが慣性になびく。――ゆかりだ。
 「満月だぞ!」
 すっこんでろ、と叫びかける前に、鞭状の数珠が空を貫いた。曲珠が、再生しか
けた鬼の眼球に突きささり――同時に巨体がゆかりの体躯に衝撃を叩きこんだ。
 獣の動きをもつゆかりに避けられぬ突貫ではなかった。――今宵、満月の夜でな
ければ。月齢がゆかりの体力を規定する。今、ゆかりのバイオリズムは最下点をさ
していた。
 銀盆に、小柄な身体が飛んだ。
 口を割って血が宙にしぶいていた。
 力なく手を離れた鞭状の数珠が、飛ぶ少女を追う。
 それに、手がのびた。
 武彦の手が。
 地に伏した小柄な影が苦しげに身じろぎ、弱々しく半身を起こすのを確認すると、
武彦は鬼をふりかえった。
 「糞ったれ野郎が……!」
 低く、口にした。抑えられてなお噴きだす凄絶な気が、巨怪の鬼気を凌駕した。
 硬直する巨躯に、片足ひきずりながら武彦はじり、と歩を踏みだした。手にした
数珠を、きり、きりと音を立てて回す。
 「神気なるかな」鬼の背後で、無数の人型の霧がひとり言のようにつぶやいた。
「神気なるかな。荒らぶる神の」
 鬼はしばし佇み、威嚇するように一声吠えると、霧を割って一目散に闘争しはじ
めた。霧がふわりと凝縮し、逃げる鬼を追って音もなく空を滑走しはじめた。
 追おうと歩を踏みだしかけ、武彦は足に走る鈍痛に奥歯をかみしめつつ踵を返す。
 「兄さま」
 うめきの合間に呼びかける妹に足をひきずりながら歩み寄り、
 「どういうこった、こりゃ?」
 苦しげに上体を起こしかける少女を制して草上に身を横たえさせ、訊いた。
 「あれが与阿弥なの」
 「あの霧がか」
 「うん。百五十年生きて茂平は、行方が知れなくなったでしょ?」
 「ああ」
 「その百五十年をかけて、体内にとりこまれた鬼気がゆっくりと茂平の肉体を鬼
に変えていったというの」
 「どういうこった」
 折れた足に副え木をあてながら訊く武彦に、ゆかりは口を開きかけ――
 「不死身だときいたがな、おまえの妹は」
 声をかけられる前に、二人はふりむいていた。
 小屋でいぎたなく眠りこけていたはずの草柳が、そこに立っていた。


    7


 「俺たちを知っていたのか?」
 目蓋をすがめて訊く武彦に、草柳はにやりと笑いながらうなずいてみせる。
 「浄土姓を名乗る退魔師がずいぶん活躍している。噂に昇らねえほうがどうかし
てるさ」
 「てめえは」
 と訊く刺すような双眸に、
 「飛騨の者だよ。通り名は“枕返しの李芳”てんだ」
 「飛騨の忍かよ」
 「アナクロな奴だなあ。太陽系の外に探査機が飛ぶ時代だぜ」
 「知ったことか。忍は忍だ。知りたいことはほかにある。おまえ、俺たちの敵か
味方か」
 「どちらでもないなあ。訊きかたがまずいんじゃないか?」
 どっこらしょっと腰を降ろすむさ苦しい髭面に疑わしげな視線を投げ、武彦は言
葉をかえてもう一度問うた。
 「じゃ、これならどうだ? てめえは俺たちの首を狙ってるのか狙ってないのか」
 草柳はにやりと口もとで笑った。
 「それじゃおまえらの首にひそかに賞金がかかってるって噂。あれも本当だった
ってわけかい」
 「答えろ」
 視線で圧する武彦の気をそらすように草柳はふ、と満点の星空に目を向け、
 「さてなあ」
 茫様と答えた。
 「ごまかすんじゃねえ」
 獣の笑みを浮かべて身をのりだす武彦に、困ったような笑顔を浮かべながら草柳
はしばし黙考し、やがて答えた。
 「たとえば、だ。猟師は獲物を獲るのが仕事だが、百姓はそうじゃない。そうじ
ゃないが、たとえば所用があって山に踏みこんだ時、猪が死んでいたとする。猪の
肉を食いたいと思った百姓は、その肉をもって帰るだろう。ここまではわかるかい?」
 ふふん、と武彦は笑った。
 「それで?」
 「うん。なら、それが瀕死の猪だったら百姓はどうする?」
 「殺して、持って帰るだろうな」
 「そうだろうな。なら、手負いで気の荒らぶった猪だったら?」
 「危ねえだろうな。当の百姓の気質によるだろうさ。たとえば、その百姓の名前
が李芳だったら、どうするだろうな」
 草柳、またの名を“枕返しの李芳”はいかにもおかしげにくつくつと笑いながら
手を左右にうちふって見せ、
 「俺は危険は犯しゃしないさ。銃でも持ってるんなら、話は別だろうがな」
 「持ってるんだろうがよ。銃をよ」
 刺すような視線で問いかける武彦に、熊男はあいまいなにやにや笑いで答える。
 「さて、な。しかしとりあえずはあんたたちをどうこうしようって気はねえな。
ここで出会ったのもただの偶然さ。そいつは嘘じゃねえ」
 「まさか本当に世の終わりに備えてサバイバル技術身につけとこうってんじゃね
えだろうな。え?」
 冗談まじりに訊く武彦に、
 「うん」
 草柳は当然、とでも言いたげな顔でうなずいてみせた。兄妹は再度、ぽかんと顔
を見あわせる。
 「何者だ、あんた?」
 呆けたように口にする武彦に、いいじゃねえかと照れたように加賀の忍は笑った。
 「それよりよ。さっきの話のつづきだ。あの鬼が茂平だてえのは、いったいどう
いうこったい? お嬢ちゃん」
 問われてゆかりは疑わしげに武彦と視線を交わしたが、促しに応じて語りはじめ
た。
 はじまりは、茂平が体力を喪くした際、精をつけるために肉を食った時だった。
与阿弥は獣の肉だ、と言った。嘘ではない。鬼も獣、と取るならば。
 殺生戒に縛られた与阿弥は獣を殺すことをためらった。鳥獣を殺すことに対する
宗教的ためらいよりも、千切り鬼調伏の際の処置にその根があった。
 「与阿弥は鬼の精気そのものを、自分の体内にとりこんでしまったの」
 そうしなければ鬼を退治ることはできなかったのだという。
 鬼がいつ、どこで、どのような境遇でこの世に生をうけたのかはわからない。山
野の陰気が凝って人か獣に憑いたものだったのだろう。長い時を経て鬼は不死と不
死身を獲得し、それはやがて人の肉の味を覚えた。調伏に乗り出した与阿弥は二昼
夜の行の後、強靭きわまる鬼を肉体的に滅ぼすことは不可能と悟った。その精気を
封じ、長い時をかけて少しずつ散らしていくより他に方法はない、と。不死の強精
を封じるに、依り代は岩や樹木では役不足だった。
 だから、自分で吸った。
 吸精した鬼気は与阿弥の内部で猛り、聖を鬼に変えようと荒れ狂った。抑えるだ
けで精一杯だった。聖はただ一心不乱に経を唱え、抗い争う鬼を抑えつづけた。そ
うして、どれだけの時が経ったのか。ある日、山中にひとりの幼子が迷いこんでき
た。茂平である。
 己の身裏にひそみ暴れる鬼をどうにか抑えつつ、与阿弥は茂平と一夜を過ごした。
気の狂いそうな一夜だった。が、罠は終わらなかった。疲れに熱を出して寝こんだ
茂平が、肉を食いたいと言い出した。拒めばよかったのかもしれない。だが茂平の
変調は回復の兆を見せなかった。幼子のことである。このまま逝ってしまうかもし
れない。だが、殺生はできなかった。
 殺生戒にとどめられただけではなかった。温かい血肉をそなえた生きものを殺す
ことで、己の内部にひそむ鬼を抑えきれなくなるかもしれない。それを与阿弥はも
っとも怖れていた。
 だから食わせた。己の肉を。
 その時すでに、内部の鬼に魂を奪われていたのかもしれない。鬼精は肉に宿って
茂平に移り、また与阿弥自身もまた息子をさがして訪うた四つの肉塊への欲望をつ
いに抑えきれず、鬼へと変じた。その時は己の変調に占められ、茂平に何が起こっ
たのかにまで考え至ることはできなかった。
 恐怖に怯える茂平の唱える孔雀経にわずかながら我を取り戻し、温かい肉を喰ら
う欲望にかろうじて抗い得た与阿弥は、その後、悪夢のような欲望と後悔のくりか
えしに悩まされた。月の煌々と照る夜はことに鬼の欲望が昂じ、獣怪と変じ人肉を
求めて村を訪うた。孔雀経を知る茂平がいなければ、いまごろは完全なる鬼怪と化
して村を滅ぼし、さらなる獲物を求めて猟場を拡大さえしていたかもしれない。
 かろうじてそれだけは留め、やがてすでに鬼となって抑えきれぬ己自身を鎮め封
じるために、残る力を振り絞って結界を張った。邪鬼の結界。己を抑える踏み出せ
ぬ檻。それをつくりあげるのに、与阿弥はどれだけの魂をすり減らしたのか。
 そして百五十年。自らつくりあげた封印された王国の中で幾度となく鬼と人との
あいだを揺らぎながら過ごしてきた与阿弥のもとに、鬼精に憑かれ、己をもとのと
おり完全なる不死の怪物へと復元させるためにかつて茂平と呼ばれたものが訪れる。
時をかけて調伏されつつある半聖半鬼と、復活を願って不死を獲得しつつある鬼と
が幾夜にもおよぶ死闘をくり広げ――茂平が勝利を得、与阿弥は鬼精からの解放を
得た。
 「解放されて、霧になっちまったてのかい」
 狐につままれたような呆けた顔で訊く草柳にゆかりはうなずき、
 「というより、山の神霊にとりこまれて、精になったってとこみたいね」
 鬼から解放されて聖賢の資格を得たためか、長い鬼との精神の死闘を経て魂その
ものが磨きあげられたからか、かつての聖は山野に充ちた清澄なる霊気と一体化し、
山の守護神となった、というのである。
 「それならなんでさっさと鬼を退治しちまわねえんだ? 与阿弥はよ」
 と不満げに武彦がいうのへゆかりは、
 「自分を封じるためにつくった結界が仇になったのよ」
 鬼のつくった結界――すなわち邪鬼の王国。それが皮肉なことに清澄なる山気と
化した聖を締め出す障壁となっていたらしい。
 「それがさっき踏みこめたのは? 鬼は結界を出られず、聖は邪界に踏みこめね
えてんなら、二人が遭遇することもねえだろう」
 するとゆかりは、どこか得意げににっこりと微笑んでみせた。




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