#1674/3137 空中分解2
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ネパールの三馬鹿(17) 青木無常PLUS
★内容
第三部 ポカラの三馬鹿
SAN-BAKA IN POKALA
1.5ルピーの奇岩
3月22日(日)。あいかわらず37度の微熱がつづいているが、俺たちはそろ
って空港にいた。国内線のロビーはまるでどこかの田舎の駅だ。男女にわかれて検
問があるのだがこれもまるで適当な検査で、ライターは持っているか? 持ってい
る。なんに使う? 煙草に火をつけるだけだ。という、わけのわからないやりとり
をしただけで簡単に通過できてしまった。こんなん、素通りも同然としか思えない
んだが、いったいなんだったのだろう。
ポカラいきの便はこの時期、混んでいるらしく俺たちのような飛び込みの旅行者
がチケットを取れることはまずないという。カトマンズにつくまでは俺たちも、神
峰の麓への訪問はあきらめていた。が、救世主は権力の形をとって現われる。ホテ
ル主人のアマルさんだ。階級と知己をたよりに、強引にチケットを横取りしてくれ
たらしい。むろん、この強権による好意を断る手などない。たとえ熱があろうとも、
キャンセルするなど冗談じゃない。なにがなんでもいく。
この時点で一行の病人は二人に増殖していた。Yも熱が出てきたらしい。きのう
のピクニックで日にあたったので熱を出しただけだよ、とKはいう。そうなんだろ
う、と俺も軽く納得していた。当のY自身もさほどつらそうな顔をしていない。飛
行機が遅れていたこともあり、俺は暇にまかせてYをのべつ口説いていたりした。
むろん、Yに赤痢の初期症状が出はじめているのだ、などということはこの時点で
は俺はまったく考えてもいない。
空港内には複数のプロペラ機が出たり入ったりしていた。どれも同じ形をしたロ
イヤル・ネパール・エアラインのロゴいりのものだ。区別がつかないので、飛行機
が一機着陸するたびにあれかあれかとドアにつめよるのだが、ちがう。鉄扉のとこ
ろには見張りの空港職員が立っていて、かってに空港内をうろつくこともできゃし
ない(あたりまえだ、危ないんだから)。それになにやら、さっきから一機、整備
の人間がわらわらと寄り集まってはあーでもないこーでもないといじくりまわして
いる。まさか、俺たちの乗る予定の便があれで、今日は機体の調子が悪いとかなん
とかで欠航、なんてことにはならねえだろうな。ええ、おい。
そんな不安をおし隠しつつYを口説いていると、ポカラいき出発ののアナウンス
が無事入った。約一時間遅れての出発である。よし、上出来じゃねえか。
機内に入る。なんだこれは。バスより狭いじゃないか。んー? ま、こんなもん
か。座席から操縦席の様子が丸見えだ。なにか異変でもあったらすぐにわかるかも
しれないな。機内サービスは飴一個だった。
待つほどもなく機内は満杯となり、おもむろに滑走路上を滑走しはじめる。と思
ったら、いきなり上昇した。うわ、すごい角度。ぐうんと一気に熱い街を眼下に置
きざりにし、高空に達した。飛び過ぎる下方の大地は赤肌をさらけ出し、そして彼
方には『神の座』の急峰が遠く、高くそびえ立つ。狭い機内で俺たちは、荒く、そ
して自信に充ちた操縦に縦横無尽に揺さぶられる。ネパールの操縦士は条件の悪い
空を飛び慣れているので、操縦はきわめてうまい、という。
上昇が急激なら、下降も急激だ。大地に鼻面つきつけるようにして急降下する。
下界、畑だの家だのがびゅーびゅーとつぎつぎに後方に消えていく。接触しそうな
ほど低空じゃないか、ほんとに大丈夫なのか? うわっ接地すんの? だって下は
まだ畑だよ!
と、ぎょっとした途端、軽い衝撃。接地の瞬間、畑がフッととぎれて空港の敷地
内に突入していたのだ。なるほど、うまい! うまいが、危ない!
三十分ほどのフライトを終え、空港に足を踏みおろす。この空港、俺が抱いてい
たエアポートのイメージを粉微塵に砕いてくれた。カトマンズの空港を田舎の駅、
と形容したがここはそれ以上だ。表現するに、田舎の「無人駅」という言葉を使う
ほかはない。もちろんちゃんと人はいるのだが。
人はいる、どころか素通りで空港の建物を出た途端わらわらと人が、否、人と牛
が大量に群らがっているのに出くわした。おっさんやらばーさんやらがぞろぞろと
俺のまわりに寄り集まってくる。全部もの売りだ。さすがに有名な観光地だけはあ
る。しかし物売りどもの持ち寄る物品はどれもこれも胡散臭く安っぽいシロモノば
かり。カトマンズのものもそんな感じはあったのだが、ここのは見るからに安っぽ
い。食指が動かないのだから断るのも簡単だ。
アマルさんに紹介されたホテルは駅から、いや空港からけっこう離れた場所にあ
った。たいした距離ではないのだが、照りつける陽射しと体調の悪さと牛の糞にや
られたかYがしきりに音をあげる。まったくそんなことで社会教育のフィールドワ
ークなんざとてもじゃないがやってらんねえぞと俺は、さっきカトマンズの空港で
さんざ「愛してる」とくりかえした同じ口で何度めかの罵声をあびせかける。この
時点で俺は、この娘が赤痢患者であることを知らない。
あたりの景観はスワヤンブナートに輪をかけた田舎だ。田舎、というより、初夏
の山国といったほうがいいかもしれない。そしてここもやはり、建物や看板の文字、
道ゆく人びとの肌の色などを除けば、まるっきり日本の景色とそっくりだ。ただし
道ばたにのたのたと陣取った牛はモーとも鳴かず、ただただひたすらのんびりとし
ている。巨大な角の水牛もいる。牛の糞などほうったらかしだ。のどかだなあ。一
目見て気に入ってしまった。カトマンズでもダッカでも思ったことだが、ここにパ
ソコンと電話回線と日本語の本屋と安心して飲める水さえあれば、一生暮らしても
いい。ただし上の要求、どれもこれもまず充たせないものばかりだ。
ホテルはどうもきわめて小規模な商店街、といった感じの建物の一軒にその扉口
を開いていた。はっきりいって名前を聞いていなかったらそこがホテルだとは思わ
なかったことだろう。どう見ても田舎の喫茶店か食堂の入口としか見えない。とに
かく、入ってみる。
受け付けをしたのは恰幅のいい婆さんだ。受け付けといっても、アマルさんのも
たせてくれた手紙をわたしただけだった。この三人を安値で泊めてやってくれ、と
か書いてあるらしいその手紙を婆さんはちらりと一瞥すると、OK、部屋に案内す
る、とひとりのおっさんに先導をまかせ、自分は奥へひっこんだ。
おっさんに案内されて中庭に出ると、表から見たのとはまるで景観のちがう丈高
い建物だった。基本的なつくりはカトマンズの住居と同じ、ロの字型の古いビルと
いう感じだが、中庭はきれいに整備されているし古びた感じの建物にもどことなく
重厚な雰囲気がただよっている。案内された二階のとなりあった二室に荷物をほう
りこみ、貴重品だけ身につけて階下に集った。まずは腹ごしらえだ。また食堂をさ
がして放浪するのは面倒だし、ここで飯を食うことにしよう。
と、先のおっさんに飯を注文する。さほど待たされもせずに出てきた。得体のし
れないものが。
カレーはなんだか妙な味がした。チベット餃子のモモは、はっきりと異様な味だ
った。臭い。マトンだからだろう、とKはいうのだがこのまずさはそんなことでは
説明不可能なほど異常きわまりない。まずい。チャーハンを頼んだYもいかにもま
ずそうにスプーンをおき、「Jさん食べる?」と俺にお鉢をまわす。ためしに一口
食ってみたが、モモと同じ種類のまずさだ。尋常ではない。原因は油だろう。食え
ない。俺は自分の頼んだ分だけ片付けるのに精一杯だった。Kだけが、おいしいお
いしいと食べまくっている。そういえばこの娘、どこへいってもおいしーい、と派
手に感動しまくっていた。感情表現が豊かなのだろうと思っていたが、もしかして
驚異的な味音痴なのかもしれない(K注:わたしはだいたい食べられないもの以外
は、おいしい)。
食事と名をかえた苦行をなんとか切り抜け、体調が悪いから少し休んでいくとい
うYを残して表に出ると、Kが「まずい食事だったねー」と顔をしかめた。なんだ、
単なるお調子娘だったわけだ。話をきくと、どんなにまずい食事でもその場では本
気でおいしく食べられるらしい(K注:思いこみだよーん)。人の家でまずい食事
を出された時など便利な性格だという。ま、たしかに。しかし、うーん。何者か、
この娘。
陽射しはきついが、それほど不快じゃない。湿度が低いせいからか。だらだらと
歩くにはちょうどいい気候、というか条件だ。俺たちは延々とそぞろ歩く。第一の
いきさきはデヴィッドフォール、とかいうところ。とかいうところ、というのは俺
にはそこがいったいどういうところなのか見当もつかないからだ。このネパール行
全体にわたって万事この調子で俺は通してきた。もの珍しいところは全部YとKが
リストアップしてくれているので、とても楽だ。なにも考えなくていい。まるっき
り寄生虫だな、これは。
空港を横目に過ぎまっすぐ進むと、やがて道が二股にわかれていた。看板も出て
いないし手持ちの地図は不明瞭でよくわからない。まあいいや右へいってみよう、
と右へいくと、なんだかここは住宅街とホテル街の合体したような区画だ。なに、
こっちへいくとペヤ湖? やっぱ道がちがってる。よし、じゃあそこで左におれて
みよう。
植生が日本と酷似しているせいか、どうも外国を歩いている気がしない。したが
って少々道に迷っても危機感がまるでわかない。それでも見慣れない植物がぽつり
と生えていたりすると、ああここはネパールなんだ、俺たち今外国にいるんだよな
あと手軽に感動できてしまったりする。実にのどかだ。
泥水のなかに泥まみれの水牛が数頭、群れている。「泥水が好きなんだよ」とK
がいう。見ていると、なるほど中の一頭がばちゃんと泥水に半身をひたして転げま
わりはじめた。いかにも気持ちよさそうだ。ちなみに、ネパールでは森羅万象すべ
てが神さまだが、この水牛だけはちがっているそうだ。バフ(バッファローの略か
?)と呼ばれるこの獣だけは「悪魔の獣」と呼ばれているらしい。レストランなど
でミルクを頼むと出てくるのも、牛乳ではなくこの水牛の乳、水牛乳なのである。
水牛乳などというとなんだかとてつもなくまずそうな味を連想しそうだが、これが
また濃厚でぽってりしててとてもうまい。
豚もいる。ただの豚ではない。巨大だ。見るからに迫力がある。山羊もいる。ど
いつもこいつも、道ばたでのんびりと草を食んだり糞小便たれ流してたりする。ガ
キどももいる。こいつらは、さすがに糞小便をたれ流したりはしないようだ。俺た
ちを見ると「ヘロー」と人なつっこく声をかけてくる。「ヘロー」と返事をすると
にこにこしながら通り過ぎていく。
道端に正体不明の奇妙なオブジェがたっていたりする。道標かなにからしいのだ
が、ネパール語が読めない俺たちにとっては単なる謎の物体だ。バス停にはのんべ
んだらりと人が群れ、カトマンズいきと書かれたバスがドアや屋根に人や荷物をは
み出させて、幾台も通り過ぎていく。
Kが少し暑そうだ。スワヤンブナートで手に入れたチベット帽をわたすと、素直
に頭にのせていた。こりゃけっこう疲れがきているかもしれない。喉も乾いたこと
だし休憩でもしていくかというと、大丈夫だというのでそのまま進んだ。すると、
川をわたったところに看板が出ていた。道の両わきにひとつずつ。左側はチベット
人の居留区、右がデヴィッドフォール、とある。なるほど、ここをまっすぐいけば
目的地か、と俺たちはさらに先へ進んだ。あまりののどかさに、思考力が減退して
いたらしい。素直に看板の手前で右へおれて進めば、すぐそこがくだんのデヴィッ
ドフォールだったのだ。