AWC ネパールの三馬鹿(16)   青木無常PLUS


        
#1673/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  92/ 5/12   8: 9  (135)
ネパールの三馬鹿(16)   青木無常PLUS
★内容


    暗闇の断章


 ダーバースクエアで約束の時間を待っていたとき、はっきりいって俺は調子が悪
かった。ふらふらだったと言っていい。原因はよくわからない。疲れがたまってい
たのかもしれないが、朝方の下痢が気にかかる。下り超特急はその一回だけ、その
後腹のほうはすっかり沈黙を保っているのだが、唐辛子で火を吐いてしばらくして
から、胸焼けがひどくなりつつある。頭も痛い。熱があるようだ。薬の副作用かも
しれない。ただの疲労かもしれない。悪質な病に憑かれたのかもしれない。いずれ
にせよ、ネパールダンスなんぞを悠長に見ている余裕は俺にはありそうになかった。
 そこで、俺は気分が悪いから帰る、ジャヤさんにはふたりからそういっておいて
くれ、と告げて踵を返した。その時点では、さほど自分がひどい状態にあるとは思
えなかった。もののついでと装身具屋に立ち寄って、宝石屋のクリシュナが首にし
ていたネックレスをさがしたり、売っ払った時計のかわりをさがして購入までした
りしていた。ところがニューロードをぬけてラトナ公園へと向かっているうちに、
にわかに気分が悪くなってきた。尋常じゃない。足もとさえ覚つかない。
 すれちがう無数の褐色の顔の中に、娘をつれて歩くジャヤさんの顔を見たような
気がする。が、ふりかえって確認する気力もない。これからKとYの待つダーバー
スクエアに向かう途上だったのかもしれない。単なる幻覚だったのかもしれない
(K注:幻覚だよーん)。どちらでもよかった。無事に帰りつくことだけが、その
時の俺の目標だった。公園前に鈴なりに客を待つバスの排煙が、今はやけに堪える。
 ふらふらになってやっとのことでホテルに帰りついた。部屋に帰ると服を脱ぎ捨
て、ベッドに倒れこんだ。ぐらぐらのどろどろだった。しばらく横になっていると、
気分の悪さがいよいよ激しくなってくる。壮烈だ。
 時計台の鐘の音が盛大になり響く。なにもかものんびりとしたこの国にあって、
この鐘の音だけはせわしない。十五分ごとに時を刻んで反響するのだ。いい音じゃ
ないかと能天気に思っていたのだが、この時ばかりは悪魔の咆哮以外のなにもので
もなかった。俺は布団にくるまりこんで一人、いつ果てるともなくうなり続けた。
 死ぬかな、と弱気な想念が脳内をよぎる。死んでもいいけど、できればもう少し
長生きしていたいな。後しまつしなきゃなんないYやKにも気の毒だし。などと、
この期におよんでまだまだ能天気なことを考える余裕もあったらしい。しばらく経
つと、気分も多少よくなってきていた。助かった。うなり声あげながら煩悶する姿
なぞ、ふたりには死んでも見せたくはない。
 糞、それにしてもなにが悪かったのかな。思いあたることは山ほどある。どれと
も特定できやしないな。うああ、ついに来ちまったか。まあだれでも一度は来るっ
つうからな。この程度ですんでよかったってとこだろう。
 やがてYとKが帰ってきた。Yが持参してきた体温計を腋にはさむ。たいした熱
じゃない。一晩寝れば治るだろう。大事をとって明日一日休んでいれば大丈夫だ。
そんな内心の計算を隠して「俺は死ぬ。せめて死ぬ前にいちど、俺を抱きしめてく
れ」と哀れっぽく訴えるとYめ、「病気になったら少しは塩らしくなるかと思って
たのに、Jさんぜんぜんふだんと変わらないんだもん」と鬼のような台詞を吐きつ
つ呆れていた。ふん。鬼。
 ぐったりと眠った。
 翌朝、夢うつつに背中が痛いのを意識していた。なんだ、この痛みは。ひねった
かな。うーん。腹は……痛くないな。なんだろう。ずきずきする。ん? なんだ、
昨日は腹だして寝てたけど、今朝はかわりに背中丸出しで寝てたんじゃないか。よ
いしょっ、と。これでよし。
 ……しかし、痛いなあ。どうもこれは神経的な痛みだなあ。やっぱり背中だして
眠りこけてたのが悪かったのかなあ。そういえばやけに暑くて寝苦しかったような
気もしないでもない。暑いからって腹だしてたらまた下るから、今度は背中丸出し
で眠るよう無意識が命令したのかもしれないなあ。……バカな無意識だ。あ、俺か。
 ……むー。やっぱり頭もずきずき痛むような気がする。気がするてなあ、なにご
とか。他人ごとみたいに。まったく。……ちょっと熱計ってみるか。
 ……。
 鐘が鳴ってやがるなあ。一晩中、十五分おきに鳴りつづけてるのかなあ。だれが
鳴らしてるんだ、いったい。機械じかけだろうか。しかしあの音を目印にすれば、
わざわざ半身おこして時計見なくっても体温計れるわけだ。俺ってあったまいい。
……とんでもないバカだな。あ、十五分たったぞ。よし。
 ……。
 …………。
 これはなんだ? 目がかすんでよくわからんが……37……38……。どう見て
も38度だなあ。うーん……。泉谷しげるの歌にそんなタイトルのやつがあったな
あ。あれは……『39度8分』か。39度8分ね……で、俺が38度、と……。な
んだ、たいしたことないな。寝てりゃ治るだろ。しかしこれで今日だけでなく、明
日のピクニックも俺ひとりお流れだな。……まあいいか。S(ネ)さんの一族とい
くピクニックだからな。……俺ああいうの、苦手だし。……ちょうどいいや。
 あー、だれかノックしてる。Kの声だな、あれは。「あいてるよー」……入って
こないな。またノックしてやがる。うーん。せっかく誰がいつきてもいいように、
貴重品ぜんぶ身につけて鍵あけっぱなしにしてあるのに。あーあー、わかりました
今あけますからそんなにどんどん叩かないで。
 ぐわっ。おうっ。むおうっ。さっ寒い。やっぱ風邪ひいてるんだな。はい、あけ
ましたよ。入ってちょうだい。
 「調子どう?」
 俺は黙って首を左右にふる。もう一度体温を計ってみると、さっきよりは少しさ
がっているのだが、まだまだ出歩ける状態じゃない。むー、俺はもう一日寝てる。
二人で楽しんできなさい。
 ふう。それにしても……腹が減った。腹が減ったが……胸焼けがする。ひどい。
きのうよりひどいぞ。なんだか胸に異物がどっかり居座ってるようだ。うーん……
重力のかかる方向が悪いのかな。半身を起こして……胃を、こう……ちゃんと重力
と同じ向きに向けて……と。
 うん。ちょっとだけ気分がよくなってきたような気がする。それにしても腹が減
った。朝飯はまだかな。
 んー? K、どうしたのー? ルームサービスで朝飯を頼む? そりゃありがた
い。んー……。昨日の今日だからな。あまり妙なものは食わんほうがいいだろうし
……軽くサンドイッチでいくか。野菜サンドね。ん。
 あ、きましたか。おや、なにこれ? クラブサンド? 肉がはさまってるねえ。
Kが頼んだの? 俺、これもいいなあ。半分こしない? しょうがないなあ? い
やすまないねえ。うん。これはうまい。いけるなあ。うまいうまい。むしゃむしゃ。
ごちそうさま。はい、おやすみ。行く時には声かけてね。
 あ、行くの? そう。気をつけてね。どこいくんだっけ。新聞社? ネパールの
教育の現状を取材? なに、Y、あんたジャーナリストだったの? へーそりゃ初
耳だ。んじゃ俺はルポライターだ。はっはっはっ。ま、気をつけてね。
 ああ。俺ひとりか。うーん。暇だなあ。本でも読むか。
 …………。
 外からは朝の喧騒が響いてくる。ホテル裏手はASHRAMという建物だ。なん
でも難民受け入れ用の施設かなんかなのだとS(ネ)さんがいっていた。そういえ
ば朝から晩まで、なんだか人が集まって地面を掘り返したり屋根の上歩いたりして
る。犬が吠える声が聞こえることもある。建物の正面にはASHRAMの文字の上
に六芒星のマークが刻みこまれている。宗教的なシンボルだが……あれには、どん
な意味がこめられているのだろう。五芒星とか六芒星とか……伝奇もののせいか、
やたら魔術的なイメージがあるからなあ。
 昼飯はなに食ったかよく覚えていない。とにかくいったん様子を見に戻ってきた
K、Yとともになんか食ったような気がする。M(日)さんが「屋上からお祈りが
見えますよ」と呼びにきたのへ、ほとんど着のみ着のままKとYについて飛んで屋
上にあがったことはよく覚えている。ホテル裏手のモスク屋上に集った無数のムス
リムが、ひとつの方向に向けて一斉にひれ伏していた。みどこに統制がとれている。
蟻のようだ。と思って細部を見てみると、これが意外にアバウトだったりもした。
熱にぼーとしたまま、そのままぼんやりと祈りの光景を眺めていた。
 夕方になるころには熱も37度前後にさがり、気分もずいぶんよくなっていた。
これならなんとかなりそうだな。なんせ明後日の予定はなんとしても外したくない
からなあ。やはり明日も静養だな。
 おやすみ。
 翌日も一日中微熱がつづいた。といっても、あくまで微熱だ。寝ていると退屈す
る。朝方、Kにしつこいくらい「ちょっと気分がいいからって外出歩いちゃいけな
いよ」と釘をさされていた。ははは。でも気分がいいんだ。
 とりあえず、ルームサービスのかわりに下のレストランにいって飯を頼む。野菜
サンドイッチ。スープ。フレンチサンド。卵焼き。ちょっと量が多いな。いいや。
体力取り戻さなきゃな。がつがつ食ってやる。んー、このフレンチサンド、ちょっ
とべたべたしてくどいなあ。がつがつ。ん。卵焼きはうまいぞ。がつがつ。コーヒ
ー。ぐびぐび。ああ、うまい。うまいなあ。ごちそうさま。それにしてもまだ体が
ふらつくなあ。少し休もう。
 とか思っているうちに、ラトナ公園のわきをふらふら歩いている自分を発見する。
まったく、とんでもない奴だ。Kには見抜かれているなあ。ははは。しつこくつき
まとうバクシーシをひきはがすため、あくまでひきはがすため、だよ、公園を抜け
てバザールへ。ふらふらとあれこれ物色して歩いているうちに、日が暮れたのでホ
テルへ戻る(Y注:当初、Jさんはバザールに行ったなんて一言も言わずにYとK
をあざむいていた…!!)。
 四分の一日ほど歩いていたが、熱は上昇も下降もしなかった。なんか妙な病気に
かかってんじゃねえだろうな。Yは症状が出てこないから大丈夫だと言っているが、
潜伏期間つうもんもあるしなあ。まあいいや。少し体がだるいような気もするが、
体調は多少なりとも回復している。最悪の場合でも単に死ぬだけだ。明日はかなら
ず回復する。回復しなくてもいく。
 ポカラへ。




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