#1662/3137 空中分解2
★タイトル (MMM ) 92/ 5/ 9 0: 2 (193)
博多駅(1)
★内容
博多駅
----3月3日 午後3時 博多駅----
汽車の中で駅弁を食べたりしながら2時間半の間2時間近く勉強していたと思う。
化学をしたり英語をしたりしていた。僕の他にも受験生らしいのも乗っていたけど他
の高校のばかりだった。僕は特別に他の九大を受けるのとは別に福岡へ行っていた。
みんなは同じホテルに泊まるのだろう。福岡の学生部の人から電話があって僕は予約
していたホテルをキャンセルして学生部の人のところへ泊まることにした。
みんなもたしかこの日の汽車で福岡へ行くとボンさんが言っていた。でもみんなも
う一つか二つ先の汽車で行ったのだろう。駅へと家を出るまで僕は朝起きてから2時
間半題目をあげていて頭はすっきりしていた。勉強も1時間近くした。そして11時
頃家を出てバス停へと向かった。
僕は黄色いオーバーを羽織っていた。でも外はそのオーバーを羽織る必要もない程
もう春めいてきていた。
高校の3年間いつも朝走りながら通っていたバス停までの川縁を今日はゆっくりと
歩きながら通っていた。川面を覗き込んで排水口の下の深みになった所にいつもいる
鮒を見たりしながら。
僕はこの日見の英雄のようだった。日見出身で僕のような秀才は過去十年間は居な
いようだった。川面を照らす陽の光がそんな僕を祝福してくれているようだった。
おととい、卒業式があったばかりだった。あの寂しい誰からも贈りものを貰えなか
ったあのときからもう2日経っていた。
この頃は一日二時間から四時間も題目をあげていた。直前にはあんまり勉強したっ
て良くなくてそれよりも体調を整えることが一番だと言われていたから。僕は2月1
3日の謗法の事がまだ気に懸かっていたし、題目をたくさんあげないことには僕の胸
の中の爆発するようなわだかまりは消えそうになかったから。
『でも僕は英雄なんだ。この日見中学校で前例のない程の秀才なんだ。』という自負
があった。でもその誇りや自信も去年の九月ごろから続いている胸の中の煮え沸るよ
うな悔しさを抑えることはできなかった。道を歩きながらでも口の中でで題目を唱え
たり勉強のこと----いろんな公式や問題を頭の中で解いたりして僕はその煮え沸る悔しさに必死で耐えていた。
2年余り続けてきた必死の勉強とももう明日で終わりなんだなと思うとなんだか勉
強に対して寂しい気がした。共通一次が終わったあと、あんなに興味を持って勉強し
ていた世界史や地理などとさよならするのがとても寂しく思えて、大学に落ちてもう
一年世界史や地理を勉強したく思ったほどだった。
橋を渡りもうバス停はすぐ近くまで迫っていた。----でも今度のは世界史や地理のように愛着を持って勉強していたのはないからそんなに寂しくないな----と思っていた。
数学も化学も英語も僕はそんなに好きではなかったしもう春になりかけている陽気
が僕を感傷的な気持ちに陥らせるのを妨げていた。
明日で解放されるのかもしれないな、と思っていた。2年余りの厳しい日々は明日
の夕方で終わりになるのかもしれないな、と思うと心が浮き浮きとしてきた。
川縁の草や花も長い冬が終わって春が来かけている嬉しさに満ちているようだった
。もう冬の陽の光とちがって暖かい春の日差しが辺りを覆っていた。
書記長が帰ってきたのは9時半過ぎだった。眼鏡をして色の白い人ででも体つきは
がっしりしていた。あまり生命の躍動というか明るさ・元気さというものは感じられ
なかった。
書記長が部屋に入ってきて題目三唱をしたあと『君は?』と言った。すると書記長
が帰ってきたのに気づいたのか向井さんと○○さんがやってきて『長崎からやって来
た受験生です。明日九大医学部を受けるのです。』と言ってくれた。さっきまで机の
上に化学の本を拡げて勉強していた僕はやっと書記長が帰ってきてくれて今夜泊まる
所がこの部屋になるかどうか解るのでホッとしていた。旅の疲れかもう少し眠くなっ
てきていたから。
書記長は『この部屋では寝られないぞ。どうしたらいいんだ。』と言っていた。も
う10時近くだった。勤行は済んだけどまだ30分しか題目をあげてなかった。『こ
こでは寝られない。どこか部屋が空いてないかな。どこも狭いからな。』と向井さん
や○○さんに言っていた。
すると顔をたくさん火傷している人が三幸荘の階段を上がって来た。『やあ、○○
君、ちょうど良かった。君のところは医学部の門のすぐ傍だったろ。今夜この受験生
を泊めてくれないか。君の部屋はそれに比較的広いだろ。』
夜十一時近くになってやっと三幸荘から医学部前の○○さんの間借りへ歩いていっ
た。僕はもうかなり眠くなっていて書記長の部屋から立ち上がるのも少し億劫だった
。
もう辺りは随分静かになっていて僕には話しやすかった。○○さんは言った。『毎
日何時頃まで勉強していたとね。』『11時頃までです。』『ほう、あんまり夜遅く
までしても能率上らんもんね。』僕はいつも11時に寝て6時頃起きていた。7時1
6分に家を出るのに朝の勤行をするためには少なくとも6時半までには起きなくては
いけなかったから。それに一日7時間寝ていたけど起きてるときは道を歩きながらで
も頭の中で物理の問題を解いたりしていた。
『彼女は? 彼女はいるんやろ?』僕は最も気にしていることを言われて腹綿が煮え
くり返りそうな気がした。去年の9月から続いていたたまらない悔しさのことを突つ
かれて…。
『いえ、居ないんです。僕はノドが悪いのです。中二の頃から…。大きな声が出ない
んです。』
○○さんは僕に恋人が居るものとばかり思ってそう言ったのだろうけど、僕には居
なかった。寂しい寂しい中二からの4年半を思って僕は悔しくてならなかった。
道はバスが通る道なのにもう夜遅くてバスも通らず僕らは道のまん中を歩いていた
。工事している所がありそこをよけて僕らはなお進んでいった。
○○さんは社会人なのだろうか。学生なのだろうか。顔が焼けただれているその反
ハンディを打ち消そうと必死になって信仰活動をしているようだった。だから僕は○
○さんからそう言われても(多少妬みというか羨望のようなものをこの人は僕に対し
て抱いているようだったが)普通の人からそう言われるよりもあまり頭に来ることも
なかった。
やがて○○さんの間借りに着いたとき木造の古くて狭い建物だった。○○さんの部
屋は2階でもう夜の11時を過ぎているから『静かに』と○○さんが僕に足音をたて
ないように注意した。
試験は8時45分からだった。最初は英語だった。僕は8時35分ぐらいに試験場
に入った。僕が一番遅かったようだった。僕は試験場に入ると今まで走ってきたので
暑くて洋服を脱ぎ、長袖シャツにまでなった。
朝ごはんは来るときパンを一口頬張っただけだった。でも朝ごはんよりも僕は一分
でも長く題目をあげていたかった。朝起きるのがあまりにも遅かったととても後悔し
ていた。
英語と化学の間の休み時間は40分と長かった。それで僕は走って○○さんの下宿
へ帰り題目をあげた。○○さんは寝ていた。そして僕が帰って来たのを知ってびっく
りして起きた。
20分ぐらい題目あげた。そして僕は再び大学へと向かった。
僕は黄色い純毛の幅の広いズボンをはいていた。春になりかけた空気に僕のズボン
の裾がたなびいていた。会社に行くところなのだろうか、綺麗な女の人が歩いていた
。長崎ではあまり見られないように綺麗にお化粧をしていた。
○○さんの下宿から試験場まで走って6分ぐらいだった。
僕は走りながらも心のなかで題目を唱えていた。
僕は数学の問題が一問もできないのを思って『僕の頭がこんなになったのは何時の
ことだろう』と考えていた。そして僕は2月13日のことを思い出していた。今から
ちょうど20日ぐらい前のことだった。
----僕は自分の喉の病気はもう創価学会の信心では治らない、と思ってきていた。創価学会の信心で治る病気もあれば治らない病気もあって、僕の病気は後者の方なん
だ、と思ってきていた。
そのため僕は半年ほどまえ新聞のチラシで見た東小島という所に住んでいるという
霊能力で病気を治す人の所へ言ってみようと思い始めていた。僕がこう思い始めたの
は一月半ばぐらいの頃からだった。でも1月の終わりから2月の始めにかけてはその
霊能者が何処に住んでいるかどうしても解らず、長崎新聞社に電話したり、そのチラ
シに書いてあった気がする会のところへ電話帳で調べて電話したりしたけど結局解ら
ずもうその霊能者へ頼るのはよそう、もう大学入試だけに専念しよう、とも思ってい
た。しかしバレンタインデーが近づくにつれ、僕はやはりその霊能者に頼るしかない
と思い始めてある日図書館からぶらりと正覚寺の終点まで歩いてゆき近くにその霊能
者の看板が出ていないかな、と捜し始めた。長崎新聞社に電話したとき吃り吃りかす
れた声で言う僕の言葉に長崎新聞社の男の人が長い間捜してくれた後『正覚寺の電停
の近くにその人の看板が出ていたように思いますよ。』と言ってくれたからだった。
その冬は暑い冬だった。僕は県立図書館から歩いてきたためもあって正覚寺の電停
まで来たときはうっすらと汗をかいていた。僕は正覚寺といっても解らずただ丸山の
先にあるということを昨夜長崎市の地図で調べて解っていただった。中学生の頃、中
等部(※1)の会合の司会をするため練習に通った所は正覚寺ではなくて“石橋”だ
ったことをこの日ここまで歩いてきてやっと知ったぐらいだった。
真冬なのに名も知れない不思議な小鳥がピヨピヨと鳴きながら青い空へ向かってに舞い上がっていっていた。頭の毛が立っていてまるで僕のようだな、と今朝スク―
ルバスに寝癖で付いた後ろ髪を立てて風になびかせながら息を切りながら走っていっ
たことを思い出していた。
朝立っていた後ろ髪も午前中でもうだんだんと萎れていっていた。
朝から僕は迷っていた。その祈祷師の所へ行くべきかどうかと。そしてそのために
僕はこの頃は滅多に欠かさなくなっていた勤行を久しぶりに欠かして学校へやって来
た。そして学校へ来てからも今日その祈祷師の処へいくべきか、その祈祷師の処が見
つかるだろうかと僕は考えあぐんでいた。
久しぶりに朝の勤行を欠かしてきたので朝バス停まで走ってゆくときも、スクール
バスの中でも、学校でも、いつもとちがった雰囲気だった。僕は罪悪感に捕らわれて
いた。自分がとてつもない謗法を犯そうとしていることを(そしてこういうことを考
えること自体がすでに大きな謗法であることを)思って今朝はとても御本尊様の前へ
は行けなかった。昨夜も僕はこの謗法のことで不安で胸をいっぱいにしながら夜の勤
行をしたのだった。
(※1 創価学会の中学生の組織)
12時に学校が終わり、僕はいつものとおり県立図書館へ行って勉強を始めた。
僕はまだ迷っていた。そして一時間ぐらい勉強したあと僕は不意に立ち上がって歩き
始めた。そして早足で歩いて浜の町を通り正覚寺の電停へ来るまで20分足らずで来
た。電車で来たって待ったりしてたらこれくらいはかかるだろうから歩いて来ても良
かったと思っていた。
僕はまずあの赤い門をした大きな寺が正覚寺なのだろう、と思ってその門の方へ歩
いて行った。浜の町から思案橋付近を通るときも僕はその霊能力者の看板が出ていな
いか注意して見ていた。赤い大きな門の所へと坂を登っていってもそれらしいものは
なかった。もっと奥の方だな、スポーツセンターへいく方に歩いていけばいいんだな
、たしか東小島とか南小島とかいう所は昨日地図で調べて電停よりも奥の方になって
いたから。
そのお寺の前から奥の方へ行ける道はなくて僕は再び坂を下ってタバコなどを売っ
ている小さな店の角を曲がり奥の方へと歩いていった。
僕は心の中でブツブツとやはり題目を唱えていた。でも今から謗法を犯しに行くこ
とを思うと題目も途絶えがちになるのだった。僕は去年の12月頃からずっと道を歩
きながら題目を唱えるようになっていた。でも題目が途絶えるのは最近ではとても珍
しいことだった。ときどき道を歩きながらボンヤリと楽しい物思いに耽けるとき題目
が途絶えるだけだった。
まるで春のような陽気だった。県立図書館からずっと歩いてきた僕は暑くて学生服
の上着を脱いでいた。
僕は学生服を腕にかけて階段を上り始めていた。向かい側の坂の方なのかな?…こ
っちじゃないのかな?…と民家だけが立ち並ぶ今自分が登っている坂の周りを見て思
っていた。貧しげな家並が続いていた。
僕の心のなかは謗法を犯すことへの罪悪感に大きく揺れていた。でも迫り来るバレ
ンタインデーのことを思うと僕は必死になって看板が出ていないか注意しながら早足
で階段を登ったりほとんど駆けるようにしながら水平な道を駆けたりしていた。でも
やがて僕は疲れ果て俯きながら階段を降りてゆき始めた。もう向こう側の斜面を捜す
こともあきらめかけていた。