#1661/3137 空中分解2
★タイトル (MMM ) 92/ 5/ 8 23:25 (181)
折尾駅 (2)
★内容
それからまだ6日しか経っていないのだった。3月11日の空は春の到来を告げか
けていた。
いつもの哀しい別れがまた僕の周りに渦巻いていた。僕はいつもこうだった。喉の
病気のために僕は中学二年の頃からずっと寂しい無視と別れを経験してきた。中三の
頃の千秋さん、川崎さん、そして町で出会った女の子など…
そして高三の高総体での女の子のことも…
次々と思い出されてくる哀しい出会いと別れの数々のことを僕は思い出していた。
すべて喉の病気が悪いのだった。もし僕がこの喉の病気に懸からなかったならきっと
僕の中二や中三からの年月はまっ暗なものとならずに輝いていたと思えて… 僕はと
ても悔しかった。
僕は俯き続けながら何分歩いたことだろう。僕は振り返った。寂しさの塊が僕の胸
の中で蠢めいて僕を振り返らせたようだった。でももう彼女たちの姿は遠くにあった
。僕が降りてきた緩やかな坂道を彼女たちはゆっくりと登っていっていた。
----僕は首を曲げたまま九大の二次試験を終えて夜遅く家まで帰ってきたのを憶えている。僕はあの日、タクシーで家に帰ったようにも思う。10時ごろに長崎駅に着
き、最後のバスが10時30分のがあるのを知らなかったのか駅前からタクシーに乗
って家へ帰ったような気もする。そして家に帰って勤行・唱題をするまで曲がった首
が真っすぐにならなかったことを記憶している。
だから僕は3月5日の朝は5時間近くしか眠らずに朝早く起きて大学病院へ向かっ
たのだろう。それにきっと風呂にも入ったと思うから。曲がっていた首を元に戻すに
は最低でも30分の唱題が必要だった。
九大の二次試験が終わって帰って来る電車の中で、僕はずっと口の中でブツブツと
題目を唱えながら流れゆく夜の景色を見遣っていた。
流れゆく家々の灯。列車を追いかけるように必死に走っているクルマ。そして二次
試験ができなくて打ち沈んでいる僕。僕は口の中でブツブツと題目を唱えることだけ
が自分を慰めてくれるただ一つの方法だった。列車の中は大学受験の帰りの学生が多
くて僕はずっと長崎まで立ちつくしていた。日見中の一つ先輩が同じ車両に2人立っ
ていたが僕は口をきいたこともないし黙っていた。僕たちのクラスの九大を受けた奴
らはどこに居るのだろう。もう前の汽車で帰ったのだろうか。それともほかの車両に
いるのかもしれない。ボンさんもいるかもしれない。でも誰にも僕は今会いたくない
な。
流れゆく夜の景色は僕の心を慰めてくれたし、題目が僕にはあった。僕は首をずっ
と横に曲げたままだった。真っすぐにしようと思えばできるのだが真っすぐにしよう
とする気が湧いて来なかった。
丘を登ってゆく彼女たちのうしろ姿は寂しげだった。でも振り返ってそれを見てい
る僕の心の方がずっとずっと哀しかった。もう僕らは永遠に会えないような気がして
…。広い広いまっすぐな道が草原などに囲まれて丘の上に続いていた。
僕は『アメリカのようだな』と思った。僕が返り見ているこの丘は…。そして
この丘をまっすぐに延びているクルマのほとんど通らない広い道と周囲の空き地や草
原などを見て…。
なぜかこの人影寂しいクルマのあまり通らない道を振り返ってみていると辺りが急
に薄暗く感じられてきてなんだか僕の今までの人生を映し出しているような…僕の人
生が彷彿と沸いてくるような錯覚に捕らわれた。―僕は18年余り生きてきて辛い
こと苦しいことがいっぱいで楽しいことは少なかったように思う。母や父の苦労や苦
しみ…僕が小さい頃は家がとても貧乏だったこと…僕も小学校の頃から蓄膿症や喉の
病気などでとても苦しんできたこと…そして僕は自分からすすんで家の創価学会の信
心を一生懸命やり始めたこと…家の人は母が勤行をするぐらいであまり熱心にはして
いなかったけど僕は自分一人で一生懸命小学校の頃からやってきたこと…そして本格
的にやり始めた中学一年の冬からだろうと思うけどあんまり勤行や唱題をしすぎたた
めにこの喉の病気になってそのために僕は四年余りとても苦しんできたことなど…
寂しいでもとても眩しい道を僕は再び歩き始めていた。広いアスファルトの道はキ
ラキラと太陽の光に輝いていてやっと巡り会えたと思った天使さまとの別れに沈んで
いた僕を励ましてくれた。そして僕はまた足早に歩き始めていた。
アメリカの道のようだなと思ったこの道は折尾の駅の方にずっと続いているようだ
った。たしかどこかに高架道路があったはずだと思ってたがそんなのはどこにもなか
った。
僕はもう一度振り返ってみたけれどもう丘を登る道にも丘の上にも少女たちの姿は
なかった。誰も見えなかった。ただ丘から走ってくる乗用車が見えてその速度がとて
も緩やかなものに思われるだけだった。
やがてその乗用車が僕の傍を通り抜けて行ったとき僕は一つの哀しい別れがまたも
う一つ出来上がったような気がした。道端のススキは春になろうとしている風に揺れ
ていてまだ本当は寒くて冷たいんだということを僕に告げたそうだった。でもとても
暑がり屋の僕はジャージ一枚でもとても暑かった。
遠く折尾の向こうの空には幾筋も幾筋も煙が上がっているのが見えていた。そして
空は赤黄色に煙っていて『ああ、あれが北九州工業地帯なんだな。』と僕はその煙突
の下の光景を思い描きながらロボットのように歩きつづけた。駅の線路が見えてきて
もう駅に近いようなのに人影はほとんどなかった。
犬が一匹居た。その犬は僕を見て尻尾を振っていた。黄土色の毛をした犬だった。
僕のように寂しげに一人つっ立っているようだった。僕はやがてその犬の傍に近づい
た。でも犬は向きを変えて僕を見つめているきりでロボットのように歩道を歩き続け
ている僕に哀しげな視線を送り続けているだけだった。
僕は再び折尾の空を見つめながら歩き始めた。桃色に煙るその空を見つめながら。
来年はその桃色の空の向こうにある京大医を受けよう、と思ってきていた。僕はま
だ2月13日ごろから自分の頭がおかしくなったのをあんまり気づいてなかった。僕
が産業医大の一次試験ができなかったのは肘が擦れ合うほどに座らせられて試験を受
けたためであることは解っていたけれども、どうせ倍率が30倍なのだから落ちて当
然だと思っていた。…
僕はもう20分あまりも歩き続けていた。田中さんと駅から歩いてきたときは15
分ぐらいで田中さんのハイツに着いたのにおかしいな、と思ってきていた。僕はそう
して道の横の線路の中に金網を越えて入っていった。振り返るとさっきの犬が僕を不
思議そうに見つめていた。そして僕は線路の砂利の上を歩き始めた。ここを歩いてゆ
くときっと駅に着くと思って…。
それから僕はゴトゴトと博多まで快速電車に揺られていったっけ。空を見上げなが
ら黙って通りすぎてゆく僕を非難がましく見つめていた美しい女子中学生の姿を窓辺
に思い浮かべながら。
産業医大の二次試験が終わったあと、僕はまっすぐに長崎に帰らずに博多駅で降り
て三幸荘へと向かった。僕が博多駅に着いたのは午後3時ぐらいだった。そして駅前
から西区の方へ向かうバスに乗ろうと駅前のバス停へと向かった。
本当に福岡は大きいなあ、と思っていた。折尾から博多までもずっと民家が続いて
いた。そして駅前のこの大きなビルの群れ。長崎で生まれて長崎でずっと育ってきた
僕には想像もできないほどだった。
来年は理三だなあ、と思っていた。せっかく浪人するのだから今度は今年よりもい
い所を受けなくてはいけないなあ、と思っていたから。
僕は田中さんのハイツを出てからもずっとここまで口の中や心の中で題目を唱え続
けていた。やっぱり僕の心の中は悔しさで煮え沸りつづけていた。この悔しさは大学
入試に落ちて浪人するためでなくって中三の頃罹った喉の病気のために今まで女の子
とつき合えなかった悔しさのためだった。去年の9月からの悔しさがずっと続いてい
た。大学入試に落ちたことで僕はこんなに苦しんでいるのではなかった。喉の病気で
なければ中三あたりから可愛い二つ年下の女の子たちとつき合えてたはずだ、そして
もう取り戻せない、僕の中学・高校時代はもう取り戻せない悔しさのため僕は口や心
の中でずっと題目を唱え続けていたのだった。
もちろん、大学に合格していれば僕の胸の中の煮え沸る悔しさも薄らぐかも知れな
い。僕は一縷の希望を九大の合格発表に賭けていた。もし受かっていたら僕の血みど
ろの勉強はようやく終わりを告げて僕は福岡で長崎の女の子のことなんか忘れて遊び
回るかもしれないな、と思った。
やがて九大行きのバスが来た。三幸荘は九大工学部のすぐ傍にあるのだった。僕は
バスに乗り込みバックを二つ抱えたまま二人掛けの椅子に腰かけた。
九大工学部の門が見えてたしかこの辺だった。僕はバスから降りた。一週間ぐらい
前に来たのはたしかここだった。
アベックが不動産屋のアパートなどの書いてあるガラスの中を覗き込んで騒いでい
た。僕にも喉の病気さえなかったら恋人がいて…と思ってとても悔しかった。
三幸荘はたしかこの辺りの裏だった。コンビニエンスストアがあって小さなお好み
焼き屋があって…。
僕はバス通りから(バス通りといってもバス二台がやっと離合できる程度の狭い道
なのだけど)角を曲がり古い木造の民家が立ち並ぶ所へ入っていった。
一週間前の九大受験の前日のことが思い出される。あの日は東高出身の九大工学部
に通っている先輩が博多駅で出迎えてくれた。もちろんその人も学会員の人だった。
『大白蓮華』を手に持っていてすぐ解った。
あの日はその人と一緒に夕暮れどき三幸荘へと行った。みすぼらしい学生街の裏通
りにある三幸荘は木造の二階建てで『三幸荘』という木に彫られた古い看板がとても
立派なのが印象的だった。そして夕焼けに紅く染められた山の見えない平原の中のあ
る所に今自分が立っていることが今まで長崎でばかり暮らしてきて周囲にはすぐ山か
海が見えていたから不思議だった。
あのときは僕は一人っきりではなかったし喉が悪くてあまり喋りきれない僕によく
話しかけてくる工学部の三年生のその先輩が多少煩わしくもあった。僕が喋ってもバ
スの中や狭いバス通りの道ではその人にやっと聞き取れるぐらいの声しか出なかった
。
あの日、博多駅からバスに乗り、九大医学部前でバスを降りて、試験場である九大
医学部の下見をした。そして下見をしたあと箱崎の三幸荘までバス通りの一つ裏の道
を歩いて三幸荘まで来たのだった。
あのときはまだ僕は自分の頭にこの前から巣喰い始めた悪魔のことに気づいてなか
ったし自信があった。九医へ合格して今見てきたとても長崎では考えられないような
広いキャンバスの中にたくさんの研究施設があって…そして僕は大学に入ってからそ
のうちの一つで僕が今まで苦しんできた喉の病気や言語障害の治療法を研究するんだ
と燃えていた。
それに僕には御本尊さまがついているからきっと合格すると信じていた。でも2月
13日に喉の病気を治して貰おうと邪宗の祈祷師のところへ行ったこと…でもその謗
法払いにそのあと20日ぐらい懸命に一日2時間から3時間題目をあげ続けてきたこ
と… 道を歩きながらや読経の時間を入れれば一日4、5時間になっただろう。ひた
すら懸命に僕の高校最後の力を振り絞って謗法払いにと題目をあげつづけたこと…
僕には九大医学部のキャンパスを歩きながらも20日前のその謗法のことがやはり気
に懸かっていた。
それで僕の心は不安と自信とで揺れていた。そのためもあって先輩が喋りかけるの
をうわの空で答えていた僕をメガネをかけた優しい先輩は晩飯を食って行こうか、こ
のへんにいい食堂があるよ、と言った。
もう陽は打ち続く家並の遠い地平線の向こうに沈んでいこうとしていた。僕も汽車
の中で駅弁を食べただけだった。そして僕は先輩に続いて大地が揺れているような感
じを覚えながら下町の小さな食堂へ入っていった。
(あのとき僕を見つめていたちょっとポッチャリしたとても目の大きい女の子へ)
ごめんね。あのとき。黙って通り過ぎて。
でも僕には今でもあのときの光景がありありと思い返されてきます。春になりかけ
た草原と雨あがりの土。そして僕を非難がましく見つめていた君の大きな瞳。俯いて
黙って通り過ぎる僕。
僕はあのとき君たちの目には見えない亡霊となって歩いていたかった。僕は喋れな
いから亡霊と同んなじだったのです。
そして今そのときよりももっと亡霊に近くなって毎日てんてんと学校帰りに長崎の
浜の町を歩いています。
僕はもう24歳になりました。もうあれから6年近くが経とうとしています。僕は
二度目の3年生で今暇でこうして毎日のように学校帰り浜の町に来ています。そして
いつも本屋で立ち読みしたりして時間を潰しています。
時の流れは早いなあとつくづく思ってしまいます。あなたがあのとき中二だったと
しても6年経とうとしている今あなたは社会人2年目か大学の2年生でしかも今は1
2月です。時の過ぎるのが早過ぎて僕は泣きそうになってしまいます。
あのときの折尾の空。雨がやんで晴れてきていてそしてスズメが鳴いててススキが
水分を吸ってどんどん伸びようとしていて。
完