AWC 「幻想即興曲集1」(2)       浮雲


        
#1624/3137 空中分解2
★タイトル (AVJ     )  92/ 4/26   5:54  (114)
「幻想即興曲集1」(2)       浮雲
★内容

 第三楽章「風」

   *
 わたしの前を、子どもが三人ばかりかけていきました。おや、と思っていると
、赤ん坊を抱いたおばさんが、どたどた走っていきました。と、続いてバイクに
乗った青年がすっ飛んでいきました。
 どうしたことでしょう。何かあったのに違いありません。さあ、なんでしょう。
足が勝手にふるえだしています。
 わたしは、小さい頃から、人が走っていくのを見ると、じってしていられない
質なのです。そんなわけですから、消防自動車のサイレンの音が聞こえたりした
ら、もうどうしても、見逃すことが出来ませんでした。あとで考えれば、どうに
も申し訳のないことなのですが、赤い消防自動車が疾走していくのを見ると、訳
もなく追いかけなければならなくなってしまうのです。
 ああ、もう我慢の限界、ええい、と走り出そうとしたときです。
 うしろから、ううう−う−う−、というサイレンのような声をあげて誰かがや
ってくるではありませんか。その声の主は、自転車をがたがたいわせながら、わ
たしを追い抜いていきました。
 あれっ、あの人は。くりくりした坊主頭といい、自転車に乗ってサイレンのよ
うな声を出す人といったら、彼以外にいる筈がありません。

   *
 はかせ、ねえ、はかせったら、どこへ行くんですか。わたしは、大声で呼びか
けました。その人は、自転車を止めると、おや、という具合いに振り返りました。
ああ、やっぱりはかせじゃないですか。わたしは、もう火事のことなど忘れてい
ました。おお、きみか、とはかせは大げさなほどに目をむいてみせました。そし
て、どじょう髭をもったいぶった仕草でひねりました。ははは、相変わらずです
ね。わたしは、何が相変わらずなのか自分でもわけの分からないことを口にして
いました。
 いやなに、天気が、天気のせいで髭の具合いがどうもいまひとつ、などと、は
かせは、聞かれもしないことをしゃべり出しました。
 やはり、温度や湿度といったものが微妙に影響するものなんでしょうね、など
と、わたしも調子を合わせてしまうのですから仕方がありません。
 うむ、それがねえ、はかせは、ひたいにしわを寄せると、一つ大きなため息を
つきました。その隙をねらって、わたしは本題に入りました。
 で、どうなさったのですか。そんなに急いでどこへおでかけなんですか、と尋
ねると、いやあ、子どもが三人ばかりかけて行ったのをみただろうが、あれは、
きみ、ただごとではない。でも、それにしてはおかしいんだなあ。きみは、なに
か煙のようなものでも見えたかい。はかせは、そう言って髭をひねりました。

   *
 そう言われてみれば、はかせの言うとおりです。サイレンの音も聞こえません
し、あれっきりかけ出して行く者もいません。どうやら、わたしの早とちりのよ
 そこでお聞かせ願いたいのですが。わたしは、いきなり話を別の方にもってい
ってしまいました。
 例の実験は、どんな具合いですか。はかせは、困ったような顔をしましたが、
それも一瞬のことで、いつものように難しい顔をしながら、あれは、すずらんテ
−プがよくなかった。メ−カ−も最近は手抜きをするのでいかん。しかし、なん
といってもそれを選んだのはこの自分だ。誰が悪いのでもない。そう言いながら
、はかせは、急に体操を始めました。
  おけらの体操
  いち、にい、さん
 などと号令をかけ、いやあ、歳を取るとどうもからだが固くなっていけないね
え。自転車なら油を射して磨いてあげるという手もあるが、人間はそういかない
からね。
 いえ、はかせ、わたしなどは、毎晩油をさしていますよ。わたしがそう言うと、
はかせは、しかめっ面をしながら、右手でコップを持つ真似をして見せました。
 いやあ、すべてお見通しですね。わたしは、笑うほかありませんでした。
 そうそう。はかせは、急に真顔になると、きみは、二日酔い防止体操というの
を知っているかな、などと言い出しました。
 いや、すずらんテ−プがね。あれを使った体操が二日酔いの防止に役立つんだ。
なんて言ったかな、あの体操のこと。はかせは、聞いたことのないかけ声をかけ
ながら、また体操をはじめました。
 わたしには、すずらんテ−プ=体操=二日酔い防止、少しも見当がつきません
でした。
 わたしが、ぼうっとそんなことを考えているあいだに、はかせは、自転車を放
り出したまま、ひょこひょこと歩道の縁石を伝い歩きしながら行ってしまいまし
た。
 どこからか、笑い声のような、ガラスを爪でひっかいたときのような、どちら
ともつかない奇妙な音が聞こえて来ましたが、それは、はかせがわたしを呼んで
いる声だったのか、それとも、はかせのわきを駆けていった風のものだったのか
は、わたしには分かりませんでした。


 第四楽章「月」

   *
 わたしは、その夜も、自分の影を踏まないように一歩一歩調子をとりながら歩
いていました。
 ところが、その夜に限ってどうも具合いがおかしいのです。わたしの目の前を
いく自分の影は、なんだかゆらゆら揺れているし、いつもに比べて輪郭がぼんや
りしているようなのです。
 誰のせいでもない。わたしは、そんなことを口にしながら、とにかく、自分の
影を踏まないように、そればかりを気をつけていました。
 突然のことでした。
 横から、だっ、と黒い影が飛び込んできたかと思うと、あっというまもなく、
わたしの影を抱いて、走り去ってしまったのです。
 まっ黒なアスファルトが残っているだけでした。
 こんなに驚いたことはありません。わたしは、ああ、ああ、とのどの奥で叫び
ながら、一歩も動くことが出来ずに、ただ、まっ黒なアスファルトをにらみつけ
ているだけでした。
 どれぐらい時間がたったのでしょう。
 それは、一時間だったかも知れませんし、あるいは、一秒だけのことだったの
かも分かりません。
 わたしは、ふっ、とため息をつくと、さあ、このまま歩き続けていいものかど
うか思いをめぐらしました。
 答は、すぐに見つかりました。
 街路のいちょうの木が、ざざあ、と鳴ったかと思うと、いつのまにかわたしの
影が、どんどん先へ歩きはじめていたのです。

 風の強い日は、雲が早く飛ぶものだから、ときどき、そんないたずらをして、
人を驚かすのですね。

                   −おしまい−


 注)第一から第三楽章までは「きまぐれ遊歩道」に掲載したものに多少手を加
   えたものです。「ギャラリ−」でお読みいただいた方には二重のお手数を
   かけてしまったこと、深くお詫びいたします。
   また、第四楽章は、「幻想即興曲・月」を組み入れたものです。したがっ
   て、「幻想即興曲・月」は、メッセ−ジより削除いたしました。

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