AWC 炎狼鬼 最終章(1) おうざき


        
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炎狼鬼 最終章(1) おうざき
★内容
   (一)
 ものには、その存在自体が罪だというものが、いくつかある。その最たるもの
は、言うまでもなく人間である。
 人間が刀をもってして、他人を斬り殺したとする。その場合、斬った人間が罰
を受けるのは自明の事であるが、斬るに使われた刀を罰したり責めたりする者は、
まずおらぬ。当り前の事と言えばそれまでの事ではあるが、世の中で起こるのは
そればかりではないのである。
 刀をたくみに傾け、人間の姿を映しては他者の目をくらませ、刀にすべての罪
をかぶせてしたり顔、というさかしい者が、二百人の内に二人くらいは存在する。
 刀ならば、持主の手を傷つける事もあろうものを。
   (二)
 角井源之進、還らず!
 凶報は、宮津の国から全土に走った。海を隔てて島にも走った。
 剣士達は、顔を見合わせたものであった。
 良く晴れた、満月の晩である。井岡の国の、とある盛り場で、数人の剣士が酒
を飲み交わしていた。
「ご存じか。あの角井源之進が、あの炎狼鬼に餌食にされたという、もっぱらの
噂だ」
「聞いておる。願わくば、どちらにも近寄りたくないものよ」
「しかし、話の出所はいずこだ。眼に映して確かめた者があるのか」
「噂だ、今のところはな。だが、宮津の角井と言えば、かなりの手練。かようの
ごとき噂の騒ぐ事自体、何かがあるというものであろう。どこでどうしているや
ら知らぬが、無傷ではあるまいて」
「口止めをされておるのだがな、少し前に、角井が井岡に来た、という者がある。
詳しくは存ぜぬが、奉行所で騒ぎを起こしたという事だ」
「ほう、さても角井源之進らしきと言うべきか」
 語尾に笑いが続いた。その様子に背を向け、隅の席でひとり杯を傾ける、若き
男の姿がある。その脇には、名鉄定宗が置かれていた。
 男の名は、森口栄一郎。二十六歳である。最近までは、余人の及ばぬ剣の腕を
持つ、井岡の国の同心であった。父は「井岡の獅子」とまで呼ばれおおせる剣の
達人であった。
 順風満帆であった彼の人生が、奇怪な方向へと道を外れたのは、数えて宝羽三
年の事であった。許嫁殺しの罪で、牢にたたき込まれたのである。
 彼を救い出したのが、剣士たちの酒の肴にされていた、角井源之進なる男であ
った。
   (三)
 剣士達の笑声を背に、栄一郎は店を後にした。
 炎狼鬼にあいまみえた、あの悪夢のごとき朝から、すでに一と半月が経ち果て
ていた。
 国境いを密かに抜けた栄一郎は、奉行所の近所に身を潜めて、様子をうかがっ
ていたのである。角井源之進の訃報を耳にして、炎狼鬼につき、何かを知ってい
る節のある望月康正が、どう動くか。
 路地から通りに出ようとした時、眼の前を、その望月が横切った。栄一郎はぎ
くりとしたが、望月は気づかなかった。栄一郎はしばらく身を闇に置き、距離を
置いて後をつけた。肩をたたき合って再会の挨拶を交わす訳にはいかぬ。
 月の蒼い光を浴び、望月の姿は妖怪じみて見える。二十歩ほどの間を開けて、
栄一郎が彼を追う。とある料亭にたどり着くまで、それほどの時は要さなかった。
   (四)
 栄一郎の眼が自分を捕らえて放さぬ事などかけらも気づかず、かつて栄一郎の
奉行を勤めた男は料亭に入り、女中に案内され、部屋に入ったのであった。
 栄一郎は、気づかれぬよう、隣の空き部屋へと忍び込んで、聞き耳を立てる。
 部屋には先客があった。細く長い髭を顎にたくわえた、初老の男である。その
目つきは鋭く、青白い。紙一重と言ってもよい。表情を変えぬまま、湿った声を
ひねり出した。
「早うござったな。まあ、座りあれ」
「いつ井岡に帰ったのだ、枝沢」
 好意や敬意には程遠い、望月の口調であった。この二人は、明かに互いを軽蔑
している。友情以外の何かが、二人を結び付けているようであった。
「つい先刻じゃ。岐州の里に、草を取りに行っておったでな。で、どうなのじゃ。
効き目はあったか」
 男の名を、枝沢座周という。医学者であるが、その名が表だって知られた事は
ない。
「あった、と言いたいところなれど、人に効いたのはほんの一時でしか、ありは
せなんだ。あれでは到底、使い物にはならぬぞ」
「使うた後、どうなった? 死んだのかな」
「死んでなどおらぬ!」
 立ち上がらんばかりの、望月の怒りようであった。だがそれも、枝沢を恐れ入
らせる事はない。口に出してだけは、こう言った。
「それは重畳」
 口をへの字にゆがませ、奉行は言葉を吐き捨てる。
「重畳なものか。角井源之進の大たわけが、牢を破って宮津の国に連れ出してし
まいおった。奴の亡き今、森口の行方は知れぬわ」
「宮津の国に名を響き馳せる、あの角井源之進が出て来るとはの。炎狼鬼が目当
てであったか」
 語尾がねじれて、笑い声となった。枝沢の眼と口が、喜悦にゆがむ。
「偶然とはいえ、炎狼鬼を作った甲斐があったというものじゃて」
   (五)
 はしゃぐ老人を、望月は舌で蹴り飛ばした。
「顎が外れる前に、笑いを納める事だ。名もない小動物に飲ませ、炎狼鬼などと
いう化物を生んだほどの薬が、何ゆえ人には効かぬ。一時には、確かに効いた。
模範同心が、乱心して許嫁を斬り殺したのであるからな」
 ここで一旦、言葉を切る。さしたる反応が得られず、声をさらに荒げた。
「よいか枝沢。この妖薬が完成をみれば、人として思い付く限りの富が約束され
るのだぞ。人心から理性を奪い、紙細工のごとく操る事のできる薬なのじゃ」
 栄一郎はこの時、襖の反対側で、全てを聞いていた。聞きたくもない事を、聞
かされたのである。体が震えた。汗が玉となって、畳へしたたり落ちる。
「人に知られまいと、わざわざ他国の辺村の山中まで出向いて薬を試したが、あ
の効き目は予想を見事に超えた。獣と人とでは、少々効き方が違うようじゃが、
なに、人にもよく効くようにしてしんぜよう。案ずるな」
 炎狼鬼は、人によって、それも薬で作られたものであった。栄一郎の理解の一
線を越えた話である。これほどに理不尽な事があって、良いものなのか。角井源
之進は、何の為に死んでいったのか。
 それだけではない。そのおぞましき薬を、栄一郎は飲まされたのだ。おそらく、
いや明かに、あの日に望月に誘われた酒の席で。あげくに、我知らず、お浜を斬
っていたとは!
 悲哀と奮怒が、栄一郎の理性を突き破った。襖を右と左に開け放つ。いつ名鉄
定宗を抜いて右手に握ったかは憶えにない。
「望月!」
 男達が振り向いた。反応は一瞬、無であった。
「しくじったか、正影め」




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