AWC 炎狼鬼 第一章(1) おうざき


        
#1531/3137 空中分解2
★タイトル (UCB     )  92/ 3/22   4: 4  (100)
炎狼鬼 第一章(1) おうざき
★内容
   (一)
「話をお聞きくだされ、憶えなき事にございます!」
「森口! 見苦しき真似はよさぬか。これほどの不祥事は、我が奉行所はじまっ
て以来、それも模範同心のお主が、酔うて女を斬り殺すとは、何たる醜態か!
引ったてい!」
 叫ぶと、望月康正は、数人の男に押えつけられている森口栄一郎に、大股に歩
み寄ると、彼の腰にある剣をむしり取った。
 宝羽三年と呼ばれる初夏の事である。
 若き同心である森口栄一郎は、一瞬前まで精鋭していた職場が暗転、本来は見
張る立場である牢に、自らがたたき込まれる事となった。
   (二)
 その界隈には有名な鍛冶屋があった事から、後に鉄砲町と呼ばれる事になった
が、今回の話とは関わりがない。
 とにかく、当時のこの町で、一人の女が死んだ。
 死に様からして、剣を腰に持つ者の仕業に相違ない、という事となり、大がか
りな手入れが始まった。
 当然、剣を持たぬ町の者達は、さしあたり役人の眼と手を避ける事ができた訳
で、その点についてはひと安心であった。
 そして、他人事となると、やたら責任感にとぼしい噂がせせらぐのは、いつの
時代であろうとも、そう変わるところはない。
「それにしても、歩く年貢の無駄使いどもが、今回はえらくさかしいでねえか。
女が一人、手打ちになっただけでねえべか」
「それよ。おらもなんだか妙だ妙だと思うとったが、道野屋の番頭さんが言いな
すっとったわ。死んだ女ちゅうのが、なんとまあ、幕府御用達の大物問屋の娘ご
だっちゅうこったわ」
 「なんとまあ」以後を聞いた者も、また話した者も、何とはなしに首をすくめ、
周囲を見回したものであった。
 結局、噂の主人公を死後に演じた女の、許嫁の相手であった森口栄一郎が、下
手人として捕らわれて落着、大方の者は全てを水に流して忘れ去っていった。
 角井源之進がこの町にやって来たのは、そのような時であった。宝羽三年の初
夏の事である。
   (三)
 角井はそれを耳にした時、口をあんぐりと開けはなち、言葉が出てこなかった
という。辻斬りの汚名を頭からかぶった森口栄一郎こそ、彼がここにやって来た
目的の人物だったからである。
 しかし、その時間は、きわめて短いものだった。
 不敵な笑いをひらめかせると、凄みのきいた声で一人ごちた。
「ふふ、面白い。面白いぞ。それくらいの騒ぎを起こす男でなくば、面白くない
というものだ」
 面倒な事になった、と考え悩むのが人の常であるが、この男には、どうやらそ
の手の常識は通用しないらしかった。
 宿で旅姿をとき、彼は取っておきの着物を取り出す。金銀の糸をたっぷりと使
って織られたそれは、歌舞伎の舞台衣装かと見まがうほどに、派手で臆面もない
ものであった。
 角井は、てらいもなくそれを身にまとった。たいして明るくもないあんどんの
光が、着物に反射して部屋を舞う。
 腰の名鉄を抜き、光に透かす。
「森口殿、まだ安息の日を送るには若すぎよう。つまらぬ場所から、すぐに連れ
出してしんぜよう」
 いくばくかの時差をもって、その予言は的中する。名鉄「定宗」が、それを証
明するかのごとく、鋭くまたたいた。
   (四)
 夕刻。角井源之進の姿は、森口栄一郎の勤めていた奉行所の門前にあった。す
でに門を守る番人は消え、巨大な門は貝の殻のごとく閉ざされている。
 緊張の色もなく、角井は門を拳でもって叩いた。
「門を開け」
 わざとらしく声をはり上げる。
 門の向こうで、番人の声が聞こえた。
「役儀によって質すが、何者か」
 角井は、鼻でせせら笑った。
 ふむ、金を喰うて太りに太りあがり、腐りきった役人どもも、見栄と選民意識
だけは健全とみえる。
 角井は、民衆を自分の自尊心を満たすだけの家畜としか思っていない、公儀と
称する連中が嫌いであった。これは、角井が剣を持つ身であるという事とは、別
の事である。彼は事実というものを、完全ではないにしろわきまえており、努力
もなしに夢が現実になる道理のない事を、剣の修行で学んでいた。
「開ければ分かるであろうが」
「それでは答えになっておらぬ」
「こざかしい事をほざくな。今夜の当番は、そうか、お主か。拙者は知っておる
ぞ。あの事を噂にされたくなくば、とっととここを開けぬか」
 出まかせである。しかしこの手の狂言が、時にはあっさり人の心を陥落させる
事を、角井は経験により知っていた。
 向こう側であたふたという雰囲気をたてていた門扉は、薄い闇の中を、大儀げ
なきしみと二人連れで動き出した。
   (五)
「森口栄一郎を訪ねて、宮津の国より参った。森口殿に会いたい。通り参るぞ」
 とてもそうとは見えない、派手な格好をした男が、腕力ではなく舌先三寸で奉
行所に入ろうとしている。
 歌舞伎役者のごとき、きてれつな姿の角井が、すたすたと脇を通りすぎてから、
二人いた番人はやっと我にかえった。
「おのれ、だましたか。待て、待たぬか!」
 番人の片割れがやにわに赤面して叫んだのは、角井がたっぷり彼の丈の十倍ほ
ども向こうに去ってからである。
 二人の番人は、大急ぎで走り出す。
 無礼きわまる奉行所破りの男は地べたに押えつけられ、縄を頂戴するはずであ
ったが、そうはならなかった。
 角井は肩ごしに振り返り、鋭い眼光を番人に突き刺したのである。
 野獣の眼であった。
 見えざる槍を心の臓にたたき込まれて、男達は何かにぶつかったごとく動きを
止めた。自分の血の気が引いていく音を、番人の一人は聞いた。
「森口栄一郎は、どこか」
 今度は殺意さえ乗せた質問を浴びせられ、もう一人の男は、うろたえて牢の方
向を指さしてしまったのであった。
   (六)
 あまりにも目立ちすぎる姿の男が、奉行所の廊下を歩いている。
 天をつくごとき巨漢ではない。絶世の二枚目でもなく、尻尾が生えたりしてい
る訳でも、もちろんない。
 しかし、着ているものが尋常とは思えなかった。ごく僅かな光を異様にはね返
すその着物が、角井の背中で無言の歌舞伎を演じていたのである。
 それを、すれ違った役人は見逃さなかった。




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