AWC 「受賞作」              浮雲


        
#1457/3137 空中分解2
★タイトル (AVJ     )  92/ 2/20   6:13  (160)
「受賞作」              浮雲
★内容

   1
 青山一雄が「神の果て」で「文芸界」新人賞を受賞したのは、その年の10月
のことであった。
 あとで分かったことだが、選考委員のひとりである評論家の立野健が、何がな
んでもと声を荒げてまで強硬に「神の果て」を推薦したのが決め手になったので
ある。
 「神の果て」は、ある老国会議員の私設秘書である主人公を中心に、彼らに群
がる人間たちの欲望を克明に描いたものである。老議員と゛ハイエナたち゛の間
に立って、いわゆる闇の部分を支配する主人公の非人間性を告発したものだろう
との先入観は見事に裏切られる。それが、立野の推薦の弁でもあった。
 徹底して欲望を追い求めていく姿を「悪」と見なすことなど誰にも出来ないの
だ、という冷徹な視点で貫かれているそのやや硬い文体は、たしかに玄人受けす
るものがあった。
 省庁の官僚、企業の幹部、そして、料亭や高級クラブに巣喰う夜の生活者、さ
らには「ゲイ」の生態からエイズにおびえる陰の者たちまで、実に具体的に生き
生きと活写されている。
 それもその筈である。青山は、ある国会議員の現役の私設秘書の一人であった
のだ。なんのことはない、「神の果て」は、青山が見聞したすべてのことが、そ
こにそそぎ込まれた一種のスキャンダル小説と言ってよいものであった。
 そんなありふれたバクロ記事にも似たものが、文学賞を受賞出来たのは、青山
自身の文学的才能というよりも、評論家・立野健の推しがあったればこそである
ことは、ほかでもない、青山が一番よく知っていた。
 だからこそ、受賞後、数え切れないほどの雑誌社や新聞社から原稿依頼があつ
たとき、青山は、いい知れぬ興奮に酔うと同時に、ある苛立ちを抑える事が出来
なかったのであった。どの原稿依頼も、判でついた様に、「神の果て」の延長か
、そこで描かれている事実をもっとスキャンダラスにおもしろおかしく書いてく
れ、といったものばかりであった。青山の苛立ちはそこにあった。文学賞を貰っ
たのは、俺だ、この青山だ。原稿依頼にやってくる編集部員を前にして、いくど
そう叫んでみたかったことか。だからであろうか、書いていて少しも心が踊らな
かった。といって冷めている、という訳でもない。とにかく自分の書きたいもの
を書いているという実感が、少しも沸いてこなかった。それでもとにかく、青山
は書いた。これは妥協なのだ、そう自分に言い聞かせながら。
 それに比べ「神の果て」を書いていたときは、おもしろくて仕方がなかった。
アイデアは次々生まれ、ペンはひとりでに走った。頭に浮かんでくるスト−リ−
にペンのスピ−ドが追いつかずに、なんど書き損じたことだろう。そんなときの
いらいらは、不思議なことに、いつかいい知れぬ快感へと変わっていった。
 人に聞いたり、本を読んだりして得た知識とはわけが違う。きのう、きょう、
自分の目の前で起きたことばかりである。陳情、あるいは依頼と称して、誰が何
をしゃべったか、そのときの、おどおどした目付き、気味悪いほどにゆがんだ唇
、そして相手の口から飛んできた唾が自分の手の甲に着いたときの、は虫類に触
れたときを思わせる感触、それらは、青山の脳裏からいつまでも消えなかった。
 当面の欲望充足のために、ただそれだけのために、人間としての尊厳を捨て、
人格を自ら壊していく人々を目の前に見ることほど、青山にとって何ものにも代
え難い喜びはなかった。ある省の局長が、接待のあと「ゲイ」と一緒にホテルに
入るのを目撃したとき、青山は、自慰以上のしびれるような快感に、足がなえ、
立っていられないほどであった。そんな場面を描写するとき、青山は、性器に異
常な力がそそぎ込まれるのを覚え、いくどとなくペンを止めなければならなかっ
た。
 さすがに、「神の果て」には書かなかったが、秘かにあるランク付けをするの
が、青山の習癖になっていた。それは、寄って来る゛ハイエナ゛どもの中で誰が
もっとも非人間的な行動をとったか、それによって、自分にどの程度の喜びを与
えてくれたか、それを、性器にそそぎ込まれた力をバロメ−タ−にしてA、B、
C、Dとランク付けするのである。そして、それは老国会議員へのプレゼンテ−
ションやスケジュ−ルの調整などのもっとも重要な指標となった。どんなに罵倒
されようと、小突き回されようと、「たいこもち」顔負けで立ち振舞う企業幹部
の目の片隅に、自嘲にも似た光が一瞬でも走れば、彼の評価はDである。逆に、
人格に服を着せたのではないかと思われる省庁のお役人が、高級クラブでの接待
のときよりも、会員制のいかがわしい店ではしゃぐのを見たり、彼が、後日陳腐
な病気にかかったのを知ったときは、躊躇なくAにランクされるのであった。な
んのことはない、それは、青山の快感の度合を示すものにほかならなかった。

   2
 「神の果て」は、評論家・立野健の絶賛にもかかわらず、ほとんど売れなかっ
た。一般の読者にとって、青山の文体はいかにも難解であり、せっかくの低俗で
スキャンダラスなおもしろさを殺してしまっていたのだった。大衆受けしないだ
ろうことをいち早く見抜いた出版社が熱心でなかったのは、当然のことであった。
 青山は、自分を除くあらゆることにその原因を押し付けたが、事態は一つも変
わらなかった。出版社は、当り前のように増刷を打ち切った。一カ月もすると、
街の書店から、「神の果て」はきれいに消えていた。
 前後して、青山は当然のように議員秘書を辞職していた。驚いたことに、スズ
メの涙ほどの退職金と文学賞の副賞百万円を併せて車のロ−ンを払うと、一銭も
残らなかった。貯金もまったくないことが分かった。
 しまった、うかれ過ぎていた、と自分を叱ってみたが、文字どおり後の祭りで
あった。ぐずぐず言っているうちに、あれほどいた編集部員たちの足は遠のいて
しまった。青山が、なんとか書き上げた二つか三つの原稿もすべてボツになって
いた。気がついてみると、新人賞受賞から、半年が経っていた。
 よしっ、「神の果て」の第二弾を発表して世間をあっ、と言わせてやろう。い
ろいろ書きそびれていたことが山ほどある。いまに見ていろ、青山は、出版社の
編集部員たちが口をすっぱくして言ってくれたことなど、きれいさっぱり忘れて
いた。
 しかし、どうしたわけか、ペンは進まなかった。一週間たち、二週間が過ぎて
も、一行も書けなかった。青山は、とことん思い知らされた。「神の果て」で、
すべてを書き尽くしてしまったことを。そして、自分はいま、現在に生きている
のであって、過去ではないことを。
 目をつむり、どんなに精神を集中しようとも、あの、忌まわしい、おぞましい
快楽の日々は、巡ってこなかった。
 月20万円のマンションをひき払い、文学賞の賞金まで持ちだしてロ−ンを完
済した車も手放した。彼の手元に残ったのは、なんの神通力も持たない賞状一枚
だけであった。三食が二食に減ったが、それでも青山はひもじさを感じることは
なかった。二食が一食になってもいい、その代わり一行でいい、たった一行でい
いからペンを走らせたかった。
 ある日、青山は「神の果て」の続編を書くことをあきらめた。そして、それは
ある計画を思い付いた日でもあった。数日後、ある女性が青山のアパ−トを訪れ
た。青山は、その日の内に、手際よく仕事を片付けた。しかし、その後始末に手
間取って、ぐずぐずと日を重ねているうちに、アパ−トの住人から管理人に苦情
が持ち込まれた。その日のうちに、青山の部屋が警察によって捜索され、腐乱し
た女性の死体が発見された。隣人の苦情とは、腐乱した死体から放たれる異臭の
ことだったのである。
 青山の取調べにあたった刑事たちは、はじめ首を傾げ、そのうち苦笑をもらし
ていたが、しまいには怒りをあらわにして、青山を殴りつける始末であった。青
山は、なぜ、その女性を殺したのか、わるびれもせずにこんなことを話したので
ある。
 自分は、ある国会議員の私設秘書をしていた経験を元に「神の果て」を書き、
新人賞を受けた。しかし、秘書を辞めたいま、どうしても同じものが書けないこ
とを思い知らされた。だが、小説を書くことはやめられない。いろいろ悩んだが
、こんどは、ミステリ−作家として世間の評判をとってやろう、そう思い付いた。
もちろん、殺人事件をあつかった小説でなければならないが、自分は人を殺ろし
たことがない。「神の果て」は、国会議員の秘書をやっていればこそ書けたのだ。
したがって、殺人犯を主人公にした小説を書くためには、人を殺してみなければ
ならないのだ、と。

   3
 あくる年の10月、室井隆が「神の審判」という小説で「文芸界」新人賞を受
賞したことを、未決のまま拘置所に収監されていた青山は知らなかった。
 室井の「神の審判」は、いわゆるモデル小説である。仮名が使われていたが、
主人公は明らかに実在の人物であることが容易に推察された。
 いつの世にあっても、個性の強い人物が栄華を極め、そして凋落していくとい
うドラマチックな展開は、喜びをもって迎えられるものである。彼の人生観が、
異常であればあるほど、そして、彼の成功の陰に多くの犠牲者がいればいるほど
、つまり、自分との距離が遠ければ遠いほど、第三者にとつて、楽しみは大きい
ものとなるのである。
 「セックスそのものが快感を生むのではない」と言ったのは、精神医学界の長
老A博士である。彼によれば、セックス本来の目的である生殖行為からいかに逸
脱しているか、いかに本来の目的からかけ離れたセックスであるか、それを知覚
あるいは認識すること、それが快楽そのものなのだ、と言うのである。極論すれ
ば、快楽を、快楽だけを追い求める人間こそもっとも人間らしいと言えるかも知
れない。
 「神の審判」は、まさしくそのような人間をモデルにしたものであった。だか
らと言って、選考委員たちが主催者である雑誌社の意向を汲んで、読者受けのす
る小説に白羽の矢を立てたのだ、と見るのは軽率であろう。
 室井は、巧みな筆致でモデルの人物像を描きながら、徹底的に彼の非人間性を
暴いた。これでもかこれでもか、と必死の思いで主人公を責めたてた。彼の生き
方を、あってはならないものとして一ミリも妥協することなく否定した。しかし
、そうすればそうするほど、主人公は魅力ある人物として生き生きとしていくと
いう皮肉な結果につながっていった。行間からは、形相を乱した作者の顔と、主
人公のへらへらした顔が入れ替わり立ち代わり現れた。あるときは作者が主人公
の胸ぐらを掴み、そしてあるときは、作者が主人公の膝下に組伏せられるという
展開が続くのであった。作者と主人公の血みどろの攻防が繰り広げられた、と言
ってよいかも知れない。
 モデル小説は、作者の思い入れが主人公の人物像と大きく共振してこそはじめ
て成功するものである。ところが、「神の審判」は、そんな常識を覆したばかり
か、まったく新しいモデル小説の方法を提示したのであった。選考委員たちがこ
ぞって推薦したもっとも大きな要因はそこにあったのである。
 「神の審判」は、増刷に次ぐ増刷を重ね、あっという間に20万部を突破した。

   *
 山々が冬仕度にかかろうとしていたある日、青山が収監先の拘置所で死んだ。
 死因は明らかにされなかった。そのことが後で諸々の憶測を生んだが、それも
一部の者だけの話題にとどまり、そして、いつか忘れられた。
 室井が青山の死を知ったのは、その年も終わろうという頃であった。室井は、
それを聞き終わると、すぐに書斎に閉じ込もった。そして、数分もしないうちに
、書斎の中で鋭い物音がしたのを家人が聞いた。
 室井は、書斎に入ると書棚の前をしばらくぶらついた。それからある本を抜き
出すや、それを力いっぱい床に叩きつけた。そして、足で踏みにじったあと思い
っきり蹴飛ばしたのである。

                    −おわり−
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