AWC 落日の家 (2) ごとう六花(リッカ)


        
#1455/3137 空中分解2
★タイトル (JAH     )  92/ 2/19  13: 7  (145)
  落日の家  (2)           ごとう六花(リッカ)
★内容

  富子が鉄也の掛かっている病院から連絡を受けたのは、食後の昼寝をして
いるときだった。
  胃の手術をして以来の富子は、食事の後には決まって横になっていて、い
つの間にか眠りに落ちることが習慣になっていた。
  富子は、医師の言葉がなにか重大な意味を含んでいることを察知して、こ
どもが学校から帰らない内にと、急いで身支度を整えて出掛けた。
「奥さんですね。あまり深刻にならないで下さいね」
  と医師が鉄也のカルテのデータを開きながら言った。
「実は、ご主人の右の肺の中に、できものがあることが分かったんです。こ
れがその写真ですが、親指の頭くらいの大きさなんです」
  度の強い眼鏡を掛けた医師は、しきりに手で眼鏡を押し上げながら言った。
「それで、先日行なった気管支鏡検査の時に、組織の一部を摘んで詳しく検
査したところ、その中に癌の細胞が見つかったんです。」
「もう、主人には話されたのでしょうか?」
「いいえ、まだです。ま、癌細胞といってもいくつかの種類があって、全く
根治しにくいものから、比較的根治に近い処置のしやすいものまであるんで
すが、ご主人のものは、幸い、早く手術して取り切れば根治できる部類のも
のです」
  富子は何故か、自分でも不思議なくらい冷静であった。それは、自分も大
きな手術をして、今もこうして居られるという経験からか、それとも、あん
なに健康そのものの鉄也が、今直ぐ手術をしなければならない病気を持って
いるなんて、とても信じられないからか分からなかった。
「それで、主人には、癌であることを話されるんでしょうか?」
「奥さんが、どうしても、というのなら話さないでもありませんが、普通の
場合には、本人には通告しないのが常です」
「手術をするといっても・・・・、現在の主人を説得することは難しいかもしれ
ません。わたしの場合のように、確かな症状でもあれば承知するでしょうが、
なにしろ全くの健康状態ですし、会社も現在、人手が足りなくて、毎日残業
している状態ですから・・・・」
「奥さんもどこか悪かったのですか?」
「はい。今年の二月に、胃潰瘍を手術しました」
「そうでしたか・・・・。でも、ご主人にはわたしから、早く手術するようによ
く説明して承諾してもらいますよ」
「それで・・・・、命には・・・・」
  今朝も元気に会社へ出掛けて行った鉄也のことを思い出しながら、富子は
自分から質問をした。
「それは大変に難しい質問ですね。一般的に言って癌細胞というのは、若い
人ほど進行が早いものなんです。ご主人はまだ四十六歳ですから、まだまだ
若い部類に入ります。六十歳代以上の人の症例は多いのですが、これらの人
が十年生きていて亡くなったとしても、その死因が、以前に罹かった癌に因
るものだったのかどうかは掴みにくいんです。ご主人の場合はまだ若いです
から、病巣を取り切ってしまえば・・・・、ま、一般的に言って、十年以上は・・
・・、と考えられますが、これも、あくまでも、一般論としてのことで、断言
できることではありません」
  富子には、医師が説明に苦慮する様子が読み取れたが、話を聞いている内
にだんだんと鉄也が憐れになってきて、急に胸のあたりが押さえ付けられる
ような息苦しさを感じた。
「奥さん、しっかりして下さいよ。わたしたちも頑張って、根治するように
努力しますが、奥さんはご主人に心配をさせないように、しっかりと支えて
「はい。三人居ります。上が高校三年の男の子で、真ん中が中学三年の女の
子で、一番下は六年生の男の子です」
「それじゃあ、子供さんたちにも協力してもらって、ご主人が安心して手術
を受けられるようにしてあげることですね」
  家に戻って居間の椅子に腰を下ろした富子は、急に悲しみが込み上げてき
た。やがて涙は、後からあとから止めどもなく溢れ出た。
  富子は立ち上がって、ティッシュを掴んで鼻をかもうと大きく息を吸い込
んだとたん、自分の意志とはまったく違ったところから、急に呼吸を震わせ
るような力が加わって、ティッシュを顔に当てたまま大声を上げて床に泣き
崩れた。
  それでも幸也が学校から帰って来るころには、富子はもう落ち着きを取り
戻していた。
  富子は、達也の留守を見計らって、上の二人の子どもに鉄也の病気のこと
を話した。
「いいかい、お前たちはもう大きいので本当のことを話すんだけど、驚かな
いでおくれ。実はね、この間、お父さんの体を検査したお医者さんから呼び
出されて、説明を聞いて来んだんだけど、お父さんね、肺癌に罹かっていて
急いで手術をしなければならないんだって・・・・」
  富子はひとつ、大きな息をした。
「お父さんは、肺の中にできものが出来ていて、手術して早く取ってしまわ
なければ、悪性に移行するかも知れないって、お医者さんから説明を受けて
いるらしいけど・・・・」
「それで、お父さんの命はどのくらい・・・・」
  由魅が富子の顔をにらむような目つきで訊いた。
「さいわい、まだ早期なので、場合によっては全部取り切ってしまえるかも
しれないって言っていたけど、それも手術が終わってみないとなんとも言え
ないとも言ってたわ」
「おれ、大学へ行くのをやめて、就職しなくっちゃあなあ」
  それまで黙って聞いていた寛太が急に口を開いた。
「いいえ、お兄ちゃんは是非受験して頂戴。もちろん由魅もよ。そうしない
と、一層お父さんに心配を掛けることになってしまう・・・・。お前たちの学校
のことは心配しないでもいいのよ。お前たちがまだ、大学や高校を卒業しな
い内に、もし、お父さんに万が一のことがあったとしても、お母さんは、ど
んなことをしてでもお前たちを卒業させて見せるから」
  この富子の言葉を聞いたとたん、由魅は大声を出して泣き伏した。
「由魅、泣かないでよ。いくら癌だったからって、なにもお父さんの余命が、
あと一年ぐらいしかないって言われたわけではないんだから・・・・。お前だっ
て、もうすぐ高校生になるんでしょう。もっとしっかりしてちょうだいよ」
  母の妹を慰めるやさしい言葉を聞いていた寛太は、急に涙が込み上げてき
た。そして、視線を天井に向けて、あふれそうな涙をくい止めていた。
「なんだい、お兄ちゃんまで涙なんか出して、どうかしてるわね。もっとし
っかりしてくれなくっちゃあ。もう・・・・、ふたりともどうかしている」
  富子は、二人の子どもが自分の本当の病気のことを知っていて涙を流して
いることを、まったく知る由もなかった。そして富子は、なんて心の優しい
子どもたちだろうかと、二人の様子を眺めながら笑みを浮かべるのだった。
  医者から詳しい説明を受けていた鉄也だったが、決断までにはかなりの時
間が掛かった。たまたま、鉄也の精密検査をした医者が、鉄也の勤める会社
の産業医でもあったため、社長からも説得してもらって、鉄也はようやく決
心をした。
  しかし、会社でも責任ある立場にある鉄也には、医者から、早い内に手術
をするようにと言われていても、再び職場に戻るまでには、短く見積っても
一ヵ月以上は掛かるだろうと思われた。そのため、細かい身辺の未整理にな
っている事柄や、いつもの仕事の内容などについて、自分が居なくてもスム
ースに運ぶようにと気遣っていた。
  そんな鉄也の手術の日取りも決まらないでいたころ、寛太は、妹の由魅を
ハンバーガー店へ誘った。
「由魅。おまえどう思う?  最近のかあさんのこと」
  眉の濃い、きりっと引き締まった顔だちの寛太が、周りの視線を気にしな
がら言った。
「うん。なんか、ここんところあまり元気がないみたい。いつものお母さん
だったら、由魅が台所を手伝おうとしたりすると、いいから勉強していなさ
い、なんて断わられるんだけど、それが、勉強が忙しいのに悪いねえ、なん
て言って、あまり動きたくないみたい」
「やっぱりそうか・・・・。おれもこの間、模擬テストでいつもより早く学校か
ら帰って来たとき、居間でかあさんが苦しそうな表情で横になっているとこ
ろを見掛けたんだ。かあさん、どこか具合でも悪いんじゃあないのかって訊
いたら、たいしたことないから心配しないでいいって、起き上がったけど、
顔色がかなり悪かったんだ」
「もう、手術してから十ヵ月になるけど、やっぱり・・・・」
  由魅は、目頭が熱くなるのを堪えた。
とを知ってしまっているからじゃないのかしら」
「いや、そうじゃないだろう。二人の受験勉強のことを気遣ってのことだろ
うと思うけど・・・・。でも、可愛そうでならないんだ、おれ。もし、医者の言
う通りだったとしたら、おれたちの受験の結果も知らないまま・・・・」
  そこまで言って寛太は言葉を切った。そして、歯を食いしばって息を詰め
た。
「それもそうだけどお兄ちゃん。お父さんの手術はいつになるの?  もう、
お医者さんにいわれてから、一ヵ月以上にもなるけど・・・・。だんだん遅くな
って、お母さんの病状が悪くなってからだと、お父さんだって、自分ではな
んの症状もないんだし、癌だなんて思っていなければ、手術を遅らせてしま
うんじゃないかしら」
「しかし、こどもが言って取り合うお父さんでもないし、成り行きに従うし
かないさ。それよりも由魅。お父さんやお母さんのことは、絶対本人に話す
んじゃあないぞ。お父さんはお母さんのことを真剣に心配しているし、お母
さんはその反対。とくにお母さんは、だいぶ死期も近づいている感じだし、
ここは、お父さんよりもお母さんを支えてやらなければ可愛そうだ。由魅は、
お母さんのことだけを中心に考えていてくれ。おれは男としてお父さんを担
当するから」
  ふたりの子どもの親を思う気持ちが、表面的には大人びていたのだったが、
寛太の心の中にはもう一人の自分が居て、いつも友達との家と見比べていた。
(みんなと違って、なんで、俺だけがこんなに不幸な目に合わなければなら
ないのか・・・・)と、そんな思いがいつも寛太の胸の内にはあった。
  鉄也の手術は済んだが、思ったよりも患部は進んでいて、手術は長時間に
及んだ。しかし、富子のときのような余命の宣言はなかった。
                                                       つづく




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