AWC チョモランマの負けず嫌い野郎たち[上]  木村ガラン


        
#1331/3137 空中分解2
★タイトル (AJC     )  91/12/17   2:41  (143)
チョモランマの負けず嫌い野郎たち[上]  木村ガラン
★内容

 世界一高い山はチョモランマだけど、俺達を乗せた飛行機は、その遥か上空を飛んでいく。どんなもんだい。俺達は生まれて初めての海外旅行に出たんだ。物凄くうれしいよ。ああ、楽しい旅になりそうだ。俺達は飛行機に乗るのも初めてだ。何もかも珍しくて新鮮だ。知ってるかい、飛行機というところは飲み物が只なんだぜ。

 「あ、スチュワーデスさん、ビールもらえるかなあ」と、俺は通路を通りかかったスチュワーデスに声を掛けた。このクラスのシートは比較的空いていて、俺達はのんびりリラックスしていた。
 「はい、かしこまりました」スチュワーデスはニッコリ微笑みを浮かべて答えた。彼女は東欧系の凄い美人だった。近年スチュワーデスの質の低下しているそうだが、そんな事はないと思う。彼女を見ろよ。どうだい俺の好みにピッタリだ。
 「俺はウオッカ」ヘッドホンを弄っていた石橋が言った。
 「はい、ただ今お持ちいたします」
 「ぼくちん、ウイスキー、氷もね」と、立ち去りかけた彼女の背中に言ったのは大林だ。彼は肥満している。正確な数字は知らないが、体重百五十キロはあると俺は睨んでいる。日本人には珍しく欧米型の本格的な肥満体である。
 「グラスもだよーん、くっくっくっ」
 「はあ」スチュワーデスは呆れてしまっている。だが、さすがプロフェッショナルだ。直ぐに気をとり直すと、上品な微笑みを浮かべて言った。
 「かしこまりました。ビールと、ウオッカと、ウイスキーに氷ですね」
 「いやー、すいませんね」と、俺は言った。

 そして、俺は去っていくスチュワーデスの後ろ姿を見送った。
 スチュワーデスのキュッと引き締まった腰やボリュームのある臀部、スラリと伸びた長い足。おお、足首なんか大林の手首よりずっと細いぜ。

 彼女が注文の品を持って、戻ってきた。俺達のそれぞれの前にある折畳み式の小さなテーブルに、それぞれの酒を置いた。俺のを置く時、屈んだ拍子に、ブラウスの衿元から彼女の胸元が見えた。豊かで張りがあって肌理の細かい白い肌だった。ほんの一瞬だったが、俺はそれらを全て見て取った。まあ、男なら誰でもこれが出来るはずだ。最高のボディだ。さらにスチュワーデスになる程の知性も兼ね備えている。完璧だ。ああ、この女とデイトしたいなあ。

 「おかわり」
 俺がそんな事を考えてエヘラエヘラしていると、不意に、石橋が大声を出した。
 「もう飲んじまったのかよ」俺はびっくりした。さっきから十分もたっていないぞ。
 呆れたことに七百二十ミリリットル入りのビンが空になっていた。アルコール度は五十度もあるウオッカをだぜ。
 「お前、無茶すんなよ、死ぬぞ」
 「なんだと」石橋は俺をジロリと睨んだ。こいつは悪い奴ではないんだが、まるで鬼のような恐い顔をしている。俺は少したじろいだ。
 「だから、いくら只でも体には限度というものがあるだろ」
 「・・・」
 「おい、他のお客さんのことも考えろよ。大声を出すなよ」
 「・・・」
 「ほら、ここに、ほら、このボタンを押せばスチュワーデスが来てくれるんだよ。分かったか、これだぜ」
 「ああ」


 チョモランマの北壁をフランスの山岳パーティが登っていく。全員何度も数千メートル級の山々を制覇した強者ぞろいだ。零下何十度の厳しい寒さの中、しっかり防寒具に身を包んだ男達がゆっくり登っていく。表面をゴアテックスで覆われ、その下の層構造をなしている服、その下のオーロンの肌着に覆われた逞しい筋肉。長い間鍛え続けられた強靭な肉体。太い腕がハーケンを打ち込み、自分の体を力強く引き上げていく。


 それから数時間、俺達は飲み続けた。
 石橋は既にウオッカばかり三本も空けてしまっていた。石橋が酒に強いのは知っているが、いくら何でも飲みすぎだ。恐らく初めての海外旅行で興奮していたんだと思う。いくら飲んでも只というのも重要な理由だ。生まれて初めて飛行機に乗り、こんな高い所に居るという生理的な不安もあったかもしれない。
 尤も本当の所はよく解らないが、というのは石橋は表情が無いからだ。感情の起伏を表に出すという事が無い。だからみんな恐がって友達になろうというものは少ない。俺はこいつがそう悪い奴ではないという事をよく知っているからいいが、知らなければ俺だって関わり合いたくない男だ。
 ところで、俺達はその間じっとしていたわけではない。俺は何でも人に負けるのが大嫌いなのだ。石橋が独りでガンガンいっているのを、黙って見ているわけにはいかない。負けるもんか。
 「石橋ー、勝負だぜ!」俺は石橋が飲み始めるとすぐ言った。
 「けっ、」石橋が吐き捨てた。こいつもやる気だ。
 俺はスチュワーデスを呼び寄せると、静かに注文した。
 「バーボンを頼む」
 「ぼくちんも、ぼくちんもー、ブランデー頂だーい」
 大林も言った。そうなのだ、俺達は似たもの同志なのだ。みんな負けず嫌いなのだ。

 俺達は互いに火花を散らし合いながら飲みまくった。最初のうちは交互に一気飲みをしたりしたが、だんだん静かになって黙々と飲み続けた。自分の酒に厭きるとお互いの酒を取り替えっこしたり、スチュワーデスに新しいのを持って来させたりした。スチュワーデスはうんざりしていただろうが笑顔だけは絶やさなかった。大したものである。俺は益々彼女達が好きになった。
 俺は酔っ払いながら考えた。人間の限界とはどれくらいの所にあるのだろうか。そして、その限界とは絶対の物で決して越えることは出来ないのであろうか。
 俺は酔いが回るにつれて段階的に精神状態が変化する。まずやたらと陽気になり何もかも愉快で堪らなくなる。とても幸せだ。その次に異常に頭が冴え渡りあらゆる物を冷たく見下すようになる。これが少し過ぎるとまた陽気になり、くだらないことでクックックックッといつ迄も笑い続けたりする。その後、眠くなる。まあ、これは個人差があるようだが。
 ああ、さすがに飲みすぎたようだ。何もかも回転している。ああ、限界かな。横を見ると石橋は相変わらず正確なピッチで飲み続けている。バケモノだ。あるいはもうあっちへ行ってしまっているのかもしれない。だが、それは表情からは読み取れない。ただ目が少し光を帯びているかな、という程度だ。
 大林はひどく陽気だ。やたら俺に話し掛けてくる。そして下らないギャグを連発する。素面なら殴り倒してやるような下らないギャグだ。だが、酔っ払っている俺は不覚にも笑ってしまう。笑いながらもそんな自分が悔しくてしょうがない。まあいいっかあ。どうせ只なんだもんあ。楽しけりゃいいじゃん。だが、でっぷり脂肪の付いた大林の笑顔を見てるとやっぱり少し腹が立つ。


 登山隊が最終ビバーク地点を発ってから、六時間が過ぎた。このまま順調にいけば、もうすぐ頂上に着くはずだ。天気も良好だ。全て順調だ。それは半年前、フランスでの綿密かつ慎重なプランニングから始まった。膨大な量の過去のチョモランマ登山記録をあたって、自分たちに有効な事例を拾いだした。それに最新の地学的データに基づいてルートの選定をした。卓上の準備に並行して、隊員達は厳しい訓練で体を作り上げていった。そして、一ヵ月前に現地に入ってからも、彼らを沢山の為すべき準備が待っていた。彼らはなぜ、そこまでして山に登ろうとするのだろうか。登山とはたとえ何人で登ろうとも、自分との勝負の孤独なスポーツだ。自分に打ち勝つことがその目的なのだろう。言うならば、彼らは、自分の内にある弱い心に負けたくないのだ。


 「もうダメだ」遂に、俺はグラスを置いて言った。「なあ、お前ら、止めようぜ」もう飲めない。いや、舌が麻痺してしまっているから、水のように幾らでも飲めるのだ。だが、これ以上飲むと急性アルコール中毒で死んじまう。ああ、頭がグラングランしている。脳味噌が真っ白になってしまっている。飲みすぎたなあ。
 隣を見ると石橋も大林も居なくなっていた。何時の間に居なくなったんだろう。気が付かなかったなあ。どこへ行ったのかなあ。まあいいっかあ。呑み過ぎて天国に逝っちまったのかもしれない。いいきみだ。はっはっはっはっ。楽しいなあ。
 いい事思い付いた。スチュワーデスを呼んで「何にも用はないよ」と言ってやるのだ。はっはっはっ、最高だろう、はっはっはっはっ。
 俺が素面なら自分に蹴りを入れてやった事だろう。下らない。こんなことを考えるのは、相当酔っているからである。
 スチュワーデスを呼ぶと幸運にも最初のナターシャがやって来た。この名前は俺が付けてやったのだ。
 「なにか御用でしょうか」
 ああ、セクシーな声だ。俺は彼女に抱きつきたくて堪らなくなった。
 「キャッ、何をなさるんですか。おやめください」
 抱きついてしまった。ああ、気持ちいいなあ。
 「止めなさいったらぁ!」
 意外にもとても強い力で俺を振り解こうとした。でも俺は放さない。マニュキアの塗られた鋭い爪が俺の腕に立てられた。深く食い込み血が流れだした。でも、酔っ払っているので、少しも痛くない。彼女の肉付きのいい情熱的な唇。キスしたい。キスしたい。
 「キャー」
 キスしてしまった。ああ、気持ちいいなあ。幸せだなあ。俺はエスカレートして胸を鷲掴みにして揉みしだき、下腹部に手を延ばして、まさぐった。あんまりナターシャが暴れるもんだから、俺は何度か殴ったようだ。彼女の制服は引き裂かれてしまった。ほぼ全裸だ。だが、俺だって裸だ。俺は自分から脱いだ。俺は体中、彼女の爪で引っ掛かれ、抉られ、突き刺されて血まみれだった。ナターシャも血まみれだった。これは俺の血が付いたのだ。
 スチュワードが大股で前方からのしのしやって来た。そいつは阿部譲二にそっくりだった。その顔は驚きと激しい怒りを滲ませていた。
 もめるなこれは、でもいまさらダメさ。ダメなら酒なんか出すなよ。
 スチュワードの逞しい手が俺にかかった。




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