#1161/3137 空中分解2
★タイトル (CZG ) 91/ 9/ 8 11:47 (148)
墓地の事情 3 コージDDDDDDDDDDDDDDDDD
★内容
寺の過去帳なるものを調べることも一つの方法かもしれないが、彼にはその
気がまるでないのである。そんな億劫なことまでして仮に新事実がわかったと
してそれが何だという気持がある。永い間タブーのように畏怖の念をまじえて
家族関係が保たれてきたのに、それが簡単に崩れて堪るかという気持がある。
理屈ではない。そういう生活環境で身についてしまった曖昧さなのだ。死んだ
父は家族の出生やその関係ということにとくに注釈を加えたことはなかった。
彼はそれでかまわないと思っている。何かそれ以上でもそれ以下でも面倒だと
いう思い込みがいつからか備わっている。普通の家族ならそれが自然というも
のなのだ。
しかし墓前の供花には関心があった。誰がそんな奇特なことをするのか突き
とめてみたいと思った。同時に供花の主がなぜ父の死を知ったのか不可解に思
う。葬式の通知は彼の知っている範囲に限られ、それについとは姉も異議はと
なえなかったのである。
彼は盂蘭盆の墓参りに春の彼岸のときより一時間早く行ってみた。すると、
墓前にやはり今手向けたばかりのような新しい花があった。秋の彼岸はさらに
少し早く行ってみた。同じことであった。新鮮な、色に張りのある赤や紫や黄
色の花が供えてあった。
張り込みという非常手段を考えなかったわけではない。だが、そこまでして
相手の正体を掴んでも仕方がないという気がまたしてもする。けっきょく彼は
好奇心を持ちながらも、具体的な行動に踏み切れずにいた。
そのうち彼は妙なことに気づいたのだ。相手は彼らと顔を会わせるのを怖れ
ているのではないか。だからいつも素早く早朝に墓参りを済ませる。何か事情
があって、あるいは遠慮して……。
彼はいつしか奇特なその見えざるひとに親しみを抱き始めていた。一度じっ
くり会って話してみたいと思った。しかし先方がそれを望まないのなら仕方が
なかった。すると、彼は次第にこのままで構わない気がしてきた。ついに彼岸
や盂蘭盆の墓参りでその相手に会わないで済めばよいと思うまでになった。墓
参りの当日になると、彼は朝から落ち着かないのである。墓前でその見えざる
相手にばったり鉢合わせしたらどうしようと思ってしまう。妙なことに気づい
たとは、そんな自身の変化も含んでいる。
彼は妻に、墓参りはなるべく昼過ぎにしようと提案した。
「早いほうがきりがついていいんだけど」
妻は不満を表明した。家事の手順というものもあるのだろう。
「午後だっていいじゃないか。せっかくの休日だもの、朝からがつがつしなく
ても」
彼はさりげなくただそう言った。
3
五年が過ぎた。ところでその年の秋の彼岸は彼を十分に驚愕させたのである
。墓前にいつものように真新しい花が手向けられていなかったことと、例の女
のことであった。
「へえ、きょうは無いのか」
瑞々しい色彩豊かな花を見慣れてしまっていた彼は、何となくがっかりした
ような、ほっとしたような、とても大切なものをどこかに置き忘れてきたよう
な中途半端な気分になった。
「ほんと、初めてじゃない、無いの」
妻もあきらかに興奮していた。
「どうしたというんだ」
「具合でもわるいんじゃないかしら」
「具合ねえ……見舞いに行かないとわるいかな」
「そういうこと。でも」
「でも……」
彼らは黙り込んだ。ではどこへ見舞いに行けばよいというのだ。冗談を言い
合っても始まらないのであった。
彼は形どおり墓石を拝むと立ち上がった。妻は墓石の頭に水を掛けたり花筒
に水を入れたりしている。
別に意識したわけではなかったが、彼は右七、八メートル先の例の女が立っ
ていた墓に歩いて行った。
そして何気なく墓碑の文字に目を留めて、危うく声を上げそうになった。改
めて見直した。それから心持足を早めてその墓の周りを歩いた。正面はもちろ
ん横にも後ろにも女の家の姓が消えていたのである。
するとあれは人違いだったのか。いやそんな筈はなかった。実は女を目撃し
た次の墓参りのとき、そっとこの墓の姓を確認しているのだ。そのときは確か
に女の家の姓が彫られてあった。
彼は一瞬何がなんだかわからなくなった。そういえば女を墓地で見かけたこ
とはその後なかった。二十年近い昔の交渉を思い出させた女の出現には思わず
息をひそめてしまったが、どのみちはるか過去のことであり。再び現れてもも
はや驚くことはないだろう。
それよりもしかし……彼は浮かぬ顔で小首をかしげてから、それでもと思っ
てその両隣り前後の墓を見て歩いた。どこにも女の家の墓は無いのであった。
墓参りが済んで妻を家まで送ると、彼はその足で女のところに行ってみた。
車から降りて確かめるまでもなかった。駐車場になっていて店の面影もない。
彼はその前をのろのろ通り過ぎた。ふとあの日の女の言葉を昨日のように思
い出していた。
「インスタントものの麺類が当たってね、けっこう忙しいのよ。問屋団地の中
に工場を建てたの。従業員も五十人近くになったし、いずれは向こうに住居も
移して……」
あれは女と切れて一年は経っていた。日掛けの集金も終わって女のところに
通う仕事もなくなっていたが、ある日、気まぐれにバイクで店の前を通ると、
女が通りに向かって店先で赤ん坊を抱いて立っていたのでびっくりした。
「あれえ、できたの」
バイクを停めて、あいさつ抜きで思わず声を掛けてしまった。
「あらァ、しばらく。そうなの、あなたに似てるでしょう」
「……」
「ほら、ほうら、おとうさんがきましたよ」
女は顔中笑顔でそう言うと、温かそうな純白のうぶ毛に包まれた赤ん坊を覗
き込んだ。
赤ん坊が薄目を開けたと思ったのは彼の気のせいであった。太陽の陽射しの
変化で眩しそうな目をしたのであった。
「生まれてどのくらい?」
やっと喉から声が出た。女が冗談を言っていると思っても、かすれたような
低いくぐもった声が出てしまった。
「まだ二カ月半。男の子なのよ」
「ふーん、二カ月半……男の子」
彼は鸚鵡返しにそう言った。
昨年の夏祭りの宵のことが頭に浮かんできた。知らずに月数を勘定しようと
している。
「かわいいでしょう」
「かわいい」
「いいのよ、無理しなくて。あなたの赤ちゃんじゃないから」
「それはそうだろうけど」
「嘘、顔に書いてあったわよ。もしそうだったらどうしようって」
ねえ、と再び女は赤ん坊に語りかけて、勝手に同意を求めて腕の中で少し揺
すった。
「どっち似なの」
彼の声はもうかすれてはいなかった。
「両方に似てるわよ。ほら、よく見て」
女は心持抱いている腕を差し出すようにした。まるい目が生々している。
父親のことは知らない。しかし、その赤ん坊が母親のどこと似ているのかわ
からなかった。似ているようでもあり、そうでないようにも見える。ただ頬っ
ぺたは赤い。それだけならよその赤ん坊をあやしていると考えてもそれまでで
ある。
彼はしかし、ここは素直に女が産んだと思うべきだと自分に言い聞かせた。
すると、あのほうの感度も是正されたのかと余計なことを考えてしまう。子
供を産んだ女は性快感を倍増させるものだと誰かが教えてくれた。もしそれが
ほんとうなら、この彼女の性感帯も目覚めたかしれないのだ。
彼はそうあって欲しいと願った。女の幸せそうなまるい顔を見ていたら、そ
んな思いが自然に胸に膨らんだ。なぜかほのぼのした心持だった。
ところが女とまた躯を合わせたいという欲望はついに起きなかった。赤ん坊
を抱いた幸せそうな女に興味はない。
そのとき女はついでのように、いずれは転居することになるだろうと言った
のだった。
それから何年いたのかわからないが、住まいの移転と同時に墓も移転したの
かもしれない。そうでも考えなければ墓が忽然と消えた説明がつかないという
ものだ。
けれども彼は、やはり何か変だと思うのである。墓まで引っ越さなければな
らないその辺の事情がわからない。
墓地の女は白昼の幻であった。もともと女の家の墓など最初から無かったの
である。
しかし、それでは作り過ぎになると彼は思っている。
女の家の墓が消えたのとまるで符号するように、彼の家の墓前から新鮮な花
が消えた。それは再び彼たちの墓参りの前に現れることはなかった。
彼は墓前に欠かさず色彩りも鮮やかな花を手向けてくれた見ず知らずの奇特
な人に、何かが起こったことを想像した。
病に倒れて足腰が立たなくなってしまったのだろうか。女と同じようにこの
地を離れて行ったのだろうか。あるいはもっと遥か遠くの、再び戻れない次元
に旅立ったということもある。
彼はそう思うと、何か取り返しがつかないことを仕出かした気持になって落
ち着かない。
張り込みでも何でもして、掴まえるようにしてでも会って、心を尽くして謝
辞を述べておくべきだったと今になってつくづく悔やまれるが、こだわるよう
だがよその骨が墓の底に同居しているとなると、話はまた別というものだろう
。
〈了〉