AWC 墓地の事情 2  コージ


        
#1160/3137 空中分解2
★タイトル (CZG     )  91/ 9/ 8  11:41  (138)
墓地の事情 2  コージ
★内容
「……まあ、あれだよ、あまりおとなしい女房というのも……」
「でも、あまり威勢のいい方よりか」
「いや、威勢がよいほうがいい。絶対いい。意思表示もできないおんななんて
、何を考えているのかわからんようではつまらんじゃないか」
 旦那は思わず口走ってしまったという感じで彼のほうに振りかえった。思い
詰めたような顔をしていた。
 彼は自分の顔色が変わっていると思った。胸がドキドキしてだんだん息苦し
くなってくる。
「ま、秤屋さんにこぼしても仕方ないけど……とにかく奥さんは慎重に選ぶこ
とだよ」
 途中から旦那の顔は笑っていた。酒、タバコはやらないといっても、はたし
て女が言うほど面白みのないこちこちの真面目人間なのだろうか。どうもそう
でもない気がする。だけど親しくもないのになぜ自分の女房をこぼして聞かせ
たのか彼は気になった。
 あるいは誰かにいつかは言いたかった不満を、そのときの気分でふと言った
までかと思ってみたのだが、彼にすれば額や掌に冷や汗が滲みっぱなしなのだ
。

 翌朝、彼は女の家から出勤した。バスは満席で吊り革に掴まって立っている
のは彼だけであった。みんなの目が自分に集中していると思った。けれどもな
にげなく車内を見わたせば彼を見ているのは一人もいなかった。それぞれの領
域内でぼんやり窓の外を眺めたり、ただ何となくじっと前を見ていたり、ある
いは考え事にふけったりしている。他人の侵入をかたくなに拒むように目をつ
むっているのもいる。
 誰も知らないのである。昨夜人妻と寝て今朝そこからの朝帰りだということ
を。世間にはよくある話かもしれないが、実際にはやはり少数派ということで
あろう。その数少ない当事者になったというのに誰も非難めいた視線を投げて
こない。これは一体どういうことなのか。
 若い彼は何か誇らしい思いがする反面、これでよいのだろうかと、ふと不安
に駆られる。
 不安なのはもちろん情事の相手が人妻だからということに違いないが、それ
だけではない気が彼にはしている。昨夜もとうとう女は心を開かなかった。そ
れでも女は祈るような表情で彼を迎え入れ、けっきょく空しい行為にすぎない
と悟ると、泣き笑いに似た顔になって二度と躯を開かなかった。
 躯を合わせていても、感情移入ができないもどかしさは、ちょうど自慰行為
に等しい疲れを彼に与えたのであった。だから気持が不安定なのは女のせいで
、人妻と寝たことに対する告発ばかりではない。
 バスに揺られながら、彼は自分の片づかない気持を女の内に眠っている性感
のせいにした。

 女と三度目の交渉を持ったのはそれからさらに二カ月後であった。むし暑い
夏祭りの宵で、街中の軒先に豆電球の入ったちょうちんが一斉に吊るされてい
た。
 みこしを担ぐ威勢のよい若者たちの掛け声を意外に近くに聞きながら、ラブ
ホテルの一室で彼は女と躯を合わせた。
「ねえ、こういうこときり、男と女は付き合えないのかしら」
 終わった後で女は彼の額や胸元の汗を拭きながら言うのである。このときも
女のほうから誘っておいて、何の反応も示さないのだ。
 彼にはそのことにもっとじっくり時間を掛けられればという思い込みがなく
はなかった。二回目ならそれもある程度は可能な筈であった。
「厭、もう。一と休みしたらここを出ましょう」
 女はしかし、案の定拒んだのであった。そしてそのとき、女と温泉に行った
最初に二回躯を開いたことが、女にしては例外的なサービスだったことによう
やく彼は気づいたのであった。
 ところでそれで女の不可解さが解明されたわけではない。
「どっちに原因があるのよ」
 そう彼は訊かずにはいられない。
「なにが?」
「子供のできない原因。旦那、奥さんのほう?」
「わかんない。お医者さんは両方異常が無いと言うんだけど」
「だけど一緒になって七年ぐらい経つんでしょう」
「そうね、八年かな。もうあきらめたわよ」
「そうなかあ、ほんとうなの。旦那もあきらめているのかな」
「わかんない」
「こうやってさ、ほかでもあちこちからタネ貰ってるんじゃないの」
「やだァ」
「旦那も承知してるんじゃないの。見て見ぬふりなんかして」
「やなこと言うのね」
「だって……あきらめたわけじゃないからこそ……」
 そこまで言って彼はさすがに口を噤んだ。いくら何でも言い過ぎだと思った
のである。そんな形で女の不可解な部分に迫ろうとは思いもしなかった。女の
子供のことなど彼にはどうでもよい筈だ。
 実は憎まれ口を叩くことで、この先女と厄介な関係にならないうちに切れた
いという打算が働き出したのかもしれないのだ。別れるなら女に主導権をとっ
てもらうほうが都合がよいのである。
 しかし、それなのに女は厭な顔もせず、むしろ微笑すら浮かべて彼の次の言
葉を心待にしているようであった。
 彼は混乱した。何か拍子ぬけした感じのなかで、逆に子供ができないからこ
そ火遊びにうつつをぬかすのかと思い直してみるのだが、やはりそれも違う気
がする。

2

 墓参りから数日後の日曜日、彼ら夫婦は彼の姉の家に立ち寄った折に彼岸の
墓参りが随分早かったじゃないかと訊くと、姉は彼の問いに怪訝な顔をした。
「あんまり早くもなかったけど」
 家を出たのは、何やかや用事があって午後になってしまったというのである
。
「すると……誰なんだろう」
 彼はそう言って思わず妻と顔を合わせた。
「何かあったの?」
「ええ、お花がお墓に手向けてあって……私たちが行く前に、もう」
 妻が姉にそう説明した。それから、
「おねえさん以外にいないわけですから、おねえさんだと思って……」
 そう言うと、妻はわからないといった表情のまま彼の目に視線を戻す。
 姉はお茶を淹れながら、しばらく間を置いて、
「あのお墓にはよその人の骨が入っているんじゃない。よく知らないけど」
 と急須と茶碗から目をそらさずに低く呟いた。
「何、それは。よく知らないんなら言わなければいいじゃないの」
 少し声が大きくなったのは仕方がなかった。正体不明の骨が一緒に入ってい
るなんて思っただけでも気色がわるくなる。第一そんなことは考えたこともな
かった。何だって姉は突拍子もない不快なことを言い出したのだ。
 彼はそのとき、きっとかなり険しい顔付きをしたのであろう。それが証拠に
彼のその一言で、姉はすっかり黙り込んでしまったのだから。
 眼鏡ごしの姉の目が糸のように細くなった。富士額の平たい顔に浮き出たそ
ばかすが一層暗さを増す。
 一方妻は、素早く判断したのか、何やら雲行きのあやしいややこしそうな姉
弟のやりとりを聞いていなかった素振りを急にする。
 姉の思いがけない言葉に反発してみたものの、確かに彼の知らない何かを姉
は知っていると思う。ところがその先を問い詰める気力がどういうわけか起き
ないのだ。家風のようなものだと彼は思ってきた。永い生活のなかでタブーの
ように触れずにきた。彼と姉がまったく似ていないこと。齢が十三も離れてい
ること。彼が小学校に入るころまで姉はよその家で育てられていたこと……。
 そうかと思うと、姉は、彼によくお前は親父の子だと当たり前のことを強調
し、またのときなど親父は親戚付き合いの嫌いな勝手な男だと非難する。親戚
はいない筈なのに変なことを言うと彼は思う。そのくせけっして突っ込んだ話
をしたがらない姉の態度に、彼はいつしか訊きたくもない、知りたくもないと
思うようになったのである。核心をぼかした、いや思いつきでしかないような
姉の話ぶりは、そのときどきの情緒のいたずらとでもいうべきもので、とても
論理的とは思えなかった。
 その姉も嫁いでよその人間になると、その種の話はうそのように言わなくな
った。
 よその人の骨の話は初めて聞くのだが、こういう話を姉から聞くのは実に久
しぶりであった。
 彼は妻の手前気色ばんでみたとはいえ、心の隅で姉の話をまるきり荒唐無稽
なことと否定できない気もする。墓前の供花もまたまぎれもない現実であるか
らだ。
「きょうはお義兄さんは?」
 機転をきかして妻が話題を変えた。
「仕事が忙しくて日曜出勤なのよ」
 姉もほっとしたように口を開く。気まずい沈黙は終わった。糸のように細い
目に幅が広がる。
「年度末で大変なんだろなあ」
 彼も加わった。
「そうなのよ。ちょうど決算で夜も遅いし……」
 どうでもよい話をして彼らは一時間ほどで腰を上げた。帰り間際にたまあに
は出かけてきてよとつけ足した。実際、正月を除いて年に一、二回会うか会わ
ないかだ。姉のほうから彼の家にくることはほとんどない。




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