#1103/3137 空中分解2
★タイトル (AFD ) 91/ 8/16 17:25 (101)
お題>「ミルフィーユ」 ふみ
★内容
僕の叔父さんは刑事をしていたけど、今は退職して田舎でのんびり暮らしている。とき
どき遊びに行くと、暖かい日が射し込むテラスまで通される。叔父さんはアームチェア
の上にあぐらをかいて、猫を撫でながら、刑事をしていた頃の話をしてくれるんだ。
このあいだこんな話をしてくれた。
「あれは真夏だったな・・
団地で殺人事件があった。3階で若い主婦が殺された。ナイフで刺されて、ダイニング
ルームのテーブルの上にうつぶせに倒れていた。ちょっと変な格好で死んでいたんだ。
床に膝をついて、上半身をテーブルにもたれかけて、右腕をぐっと前に突き出した格好
だった。それに顎を上げてぐっと前を睨んでいたんだ。
近くにピアノがあった。鍵盤の上に血痕があって椅子が倒れていた。譜面台には楽譜が
のっていて、そこにも血しぶきが飛んでいた。この主婦はピアノを弾いているところを
刺されたらしいんだな。刺し傷は4つか5つあっていちばん大きな傷は背中にあった。
それから腕や胸にも傷があった。
現場の様子から想像できたことはね・・
犯人は部屋に侵入して、この主婦がピアノを弾いている所にこっそり近づいた。そして
後ろからナイフで背中を刺した。ナイフは小さなもので、主婦はすぐには死なずに驚い
て振り返ったようだ。そこで今度は犯人は正面から胸と腕を刺した。そして主婦は床に
倒れた。犯人はそのまま逃走した。
ところが主婦はまだ絶命しないで、床を這ってテーブルの所まで進んだ。そしてテーブ
ルの上まで体を起こして・・そして今言った様に上半身をテーブルの上に乗せて、腕を
伸ばし、そこで息絶えたんだ」
「どうして腕を伸ばしていたんですか?」
「腕の先にはね・・ケーキがあったんだ。ミルフィーユという古くからあるフランスの
お菓子さ。知っているかい? 薄いパイを層状に重ねたものだ」
「見たことがありますよ。粉がまぶしてあるんでしょ?」
「うむ。どうやら被害者はそのケーキに触ろうとしたらしいんだ。この日はちょうど娘
の5歳の誕生日で、誕生パーティを開くことになっていた。それで前日買ったケーキを
テーブルの上に置いて、娘が幼稚園から帰るのを待っていた。友達も何人か招くことに
なっていた。ピアノを弾いていたのも歌の伴奏の練習をしていたらしいんだな」
「・・かわいそうですね。お母さんも、その女の子も・・」
「ああ・・特に娘さんはね。もう5歳だから・・・何が起こったかすぐに分かったよう
だ。幼稚園の先生に連れられてきたけど慰めの言葉もなかったよ。ただ頭を撫でてやる
ぐらいしかできなかった。ずっと泣きじゃくっていたな・・」
叔父さんは庭先の木の梢のほうに顔を向けて眼を細めた。鳥が1羽こちらを見ていた。
「泥棒だったんですか? 金が無くなっていたとか?」
「いや聞き込みをして分かったんだがね・・
原因はピアノらしいんだ。ピアノの音さ。弾いている本人は音楽のつもりでも、周囲の
人達には騒音にしか聞こえないんだね。この主婦の弾くピアノには近所から苦情が出て
いた。特に強硬だったのは真下の部屋と左隣の住人だった。ご主人の話だと、最近では
少しでもピアノを鳴らすと、この住人のどちらか、時には両方そろって怒鳴り込んでき
たらしい」
「では容疑者は絞れますね」
「真下の2階の部屋には若夫婦が住んでいた。左隣には50歳過ぎの男が住んでいた。
この男は独身で前科者なんだ。定職に就かないでブラブラしていた。この日もハッキリ
したアリバイはない・・」
「なんだ、それじゃその男がいちばん怪しいじゃないですか」
「ところがね、決めてがないんだ。凶器は小型のナイフで、被害者が倒れていたテーブ
ルの上には皿とフォークがあったんだけど、ケーキを切るナイフが無かった。だからた
ぶん犯人はテーブルの上のナイフをとっさに手に取って主婦を刺したんだろうけど、そ
の男の部屋を捜索しても肝心のナイフが出てこないんだ」
「現場から指紋とか遺留品は見つからなかったんですか?」
「何も出てこなかった。犯人は注意深くて手がかりは何も残さなかった。だからなおさ
ら犯罪歴のある50男に目星を付けたんだがね」
「2階の若夫婦のほうは?」
「亭主は勤め人でこの日は会社に居てアリバイがある。上の階に怒鳴り込むのはいつも
この亭主だった。奥さんのほうは1歳の赤ん坊を抱えて、ずっと部屋に居てアリバイは
はっきりしないんだけど、見るからに華奢な感じでね、とても人殺しができる様には見
えなかったんだな・・。それで一応50男を参考人として呼んで、取調べをしたんだ」
叔父さんの膝の上で丸くなっていた猫が、床に飛び降りて居間のほうへ走っていった。
居間の畳の上には庭木の影が長く延びていた。
「だが、その男は絶対に自分は犯人ではないと言い張るんだ。二日ほど粘ったけど、こ
ちらにも証拠がないし、仕方がないから家に帰したんだ。私達は困った・・どうにも困
ってしまった。他に容疑者を探しても出てこないし・・」
「でも叔父さんのことだから、きっと何か突破口を見つけて・・」
「ははは、そうさ。突破口は何だったと思う? 現場写真だよ。主婦の殺害現場を写し
た現場写真を見ていて、あることに気付いたんだ」
「何ですか? 見当もつきません・・」
「ミルフィーユだよ。この主婦は死ぬ直前にミルフィーユに手を触れていた。何でわざ
わざそんな事をしたのか? 写真をよくみたら、右手の指先がミルフィーユの下から二
段目に突っこまれていた・・つまり二階を指していたんだ。これにピンときて、改めて
二階の若夫婦の部屋を詳しく調べたら、タンスの中から凶器のナイフが出てきた。犯人
はあの華奢な奥さんだったんだよ」