AWC 多加賀教授の備忘録(1)    YASU


        
#1078/3137 空中分解2
★タイトル (UTJ     )  91/ 8/ 7  21:55  (189)
多加賀教授の備忘録(1)    YASU
★内容

 私は自分のことを教授と名乗っているが、べつに大学で教えているわけでもなけれ
ば、しかるべき筋からそのような称号を与えられたわけでもない。言ってみれば、自称
教授である。
 イギリス紳士の条件があるように・・・例えば名門のテーラーで作ったスーツをつる
つるになるまで着こなすとか、靴も手作りのものを一生履きつづけるとか、先祖代々の
領地で仕事らしい仕事をせずに一生を過ごすとか・・・プロフェッサーとよばれるため
にも条件というものがある。
 まず一番最初に、金儲けとは縁のないところでいつもいるべきである。金がらみの仕
事でいいものができるはずがない。
 つぎに自分の仕事、研究に絶大の自信を持っていること。自信のないのは自分の仕事
や研究の意味が本当は理解できていないのだ。
 それとこれは最も大事な条件なのだが、常識や社会通念から遠く隔たったところにい
つもいること。このごろの学者と呼ばれる者たちは、すぐ世間におもねるからいけな
い。マスコミ受けするようなことばかり考えていては、真にプロフェッショナルな仕事
は出来はしない。
 私は七年前に、自分がこれらの条件をすべてクリアしたという確信に至ったので、以
来自分のことをプロフェッサーと称して、誰はばかることはないと思うようになった。
 私の専門は、と問われたら、私はメタ・メタサイコロジーと答えることにしている。
こう言うと、それは一体何をする学問ですか、と問い返される。その問いに対する私の
答えも決まっていて
「サイコロジーすなわち心理学ですな、それをメタメタにするわけですよ」
 と言う。
「なにですか、そのメタメタというのは」
 と聞かれるが、それに答えようとすれば、一日中しゃべり続けても足りないだろうか
ら、あとは何を言われても、愛用のパイプをぷかりぷかりやって、目を天井に向けたま
ま沈思黙考にふけるふりをして返事をしないことにしている。そう、けむに巻くという
やつである。
 ただ読者諸氏にはせっかく縁あって、私の備忘録を読んでいただいているのだから、
もう少し私の専門分野のことを話ししておこう。
 メタサイコロジーのメタというのはサイコロジーを超えたという意味である。これ「超心理学」と訳していうと何か不可思議な心霊現象を扱う学問のように聞こえるが、
そうではなくて、心理学という枠組みを問題にするといった意味なのである。
 賢明な読者諸氏はすでにヒベルトの「超数学」という言葉を思い起こしておられるか
もしれない。「2+3=5」というのは「数学」だが、「2+3=5というのは算数の
式である」という言明は「超数学」に属するものである。ここから出発して、ゲーデル
が不完全性定理に到達したことはこ存じのとおり。
 つまりメタといったら、それは本来のものの解体という意味があるわけである。ただ
解体というと破壊的なニュアンスが強いので、ちかごろは脱構築という言葉を使ってい
るようだが。
 メタサイコロジーというのは、そもそもジグムント・フロイトが使いだした言葉で、
彼はそれまでの心理学が意識世界のことだけしか扱わなかったのに対して、無意識世界
の重要性を説き、その理論をメタサイコロジーと呼んだ。彼はメタサイコロジーの論文
を生前に十二編書いたといわれるが、現存するのは五つしかない。
 ここからが私、多加賀教授の独創的理論の出発点になるのだが、フロイトのメタサイ
コロジーを理解するには、どうしても散逸した残り七編の論文を読まなければならな
い。こう考えて、私は彼の足跡をたどって、ウィーン、パリ、ロンドンを訪れ、二年余
りをついやして彼の失われた論文を探してまわった。
 それは筆舌に尽くしがたい困難な日々であった。路銀を使い果たしてパリの橋の下で
過ごしたことも一夜二夜のことではなかった。だがついに私はフロイトの残りの六編を
捜し出すことに成功した。
 最後の一編はどうしても見付からず、またこのまま異国の地に留どまれば、自分の健
康さえ保てないということがはっきりしたので、私は涙を飲んで帰国の途についたので
ある。
 私は自分のみつけた未公開の論文を読んで、すっかりフロイト先生のメタサイコロジ
ーの理論に魅せられてしまった。そして、この論文を公にするかどうかずいぶん迷っ
た末、結局、今はまだその時期ではないという結論に達した。
 それは次のような理由にもとづく。まず、フロイトがみずから見捨ててしまったこの
一連の論文は、これまでの彼の精神分析の理論を大きく改変していて、彼自身、自分の
到達した地点に震駭されられて、この論文を破棄してしまったのではないか。もしこれ
が公表されたなら、精神分析界のみならず教育学、哲学、史学、文学といった分野に強
い衝撃と混乱を招くことは必定である。もちろんこのようなインパクトは学問の世界に
とって必要なものではあるが、フロイトの理論が今や単に理論に留どまらず、広く実社
会に応用され、実践されていることを考えれば、そのことを配慮せずにこの生のままの
理論を公表するわけにはいくまい。
 そこで私はこの論文を下敷きにして、自らの論理を作り上げ、それを世に問うととい
う形を取ることとした。
 余人はこれを、私がフロイトのオリジナリティーを横取りしたといって非難するかも
しれないが、私にはそのような意図はみじんもない。
 私はフロイトの理論を更に発展させたのであり、彼がなしえなかったこの理論の終極
点を明らかにしたのだから。
 ただ、上に述べたような理由のため、彼の論文を明らかにして、私が彼のセオリーの
どこを取り入れ、どこを捨象したのかを示すことが出来なかったことは、痛恨の一点で
ある。
 こうして私は自分の理論をメタ・メタサイコロジーと呼ぶこととした。

 ここで私は自分の学説を開陳するつもりはないし、読者諸氏もそのようなことは望ん
でおられないと思う。もし私の学説に興味のある向きは、いつでも個人的に連絡された
い。喜んでお話しする。
 私は自分のことについてすすんで話したり書いたりしたことはないが、ときどきどこ
でそのような情報を得るのか、私が心理学者であることを聞き知って、手紙をよこした
り、電話をしてきたりする者がいる。たいていは私を通常の心理学者と思って、いろい
ろな悩み事の相談をもちかけてきたり、読心術をおしえてほしいとか、子供の成績を上
げるにはどうしたらよいかといった手合いの内容である。そのような質問はいっさい無
視することにしているが、まれには私の興味を引くようなものもある。
 今日お話ししたい出来事も、ある日郵便受けにさまざまな手紙や葉書、ダイレクト・
メールに混じって入っていた一通の封書を私が手に取ったことから始まる。
 差出人を見て、私はその名前に見覚えがなかったので、いつものようにレターボック
スの最下段に入れて、気が向いたら読むことにしようと思った。しかし、差出人の住所
が変わっていたので、ふと私はその手紙を一番に開けてみる気になった。その住所は東
京近郊の町の刑務所内の拘置場になっていたのである。
 その手紙の内容はつぎのようなものだった。
「多加賀先生、突然このような手紙をさしあげる非礼をお許しください。
 私は現在、殺人犯として勾留されている者であります。すでに起訴はされています
が、まだ公判は始まっておりません。私は公判の始まる前にどうしても先生にお会いし
たく、不躾なことは重々承知のうえで、このようなお手紙をさしあげたしだいです。
 お会いしたい理由については、手紙では言い尽くせませんので、ご容赦ください。
 私がどうして先生のことを知っているか、不審に思われていることでしょう。じつは
私、六年前に先生が心理学の専門雑誌に書かれた論文を読んだことがあるのです。そう
言うと、先生は私のことを心理学を学んでいる者とお考えになるかもしれませんが、私
はまったくの素人であり、心理学の基礎的なことは何も存じません。ただ、二年前私
は、自分の体験するいろいろ不可思議な出来事にめんくらっていて、なんとか自分の体
験を説明できる説はないかと、心理学や精神医学の本や、専門誌を渉猟していたので
す。
そしてそのとき先生の書いた論文にたまたま出会ったのです。
 正直言って私は先生の論文がほんとうに理解できているかどうか自信がありません。
でもさきほども言ったように、私の不思議な体験を説明するに足る何かがそこにはある
と、私は確信したのです。
 だから私はどうしても先生にお会いして、私の話を聞いていただきたいのです。
 一人の人間の体験が、たとえ彼にとってどんなに感動的であっても、もう一人の人間
にとって何の興味も引かないといったことがよくあることは、私も承知しています。こ
れはひとつにはその種の感動は言葉で他人にはなかなか伝えられない、ということがあ
りますし、どのような体験もひっきょう個人的な歴史性の中でしか語れないということ
があるわけですね。
 だから、先生がどうしても私の話に関心を持てないようでしたら、来てくれなくても
けっこうです。ただ、そのことだけを私に伝えてください。そうしないと私は先生を待
ち続けることになります。
 私には時間がありません。
 裁判が始まったら、私はどこかの病院に精神鑑定を受けるために入院させられること
でしょう。そうするともう先生に会うことは許されないでしょう。
 それまでに先生に会いたいのです。どうかお願いです、会いに来てください」
 手紙は唐突に終わっていた。
 次第に切羽詰まって、最後は哀願とも脅かしとも取れる内容だった。
 私はしばらく手紙を机の上に広げて、愛用のパイプをくゆらせながら考え込んだ。
 手紙の字は端正で、文章もなかなかしっかりしたものだった。
 ただ私の中の何かが私に、この種の人間にはあまり関わらないほうがいい、と教えて
いた。
 一方、もし彼の手紙が真実を伝えているなら、彼の言う体験なるものが何か知りたい
という好奇心もあった。
 いろいろ考えあぐねた末、次の日曜日に彼のいる拘置場を訪ねてみることに決めた。
そして彼の手紙を机の引き出しに入れて書斎を出た。

 私は法律のことにはうといので、前以て知り合いの弁護士に、彼のように殺人の罪で
拘留されている者にまったくの他人である私のような者が面会できるのかを尋ねてみ
た。それは多分心配いらないであろうという返事であった。拘留中は被疑者の人権が重
んじられていて、たいていの場合面会や通信の自由は保証されているというのだ。
 しかし私は念のために彼のいる刑務所の所長に電話をした。
「そうですか、彼のほうから先生に手紙を出したのですか。私は立場上彼のことについ
ては何も申しあげれませんが、ぜひどうぞ彼に会ってやってください。いずれ彼は裁判
が始まれば、精神鑑定を受けることになるでしょう。彼はそうなる前に先生に自分のほ
うからすすんで話をしたいと思っているのでしょう」
 所長の言葉も私にますます彼に会う気を強くさせるものだった。
 こうして私は日曜日に何度も電車と地下鉄を乗り継いで、まだ昔の武蔵野のおもか
げを残したたたずまいの町にある刑務所にでかけた。
 手紙の主に初めて会ったとき、その若さにまず驚かされた。手紙の字体や文面から、
三十は下らぬ男性を想像していたのあるが、彼は二十になるかならないかの青年だっ
た。
 私の驚きに気付いたのか、彼はちょっと気後れしたような表情をみせた。
「先生、もしかしたらここへ来たことを後悔しているんじゃないですか。私のような青
二才が先生にわざわざ来ていただくなんて、ほんとうに身の程しらずだと思っておられ
るのでは」
「いや、そんなことはありません。でももっと年配の人かと思っていたのは確かです」
「今の若い者は何を言ったって、したって不思議なことはない人種だと思っておられた
ら、これから私の話すこともそんな人間のたわごととしか考えられないかもしれません
ね」
「私はあなたの三倍は人生を生きてきましたが、この世の出来事にあきて、何事にも感
動しなくなった人間とは思わないでほしいものですな。なによりの証拠にこうやってあ
なたに会いに来ているのですから」
 私の言葉にやっと彼はほほえみをみせた。
 それから彼は次ぎのような自分の生い立ちを話し始めた。

 彼は大阪で生まれ、十三歳までは九条というところで住んでいたという。父は小さな
鉄工所を経営していたが、彼が生まれたころは造船の景気が良いころで、従業員も二十
人ほどいて造船所の下請けを中心に仕事をしていた。
 彼、そうそう、まだ名前を言っていなかった、カズシというのだが、彼は三十歳の父
と、二十五歳の母のあいだにできた一人っ子だった。
 やがて二人目の子供を母が身ごもった。そのころから母の体調がおかしくなった。医
者は軽い妊娠中毒症といったが、急速に彼女は衰弱していき、仕事に追われてそのこと
に気付くのが遅かった父が、あわてて阪大の付属病院へ連れていったときは、彼女の腎
臓は三倍以上に膨れあがり、心臓はあえぎながら拍動を打っていた。どうしてこんなに
なるまで放って置いた、と医者に叱られるまでもなく、父は自分が仕事にかまけて、妻
に無理をさせていたことに、深い積みの意識を感じていた。
 すぐに中絶の手術がおこなわれたが、その手術の途中で母は不帰の人となった。
 だからカズシは母の顔をはっきりとは知らない。
 漠然と自分を抱いてくれる優しい母のイメージがあるだけだ。
 それが本当の母なのか、ものごころついてから自分が想像した母の姿なのか、それさ
えも定かでない。
 父は自責の念からか、母の面影を忘れられなかったためなのか、おそらくはその両方
の理由だっだのだろうが、四十一になるまで再婚をしなかった。そんな父が会社の接待
で行ったクラブのママに入れあげるようになった。
 ちょうど造船業が不況にみまわれ、あおりで父の会社も経営がしだいに難しくなって
きたころだった。それまでカズシの面倒を見てくれていた父の母が、軽い脳梗塞をおこ
して倒れた時期でもあった。そんなこんなで困難に立った父は、一人の女の商売柄から
だけでもない同情心に安らぎを覚えた。
 彼女、菜穂子とは正式に結婚するつもりはない、と言っていたカズシの父だったが、
親類の者の強いすすめもあって、けっきょく一年後に入籍した。
 カズシは中学一年になっていた。
 菜穂子は二十七歳。
 いささか奇妙な三人の生活が始まった。




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