#1042/3137 空中分解2
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ルウと使い魔【五】 /えびす
★内容
隣の家の屋根の上に立っている人影は、炎の矢を簡単に素手で払い落とした。
彼の赤いローブが軽くはためいた。
「――だがこれは少しばかり凄い。相当なポテンシャルだ。もし俺がお前の師な
、、、、、、、、、
らば火炎術は禁じていたことだろうに。感情をセーブできないタイプの術者には
火炎術の類は危険すぎる」
この生意気な男、消してやる! 即座にルウは赤いローブの男に火球を打った。
「おっ」
赤い魔道師は、飛んできた火球を辛ろうじて両手で弾いた。弾かれた火球は夜
空に向かって飛んでゆき、村の上空で破裂した。炎の塊が赤い魔道師の頭上に降
り注ぐ。
魔道師の顔に少しだけ感嘆の色が見えた。
「驚いた。まだ火球を打てるとは。――しかしおそらくは次で最後だぞ。慎重に
打ってみろ、小娘」
ルウの意識がだんだん戻ってくる。彼女は身体にひどい痺れを感じた。
意識の回復とともに急速に魔力が失われつつある。敵の魔道師が看破したルウ
本来の力量の持つ魔力の臨界点に近づきつつあるのか。やはり今までの数分間は、
精神的にも肉体的にも明らかに無理な状態だったのだ。
森の中の高速移動などとは比べ物にならないほどに強烈な高レベル火炎呪文の
反動に対し、ルウは身体がまだ出来上がっていない。動けないほどの痛みを、正
気に戻った彼女が感じるのも当然の事だった。
ぼんやりと理性の戻ってきた頭でルウは思考する。
殺られる。
魔力が切れたら間違いなく殺られる。
最後の一撃でこの魔道師を倒さなければ、わたしが殺られる。
全力でルウは感情を喚起した。感情の熱変換による火炎術――覚え立てだが、
目の前のこの男に勝つにはこれしかない。
だが、怒りでは駄目だ。怒りの感情では火球が精一杯。もっと別の感情を――。
ザッカーの顔が浮かんだ。母の顔も浮かんだ。だがそれだけでは不足だった。
ルウは必死で集中する。ここで死ぬわけにはいかない。なぜなら……。
さっき舐めた塩辛い涙の味をルウは想いだした。あの子はわたしのために泣い
てくれた。わたしのために……。
ルウは感情をすべて熱エネルギーに変換する。さきほどまでのように怒りの感
情の熱変換ではない。もっと別の感情。
ルウの手が印を組む。両手を前に突き出すと炎が指先の一点から噴出した。螺
旋状の炎は、唸りをを上げて赤いローブの魔道師に直進する。それは業火の渦と
化していた。
ファイャスパイラル
「ああッ!? 火炎渦!?」
両手を身体の前で交差させて火炎をブロックしようとした魔道師は、瞬時に地
獄の熱に包み込まれた。
ふた呼吸の間だけはなんとか持ったが、それは無駄な抵抗だった。
音にならない叫び声とともに、赤いローブの魔道師は灰になった。
ルウの意識が、ふっ、と遠くなる。彼女の身体に魔力はもはやまったく残って
いない。
ルウは屋根の端から足を踏み外した。頭から地面に落ちてゆく。このままでは
首の骨を確実に折る。だが彼女の身体にはひとしずくの力すらも残っていない。
地面まであと頭三つ分のところで、ルウの身体は落下速度をゆるめた。
ルウのぼろぼろのローブを、小さな龍が必死でくわえて羽ばたいていた。その
ままゆっくりとジッタはルウを地面に降ろす。
(しっかりしてよ!)
ルウはぼんやりとその言葉を噛み砕く。
「……ジッタ……なの……? あなたとっくに……逃げたと……思ってた……の
に」
まともに喋ることすらできない。疲労で舌がもつれた。
(速すぎるよ! おいらあんなスピードについてけないよ)
焦っていたからよくわからなかったけど、わたしの高速移動はそんなに速かっ
たかな、とルウは思う。そういえば衝撃波の呪文だって自分の予想以上に強力だ
ったっけ……。
「ジッタ……敵は? まだ……いる?」
何人やっつけたのかよく覚えていない。小指さえ動かすことが困難な今の状態
では、あとひとりでも敵がいたら、それでおしまいだ。
ジッタが口を開くまでにかなり間があいた。ルウはその不気味な間に不安を感
じた。
(――まあね。ひとりいるよ、あそこに)
ジッタは、信じられないほど落ち着いた声でそう言うと、ルウの身体から離れ
る。ルウは目だけ動かして龍の動いた方向を見る。
弩(いしゆみ)を構えた盗賊がひとり。すでに矢はつがえられている。盗賊は
比較的落ち着いている。既に、ルウに魔力が残っていないということを把握して
いるのか。
「ジッタ、逃げなさい――」
大声で怒鳴ったつもりなのだが、小声にしかならない。
(やだよう……だ)
ジッタは大きく羽ばたくと盗賊に飛び掛かった。
盗賊の右手の筋肉が、龍の動きに反応するのがルウの目にはっきりと映った。
やめて! と叫ぼうとしたが、もう声が出ない。
ジッタの背中から弓の先端が突き出る様子が、スローモーションでルウの網膜
に像を結んだ。
龍は、がくん、と衝撃を受けたようだが、そのまま盗賊に飛びついて喉笛を喰
いちぎった。
汚らしい盗人と、ルウの可愛い使い魔は、折り重なって崩れ落ちた。
ルウは全力でジッタににじりよろうとする。だが、身体がどうしても動かない。
動け! ばか! そう心の中で叫びながら、ルウは自分の左手に思い切り噛み
ついた。歯は骨まで達した。激痛で、神経系がいくらか活性化される。ルウは、
フォウゼル族の父から受け継いだこの鋭い歯を、初めてありがたく思った。
肘から先を、地面で擦って血だらけにしながら、ルウはジッタの所にじりじり
と移動する。死なないで! お願い! だがルウの猫のように縦長の瞳に映る小
さな龍はぴくりとも動かない。
永遠にも思える時間が過ぎた後、やっとルウはジッタの所に辿り着く。
顎の先から滴り落ちる涙を拭こうともせずに、ルウがジッタの尻尾に手を伸ば
してこっちに引き寄せる。
龍の身体にはまだ生命の脈動が感じられる。だが……それももうすぐ消えるだ
ろう。
ルウは、使い魔をしっかりと胸に抱き締める。
「死なないで、死なないで、お願い」
ジッタの濁った目がルウに向けられた。
(だからあの時……おいら……言ったじゃないのさ。行ったら死んじゃうよ……
って。でも……ルウの代わりに死んじゃうのは……おいらだったみたいだけどけ
ど……ね)
「わたし、もうひとりぼっちになるのは嫌! 死なないで!」
ジッタは、盗賊の返り血がこびりついた顔でちょっとだけ笑ったみたいだった。
(……んもう……それも……あの時おいらが言った……台詞……)
「喋らないで! 傷口が開くわ!」
ジッタの身体を貫いている太くて短い矢を、ルウは両手で固定する。うかつに
抜くと、危ない。
(いいよ……どうせ……もう……駄目……だから)
「そんなこと言わないでよ! お願い!」
ジッタは長い舌で、べろりとルウの顔を舐めた。
マ ス タ ー
(さよなら……御主人様……短い間だったけど……すごく楽しかった……よ)
「お願いだから『御主人様』なんて言わないで! あなた、『お姫様』っていつ
も言ってたでしょ!」
(そう呼んでも……いい……の? あんなに……嫌がってたのに)
ルウは泣きながら頷く。
プリン・・・
(そう……うれしい……な。……さよなら……おいらの……可愛い可愛いお姫…
…)
途中で龍の言葉は途切れた。
ルウは、腕の中の使い魔の身体がぐったりするのを感じた。胸にぽっかりと穴
が空いたルウは、ふっ、と気が遠くなる。既に、ここまで失神せずにいられたの
は奇跡と言ってもいい状態だった。
ルウの褐色の身体は、ジッタの小さい緑の身体に覆い被さるように倒れこんだ。
あとひとりでも盗賊が残っていたら、わたしは殺される。でも、できることな
らそうして欲しいとさえ、失神する直前のルウは思った。
家々を燃やしている炎が、地面に折り重なっているひとりと一匹の身体を赤々
と照らし出す。
家屋のひとつが、燃え尽きて崩壊した。
ルウと使い魔の上に、未だ燻っている瓦礫の山が雪崩のように覆い被さる。
【つづく】