AWC お題>「鏡」    あきちゃ


        
#1010/3137 空中分解2
★タイトル (SKM     )  91/ 7/ 5   2:39  (122)
お題>「鏡」    あきちゃ
★内容
「ねえ、なにしてるの?」
…だれ?
「クミコ。今、電話しててもいいの?」
…ああ、まあね。
「なにしてたの?」
…仕事だよ。版画の。
「版画ってさあ、前に言ってたあれのこと?」
…話したっけ?銅版画のこと。
「たしか聞いたと思うんだけど、雨が降ってたでしょう、あの時。だからわたし、モ
ンタの言うこと、聞こえないようにしてたの、耳のドア閉めて。今日はいいわよ、お
天気だから。聞いてあげる」
…べつに、いいよ、無理しなくて。
「すねちゃって、ばかみたい。木版画とは違うのよね?」
…原理的にね、違うね。木版画はへこんだ部分は白くでるけど、銅版画はへこんだと
ころにインクを詰め込んで刷るから、そこが黒く出るんだよ。まあ、いろんな技法が
あるんだけど、電話じゃ無理だね、説明は。
「いいじゃない、してよ。わたしくらいなもんでしょ?こんな話、聞いてくれるの」

…おあいにくさま、オレのはなしを聞きたいって女が部屋のそとで整理券持って順番
待ちしてるよ。
「うそばっかり。それで、やっぱり彫るの?彫刻刀かなにかで」
…そういう技法もあるね、オレはやらないけど。オレのはエッチングっていって、銅
版を腐蝕させて、でこぼこを作るんだよ。うーん、めんどうだけど、じゃあ、最初か
ら説明しようか。まず、銅板を適当な大きさに切って用意して、それをツルツルの女
の肌のようになるまで磨きあげる。次に防蝕剤って言うんだけど、黒ペンキみたいな
物を女の体の隅々にまでに塗り付ける
「オンナ?」
…あ、いや、銅版。刷毛でもいいけど、掌のほうが気持ちがいい。毛のはえている所
にはその根元にもしつこく擦り込む。
「ケって?」
…いや、つまり、全体にってこと。よく乾かして肌が漆のお椀のように黒光りしてき
たら好きな模様を描く。これは爪をたてて皮を一枚剥ぐように、赤肌が見えてくるま
で何度も何度も爪を立てる。
「カワのアカハダ?」
…いや、その、防蝕剤の皮膜を剥ぎとるようにして、つまり、腐蝕されるところと、
そうでないところを作るわけさ。よく見なけりゃいけない所とか、細かい所は拡大境
で覗きながらするんだ。オレは最近アールヌーボー調の花柄に凝っててね。つるがく
ねくねと首とか腰とかに絡みついて、そりゃーもう
「コシねえ」
…絵がすっかり出来たら、ホッとひと息ついてから、あとは「艶化青春第二蹉趺」っ
ていう
「セイシュン?」
…あ、いや、「塩化第二鉄」っていう、真っ黒な腐蝕液に浸してしまえばいいんだ。
小さい銅版ならバットでいいんだけど、女となると棺桶くらいの大きさの入れ物がい
る。
「カンオケねえ」
…それで、描いた模様の所が腐食されてへこむから、そこにインクを詰め込んで、紙
をその上にそっと乗せて、プレス機にかけると、紙がへこんだ部分ののインクを吸い
取って模様が紙に写されるってわけさ。
「ふーん。お天気がいい日でもモンタの言うことはわかんないな。すこし散歩でもし
てきたほうがいいんじゃないの?そんな暗い部屋にこもりっきりになって、背中まる
めてゴソゴソやってると病気になるわよ。まあいいけど、そうすると、その紙に写し
取られた模様って、左右逆にならない?鏡に映したみたいに」
…鏡ね、そういうことになるかな。そうだね、紙の鏡に写さないと作品にならない。

「それで、モンタはどっちをつくりたいわけ?その銅版の女と、紙の作品とでは」
…それがよくわからないんだ。女を腐食していると異様に興奮してくるし、刷りとら
れた鏡の世界には偶然できた模様なんかが浮き出たりして、自分が描いたとはとうて
い思えないものもある。腐蝕している間になにかが介在するんだろうね。ところで、
なに?なにか用事があって電話してきたんじゃないの?
「そうそう、わたし、モンタに鞄あずけなかった?焦げ茶色の革の鞄。わたし、ちょ
っとね、旅行してこようかと思って、探してんのよ、その鞄。でも、みつからないの
、いくら探しても。それで、モンタのところにひょっとして預けたんじゃないかと思
って」
…カバンか。預かってないね。どんなの?
「すごく古い物なんだけど、厚い革で出来てて、金具が少し青く錆びてたりして、大
きいのよ。生まれてくるはずだった赤ちゃんなんか、らくらくしまえちゃいそうな。

…アカチャンねえ。
「ほら、あの石畳の街に古道具屋があったでしょ?二人でよく歩いたあの海辺の街、
憶えてる?」
…ああ、憶えてるよ。そういえば、古道具屋があったね。船ランプとかスクリューと
か、海の関係の物がいろいろ置いてあった。
「そう、それで、わたし、去年ね、あの街を一人で歩いてた時にその鞄を買ったよう
な気がするの、その店で。でも、よく憶えてないのよ、あの頃のこと、混乱してたか
ら、いろいろと」
…買ったんなら、あるんじゃないの?
「そうよね。確かあの時、絶対に忘れちゃいけないこととかをこの鞄に詰め込んで、
手元に置いておけば、もう少し、生きていかれるかもしれないって、思って、それを
買ったような気がするの」
…モースコシか。
「でもね、ぜんぜん、ちがってるかもしれないの。っていうのはね、わたしのおじい
さん、祖父はね、船乗りだったのよ。これは、ほんと。それで、わたしがまだ小さか
った頃、よく家の倉庫に忍び込んでひとりで遊んだんだけど、いろんなガラクタの中
に混ざって大きな鞄があったのをおぼえてるわ、ものすごく大きな。一度、開けてみ
た事があるのよ、鍵が壊れてて簡単に開いたの。でも、中はからっぽだった。でもね
、プーンと石油の臭いがしたわ。あれは船ランプのにおいかしら」
…それで、そのおじいさんの鞄がどうかしたの?
「そう、その鞄にね、もう忘れたい事とかを詰め込んでね、売り飛ばしちゃえば、も
う少し、生きていかれるかもしれないって、思ったような気がするの。それで、あの
店に持って行って売ってきたのかもしれない」
…売っちゃったら、ないんじゃないの?クミコのところには。はっきりしないね。ボ
ケは二十代の後半から始まるっていうからね。
「真剣に聞いてるの?ひとの話」
…すぐふくれるのは、あいかわらずだね。
「いいわよ、べつに。でもね、ほんとううに、おぼえてないの。お店の人にその鞄を
渡したのか、渡されたのか」
…謎ときをしてあげようか?
「どんな?」
…その店には何か大きな鏡がなかった?姿見みたいな。
「そう言われれば、あったかもしれない」
…オレが思うにはね、クミコはその鏡に向かって持ってきた鞄を差し出したのさ。差
し出すまでの情景は自分の行動の映像として記憶してきた。差し出して引っ込める瞬
間に今度は向こう側に視線が移って、鞄を受け取る自分の姿をお店の人が受け取った
というような映像として記憶してしまった。そして、その鞄は売らずに持ち帰った、
ちがうかな?
「もし、そうだとしたら、鞄はわたしのそばにあるはずでしょ?」
…そういうことになるかな。
「それがないのよ、探しても」
…事実はどちらでもいいけど、クミコの今の気持ちとしてその鞄を渡した方がよかっ
たの?それとも
「わからないのよ、そこのところが。モンタどう思う?」
…もし、その鞄がでてきたら、それを持って旅に出るんだろ?
「そうだけど」
…そしたら、その鞄を持って帰るつもりなのか、それともどこかに置き去りにしてく
るつもりなのか、そこんところを考えれば答が出るんじゃないかな。
「それが、わからないの、どうしたいのか、自分でも。ねえ、ここにきて一緒に探し
てくれない?」
…考えてみるよ。それより、こんど、月夜の晩に、ここに来ない?棺桶の中の女の花
模様が月の光に照らし出されて、そりゃあ、きれいだぜ。時々、ごとんごとんって揺
れてるけど。
「そうね、考えとくわ」




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