#980/3137 空中分解2
★タイトル (UYD ) 91/ 5/29 17:26 (141)
スリナガル KEKE
★内容
ネパール第二の町ポカラからインドのバナラシに降りてきたのは
五月半ばだった。
御存知の方もおられるかもしれないが、インドは五月が一番暑い。
連日45度以上の気温が続く。標高が高くて、したがって気温が低
いポカラからいきなりそんな灼熱の大地に降りてきたのだから、体
がショックを受けてもおかしくない。
私はもっと注意しているべきだったと、今にして思う。
でもその時は、インドの旅を続けるのに夢中で、体のことなぞ気に
もならなかった。
45度の暑さというものを想像できるだろうか。とにかく体温よ
りはるかに高いのである。まさに生きながらレンジのなかにいるよ
うなものである。太陽の直射をうけると、暑いというより痛いとい
う感じになる。
暑さは夜になっても変わらない。昼とほとんど温度の変化がない
のである。室内で寝る場合、むしろ酷いことになる。
というのも、ホテルなど煉瓦でできた建物の場合、昼の間に太陽の
熱を溜め込み夜になるとそれを室内に放射するからである。文字ど
うりオーブンレンジそのものである。
こんな状態で安眠できるひとがいたら、そのひとは異常である。
どうやって眠るのか。
まずバケツに水をくんできて、それをベッドの上にぶちまける。ベ
ッドが水浸しになったところでその上に寝ころぶ。何しろ大変な暑
さだから、水はあっというまに蒸発しはじめる。そのさい、気化熱
をうばうのでいくぶんひやっこい感じになる。その感じが続いてい
る間に寝てしまうのである。そんなの無理じゃない、と思うかもし
れないが、人間案外環境に適応してしまうもので、それが寝れてし
まうのである。
もっともその眠りはせいぜい2時間しか続かない。なぜなら2時
間くらいでベッドは完全にカラカラに乾いてしまい、もう気化熱で
冷えることもなくあっという間に温度が上昇してしまうからである
。そりゃもう見事なほどぱっちり目が覚める。
そしたらまたベッドに水をぶっかけるのである。
これを一晩に3〜4度繰り返す。
切れ切れの睡眠だけど、何とか寝ているので大丈夫だと思っていた
。結果的にいうとそれが甘かったのである。
バナラシからデリーに向かい、デリーで1週間ほど過ごした。デ
リーはバナラシほど暑くはなかったが、それでも夜寝れない時のほ
うが多かった。
もう少し待てば雨期になって気温が下がるというひとがいたが、私
はとうとう我慢できなくなった。こんな暑いのはもう嫌だ。
というわけで、私はインドの高級避暑地として有名なスリナガル
に行くことにしたのである。
スリナガルは緑したたるという言葉がぴったりの土地であった。
標高1700メートルの高地にあるため、気候はまさにさわやかで
あり、木々も緑の色が濃い。赤茶けたインド平原とはおおちがいで
ある。
それはスリナガルに到着してちょうど5日目に起きた。
いつものように朝起きて、朝食をホテル近くのレストランでとった
。トースト、卵、ベーコン、コーヒーといういつものメニューであ
る。その朝食を食べ終えて、レストランを出た。
出て2〜3歩歩いた時だった。いきなり膝がガクンと折れた。あっ
という間に地面につっぷしてしまった。何だこれは、と思って立と
うとした。だが膝がガクガクしてどうしても立てない。そのうち吐
き気が込み上げてきて気分が悪くなってしまった。
とっさに、さっき食べた朝食に当たったのではと思った。とにかく
さっきまで何ともなかったのに、いきなりこうなってしまったので
ある。
一歩歩くと吐き気がして立ち止まる。また一歩歩くとまた吐き気
だ。こんな調子でまともに歩くことができない。文字どうり這うよ
うにして、実際半分は這っていた、ホテルまで帰った。
ホテルの部屋のベッドに倒れこむと、吐き気はいくぶん収まった
。良かったと思って、体を起こすと途端にまた吐き気がした。
こりゃかなり重症だぞ。
次の日の朝、目が覚めて体をベッドから起こしてみた。するとま
た吐き気がした。それだけではなくめまいも起こしている。
なぜだかベッドに横になっていると、ほどんど何ともないのである
。なのに体を起こすと途端に吐き気とめまいである。
小便に行きたくなった。ベッドから出るとやはり吐き気とめまい
がする。それをこらえつつ小便をする。驚いたことに小便は茶色だ
った。
「あ、これは……」
と思った。
話に聞く肝炎の症状にそっくりである。鏡で目玉を見てみると、た
しかに黄色くなっている。
間違いなく肝炎である。
正式にいうと『流行性肝炎』である。
ウイルスが原因という説もあるが、はっきりしたことは不明である
。ただ、不潔な食事や食器から感染することが多いようである。
インドネパールをはじめとして低開発国に多く発生している。
だからこの諸国を旅する者たちは自分用の食器を持ち歩き、食堂な
どでは、その食器にいれてもらう者も多い。
私はそこまではしなかったけれど、なるべく煮たものを食べるよ
うにはしていた。なまもの、たとえばサラダなどは絶対食べないよ
うにしていた。でもかかってしまった。
感染したのは時間的にみてネパールにおいてであろう。約二ヵ月
滞在していた。その間すべて汚いネパール食堂で食べていたし、ま
た、約三週間のトレッキングの際は、相当ひどい食事をしていた。
ネパールで感染し、インドの酷暑で体力を損耗し、スリナガルに
来てほっとしたところで一気に発病したというところらしい。
肝炎と分かった段階で私は覚悟を固めた。だが病院にはいかない
ことにした。なぜならこの病気には薬はないのである。ただ安静に
して、栄養のあるものをとる以外ないのである。
だが、今になって考えればこれは危ないことであった。
流行性肝炎に罹って死ぬひとはかなりいるのである。
栄養の補給ということだけ考えても病院に行くべきだった。そう
すれば点滴という手段で栄養を取ることができる。
なのに私はホテルのベッドにのびたまま、ほとんど食事を取ること
もなく毎日をおくっていたのである。
食べたくても体が受け付けないのである。パンをはじめ固形物はほ
とんど駄目だった。口に入れただけで戻しそうになる。
かろうじてチョコレートだけは飲み込むことができた。あとはミル
ク、リンゴジュースなどだけである。
最初の一週間が山だったようだが、この一番危険な段階をチョコ
レートとジュースだけで乗り切れたのだから、私は随分幸運だった
のだ。
最初の一週間が過ぎると、吐き気やめまいはかなりの改善された
。でも依然として食欲はでない。それでも戻しそうなほどではない
ので、なんとかパンや卵などを詰め込む。
結局食欲が普通に戻ったのは一ヵ月後だった。そして、その頃は
肝炎もほぼもとどうりになったようである。
でも、体重を測ってみると、なんと44キロになっていた。私は1
68センチだから、ガリガリを通り越してアウシュビッツ並みであ
る。
本当よく死ななかったものだ。まさに幸運そのものだったのだろ
う。
今考えると本当にぞっとすることを平気でしているのだから、若
いということはしょうのないことだ。
病気から回復した後は、スリナガルの名所を歩き回って見ている
。またシカラという小舟にのって、運河を見物してあるいたりして
いる。
若者にとって死とは、遠い存在に思えたに違いない。
どうです、皆さんもインドで肝炎に罹ってみたら。死ななかった
ら、いずれ人生の意味を考えることができるようになります。
もっとも、死んでいたらよかったのにと思うひともいるかもしれな
いが。