AWC お題>「若き日の約束」 青木無常


        
#940/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  91/ 4/25   1:33  (128)
お題>「若き日の約束」 青木無常
★内容
 腹の傷跡がうずく。ナイフでえぐられた傷跡だ。この傷のせいで、おれは生死の
境をさ迷った。ずいぶん昔のことのような気がする。つい昨日のことのように鮮明
な記憶でもある。おれは駅前のベンチに腰を降ろし、良夫が来るのを待つ。
 奴が出てきたのは三日前だ。
 出所するところを迎えようとも思ってはみたものの、家族の気持ちを考えてやめ
にした。良夫は善良な男だ。その善良な男に殺人未遂を犯させたのはおれだ。ツラ
を出せる義理じゃないし、その方が良夫の家族にとってもいいのだろう。どの道、
家族の前では切り出せない話をするつもりだった。そう思って、良夫から連絡が入
るのを待った。
 三日間待って、なんの音沙汰もなかったので、おれから電話した。電話口で奴は、
もう会わないつもりだったと、淡々とした口調で言った。予想に外れたセリフでは
なかった。おれも、その方がいいような気もしていた。
 それでも、おれたちは会うことにした。会おうと、どちらかが口にしたわけでは
ない。電話をしてしまったことで、おさまりがつかなくなっていたのかもしれない。
それは良夫も同じことだったのだろう

 あの日のことはよく覚えている。
 濡れたアスファスルト。
 ゴムの焼ける臭い。
 反転する曇天。
 「チクショー!」その時に自分の吐いたセリフも、よく覚えている。「スピード
出しすぎたぜ。おい、真理子、大丈夫か」
 まったく間の抜けたセリフだ。バイクの転倒など、どうということのない日常茶
飯事だと思っていた。ひとの死など、頭の中でしか知らなかった。
 開けはじめた雲間からの陽光を受けて、アスファルトが輝いていた。散乱するバ
ックミラーに。濡れ光る血の赤に。
 真理子はいなかった。引きつぶされた肉塊があるだけだった。
 映画の中のシーンのように実感のない、ひどく非現実的な風景だった。
 現実の復讐はゆっくりと訪れる。救急車のサイレンの音。肉塊は、おれが病院で
申し訳程度の手当てを受けている内にかたずけられてしまったらしい。警察の事情
聴取。その時もまだ、夢か幻の中をさ迷っていたかもしれない。ピーカンの青空の
下で行なわれた葬式の場で、それは訪れた。真理子の家族の、頑なな怒りの表情で。
 どなりつけられると思っていた。娘を返せと、詰め寄られても仕方がないと。に
らみつけられさえ、しなかった。真理子の父は、母は、頑なにうつむいたまま、お
れの方にチラリとさえ視線をよこさなかった。
 そして、おれの腹にナイフをえぐりこんだ時の、良夫の表情。
 おれは、あの顔を形容する言葉を知らない。
 怒りだろう。抑えようのない怒りだろう。それは間違いない。だが、それだけじ
ゃなかった。
 あの顔を、なんと形容すればいいのだろう。
 歪んだ、とてつもなく醜いあの表情を。
 その答えを見つけるために、ここに来たような気もする。
 答えが見つかるとは思わなかったが。
 ポプラ並木の向こうから良夫がゆっくりと近づいてくるのを、おれはひどく冷静
に観察していた。
 あの時の言葉が、はっきりと浮かび上がる。
 「殺してやる」
 声音に炎を乗せて、良夫はそう吠えた。
 おれを抱き起こしただれかの「救急車を呼べ! 大丈夫だ、助かるぞ!」とくり
返された声にかぶせて、その声はひどく耳に近く聞こえてきた。
 「殺してやる! 必ず償いをさせてやるぞ!」
 そして今、良夫は能面のような無表情で、ひさしぶりだな、と口にした。
 「今どうしてる?」
 なにも言わないおれをしばらく無表情のまま眺めてから、仕方なしに、という感
じで良夫は訊いた。
 「べつに。あいかわらずさ」
 自分の声が、不貞腐れたように響くのを聞いた。
 そしてまた、重い沈黙がのしかかる。良夫はため息をひとつ突き、
 「なんの用なんだ」
 と言った。質問の答えなど知っている口調だ。
 「殺さねえのかよ、おれを」
 「もういい」うんざりしたように良夫はもう一度ため息をつく。「事故だった。
あの時、おれはどうかしていたんだ」
 これも予測していた答えだった。期待どおりだ、と言い換えてもいい。おれだっ
てつまらないゴタゴタはさっさと終わりにしたかった。
 だが、その答えを聞いた瞬間、なにか言葉にならない、塊のようなものが鳩尾の
あたりからぐうっとせり上がってきた。
 「もういいってなんだよ……?」
 ひどく狂暴なものが、おれの腹の中で荒れ狂っていた。
 「もういいってのは、なんなんだよ!」
 言いながらおれは、良夫につかみかかっていた。
 「真理子が死んだのはおれのせいだぞ! てめえは、真理子に惚れてたんだろう
が! おれにあいつをとられて死ぬほど悔しかっただろ? そのあげく、あいつは
死んじまって、張本人のおれが生き残ってるのを見て、殺したいほど憎たらしくな
ったんだろうが! そうだろ、ええ? いいよ! やれよ! 殺してみろよ!」
 がくがくと揺さぶられながら、良夫はただ無表情におれを見返しているだけだっ
た。
 狂おしい衝動に駆られて良夫を揺さぶり続けているうちに、視界がにじんでなに
も見えなくなった。ひどく馬鹿なことをしている、とおれの頭のどこかでだれかが
つぶやいた。それでもとまらなかった。
 気がついた時、おれは良夫を組み伏せて殴りつけていた。もうやめろと、頭の中
のだれかが言ったが、停まらない。涙をぬぐい、ぬぐったその手で良夫を殴った。
殴り続けた。
 にじむ目の向こう側で、良夫が一瞬、あの表情をしたような気がする。
 たぶん気のせいだったんだろう。

 弾けるような排気音が、挑発するように傍らを通り過ぎていく。ノーヘル小僧が
二人乗りで華奢な50CCを蛇行させながら、世界に向けてこれ見よがしの自己主
張を敢行している。
 まるっきりのバカだ。
 おれもああいう姿をしているのだろう。今も。なにも変わってはいない。おれは
あいかわらずのバカだ。なにもわかっちゃいない。
 「もう二度と会わない」
 頭の中で、良夫の言葉がくりかえされる。最後まで無抵抗のまま殴られ続けた良
夫が、帰りぎわにぽつりと吐いたセリフだ。ひどい目にあった。もう二度とおまえ
には会わない。そう言って、呆然としているおれを残したまま奴は行っちまった。
 わけがわからなかった。奴の気持ちも。おれの気持ちも。なにもかも。
 ゆっくりと遠ざかる排気音を後ろに聞きながら、おれは見知らぬ街角を当てもな
く歩き続けた。

 十年経って、おれは思いがけなく良夫と再会した。
 雑踏の一角だった。その時おれは、その日暮らしの生活をやめてちっぽけな印刷
会社に就職していた。漠然とした夢も希望も日常のくりかえしの中に埋もれさせて、
その春に結婚の決まった彼女に会いにいく途中だった。
 良夫は女連れだった。おれを見つけて立ちどまり、しばらくおれの顔を眺めるよ
うにしてから、よお、と声をかけた。おれも、よお、と答えた。
 「しばらくだな」
 「ああ」
 「彼女かよ」
 「女房だよ」
 そう言って奴は、照れたように笑った。
 一瞬、真理子によく似ているような気がした。
 錯覚だった。笑顔が可愛いだけが取り柄のような、とりたてて特徴のない娘だっ
た。
 「そうか」
 おれは言った。そうか、結婚していたのか。
 「ああ。おまえは?」
 「おれも、この春、な」
 年貢の納め時だよ、と常套句をつけ加えようとして、やめた。
 奴はしばらくの間おれを無言で見つめ、そして笑いながら言った。
 「そうか。おめでとう」
 その笑い顔が、葬式の日のあの顔を思い出させた。怒りの陰に潜んでいた、あの
表情を。
 気のせいだったのだろう。おれたちはしばらくの間無言で見つめあい、そしてど
ちらからともなく、じゃあ、と声をかけて右と左に別れた。それ以来、あいつには
会っていない。

                                                                    (了)




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